第201話・帝都の空駆ける竜(ソファの上で震える竜)
『まずあんたにしてもらいたいこと。わたしだけじゃ手が足りないのよ、正直言って。だからわたしのやることを半分やってもらう』
「具体的には何をすりゃあいい?」
傭兵、なんて究極に実務的な仕事で身を立ててたヤツは話がはやい。無駄な質問をせずにやるべきことだけを明確に求めてくる。
『第二師団が潜伏している場所はブリガーナ家と四裔兵団であらかた調べがついてる。そのどこにうちのお嬢さまと陛下がいるのかを調べる。どうすればいいかは説明要る?』
「諜報は仕事のうちさ。やりようはいくらでもある。ウチの連中を使ってもいいか?」
『この子たちを?どうするつもり?』
焼き菓子の空になった皿を名残惜しそうに見ていたバインズ少年の方を見る。わたしの視線には気付きはしなかったけれど、話題が自分に及んだことには気がついたのか、隣に座るアイラッドのに真剣な顔を向けていた。
『……危なくないんでしょうね』
「危なくないわけがねぇだろ。戦争なんだぞ」
バカなこと言ってんじゃねえ、という内容のことを、至極真面目な顔で言われた。そりゃそうか。
「ヤバそうな場面の場数はこいつらも相応に踏んでいるさ。お前のようにいざとなれば力業でなんとでもなるヤツに心配されるいわれはねェ」
『わたしはわたしでけっこー危ない目にあってるんだけどね。まあいいわ。やり方は任せるから……ええとネアス、地図とかない?帝都の。なるべく詳しいやつ』
「借りてこようか?」
「やめとけ。首都の地図なんてモンをほいほい他国の人間に見せんじゃねえよ。ざっくりでいい。場所の分担をすりゃいいだろ」
『……ま、それもそうか』
時々、ほんっとーに時々だけど、日本人の感覚が出てきて平和ボケしてんなー、と思い知らされる。
面に出ないように心の内で反省しながら、誰でも分かる帝都の大通りを基準にして、あんたたちはこっちわたしはこっち、という風に分担を決める。
流石に具体的な場所の伝達となると地図があった方がいいから、手書きの(わたしはペンとか上手く持てないのでネアスに任せたけど)地図を大雑把に書いてそれを渡した。
そんな感じで上手いこと分担が決まったころになって、ようやく食事が運ばれてきた。そういえばもう夜遅いんじゃない?
『ネアス、眠くない?だいじょうぶ?』
「うん、わたしは大丈夫だけど、バインズくんは?」
「え?……あ、はい、隊長。なんでしょう」
「……大分眠そうだな。食うモン食ったら先に戻れ。詳しい打ち合わせは他の連中と明日やる」
「…すみません」
素直ないー子じゃない、とネアスと顔を見合わせてわたしたち、にっこり。もっとも邪心にまみれた某女神だったら、ここでまた「にやぁ」とか湿度の高い笑みを浮かべてどん引きされてただろーけど。あの腐女神そろそろなんとかしねーと。
『んじゃま、いただきます。……と、おろ。これは厨房もなかなかおごってくれたわねー。流石にシクロ肉とはいかないまでも、今どき帝都でこんなうまそーな魚にありつけるとは思ってなかったわ』
時間も時間で凝ったものなんかではなく、運ばれてきたお盆に載せられていたのはただ魚を焼いたものにパンが添えられていただけ。
帝都の近くには湖から流れ込む河があってそこで魚は捕れるけれど、腐る前に帝都まで輸送出来る状態にあるということは、物流に不安がないことの証明だ。
「……うめぇな。魚ってのはカルダナでも馴染みはねえが、この街じゃあこんなもんいつも食えるのか?」
「生きたまま運ぶ手段もありますけど、やっぱりある程度はお金を出さないと新鮮な魚は手に入らないですね。でも庶民でも加工品は結構手に入りますよ」
「僕たちは山の奥で育ったので川魚は手に入りますけれど、味は違うものなんですね」
それぞれに感想を述べながら焼きたての魚と香りの良いパンに舌鼓……なんておじさんくさい真似はせず、男二人は満足そうにかっ食らい、女子二人はニコニコと時折見つめ合いながら食事を楽しむ。
一通り話も済んだのだから、交わされる会話となるとどうでもいいことばかり……。
「……でも、アイナ様無事でいらっしゃるのかしら」
……ということもなく、ふと顔を曇らせたネアスが洩らした通り、懸念となることなんかいくらでもあるのだ。
『さあ。殿下や太子府の置かれてるブリガーナ家に対する切り札みたいに扱われているというならそう無茶なことはされてないと思うけれど……』
「理力兵団ってのはこの国の精鋭なんだろ?そういう連中は得てして矜持だけはご立派なモンをお持ちだからよ。婦女子にひどい扱いなんてそうそうするもんじゃねえよ。安心しな、嬢ちゃん」
「……うん」
まあきっと、自分ばかりこんな楽しい食事をしてていいのかとか思って落ち込んだんだろう。
でもお嬢さまのことだから、まあ間違いなく「食事が不味い!」とか言いながら第二師団の連中をこきつかっていることだろう。そんなのを人質にしよーだなんて、あいつらもトコトン怖い物知らずだわ。
「あはは……それくらい元気でいらっしゃればいいんだけどね」
『ま、それは言い過ぎだとしても、今心配しても仕方ないよ。ネアスまで気に病んで食欲無くして、ガリガリに痩せたりしたら……お嬢さまガッカリするよ?』
「うん。気をつける……じゃなくて!」
にわかに頬を赤くして何かを思いだしたようなネアスを、とても可憐だと思ったのはわたしだけだっただろう。アイラッドは名残惜しそうにパンの入っていたカゴを見ていたし、バインズ少年に至ってはもう舟をこぎだしている。そろそろ解散かな……と、一つ聞くのを忘れてた。
『ね、ネアス。お嬢さまが第二師団の残党に拉致された、というのは聞いたけれど、一体どういう状況で掠われちゃったの?わたしが言ったらなんだけど、とても大人しく連れ掠われるよーな人じゃないよね、お嬢さまは』
帰ってきてからずうっとバタバタしていたから、その辺の事情を全然聞いていなかったのだった。
拉致とか掠われた、とかいう単語の物騒さのためか、バインズ少年は急に目が覚めたようにしゃんとして、アイラッドもピタリと動きを止めて、ネアスが何を言い出すのかとじっとしていた。
「ええとね……アイナ様とわたしで学校に行く途中だったんだけれど……馬車の行き先を妨害するように、商人風の男の人が四人くらい立ちはだかってね。しばらくは御者のおじさんとなんだか言い争っていたんだけれど、アイナ様がそのうち馬車を降りて自分から口論に加わっちゃったの。わたしは中で待っているように言われて、でもアイナ様が危なくなったら助けに入らなくちゃ、って触媒の用意だけしてたんだけれど、そのうちアイナ様は馬車の扉を開けて、わたしにこう言ったんだ」
『うん。なんて?』
「話を付けてくるので、しばらく留守にしますわ、って。わたし、どう答えればいいか分からなくって、止める間もなくって。そしたらアイナ様、邪魔してきた男の人たちと一緒に、っていうかむしろ引き連れるみたいにして行っちゃった」
……まあなんていうか、お嬢さまらしい話と言えばらしい話だ。商人風の男、というけどブリガーナ家令嬢と知って声をかけてくるよーなあほうは犯罪者にだってそうそういるまい。ていうか誘拐犯だったらお嬢さまが血祭りに上げてるだろうし。最近忘れがちだけど、お嬢さまだって対気砲術の使い手としてはネアスに匹敵して学年主席を争ってるんだからね。
で、こんな状況で事情を踏まえた上でお嬢さまが自分から付いていこうとするのなら、まあ第二師団かどーかはともかく、この事態に無関係ではない輩なんだろうけど。
「それ以外に何か不審な点は無かったのか?嬢ちゃん」
「え?……ええと、不審と言えば……アイナ様、少し焦っておいででしたけれど。それと、コルセアが帰ってきたら……ってわたしに話しかけたところで呼び止められて、行ってしまったから」
わたし?わたしが帰ってきたら何か……あったんだろうか。
ただ、その出来事の直前までお嬢さまとネアスはわたしのことについてあーだこーだ話していたそうだから、その流れで何か美味しいものでも食べさせてあげなさいな、とか、思い切り甘えさせておあげなさいな、とか、なんかそーゆーご褒美をわたしに用意するようネアスに言いたかったんじゃないかなあ………って、な、なによ三人してヤブニラミの目で見てっ。
「……いや、何と言うか、お前呑気だな」
「です。暗素界の紅竜、というのはこんなにも平和な存在なんです?」
『ちょお、ちょお。あんたたちわたしとお嬢さまの間の絆を知らないからそんなこと言うのよ。いい?お嬢さまはわたしにド甘いの。お嬢さまに可愛がられ愛されるべく在る存在がこのわたし。お嬢さまはきっと間違いなく、わたしにいー感じのことを言い残したかったに違いないわ。そうよね?ネアス』
「ちがいます」
『うん、そうそう。ほらネアスもこう言って……え?』
隣の席にいたネアスは、同意を求めるわたしの問いに、えらく平坦な声で答えてた。けどあまりにも静かな調子だったので、いつも通りわたしに全面的に賛意を示してくれてるものだと思って……たんだけ…ど。
『ネ、ネアス?なんか顔色が赤かったり青かったりしてるけど……具合悪いの?』
「ううん。大丈夫。でもね、コルセアが」
『う、うい』
なんか説明の出来ない迫力に思わず飛び退るわたし。ただし尻尾がソファの手すりに引っかかって無様に転落した。
「大丈夫?コルセア。もう、そそっかしいんだから……気をつけてね。はい」
わりとしたたかに腰を打って、いてて、と起き上がれないでいるわたしを、ネアスはソファの上から覗き込むように見下ろして手を差しのべていた。なんかその手でトドメでも刺されそうな雰囲気に思わずアイラッドとバインズ少年に助けを求める視線を向けたのだけれど、二人ともなんか引きつった顔を背けるばかりだった。どーせーっちゅーねん。
「どうしたの?ほら、起き上がらないとお話しの続き出来ないよ?」
いえべつに話の続きなんてアリマセン。
意志はそう告げているのに身体が言うことを聞かず、絡め取られたように持ち上がった右手はネアスにつかまれ、そのままわたしの身体ごと引っ張り上げられた。えー、最近お嬢さまはおろかブロンくんにまで重い重い言われてるのに。
そして持ち上げられたわたしはストンとソファに下ろされ、ネアスは困惑してるわたしの肩に両手を乗せるとこう言ったのだ。
「ねえ、コルセア」
『はひ』
気のせいだろうか。わたしを見つめるネアスの顔は笑っているのに、どこか洒落にならん雰囲気をかもしだし……えーと、これが噂に名高い闇堕ちってやつ?いやでもネアスがそんなことになる理由とかって無い……よね?
「ひとつだけ、はっきりさせておきたいんだけれど」
『…………』
普段はぱっちりと開いた目を閉じ……いや、なんか視線をその向こうに感じる。なんだコレ。目を閉じてるのに睨まれてるとかなんなんだ。
それからなんかもー、何故だかしらないけれどわたしが恐怖しか覚えない角度で唇の端を持ち上げ、笑っているんだけ笑ってない……目は笑ってない、ってやつ?あいや目は閉じてる。だからなんだ。何が起こるのだ。えーと、アイラッド?
「…………」
「…………」
薄情者どもが足音を立てないよーにして部屋を出て行く背中が見えた。逃げるな待て。わたしを置いていくなぁっ?!
「コルセア」
『………ああああああのあのあの……ネアスぅ?よく分かんないけどわたしなにかわるるるいことしししたっけけけっ?!』
「ううん。悪いことなんかしてないよ?ただ、わたしがコルセアに分かってもらっておいた方がいいことを教えるだけ。ええとね?」
『…………』
もう声も出なかった。糸目ネアスに射竦められ、気がつけば鼻先がくっつかんばかりの距離に迫られ、これ場合が場合なら接吻の一つもしてもらえるところなんじゃねーかと思うんだろうけど今の私はなんか命の危機しか覚えなくって。
「アイナ様の一番は、わたしだからね?」
『(こくこくこく)』
だからもう、ネアスが何を言ったのかも分からず、震えながら頷くしか出来なかったわけで。
「少し活躍したからって、ちょっと調子にのってるみたいだけれど……アイナ様が一番愛してくださるのはわたしなの。コルセアは僅差で二番目。いい?」
『(こくこくこくこくこくこくこくこくこくっ!!)』
なんかもー、震えてるんだか首振ってるんだか分かんない勢いのわたし。
とにかくネアスが怖かった。思い込みの激しいトコもあるよなあ、と思っていたけれど、まさかヤンデレの素質があるとは……後でお嬢さまに忠告しておいた方がいいかもしんない。
「余計な事は………言ったらだめだからね?」
『(こくこくこくこくこくこくこくこくこくこくこくこくこくこくっ!!!)』
ダレカタスケテ。