第195話・帝都の空駆ける竜(友だちの肩の震えを止める手を、持とう)
わたしは特に誰にも目的を告げずに東に向かったんだけれど、東側の国境の動向が伝えられると殿下やじーさま、伯爵さまには早々にわたしが何をしに行ったのか悟って、ほっとくつもりになったらしい。
……えー、信頼されてるのはありがたいんだけど、丸投げされてるみたいでもあってなんか面白くなーい、とぶぅたれたら、ネアスには「アイナ様はすごく心配していらっしゃったから許してあげて」と言われて、それだけでわたしはもにょもにょと口ごもって「うん……」とかやっちゃったんだから、いー加減わたしもチョロいものだ。
『でもそれは別にいいわよ。太子府の設営とかで殿下も忙しかっただろーし。あ、その辺って結局上手いこといったの?』
「うん。わたしは政治のことはよく分からないけれど、アイナ様が分かりやすく説明してくださったからね」
というネアスの話もなかなか簡単で要領を心得た話っぷりで、殿下や伯爵さま、ちょっとやらかしたけれど四裔兵団の幹部たちが協力してあっという間に理力兵団に対抗する勢力を作り上げた、ということはうかがえた。
ビデル殿下の策謀で動かされた四裔兵団の一部だったけれど、ミドウじーさんの大喝とバッフェル殿下の説得に応じて、殿下の太子府の傘下に収まることは承諾した。
その太子府だけれど、帝室典範の隙をついた解釈により、第一皇子のクバルタス殿下の廃嫡、直後のバッフェル殿下の立太子の宣言によって帝権を順次掌握していき、私的に第二皇子のビデル殿下に付き従っている官僚などの一部勢力を除けば、ほぼバッフェル殿下の周辺で掌握出来ている……と言えるみたい。
問題は、帝権が把握している一般兵科の国軍はともかくとして、相変わらず理力兵団が敵に回る姿勢を見せているってことだ。
理力兵団は何だかんだ言って帝国軍でも最強の兵科。数こそ歩兵とは二桁違うとはいえ、特に帝都のような狭い場所で侮ることは出来ないのだ。
四裔兵団も戦闘力より展開能力に重きを置いた編成になっているから、対気砲術の使い手こそ何人かまとまって配置されてはいるけれど、兵科としてまとめて運用出来る理力兵団にまともに対抗できるわけがない。人数だってたかが知れてるし。
だから、いざとなったら帝都に圧倒的な数を投入する一般兵科を掌握しているのは強みになるのだ。もちろん太子府側から市街戦を起こすわけにもいかないし、理力兵団だって正当性を失うからそんな真似をする可能性も低いからね。
「だから、兵隊さんたちが今すぐ騒ぎ出すようなことはないはず、ってアイナ様は仰っていた。伯爵様や殿下も同じご意見のようだし」
『うん。それはわたしもそう思う。帝権の掌握は進んでいるって話でも、こんな事態で兵権を完全に握れるわけないもの。いーとこ四裔のおっちゃんたちが協力的であるって程度で、それ以外はまだ様子見ってとこでしょ』
正直言って、四裔兵団もこの事態の初期に大きなやらかしをしでかしているんだから、あんまり信用しすぎない方がいい。それに、見返りを期待しないで殿下に協力してるわけじゃないんだから、立てさせる手柄は程々でいいのだ。
要するに、荒事にならないよーに解決するのが一番大事。そう、わたしのようにね……って、ネアスその目はなによー。
「……うーん、言いたくはないんだけど、コルセアはカルダナ国境で大活躍してきたんだから、しばらくは大人しくしていた方がいいと思う。別にコルセアが動くと話がややこしくなるってわけじゃなくてね」
『本当にそう思ってないならそんなこと言わないでしょーよ。もー、ネアスまでわたしをそんな無軌道な暴れん坊みたいに言うー』
「あ、あはは…そこまで言うつもりはないけれど、殿下が心配していたんだからね。コルセアが無茶することで物事が予想外の方向へ動くことが多い、って。誰にも相談しないで東に行ってたことだって、みんな怒ったり困ったりしてたんだからね」
『……あい。反省します。もーしません』
「……ほんとうに?」
『ほんと、ほんと。ほらほら、この可愛らしい尻尾に誓うから。ね?ね?』
「……じー」
空中で後ろ向いて尻尾とプリケツをふりふりしたけれど、あんまり信用されてないみたいだった。
藪睨みの半目で見つめられて、どことなく気まずい空気。わたしはわざとらしく「ごほん」と咳払いなんかして、ベッドの上に着地した。
「とにかく、殿下だけじゃなくって、陛下もコルセアのことを気にしていらしたんだから、もう無茶はしないこと。いい?」
『……陛下まで出されたんじゃあ、逆らえないかあ。でも、お嬢さまが危険な目にあってたら、わたし例えネアスが止めたって自分に出来ることはなんでもするからね』
「そんなことになったらわたしも一緒にやるよ。アイナ様の危険を見過ごしたら恋人の名折れたもの」
言い切ったなー。さっきイジったことで、開き直る覚悟でもきめちゃったんだろうか。
「政治とか軍隊の方はそんな風になってるみたい」
『殿下が優勢にことを進めつつあるけど、関係者の思惑も無視出来ない、って感じだね。それで肝心の殿下や陛下は?ビデル殿下もさっきから話に出てこないし』
「それが……陛下は理力兵団の手に落ちたみたい。殿下は陛下をお救いするために奔走してるの。ビデル殿下は居場所が分かんなくって。第二師団と一緒にいるんじゃないか、ってみんなは言ってるけれど……どう思う?」
『わたしに言われてもー。ただ、ビデル殿下の最終目的からすれば、必ずしも第二師団と一緒にいるとは限らないんじゃないかなー』
「どういうこと?」
ビデル殿下の行動の動機は、知る限り復讐心に駆られてのことだと思う。
帝国と、カルダナの双方を陥れて、滅ぼされたコラーダ侯国の仇を報じるつもりで、今のところ帝国上層部を混乱に陥れるところまでは成功している。カルダナを巻き込む件については、わたしが退けたことで多分意図はある程度崩されたと思うけど。
『そもそもね。ビデル殿下も第二師団も、互いを利用するつもり、っていうのがお互いにバレバレになったんだよ。双方ともに相手を信用出来なくなってる……いや、ビデル殿下は最初から第二師団を信用なんかしてないだろうから、切り捨てるのに躊躇はないんだ。第二師団も、外敵を引き入れることで帝国内にこれまで以上の地歩を築こうとしているだけだから、ビデル殿下に忠誠を誓った、っていうわけでもないだろうし』
そんな状況でいつまでもビデル殿下が第二師団と行動を共にすると思う?って言ったら、ネアスも納得したようなそうでもないような、ややこしい顔になっていた。
「ビデル殿下がいろいろ悪いことを企んで、それが形になったら帝国の人たちもカルダナの人たちも困ることになる、っていう話は分かるよ。でも、なんだかそれだけじゃない気もする」
『ま、母親の生まれとかコラーダ侯国の件も考えれば同情出来ないことも無いとは思うよ。でもそれを理由にして今生きてる人たちが傷つけられていいわけがない。ネアス、わたしはビデル殿下にどんな事情があっても、彼の人と理力兵団の企みをぶっ潰すよ。いいね?』
「もちろんわたしも手伝うよ!……差し当たってはアイナ様を助け出すことからしないといけないんだけど」
そうだった。別に忘れてたわけじゃないけど、先の方ばっかり見て肝心なことがすっぽり抜け落ちてしまってたのかもしれない。ごめんなさい、お嬢さま。
「コルセア、どうして帝城の方に向かってお辞儀するの?」
『あー、なんていうか、そんな気分?で、お嬢さまのことなんだけど、何か手がかりとかは?』
「あ、う、うん。アイナ様だけれど、理力兵団の人たちにさらわれた、ってことは聞いたんだよね?」
『うん。あのクソヒゲ、首から上の毛穴という毛穴を焼き切って二度とヒゲの手入れする必要無くしてやる!!』
「あ、あはは……男の人って髪の毛のことすごく気にするみたいだから、ヒゲだけにしておいてあげた方がいいんじゃないかな。で、第二師団なんだけれど、今何カ所かに別れていて、アイナ様がどこに囚われているか分からないの。あ、酷いことはされてないと思う。伯爵様が布告出して、もしアイナ様にかすり傷の一つでも負わせたら、きっとコルセアが身の毛もよだつような復讐を完遂するだろう、って」
『人聞きの悪いことを言うわね伯爵さまはっ!』
「……しないの?」
『死んだことも気付かないように死なせてあげるわっ!!』
と、息巻いてはみたけれど、実際にそんなことが出来るわけないだろー、ってのはわたし自身もネアスにも分かっていることだ。ただ、この際わたしのイメージっていうのは大切なことで、それでお嬢さまの身が守られるというのなら、せいぜい乗ってあげることにしようと思う。
『それで、お嬢さまの行方を捜す手立ては?』
「四裔兵団の人たちがいろいろ探し回ってくれているの。でも、あんまりそういうこと上手に出来る人たちじゃないみたいで、もう三日くらい経ってるのに何も手がかりがなくて……」
……言葉にすることで、改めてお嬢さまの境遇に不安が募ったんだろう。暗がりでもハッキリ分かるくらいに顔色を悪くして、ネアスは鼻をすする。泣いているんだ。
『……ごめんね』
「………どうしてコルセアが謝るの?」
わたしが寝転けてる間、一人で不安を抱えていたんだよね。
……と思ったけれど口にはしなかった。代わりにふよふよ漂いながら近づき、その両肩に手を乗せる。爪が当たらないように、気をつけて。
『ネアス。お嬢さまはわたしたちで助けよう。まず、どこにいるか調べて、それが分かればわたしがなんとでもするよ。もちろんネアスにもついてきてもらうよ。だから、元気出して』
「うん………」
『あったかいものでも食べて、体暖かくして、今日は寝よ?そうして朝になれば良い考えの一つや二つ、沸いてくるって』
「うん、うん………あはは、逆だね…本当はわたしがコルセアを慰めないといけないのに」
『わたしは大丈夫。とっても強いからね。それとネアスを慰めるのはお嬢さまのお役目だからね。わたしは慰めるんじゃなくて、元気づける方にしておくよ』
「ありがと……ありがとう……ぐずっ」
本格的に泣き出しそうになったネアスの背中をぱしぱしと叩き、わたしは無理矢理立ち上がらせてこのお屋敷でネアスが泊まる時にいつむ使ってる部屋まで連れていった。
離れの方では臨時に設営された太子府で役人の人たちが働いている様子はあったけれど、こっち側は伯爵家の家族が使う場所だから、静かなものだ。
せめて、同じ帝都の空の下にいるお嬢さまも、これと同じくらいに静かな場所で眠りについていて欲しい。そんなささやかな願いを胸に、わたしはもう一度自分の部屋に戻る。
これから何をするか。考えはいくつもあるけれど、こんな静かな夜に実行していいものは一つもない。
……お嬢さま。もう少し、ガマンしててください。ペットのドラゴンはあなたを破滅から救うために、永劫に近い時を過ごしてきたんですから。