第194話・帝都の空駆ける竜(ネアスかわいい)
『どーいうことですかっ!!!』
「おかえり、コルセア。お疲れさまだったね」
駆け込んだお屋敷の中では、自主規制してる制限速度ギリギリで飛んだために、わたしを止められるような人もなく、ただ一直線に伯爵さまの執務室に飛び込んでそう怒鳴ったら、いつも通りの伯爵さまに出迎えられた。ていうか、のんびりしてる場合じゃないでしょーが。娘が拉致されて何でそんなに呑気に構えてんですか。
「落ち着きなさい。心配なのは分かるけれど、義父殿も自身の伝手で情報を集めている。君がアイナを大切に思ってくれるのは嬉しく思うが、今は話を聞きなさい」
『うう………』
仕事机の前に、ぺたんと座りこむ。伯爵さまは机を回り込んでわたしの側に来ると、しゃがんで頭を撫でてくれた。なんでだか泣きそうになる。泣きたいのはきっと伯爵さまの方だろうに。
「まず、ネアスを呼んでこよう。今は家にいるだろうからね。それとお腹は空いていないかい?君の活躍のお陰で物流の心配はある程度解消しそうだから、備蓄の心配はしなくていいよ」
『……そいじゃ、シクロ肉のいーとこに塩と胡椒だけまぶして炙ったのをパンで挟んでくださぁい……』
「わかったよ」
笑われると思ったけれど、伯爵さまは殊の外真面目な顔で、食事の支度の指示とネアスを呼んでくるように家令さんに伝えていた。
『あ、伯爵さま。わたしと一緒にきた人たちなんですけど……カルダナから逃亡した傭兵が一人と、彼の部下の子たちがいるんです。助けてあげてくれません?』
「……何か事情がありそうだね。いいよ、君がそこまで言うのなら理由があるんだろう。逃亡兵なら好きに振る舞って構わない、とは言えないけれど、四裔の宿舎にひとまず留まってもらえるように手配しておくよ」
『ありがとーございます』
立ち上がってペコリの一礼。それでなんとか、おちついた。パレットのことは、まあ今は放っておこう。どうせ近くにいるんだろうし。
とにもかくにも事情を聞かないと。今の伯爵さまの様子なら一刻を争う、という程に余裕のない状況でもないんだろうし。
ええとまずはネアスの顔をみて、ごはん食べて安心して、そいでじーさまと伯爵と相談して、殿下は……殿下は……あれ?そういえばこの屋敷は今殿下の太子府になってるハズなのになんで殿下いないの…?ええと、殿下ぁ、あなたの忠実な友人のコルセアですよぉー。どこ行ったんですかぁ………あ、あれ?なんか足下がふらふらと……いや、わたし飛べるのになんで歩いてて足がふらふらと……あれ?どした、わたしのはね………。
・・・・・
ぱちくり。
だいぶスッキリしたせいか、目覚めはよかった。しつこい眠気や身を浸すようなだるさもなくって、今どこにいるのかと体を起こしたら、ブリガーナのお屋敷の中の、わたしの部屋だった。
ペットという立場にありながら、わたしは家人と同じような部屋を用意してもらっている。
流石にお嬢さまの部屋にあるよーな、天蓋付きのアホほどデカいベッドなんかは無いけれど、大体お嬢さまが一人で寝るようになってから以降、わたし専用の部屋として、そのお掃除もお布団の支度も、屋敷のメイドさんたちが世話してくれている。居候としては過ぎた待遇だろうけど、今のわたしはお嬢さまのペットだからこれでいいのだ。文句あっか。
「おはよう、コルセア」
……などと、誰に対して開き直ったのかよく分かんないことを考えていたら、部屋の中にいた人物から声をかけられた。
そういえばもう部屋の中は薄暗い。部屋の中央におかれた、別に必要もないテーブルの上にあるランプは、その人物が膝の上に読みかけの本を置き、こちらに眼差しを向けている姿をほの浮かばせていた。
『ネアス?』
「うん。よかった。ちゃんと起きられたね。よっぽど疲れてたみたいで、お昼頃からずうっと寝ていたんだよ?」
そういって見せた微笑みは、十分とは言えないランプの光に照らされているせいか、どこか寂しそうだった。
それでわたしは、伯爵さまがネアスを呼んでくれたのにずっと寝転けていたことに思い至ると、流石にその図々しさに我ながら冷や汗が流れてくる思い出思わず居住まいを正し、こう言った。
『あの、ごめんね。ネアスが来てたのに、わたしずっと寝てたみたいで。ええっと……お嬢さまのことなんだけど……』
「いいよ。それよりお腹空いてるんでしょう?冷めちゃっているけど、コルセアが目を覚ましたら食べてもらいなさい、って伯爵様から頂いているから。どうぞ」
『あ……』
ランプの他には何も無いと思われたテーブルの上にはナプキンに覆われたお皿があって、ネアスがナプキンを取り去るとその下からは、わたしの大好物であるシクロ肉のサンドイッチが出てきた。お願いした通り、塩胡椒だけで素材の味を最大限引き出す、ブリガーナ家のシェフ渾身の逸品だ。
「お水でよければあるけど。いる?」
『ほしい。えっと、じゃあ先に食べちゃうね。いただきまぁす……もぐもぐごっくん。ごちそうさまでした!』
「さ、さすがに一口は作ってくれた人が気の毒になるけれど……はい、お水」
『ありがとね』
様式美のよーにあっという間にサンドイッチを平らげたわたしは、ネアスが水差しから入れてくれたコップの水をこれまたひと息で飲み干した。お屋敷に戻ってきてから何も食べてないし水も飲んでなかったからなあ。カロリー消費のおっきいわたしにしては珍しいことだ。自覚は無いけれど、本当に疲れていたのかもしれない。
空になったコップをネアスに預けると、おかわりが要るか尋ねられたけれど、お水のことなのかサンドイッチのことなのか分からなかったし、それより軽くお腹がくちくなってようやく、お嬢さまのことを思い出してそれどころじゃなくなってしまった。忠実なるペットとしては薄情なことだと思う。むぅ。
「うん。アイナ様のことはコルセアが落ち着いてから話そうと思ってたんだけれど、もういいかな」
『なに?その深刻な感じは……まさか、お嬢さま……』
「落ち着いて、コルセア。そういうことはないよ。むしろまだ何も分かってないんだ。だから落ち着こ?ね?」
『……うん。ありがと』
立ち上がって今にも飛び出していきそうなわたしを落ち着いた所作で抱きとめるネアスの肩は、ほんの僅かにだったけれど震えていた。わたしを安心させようと気丈に振る舞っているんだろうか。だとしたら……一番の友だちとしては、こう言う他ない。
『……ところでネアスぅ?』
「うん。なに?」
なるべく真意を察せられないように慎重に話したけれど、うまくいっただろうか?緊張した様子なのに変わりはなくって、なんだかおかしくなる。ごめんね、ネアス。
『抱っこされて気がついたんだけど』
「抱っこって……コルセア、赤ちゃんみたいだね」
『ネアスとお嬢さまの間の赤ちゃんにならなってもいいよ?』
「何言ってるの、もう……」
『そりゃそう言いたくもなるよぉ。だってさ……』
「な、なに?」
わたしの口の片端が吊り上がったことに気がついたのだろうか。離れようとしたネアスをそうはさせるかと抱きしめて、首筋のところの匂いを嗅ぐ。うん、間違いない。
『お嬢さまとたぁっぷり、仲良くなったんだよね?こぉんなにお嬢さまの匂いさせてさ……ふふふ、いっぱいかわいがってもらった?』
「なぁっ?!な、な、ななな……なに言ってるのかなっ、コルセアはぁっ?!」
あー、わかりやすぅい。ガバっと身をはがして二の腕を抱いてぷるぷるしてる。ニヤニヤしなが眺めていたら、腕をあげて脇の下の匂いを確認したり、着衣の襟をたてて鼻におしつけたり。あはは、こんなかわいいネアス見るのも久しぶりだなあ。
そんな風にしばらくあたふたしてるところを楽しんでいたら、わたしの生暖かい視線にようやく気がついて、半分涙目になりつつ睨んできて、「……いじわる。だましたのね?」とかわいく抗議する。ああん、やっぱりネアスはかあいいよぉ。
『あはは。騙してはいないかな。お嬢さまの残り香があったのは事実だし。で、どんな状況?どんな風に抱かれちゃったの?』
「……うう、恥ずかしいから、言わない」
『じゃあいいよ。お嬢さまに聞くから。うふふ、ネアスがどんなに可愛かったかって、お嬢さまに教えてもらうからね』
「もうっ!そういうことされたら……わたしだってアイナ様のはずかしいこといっぱい話しちゃうんだからねっ!」
それは望むところと、前のめりになってお嬢さまのアレやコレやを聞き出したいところだったけれど……それは後の楽しみにとっておこう。
「ええとね、ええっとね!アイナ様は二人きりになった時に真っ赤なお顔になりながらわたしの頬に手を優しくあててくださってね!その手がとってもひんやりしていてねっ!それでわたしは…………………」
我に返って、ストンと肩を落とす。暗めのランプの明かりでもはっきり分かるくらい上気して赤かった顔色は、急速にいつものような健康的な肌色に戻っていった。セルフコントロールの利く子だなあ。
「うん、その………ごめんね」
『落ち着いた?』
「ありがとうね。でもいじめられたことは忘れないんだから!」
『あはは。それは後でお嬢さまも交えて話し合おーか。で、何が今起こっているのか、教えてくれる?』
そうだよ。
お嬢さまを取り戻さないと、この話の続きもないんだから。
再びベッドの上に腰を下ろしたわたしと、目覚めた時にそうしていたようにテーブルとセットの腰掛けに座ったネアスとの間に、俄に緊迫した空気が漂ってきた。
そうだね。今は、今やるべきことをしよう。楽しいことも嬉しいことも、全部お嬢さまが帰ってきてからなのだから。




