第186話・角は東に尾は西に(竜を口説く傭兵)
「お前には暴力のみならず知略を解する能力がある。俺も野心と謀略には自信があるさ。どうだ?」
いつの間にかアイラッドは立ち上がり、わたしの側に二歩近付くと、この手をとれと言わんばかりに右手を伸ばしてきた。
『…………』
「どうした?」
がぷり、といっとこうかとも思ったんだけど、不思議とそんな隙を嗅ぎ取れず、胡散臭いものを見るような目付きで見上げると、左手を背中の後ろに回していた。こいつ、わたしが迂闊な動きをしたら一刺しするつもりだったな?油断ならねーやつだ。
『……とりあえず、その後ろに持ったものを出してもらいましょーか。片手に刃物持った物騒なヤツの手なんか、握れるわけないでしょーが』
「何か勘違いしてないか?」
『勘違い?』
なんか妙にしたり顔のアイラッド。最初の頃のあたふたした態度なんかすっかりどっかに行ってしまい、今ではなんとも余裕たっぷりだ。ムカつく。
「俺は別に刃物なんざ隠しちゃいないさ。左手を見せろってんだろ?ほれ」
と、半身を反らすように隠してた左手を出してみせた。その手に握られてのは、鈍く光る鋼……ではなく、存在として正反対なモノだった。
すなわち。
『花?わたしこんなもの食べないけど。食わせるなら肉持ってこい、肉』
そう、なんていうか、そこらからむしったような白い花だった。名前も知らないけれど(というかこの世界の植物学がどーなってるかなんて皆目見当も付かない)、まあ綺麗と言えなくはなく、さして大きくも無い、シロツメグサみたいなヤツが三本ばかり、アイラッドの左手に握られていたのだ。
食えと言うのか?ブリガーナ家の食卓で下の奢ったこのわたしに、そこらで生えてた草を食えってか?その侮辱、万死に値するわぁぁぁぁぁっ!!
「待て待て待てなんでそうなる?!そうじゃねえだろ、花を贈るのは女を口説く時と決まってるだろうが!」
ぴた。
飛びかかろうとしたわたしの動きがとまる。そのまま固まって、何を言われたか。よく考える。
口説く?わたしを?女を口説く、と言うたか?
わたし(いこおる)ドラゴン。
わたしを、口説く(いこおる)ドラゴンを、口説く。
ドラゴン(大なり)女。
つまり。
『………あんた、獣と懇ろになる趣味が?いちいち他人の性癖に口出すつもりはないけど、流石にそれは親が見たら泣くわよ……』
「おい。なんか知らんが、おい。口説くとは言ったけれどよ、そういう意味じゃねえ。天下を共に獲ろうって話だろうが。相手が女だからこうした真似をしたが、気に入らなかったら引っ込めるぞ?」
『いや、いいわよ』
まあくれるというのならもらっておこうかと、差し出された花にパクついてはおいた。苦くてとても食えたもんじゃねえ。ぺっ。
「……で、どうするよ」
『ふーん。いっちょまえに傷ついた顔はすんのね。で、何がよ』
「何が、と言われてもなあ。お前の力と俺の頭があれば、カルダナどころか帝国をも呑み込める存在になれると思ってのことさ。どうよ」
『却下』
「つれねえなあ。少しは考えてみよう、とか思わねえのか?」
『わたしの今の目的は帝国の守護。その帝国に侵略してきたカルダナの尖兵であるあんたの言葉なんか、聞く耳もたねーっての』
「俺はただの傭兵だぜ。カルダナがどうなろうが知ったこっちゃない」
『傭兵のくせに仁義を欠いてると、後ろ振り返りながら戦うことになるわよ』
「言うじゃないか。だが……」
花弁のトコがすっかりなくなり茎だけになった草を放り投げると、アイラッドは立ち上がってせせら笑うように言う。
「俺の野心を呑み込むには、傭兵団なんざ器が小せえ。お前を使いこなして天下を獲るだけの器量があるつもりだぜ、俺には」
『そういう台詞は、せめて今いる集団を束ねる立場くらい掴んでから言うことね。夢だけ大きくても痛い目みるだけよ』
とんだ厨二病患者だ。最初はギョッとしたけれど、出向先で新兵指導くらいしか任せられない男の言うことなんか真面目に聞いても時間の無駄ってものよね。
『じゃあね。あんたに構ってるよりカルダナの本隊と遊んでた方がまだマシみたいだから』
「おい、待てよ。そんな真似出来るのか?」
『わたしを何だと思ってるのよ。暗素界の紅竜よ?そのわたしに何が出来るのかは、さっきあんただって見て知ったでしょうに』
「やめておけ」
何を、よ。
ぱたぱた~、と飛び去ろうとしてたわたしを引き留めるため、にしては妙に真剣味のある物言いに思わず立ち止まる。いや、飛び止まる?どっちでもいいか。
「お前、口ではそう言ってるけどな、大層なことが出来る奴じゃない、というのはカルダナの連中にもうバレてるぞ」
『大層なこと?さっきしてみせたじゃない。そりゃあ対気砲術や矢に追われて逃げたのは我ながら醜態晒したと思ってるけどさ』
「そっちじゃない。あれだけの威力のある一撃を見せた割に、けが人すらほとんどいなかったんだ。示威行動だというのはバレてる」
『脅しなのは当然でしょ。それで言うこと聞かなかったら次は……』
「そいつは無理だな」
『なんでよ』
苛立ちを隠さないわたしの態度に臆することなく、むしろ憐れむようにアイラッドの告げた言葉に、ドラゴンの言語野は崩壊する。
「お前、処女だろ。無理に決まってる」
『ちちちちがいますぅ!処女だなんてどこからそんなデマ出てきたんですかぁ?!ひぼーちゅーしょーもいいとこなんだからどこの誰なのそんなデタラメぶっこいてるやろーはこちとら言い寄る男に困らない夜なんかなかったから上も下も乾く間がなくってもうたぁいへぇん……………』
……………うっさいわ。こちとら確かに性格の悪さと仕事の忙しさが災いして男と付き合ったことなんかねーわよでもそれはわたしのせいじゃなくてあのクソ親のせい………あう。
「………いや、処女ってのはそっちの意味じゃなくてな。お前、人を殺したことまだないだろ?というか、お前やっぱり女なんじゃないか」
『いろいろとツッコミありがとうね!でもそれとわたしが脅しで済まさないのは別問題でしょ!』
「別じゃねえだろ。人を殺したことのない竜が、それでも帝国のために人を殺すことが出来るのか?弱っちい奴ならそれくらい覚悟を決めねえと何も出来ないだろうが、お前そんな必要は無ェ程度には強いだろう?」
『…………』
またなんとも雑な理屈に聞こえた。聞こえたけれど、カルダナの連中を本当に皆殺しにしてでも侵攻を思いとどまらせるほどの覚悟があるかどうか、というと確かに……。
認めざるを得ない。
これだけの力を持って、それを振るうほど追い込まれたことのないわたしは、確かに人を殺したことはない。口では結構強いこと言ってるけどさ。だって、単純に気分悪いじゃん。もともとは平和ボケした日本人で、こんな姿で時々ぶっそーなファンタジー世界に転生したからといって、暴虐の限りを尽くすつもりも必要もねーわけだからさ。前回だって、帝国が滅びたのはお嬢さまや縁のある人たちがもう誰もいなくなってからだったし、怒りにかられて仇を討つ、なんてこと思いつきもしなかったもの。
でも、だからって、これから先もそうあれるか、というとそれは別の問題だ。癪に障るけど、アイラッドの言うことを全部否定することも出来ないのだ。
「言ったらなんだが、カルダナの本隊の連中も薄々気付いてる。攻撃力は半端ないが、受けに回ると存外脆い。しかも、今のところ自分達を殲滅するつもりもないようだ、とな。だったら、次に会ったら初手から有無を言わさず討ち滅ぼそうとするだろうよ」
それを見透かされて一人で何とかすることが出来るのか……考えてみる。
夜中に夜襲をかけて一発で全滅させる……無理だ。勢い任せの怖いもの知らずな状態ならともかく、「人を殺す」っていう違和感には逆らえない。
ダメだこれ。もっとギリギリの状況なら、必死に戦ってその結果相手を死なせてしまうことになってもそれほど胸が痛むこともないだろうけど、これだけわたしの方が強いとなると、罪悪感がハンパねえ。
『………嗚呼、事ほど左様に最強の称号は重く苦しいものであったか』
「大体何を考えてたか想像つく分余計にムカつくんだけどよ」
あによ、と、どんよりした顔をアイラッドの向ける。あんたなんかにわたしの気持ちがわかってたまるか、侵略者の身の心配までしながらその侵略者を追い返さないといけないわたしの苦労があんたにわかってたまるか。
「お前が自分の手を汚したくねえ、ってことには理由があるだろうからよ、そこを責めるつもりは無ェ」
言ってくれるじゃない。
「だから、お前が悩まずに済むように知恵を貸してやる」
は?
「試しに、ってことでいいさ。そうして俺がお前の目に適う男だと見極めが出来たなら、天下獲りに力を貸すことを考えてくれりゃあ、いい」
………えーと、つまり、それって。
『……カルダナを退ける手伝いをしてくれる?あんたが?雇用主とか傭兵団の事情とかさっき引き連れてた少年たちのこととか、そういうのはどうすんのよ』
「そいつはこれから話してやるさ。言っておくがな、先に裏切ったのはカルダナの奴らの方だぞ。俺とさっきの連中はそこから逃れていただけだ」
うげぇ。なんか話がややこしくなってきたなあ。
正直、全部聞かなかったことにして、一人でゲリラ戦でも展開した方がマシなんじゃないかしら、と思いつつ、わたしは部下の少年たちを呼びに行くアイラッドの背中を見送っていた。




