第181話・角は東に尾は西に(女神の懺悔)
「……くすん。体洗ったばかりなのに」
『わたしより年上のくせして泣き真似とかウゼー』
「年上?!今年上っつった?!」
ひとしきりわたしに後ろ頭をかじられたあと、パレットの髪はわたしのよだれまみれになっていた……と、当人は主張してたけれど、別になめ回したわけじゃないんだから、そんなはずはない。大体美味くもなさそーだってのに、よだれなんか出るわけないでしょ、と「何故か」頭をびしょびしょにしたパレットに言ってやったら恨めしげに睨まれた。理解不能。
「だから……いやもういいわ。で、話戻すけれど、なぁんでまたコルセアちゃんはぁ、あたしのことに興味持ったりしたのかなぁ~って、ね?」
『いい歳して語尾を伸ばした話し方すんじゃねーわよ。鬱陶しい』
「照れながら悪態ついても迫力ないわよん」
『だから照れてなんかいねーと……ちっ』
ニヤニヤとひとの悪い笑いを向けられ、わたしは居心地悪くなってそっぽを向く。そんな動作ですらパレットの嗜虐心めいたものを刺激するのか、「ねえ?ねえ?」とか焚き火を回ってにじり寄ってきてた。ムカつくので今日二回目いったろか、という雰囲気を作り出しても止めやがらねえ。あーくそ、ほんとこいつ腹立つ。
……いや、だってさ、一人でちょっと心細かったところに見つけた顔見知りが、ワケも分からないくせして後ついてきたことが有り難かった、だなんて言えないじゃん。
今までさんざん邪険にしてきたと思ってた相手が、それでも自分に対して無邪気に振る舞ってくれることにどこかホッとしたなんてこと、言えるわけないじゃん……まあわたしがこんなナリになったのはコイツのせいでもあるので、邪険にしてたこと自体に後ろめたさはないんだけど。
『……お嬢さまにも明かせない、わたしが生まれ変わる前ってやつをさ。知った上でわたしと話してくれるのなんかあんたくらいしかいないからね』
だから、お酒でも呑んでないとやってらんない話をしてしまっても、仕方ないじゃんね。
『今でも恨んでないとは言い切れないけどさ、わたしに優しくしてくれて、大事にしたいと思えるひとをわたしに与えてくれたあんたを、今さらだけど友だちと思っても、悪くないんじゃないかな』
とても目を合わせて話なんかしてられないから、焚き火を調えるふりをしながら気のない風に、そう言った。
言ってから、しまった、と思った。空気に流されて、わたし何とんでもねーこと言ってんだ。いつもは火を吹いて痛い目みせてる紐パン女神にこんなところを見せたら一生からかわれるっ。
おくびにも出さないように、頭ンなかでのたうちまわった。「ああああああああ生涯に渡る黒歴史が今誕生してしまったぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!」………と。
「……ふぅん。そう」
ところがそんなわたしの悶絶っぷりに対するパレットの反応はといえば、実に素っ気なかった。興味が無い、というのも違うけれど、なんだか触れたら壊れるものに怖々興味を持つ、とでもいう風に警戒しているような感じがする。
……もしかしてわたしスベった?いや芸をしたつもりは無いけれど、自分一人だけ盛り上がってたみたいですんげぇハズいんだけど。
「……………」
『……………』
で、その後はどちらも話すことなんか何も無く、その必要があるのかどうかは分かんないけどとにかく「そろそろ寝よっか?」みたいな話をする流れにもならなくて、さあ困ったこれからどうすれば、とさっきまでとは違う意味で頭抱えていた時だった。
「あのさ」
足下に転がってた小石を焚き火に放り入れながら、まだ迷ってますぅ、みたいな締まりの無い顔を橙色の光にさらしてるパレットが、あんまり深い考えの無さそうな口振りで言った……いやちょい待ち、今放りこんだの…
「コルセアちゃんがあたしを友だちと思ってくれてる、っていうことを前提に聞くんだけれどね?」
…言っておいた方がいいかな、と思ったんだけれど、そのパレットが口にしたことがなんとなく後回しにしない方がいいような気がして、一応突っつくべきは突いといて先を促す。
『そこ強調しなくていーから。で、どしたのさ』
「うん。ええとね、あたしは曲がりなりにも女神ってのをやっているわけなんだけど」
『曲がりなりにも?誰が?』
「うわあ嬉しい、あたしが完全無欠の女神と認めてくれてるのねコルセアちゃんは!」
『どうにかこうにかにも達してねー、って皮肉も通じないのかアンタには』
頭いてー。
「うんまあその点については後ほど議論をバトらすとしてね」
あるの?議論の余地。
「あるから!……うん、これ以上脱線させないでね?ええと、女神っていうのがどういう存在か、コルセアちゃんには分かってると思うけど」
『いや全然分かんない』
「おいっ」
ていうか、そんなもの聞いたことないんだが。確か、ひとの欲望みたいなものを掬っている、とは聞いた覚えがあって、悪役令嬢とヒロインのカップリングっちゅーとんでも展開を望む欲望をどうのこうの、って設定じゃなかったっけ?
「設定言うなっ!……いやまあ、大体それで合ってるけど。で、あたしはコルセアちゃんのお嬢さまとネアスちゃんをくっつけちゃう、って目標は達成して、それはそれで良かったんだけどね……」
『なによ、えらく思わせぶりじゃない。それで、何だっけ?女神査定とかいうのが良い感じになればボーナスみたいなのをもらえるんじゃないの?』
「女神にはそういう世俗めいた役得なんかありませぇん。その辺話すと長くなるからそのうち話すけど」
本筋とは関係無さそうだけどなあ。ま、覚えていたら聞かせてもらいましょ。
「とにかくね、まああたしが生まれた理由っていうのが満たされちゃってね。あとはまあ、割と好き勝手出来るようになって、そういうことになったんだけど、あのね、コルセアちゃん」
『あによ』
「……普通はね、掬うべき人の欲望というのは強く望む人が多い分、それをかなえるのは容易なの。でも、悪役令嬢とヒロインのカップリング、なんて無茶なのはね、やっぱり簡単に掬える欲望じゃなかった。だから、何度も失敗した。そして、失敗しても失敗しても掬うことが出来るまではそれは繰り返されるの」
……ん?
「だから、ごめんね。あなたが何度も何度も生まれ変わりを繰り返し、アイナちゃんを酷い目に遭わせてしまったのは、間違い無くあなたのせいじゃなく、人の欲望を掬うために成されたことだから」
……んん?
……えーと、なんかすんごい重要なこと言ってないかい?この紐パン。
なんだって?お嬢さまとネアスがくっつくまで繰り返しを強いられたのは、この妙ちきりんな女神を生み出したナニカのせいだってこと?
わたしはそのために何度も……いや、わたしだけじゃないよ。お嬢さまもネアスも、殿下も伯爵さまもじーさまも、それから三周目で滅ぼされた帝国の国民も、わたしがこの四周目でナニカの目的を果たしていなかったら、また同じような苦しみを味合わされていた……ってコト?
「……うん、なんだか恨み辛みが募る雰囲気してるわよ、コルセアちゃん。でも、恨んでくれてもいいよ。あたしたちは、そんな勝手なことのためにあなた一人に苦しみを押しつけてきた。上手く行くはずだから、って送り出したのになかなか思う様にいかなかったのはあたしのせいだから。あなたは何回目かにこれが繰り返されていることだって気がついて、その後は失敗した何回かの記憶を受け継いで、今こうしている。思い出の卵のことは覚えている?あれはね、何度も何度もあたしが失敗してたから、管理者がもたせてくれたチートアイテムなの。本当は、あんなもの無くてもあたしはあなたのサポートをして、本来の目的を果たさなければいけなかったの」
『………ね、ねえ、パレット』
「うん。なに?」
わたしの声は、震えている。
一つの可能性に、思い至ったからだ。
それを聞いてわたしが正気でいられるかどうかは、分からない。
でも。
『あの、さ。これって……何回目?』
「うん、ごめん。それに気がついちゃったんだ。えっとね……」
辛そうに目を逸らしながら、パレットは数字を、告げる。
「八十五万二千六百十五回目。あなたはいままで、八十万回以上、繰り返していたの。あなたが一周目、二周目って思っているのはその数十万の失敗のうちの二つでしかない。分かる?あなたはただ覚えていないだけで、その間何度も何度も『ラインファメルの乙女たち』のエンディングを繰り返してたんだ。時々は原作を越える結末を越えたこともあったけれど、それでも、主人公ネアス・トリーネと悪役令嬢アイナハッフェ・フィン・ブリガーナが結ばれる結末、って無茶を得ることはなかった」
『…………そっか』
実は、思ったよりもショックは少なかった。
何十回も、それこそ数十万回も失敗を繰り返していたっていうのは確かにショックだけれど、わたしはそれよりも本当にキツいことに気がついたからだ。
『パレット』
「うん。なに?」
それはね。
立ち上がり、とてとてと焚き火を迂回して、女神というには頼りなく肩を落としてる女の隣に立つ。
『あんたはさ、その間ずうっと、わたしとみんなを見てきたんだよね。三周目…じゃないか。前回、わたしの前に姿を現したのも、業を煮やして、なのかえらい人にドヤされてなのかは分かんないけど、それまで出来なかったことを、したんだよね?』
そうだね、と力無く頷く。
『わたしは、まあその大半を覚えてはいないから、きっとその八十五万回以上の失敗ではそれぞれに後悔したり槍で突き殺されて帝国を滅ぼしたり、いろいろあったんだと思う。でもそれを見てたあんたは、一人でいて、ずっとわたしにも話しかけられなかったんだよね』
……そうだね、と俯いていた。
『じゃあ、さ。やっぱりあんたはわたしの友だちだ。わたしの知らないところでわたしをずっと見てくれてたから、長い間ずっと友だちだったんだ。そういうことに、しておくよ?』
「ごるぜあぢゃぁん……」
ええい泣くな鬱陶しい。今の話の何処に泣く要素があるというのだ。
突然涙と鼻水まき散らしながら抱きついてきた紐パン女神を、鬱陶しく思いながらもしたいようにさせておくことにする。わたしの方からしてやることなんか、何も無いけどさ。
……だって、わたしの指には爪が生えていて、女の子の髪を梳いてやることなんか、出来やしないもの。
「あぢがど…あぢがどねぇ………」
『だーかーらー、よく分かんないけど……ああもう、何がしたいのよあんたはー……』
「こでがだも、とぼだぢでいでぐれる……?」
『ああ、はいはい。友だち友だち』
「ながよぐじでぐれる…?」
『はいはい、仲良し仲良し』
んっとにもー、見た目だけはいい女が酒も飲んでないのに泣きはらしてるってのも厄介に過ぎるっての。
……ま、今まで溜め込んでたものが出てきた、ってことなら、少しくらいは優しくしてやっかあ。
「……んぢゃ、んじゃ……もう、ひをふいて、スカートむかないで、ぐでる?」
『あ、ごめんそれは無理』
「どうしてっ?!」
いやだってまあ、オチとして便利だし。ねえ?




