第176話・お嬢さまと在ったわたし
現皇太子を廃嫡し、弟を代わりに皇太子に立てる。その弟の許婚がそれを画策してる、ってなると話は穏やかじゃない。
ので。
「クバルタスには既に根回しは済んだということであったの。さてさて、随分と準備のいいことだが……何を企んでおる?最後にお前さんと会ったのはまだバッフェルとままごとのような睦まじさを見た時以来となるが、随分と腹黒くなったものよの」
とゆー、陛下の物言いも根拠が無い、というわけじゃない。もっとも口振りは悪役令嬢の悪だくみを糾弾する攻略対象の父親、ってわけじゃなく、孫のやんちゃを楽しむ祖父、って顔つきなのだった。もっともそこまで老いてるわけじゃないけど。まだ陛下も五十前じゃなかったっけ?設定だと、確か。
「お褒めに与り恐縮ですわ、陛下。そして、ことの成り行きがこのように導いたのです、と言いたいところですが、事態は危急を告げております。理力兵団と四裔兵団の現在の動向については、どれほど把握なさっておいででしょうか?」
「ふむ。四裔の一部が持ち場を離れ、理力の専横を糾しにやってきた、とまでは聞いておるが。ただ、内部では全く正反対の話が流れている。帝権を擁立し、正しい政を始めようとしている理力に、浅はかにも四裔の一部が叛乱を企てておる、とな。ま、分かりやすすぎて余興としても興醒めというものだが」
「ご賢察恐れ入ります。まず、理力の第三の蜂起、第二による鎮圧、更に四裔が持ち場を離れること、全てビデル殿下の企てにございます。その後にカルダナを引き入れることまで含めて」
ピクリ。
陛下の、意志の強さを思わせる太い眉がうごめいた。お嬢さまのその言葉だけで、何がこれから起こるか察したようだった。
となると話は早い。ビデル殿下の出自、それからティクロン侯爵家、コラーダ侯国の成り立ちと滅亡の状況を絡めて、全てビデル殿下が帝国に仇成そうとした謀に端を発することを、お嬢さまの説明より先に理解する陛下だった。
そしてそれが故にバッフェル殿下を立太子し、ビデル殿下に着くことに益がないことを広く知らしめるべき、というお嬢さまの提案は……。
「……話としては分かった。だが、そう事を運ぶことに賛意は示せんよ」
という、陛下の拒絶によって報われることになった。なんでよー。
「紅竜殿よ。ビデルの母親が他の皇子のそれとは異なることについて疑問は抱かなかったのか?」
『え?……あー、そういえば確かに。なんでです?』
「こら、もう少し言葉遣いというものを弁えなさいな、あなたは」
構わん構わん、とここは予想通りに鷹揚に許してくれる陛下。まあなんつーか、今さらではあるし三周目の時だって、割とこーゆー気易い様子だったもんね。かといって馴れ馴れしくしていいわけじゃないけどさ。
「この件は話せば長くなるが、ビデルは確かに侯爵家の顛末と彼奴の母親の出自を絡めて、帝室の非を鳴らす物言いは無くは無かった」
でしょうねー。
「ただ、ムーデガルト……ビデルの母親のことだが、彼女にビデルを生ませたのは、間違いなく嘗ての侯国と帝室の繋がりのあってのことよな。既に過去の存在となっていたかの血筋が、カルダナに担がれて帝国に逆ろうたのは、帝国の立場としては許しがたき裏切りではあったが、それに対する帝国の報復がムーデガルトの父母や祖父母の世代において深い恨みを募らせていたのは間違いのないことだ」
「では陛下は、そのことをなんとかしようと…?」
「所詮は権力を持つ者の独善に過ぎぬと言い募る者もおろうが……幾つか世代も重ね、そろそろ帝国と侯国の血筋が和解してもよかろうと思ってのことだ。残念なのは、ムーデガルトの縁者はそうとらず、彼女が死したのも帝国の謀略などと信じて頑なさを解こうとせん。ま、今となっては時が忘れさせるのを待つ他ないと半ば以上諦めてはおるよ」
「ビデル殿下のことは……」
「我が子のこととて、許したくはあるが……国を失わせしめるような真似をした以上、彼奴も無辜の身とは言えまい。帝室のみならず、臣民をも危険に晒しておるわけだしの」
「では、バッフェル殿下を立太子するという件についてお許し頂けない理由というのは?」
「許さん、とは言ってはおらぬ。賛意を示せぬ、というだけだ。帝国と臣民を陥れたとはいえ、奴も我が子の一人には違いない。ムーデガルトのこともある。貶めた扱いをしたくはない。それだけのことよ」
「…………」
『…………』
……んー、まあ正直、そうすんなりいくとは思っていなかったけれど、そうも人の情を前面に押し立てて反論されると、お嬢さまも根は優しいから理詰めでぽんぽん話を進められなくなるんだよね。
そこがお嬢さまのいいところ、なのだから仕方がない、って話ではある。一周目で散々悪辣無比を貫いたのと同じ人とは思えない。二周目は……あれはまあ、誤解とすれ違いが山積して墓穴掘ったよーなもんだしなあ。
あーいやいや、話の焦点はソコじゃない。今ある問題を認識し、それをどう解決するか、が今やるべきこと。
そしてお嬢さまが悪役令嬢を貫けないというのであれば、代わって悪役になるのが我が心意気。くっくっく、陛下?本気でワルに堕した暗素界の紅竜の怖ろしさ、その身に刻んであげましてよ?
『へ……』
「陛下」
出端挫かれてずっこけるわたし。ちょっとお嬢さまー、今からわたしの見せ場だっていうのに、なんで邪魔すんですか。
「わたくしはこの国の安寧のため、陛下にはそのお立場に相応しい振る舞いをされることを、求めます。ビデル殿下のご出生の事情、コラーダ侯国とティクロン家の方々の都合、諸々ございますが、それと帝国臣民の、そして今まさに帝国に攻め入らんとしているカルダナの民の安全を引き換えにするほどの価値があるとは思えません」
『お嬢さま…?』
悪い奴になろうとしたところを先越されたのだから、さぞかしお嬢さまも悪い顔してるだろうなあ、と思ったら、陛下から一切目を逸らそうともせずに、お嬢さまは穏やかな、でも妥協するつもりはねーぞ的にしっかりとした面持ちでいた。
そんな横顔がどこか宗教画の中にあるえらいひとみたいなようにも見えて、思わず見惚れてしまうわたし。いやまてまてまて、お嬢さまのことは大好きだし一部尊敬もしているけれど、あくまでそれは現世の話。なんだこの天国にしかいなさそーな儚げなオーラ醸しまくる人。こんなんわたしの知ってるお嬢さまじゃない。ウチのお嬢さまは子供の頃は無邪気でペット可愛がりも無軌道だけど時々抱きついてきたときのふんわりした感触がとっても和み、悪く育って道を誤った時もそのことを後悔したりせずただ悲痛な運命を呪うだけの強さがあって(結果ははた迷惑だったけど)、幼女から少女に育った頃はお歳相応に恋の悩みとかでほぅっとため息をつく様子なんか後ろからきゅっと抱きしめたくなったこともあったり、そういえばネアスに迫られて目を白黒させてるお嬢さまは今思い出しても「ふふっ」って笑いたくなるくらい愛らしかったし、そんでいろいろあってネアスと両思いになってからは開き直りのよーなでもそのために自分と自分の世界を変えていこうっていう気概があってわたしもそのために力になりたいって思えて、それだから今のお嬢さまの姿は。
「陛下。わたくしは、この国に育てられました。この国に生まれ、育ち、たくさんのことを学んで、それから得ました。わたくしはその恩に報いたく思います。今、何に逆らってもこのことは成し遂げたく思います。そのために、帝室を、帝権を変えてしまうことも厭いません」
まるで、我が思いを貫くためなら皇帝とて容赦はしない、みたく言い切った姿は、たしかにわたしの目には聖女めいて見えてしまって、それだからわたしはね、思わずさ。
「………泣いておるようだの、紅竜殿は」
『え………い、いえ、そのー、なんていうかこれは………ぐすっ』
隣のお嬢さまを見上げたまま、陛下に指摘されたように、感極まってこうなってしまうわけでね。
「コルセア……別にあなたが泣くことはないでしょうに。どうしたの?」
『どおぼじでばぜん……ないでまぜぇん……』
「そう」
なんでか知らないけれど涙が止まらないのです、と派手に鼻水と涙を飛び散らかして腕で顔んとこを拭うと、お嬢さまはハンカチを取り出してトカゲの目と鼻を優しい手付きで拭いてくれるのだ。
「……仕方のない子ね。あなたが時々そうして弱いところを見せてくれるのは、心の姉としては役に立てて嬉しいと思うのだけれど……」
『おがあざん……』
「………なんですって?」
あ。
なんか、しまった。
アレな母親(もちろん、転生前の)にしてもらえなかったことをお嬢さまがしてくれたもんだから、つい、その。
「………くっくっく」
そいで陛下まで何か興を覚えたのかなんなのか、穏やかな印象に似合わないワルっぽい含み笑いなどしてくれちゃってる。
でもそれがかえってお嬢さまの勘気を削いだのだろうか、一瞬わたしに向かってまなじり上げていたけれど、陛下の楽しげな様子に気付いてにわかに頬を染めると……。
「…えい」
『あいた』
目と目の間のトコを、軽く指で弾いてそれでお終いにしてくれたのだった。
『……お嬢さま、いたい』
「おだまり。選りに選ってわたくしに向かって、おかあさん、とはどーいうことですの。妹のようには思っていましたけれど、娘と思ったことは一度もありませんわよ」
『ネアスがいつだったか、コルセアは赤ちゃんみたいだね、って言ってくれたことがあるんですが』
「それは意味が違うでしょうに。ただあなたがあまりにも子供のようだから、呆れたのでしょう、きっと」
そうかなあ…………そうかも。
その時のネアスの様子を思い出し、会話の内容を反すうすると……うん、まあ八歳の子供がペットの竜を自分の赤ちゃんだとか言うわけないか。
「そろそろよろしいかしら?陛下も時間をとってくださっているのだから、本題に戻りますわよ」
『あい』
狭い額を爪の生えた指先ですりすりしながら陛下に揃って向き直る。お嬢さまの気概は述べた通りだけれど、それで陛下の心向きが変わったと決まったわけじゃないんだし。説得と交渉は続けねば。
「陛下!陛下!」
……ってところだったんだけれど、先ほどお茶をとりに部屋を出て行ったマージェルおねーさんのものと思われる駆け足の音に続き、部屋の前で流石に立ち止まって外から呼ばわる声に、お嬢さまは開きかけた口をそのままにして、わたしと視線を交わしてた。何ごとがあったのだろうか、と。
「マージェル、何事だ。男爵家の令嬢ともあろう者が騒がしい」
ただ陛下はひどく緊張した面持ちになり、わたしとお嬢さまの背後の扉を睨むように側仕えしてる男装の令嬢をたしなめると、すぐ部屋に入るように伝えた。
そしてそれを待てないみたいな勢いで扉が開くと、息せき切ったマージェルおねーさんは、こう怒鳴るように伝えたのだ。
「凶報にございます!カルダナの兵が……国境を越えました……」
凶報には違いない。わたしもお嬢さまも、そう聞いて息を呑むしかなかったのだけれど、陛下の方はただ、
「……そうか」
と固い声で押し殺すように言うと、組んだ両手を口の前に当て、それがためにその表情をうかがうことが難しくなったのだった。




