第15話・もういっそ悪役令嬢やめて幼妻とかに変えた方がいいんじゃないかな
「行きたくないの。ネアス、一人で行ってくれない?馬車はかしてあげるから」
部屋の中から聞こえてきたのは、斯くの如くやる気の無い返事。
お嬢さまには珍しくしょぼくれた様子が、閉ざされた扉の向こうからでも伺えてしまいそうだ。
思わず上と下で顔を見合わせるわたしとネアス。
「どうしよう、コルセア」
『うん……』
困ったように呟く。学校に行く行かないは個人の選択でもあるけれど、昨日までは学校大好き少女だったお嬢さまが一転して「学校に行きたくない」と言い出したのでは、心配にもなろうというものだ。
身を捩ってもう一度ネアスの顔を見上げる。それだけでわたしが何をしたいのか察してくれた彼女は、パッと手を離してわたしを解放する。
落っこちることもなく、自前の浮力でパタパタと扉が鼻先にくっつくくらいの距離に位置した。
『お嬢さまー、そろそろ起きてお食事をしないと学校に遅刻しますよー』
で、説得を試みる。
「行きたくないって言ってるでしょう?!わたくしのことは放っておいて!」
『そうは言いましてもですねー、多分昨夜殿下が来訪された事情とか、学校に知れ渡っていると思うんですよー。常識的に考えて、学校に行ってご学友に説明しませんとー、お嬢さまの知らないとこであれこれ言われると思いますよー』
極めて常識的な論法で、とりあえず学校に行くことを促してはみた。ていうかドラゴンなんて非常識な存在に常識を説かせるとかどーいう話なんだ。
「…言いたい子には言わせておけばいいわ。わたくしにはコルセアがいるもの。学校の友だちなんかいなくてもいい!」
『あのー、ネアスがちょっと落ち込んでいるのでー、わたしだけじゃなくてネアスも仲間に入れてあげてくださーい』
「コ、コルセア…?わたしべつに落ち込んでいたりは…」
でもきっちり肩を落としていたじゃない。それに、ネアスを友だち扱いしないお嬢さまは、ちゃんと叱っておかないと。ただでさえ友だち少ないんだから。
『お嬢さまー、わたしだけいればいいなんて寂しいこと言わないでください。でー、そろそろどうして学校に行きたくないか教えてくださーい。教えてくれないとー、わたしネアスと一緒に学校行きますよー。お嬢さま、今日はひとりでずっとそこにいるつもりでわぎゃっ?!』
最後まで言い切らないうちに扉が開いて首をむんずと掴まれて部屋に引き込まれた。
お嬢さまはそのまま扉を閉めるかと思ったけれど、ネアスと目が合うと、わたしを引っ掴んでるのと反対の手でネアスの腕を引き、二人まとめて部屋に引っ張り込んだ。
そして改めて扉を閉じる。お行儀の悪いことに足で。その上で、わたしたちがぼーぜんとしてるのを確認すると、後ろ手に扉の鍵をかけた。
「……だって、恥ずかしいんだもの…」
それからそんなことを言ったお嬢さまのお顔は、なんか思わず両前脚と尻尾でぎゅーってしたくなるくらい、愛らしかったりする。
そんなお嬢さまを見守るわたしとネアスの視線は、多分ひどく生暖かかったことだろう。じーっと自分を見つめる二対の視線に気がついたお嬢さまは、真っ赤になって手をわたわたとぶん回すと、どーにもならなくなって天蓋付きのベッドに飛び込んだ。
「ーっ!ーっっっ!!」
更にダイビングした勢いのまま布団に潜り込む。ふとん虫が中でバタバタ暴れる様を、わたしとネアスは相変わらずの温いままの視線を交わし、しかたないですね、とベッドの側に歩み寄った。なんかもう、学校に遅刻するとかどーでもよかった。
「アイナ様、とてもおかわいいです」
「子どもあつかいしないでっ!」
同い年のはずの少女ふたりが、親子のように見えてしまった。もちろんネアスがお母さんで。ごめんなさい、ミュレンティン奥さま。あなたは優しくも厳しい良母だと客観的に思えますが、今は際限なく甘えさせるのが正義です。
「アイナ様は、殿下とのご婚約がうれしいのですね」
「……そんなことないわ。婚約とか言われてもよくわからないもの。でも…」
うごめくふとん虫がピタッと動きを止め、深呼吸をするみたいに小さく膨らんですぐしぼんだ。
「…でも、わたくしを赤くなったお顔で見上げてた殿下のことを思いだすと、むねのところがきゅうってなるの。なんだかとても苦しくて……学校にいったら殿下にお会いしてしまうかもしれないじゃない。そんなこと、殿下に知られたらと思うと、とても恥ずかしくて……学校になんか行けやしないわ…」
……かぁぁぁぁいぃぃぃぃですねぇぇぇぇお嬢さまぁぁぁぁ。
思わずため息がわりに火を吐くところだった。危ない危ない。屋敷の中でそんな真似したら火事になる。
でもまあ、九歳にして悪役令嬢から恋する乙女に転職したのなら、お嬢さまの方からネアスと仲違いしてしまうよーなことにはなりようがないかな。親友ルートからの殿下ルートだと、お嬢さまとのつき合いに疲れた(これは家のことが原因なので、お嬢さまに責任があることじゃないんだけど)殿下の相談にネアスがのっているうちに、殿下の情が移ったって展開だし。いやこれバッフェルの方が悪いんじゃないの?と界隈では議論になってたものだ。
なので、わたしとしてはお嬢さまの振る舞いに気をつけて殿下を支えられるように育ってもらい、ネアスに余計な気苦労をかけないでいけば、何も問題は無いと思う。
あとネアスにはお似合いの相手として、残る二人の攻略対象のうちお似合いな方とくっつけてしまえばえーんやし。わたしすっかりやり手ババアの心境……それはちょっと…せめてお見合いおばさんくらいにしておいて。
『でもお嬢さま。殿下に会いたいとは思いませんか?』
さてそれはそれとして、こーゆー愛らしいお嬢さまは少しいじりたくなる。
家来の態度としてはどーなの、と言われそうだけど、わたしはペットだからいーのだ。
言いつつ掛け布団の中に潜り込み、中で膝を抱えて丸くなってたお嬢さまにぺたんと貼りつく。暗い中でも、赤い顔してくすんと鼻を鳴らすお嬢さま、最高です。
「……会いたいわ。でも、今殿下に会ってもどんな顔をすればいいのか分からないもの」
『それは直接お会いして、まず昨日のお礼を述べるところから始めましょう?昨日は、え、なんで?とかってぽやーっとしたまま殿下も帰ってしまいましたからね』
「っ?!……うーっ、うーっ……コルセアのばかぁ…」
きゃーっきゃーっ!鼻にかかった声で「ばかぁ」とかってどんなご褒美ですかっ!ごちそうさまですっっっ!!
んもう、幼女の「ばかぁ」でわたし残る数百年の人生を彩るのにじゅーぶんですってばっ!…って暴れてたら、お嬢さまが腕を伸ばしてきてぎゅっとしてきた。
「おふたりでばかりくっついて、さみしいです…わたしもアイナ様をおなぐさめしたいんですから」
その上、ネアスまで潜り込んでくる。
横になってるわたしの前方にお嬢さま。羽のある背中側にネアス。
二人の幼女に挟まれるのなんか毎度のことだけど、拗ねたお嬢さまとそれを優しく慰めるネアスに囲まれるとかってここはなんていう天国?
ああ、このまま死んでしまってもいいかも……と思いつつ、いつの間にか寝入ってしまったわたしたち三人は、なかなか出てこないことで起こしに来たメイド長にお小言を頂戴してしまったのだった。
こーいうとき、言葉が分からないフリして逃げられないのって、不便。