第144話・おつかいにしては物騒な気がするの
殿下に連絡つけた、ってことを公にしないために、目立たないよう帝城に潜り込むには、どうしても夜になってしまう。
てことで、暗くなってから殿下の私室に向けて、降下中。
中庭を囲む建物に向かって降りていくと、お城らしく広めの中庭ではかがり火が焚かれて警備の衛兵が巡回してたりなんかする。
『って、なんかえらく物々しくない?いつもなら暗くなる頃には火なんか焚いていないのに』
火事になりかねないからね。
まあ地上が明るければ逆に夜空のわたしも目立たないだろうけど、と、とりあえず屋根に着地。えーと、殿下の部屋は、と屋根の上を小走り。前来た時よりもだいぶ慎重になってるわたし。やっぱり目的が目的だからか。出来れば「でんかー、あそびましょー」って調子でお邪魔したいところなのにね。
『……なんてアホなこと言ってる場合じゃないか。えーと、確かここ、のはず。失礼しまーす』
ふわりと浮いて、屋根の端っこから逆さになって殿下のお部屋の窓を覗く……ん?えーと、確かに人はいるけれど……一人じゃないわね。殿下…は確かにいたけど、もう一人殿下がいた。第二皇子のビデル殿下が。
ふむ。興味深い。この際聞き耳立ててみましょーか。
(………男爵の謀に過ぎない。今は雌伏の時だと言っているのだ)
(ビデル兄。仮にその言が正しいとしても手をこまねいていては事態の悪化を招くだけでしかないでしょう。手の者の跋扈を抑えきれないというのも外聞が悪い)
(こちらの手駒が全て押さえられているのだ。手の打ちようがないだろう?)
(無ければ無いなりに考えを張り巡らす手段はあるというものでしょう。とにかく外と連絡を取るのが先決。何かお考えを。俺も何とかしてみます)
(そうは言うがな……)
……?はて。
なんか穏便に世間話をしてる、って雰囲気でもない。二人の表情を確認した方がいいかもー、と思ってもう少し身を乗り出した時だった。
『ん?あちょっ……こ、こらーっ!こんな時に滑り落ちるとか空気読めーっ!』
尻尾で支えていた鞄が、重力に逆らいきれずにずりずりと肩紐がずれておっこち始めていた。わたしは慌ててそれを引っ張り上げようとしたけれど、そのために自分が逆さになっていることも忘れて浮力の制御を誤った。
結果。
『ぶべっ?!』
殿下の部屋のバルコニーに、無様に落下したのだった。
「誰だ!」
鋭い誰何の声。バッフェル殿下の。
わたしは逃げだそうとしたけれど、よく考えたら逃げ出す必要も無いんじゃね?と考え直して開かれた扉から姿を現した殿下に、こう言った。
『あ、こんばんわ殿下。とてもいー夜ですにぇっ?!』
そしたら殿下ってば有無を言わさずわたしの首をふんづかみ、部屋の中に放りこむと急いで扉を閉じてカーテンを閉めていた。
『あ、あいたたた……で、殿下ぁ、なにすんですかいきなり乙女を部屋に放りこんだりするとかもー……』
「いやその前にお前何をしに来たのだ?」
『なにって。あ、殿下にいーものお持ちしまして。うちのお嬢さま始め、お三方の成果が出たのでぶっ?!』
肩から提げた鞄の中からレポートを出そうとしたら、殿下に口を押さえられた。何しますのん。
「……すまん。ただ、来客中でな。しばらく外で……屋根の上で待っているがいい」
『いえわたしも一応来客……あのー、殿下?』
「とにかく上がっていろ」
なんかご都合が悪そうだったので、わたしもしぶしぶ自分から部屋を出た。バルコニーへ。そして上に向かって指さしている殿下に従って、屋根の上に登った。取り込み中にしても屋根の上で待ってろ、とかいうのは斬新に過ぎませんか、殿下。
『そーいやビデル殿下とお話ししてたんだっけ。もしかして兄殿下には聞かせられない話だと思われたのかな』
思い出してみると鞄の中身に愛おしさも増すような気がする。殿下のためにお嬢さまが頑張った証しなんだから、早いとこ見せてあげたいなあ………って、やば、中庭の方で誰かがこっちを指さしてる。
わたしは慌てて姿勢を低くして屋根のひさしのところ陰に隠れるように伏せる。そのまま中庭を見下ろしていると、件の人物はわたしではなくわたしの下、殿下のお部屋を指さしているようだった。貴顕のお部屋を指さすとか、帝城の衛兵にしては教育がなってないわねー……と、最初のうちは呆れていたんだけど。
『…………』
わたしを見つけてどーにかしている、ってのでもないのに、二人から三人組の衛兵が中庭をとりかこむ建物のそちこちを見上げ、指さし、時折手元に見取り図っていうか地図みたいな紙片を広げて何か確認したり書き込んだりしてる。
『……そういややけに物々しいって思ったんだっけ。ええと……うん、気がついてみれば明らかにおかしいわねー』
独り言を呟くと、何かがおかしいのだと、目の前の景色が尚更に訴えかけてくるように思える。
例えばさっき気がついた、帝城の衛兵にしては雑な雰囲気。てきとーな仕事っぷり。
それから、携えている武器。
基本的に帝城の衛兵は儀仗兵的な役割もあるから、制服はもちろん武器も全員が同じものを装備しているはず。
なのに、中庭を行ったり来たりしてる連中は、腰に提げた剣こそ同じだけれど、それ以外、個人々々で所持している武具が全然統一されていないのだ。
ある者は短剣を提げているかと思えば、違う人は短い手槍なんかを片手で持ってたり、あるいは長大な斧槍なんて大げさなものを担いでる人もいる。決定的だったのは、小弓を肩に引っ掛けていた人が、矢筒を携えていなかったのだ。
つまり、あれは武器そのものというより……。
「コルセア、済んだぞ」
って、殿下のお呼びだわ。わたしじゃない方の来客、っていうかビデル殿下のお話しは終わったのかしら。
その辺もツッコんだ方がいいのかと考えつつ、目立たないようにかバルコニーに通じる、小さく開かれた硝子扉から部屋の中に入る。
「他に誰にも見られなかっただろうな?」
『まー、中庭の怪しげなれんちゅーには気をつけてましたけど。あれ何です?どー見ても衛兵っていうよりは、理力兵団の人員のよーに見えますけど』
「聡いな。何があるのかは分からんが、数日前から出入りしている連中だ。常駐している衛兵と徐々に入れ替わっている」
『どなたの指示で?』
「さてな。ビデル兄と今ほどその件で話し合っていたところだ」
『例の第二師団のヒゲ男爵?』
「……聞いていたのか」
まあ聞くともなしに、ではなくあからさまに聞き耳立ててたんですけど、って言ったら呆れられた。
部屋の中に灯りはなく、窓の外のかがり火の明るさで部屋の中がどうなっているのかどーにか分かる感じ。まあわたしは夜目が利くのであんまり不自由しないけど。
ただ、持参した手紙を読めないと困るよね、と思ったところで、殿下は部屋のテーブルの上に置いてあったランプを灯してた。ビデル殿下と一緒にいると悟られたら拙かったのかも。
「で、何ごとだ?こんな時間にわざわざ人目を避けてくるところを見ると、さぞかし楽しい話を聞かせてくれるものだと思うが」
『昼日中やってくる時は暇つぶしに来てるみたいに言わんといてください。お嬢さまからの預かり物です。まずこれを』
鞄の中から研究のレポートを取り出し、立ったままの殿下に渡す。
一見してそれが何か分かったのか、殿下は後ろの方から目を通していた。まず結論だけ見たいってことなんだろう。
「……大したものだな。追試が出来ないとしても、結論を導き出しているとは……」
『まー、わたしなり他の竜なりがいないと証明も出来ませんけどね。お嬢さまはそれを殿下の武器にして欲しいみたいです』
「……アイナは俺の裏の意図を完璧に汲み取った、ということか」
あれま。最初から理力兵団に対する対抗手段として使うつもりだったのか。図太い人だなあ。
まあでも、そうでもなけりゃ殿下の方からわざわざ学生の研究課題なんか提案するわきゃないもんね。
『もしかして最初からそのつもりだったんですか?』
「いや、純粋に学生として実績を上げるために役立てて欲しいというつもりもあった。表向きはな。経過次第では、という下心もあったが、まさかそちらの方に沿う内容にするとまでは思ってもいなかったが」
研究報告書の最後の辺りを何度か眺めた後、今度は最初から読み出している。ていうか、お嬢さまから預かったものがもう一通あったんだっけ。
報告書を読みふける殿下をヨソに、鞄の中からお嬢さまの手紙を取り出し、それを手渡すタイミングを計っていると、それに気付いた殿下は手元の冊子から目を上げ、「何だそれは?」とわたしの手元に注目した。
『もう一つありました。お嬢さまから殿下への言伝だそーで。はい』
「……そういうものは先に渡せ。しかし、改まって何だ?」
封蝋を施された、割かしマジな感じの封書を手渡すと、殿下はすぐには開かずひっくり返しながら表から裏からしばし眺めると、丁寧に封を開いて中の手紙を取り出す。
その横顔は中身を楽しみにしているようでもあり、なんとなく胸がチクリとする。
今までずっと立ちっぱなしで会話していたところを、殿下は手紙を読みながらテーブル脇の椅子に腰を下ろす。その際も目線は手紙の文字を追っていて、でも手紙の文面そのものはそれほど長いものでもなかったのか、二度、三度と読み返しているうちに殿下の口の端は「ニヤリ」と擬音でもしてきそうな風に持ち上がって。
「………くっくっく…」
そのうちわたしが首を訝しむに、笑い出していた。
「……ふふ、こいつは……大したものだ」
『はえ?あのー、何が書かれてあったので?」
「なんだ、中身を知らされてなかったのか。いやそうであろうな。これはまた……くくく、おいコルセア。俺は今大変後悔している」
『はい?』
殿下は手紙をテーブルの上に置き、両肘を膝の上に乗せて手を組むと、その上に顔を乗せていささか気だるげに、でも心底楽しそうに含み笑いをしながら、こんなことを言ったのだった。
「もっと足掻いておくべきだったな。ネアス・トリーネなどに譲るべきではなかった。こいつは……大変な悪党だぞ、アイナハッフェ・フィン・ブリガーナという女は」
……女性に対する評価としてはそれどーなんですか、殿下。




