第143話・わたしたちの成果
その日、バスカール先生の部屋にはいつもは感じられない緊張感が漂っていた。なんせこの部屋の主ときたら美形なのはいーけどそれに似合わずボケボケで、ほっといたら寝癖つけたまま講義してるなんてこともしょっちゅうなのだし。
「…………」
その先生は、お嬢さまの差し出したレポートを丁寧に繰りながら、上から下まで一字たりとも見逃さぬとばかりに何度も何度も紙面上に目線を往復させている。
そんな様子を見守るアイナハッフェ班の面々。部屋の中の緊張感を生み出してるのは紛れもなく、三人の面持ちと息づかいだったりする。
『あのー、そんなガチガチになってたらセンセが読み終える頃には塩の柱にでもなってそーですから、こう、笑っておきません?なんならわたしが芸を披露しますので。えいっ、お嬢さまにわたしの至誠よとどけっ!』
「「「…………」」」
しーん。
渾身の一発芸をかましたとゆーのに、無反応だった。さみしい。
そしてどんな芸をしたかは永久に明らかにされない。滑った芸の説明なんか、自分でやったらみじめやんけ……。
「………なるほど…」
「……っ?!」
「……ごくり」
「……はぁ」
先生の一挙手一投足に注目してる三人は、先生が何か呟く毎に身を乗りだしかけーの息を呑みーのしていた。
そんな時間がどれほど経ってからだろうか。
「興味深い内容です。皆さん頑張りましたね」
ずぇんぜん空気読まない呑気な口調の先生が、レポートの表紙をポンとはたいて感想の第一声を述べた。
手応えアリ、と色めき立つお嬢さまたち。バナードなんかは早くもガッツポーズとかしてたりする。
「やりましたわ!」
「はい、アイナ様!」
二人も手を合わせて今にも抱き合いそーである。良かった良かった。これで睡眠時間削られて聴取される日々も終わり……。
「もちろん充分ではありませんが」
……ですよねー。はいはい、卒論だって何回も突っ返されてその度に第一稿からかけ離れていくんだから。ああ、わたしの卒論担当だった久我山先生お元気かしら…。
「大筋では目立って注意するところはありません。筋立てに恣意的なところが含まれないよう気をつけていたのがよく分かりますし、その意味では及第点はあげられます。ですけどね……」
と、ここから先生のダメ出しタイム。
繰り出される先生のツッコミにも最初のうちは元気に「ここはこれこれこういうことですわ!」と明朗活発に注釈入れてたお嬢さまたちだったけど、その勢いも三回目くらいまで。以後は何か言われる度にビクッと肩をふるわせて怯えよーかってな有様だったりする。
しかし、前回の自主研究ではここまで厳しく言われなかったのに、なんど今度はこんなに言われるんだろう?もしかして研究に対する圧力っていうのがバスカール先生を通じて影響を及ぼしているのでは……?
「……とまあ、散々言ってしまいましたけれどね。全てはそもそもの前提に問題があるから、なんですよ」
ってことも無いみたい。まあこの先生の性格じゃあ、兵団に圧力かけられても圧力だと気がつかない可能性すらあるしねえ。
「あの、先生……それは…」
「コルセアさんの『証言』に全ての論拠が集約されているから、なんですよ。確かに暗素界に由来を持つ竜についての研究は先達が残しておりますし、そこから逸脱した推論はありません。ただ、他の研究者による追試が望めないようだと、学生の宿題レベルになってしまいますね」
やっぱりか、と、そもそもの難点を指摘されて肩を落とす三人。
まあね、実証するとなると暗素界に根源を持つ存在が実験に必要となるし、今のところわたしたちの手の届く範囲にあるソレとなると、紅竜のわたししかいないわけで、こればっかりはどーしよーもない。
なので、去年やった研究のように、対気物理学の研究として見るならば、先生の言う通り不十分なのは否めないのだ。
「……それでは一つおたずねしますけれど」
でも、ぶっちゃけた話お嬢さまの目的にとってそれは重要じゃない。
研究者として名を挙げるのが目指すところでもないのだから、以下が満たされれば充分だとも言えるのだ。
「先生。暗素界に根源を持つ竜の存在を前提とするならば、この内容には価値があるということで、間違い無いでしょうか?」
・・・・・
「二人とも、助かりましたわ」
「いえ、アイナ様のお役に立つというのはわたしにとっても願うところです!」
「まあ勉強の役には立ったしな。成績に反映されそうにないのが残念だけどさ」
これを今期の課題として提出していいかどうかは保留とされたけれど、仮説として提出するには問題無いかもしれない、それはこれから教授会で検討する……って話になった。もちろん仮説ではそう高い評価は望めないし、実際に教授会に諮るかどうかも待ってもらった。だって、そんなところで話題になったらまた面倒くさい連中が首突っこんで来そうだもん。既にそうなりかけてるし。これ以上厄介を求めるつもりはないのだ。
『で、これで内容としては先生のお墨付きはもらえた、ってことになりますけど……これからどします?』
下校路を並んで歩きながら、わたしは三人に問いかける。
お嬢さまの意志を汲んでまとめ上げた研究は、揺動効果における時間軸作用の実際、という題目だけを見ればごくごく真っ当な内容のものだ。
ところがコレに、わたしという存在を絡めて政治的に扱うと結構な爆弾になる…んじゃないか、という目論見のもと、それとにおわせないように注意しながらまとめたものが、今お嬢さまの手の中にあるものだ。
これをどう使うか、となると、それは。
「決まっているでしょう?殿下に預けてきなさい。これはあなたの仕事ですわよ、コルセア」
わたしが持ち運び出来るよう革の鞄にレポートを入れて、お嬢さまはわたしの首にそれを掛けた。
「中にわたくしからの言伝も入れてあります。不甲斐なき身で殿下に後を頼むようなことになってしまいますけれど……殿下ならきっと、良いように取り計らってくださいますわ。頼みましたわよ」
『それ故のバスカール先生のお墨付き、ですもんね。そーとは知らずにマジメに講評してくれた先生には悪い気がしますけど』
「ふふっ、後で先生が知ったら倒れそうだね」
「そうかぁ?意外にあの先生、胆が太いというか動じないんじゃないか」
いろんな見方があるなあ。まあ乙女ゲーの攻略対象なんだから、そんな細い神経してないのは確かだろーけど。
『んじゃ、行ってきます。お嬢さま、お夕食には例のブツ、お願いしますね?』
高度を上げて直立で敬礼するわたし。お嬢さまは、何を気取っているかしら、と苦笑しながらもシクロ肉の逸品をつけてくれることを約束した。
「コルセア、殿下の力になってあげてね」
ネアスは胸の前で両手を合わせて、懇願するような格好だった。もしかするとお嬢さまを殿下から奪ったみたいな立場だし、殿下のこと気にしてたからなあ。
「俺も殿下に頼まれれば何だってやるつもりだからな。伝えといてくれよ」
意気込みは買うけど、流石に殿下も学生の身分のバナードに危ない真似させるとは思えないよ?いちおう気概は伝えとくけど。
わたしは、三者三様の声援を受けつつ、夕日の赤に染まった帝都上空に舞い上がると、帝城に向けて加速を開始した。
目指すは殿下のもと。これから何が起こるかは……まだ、分かんない。




