第117話・今回小難しい話なので飛ばしてもいいからね?
それから数日後。
ブリガーナ伯爵家の一室で、わたしとお嬢さまは御当主さまに話を聞かされてた。
「ま、そこまで切羽詰まった話ではないと思うんだけれどね」
『はあ』
切羽詰まってるかどーかはともかく、この場の面々の顔を見て穏便な話なわけがないでしょ、と思って何も言わなかった。
何せ夕食が終わった後に、お嬢さまとわたしが呼び出された伯爵さまの仕事部屋には先にじーさまがいたのだから、これでいい話なわけがない。いや、わたしのじーさまへの印象ってなんなの、って話になるんだけど。
「お父様、お祖父様。わたくしとコルセアを並べてする話となると……殿下のことでしょうか?」
「察しがいいな、孫よ。婿殿に頼まれて儂も調べておった件なのだがな、分かったことがあったのでお前さんにも知らせておこうと思ってな」
じろり。
お嬢さまが隣に浮かんでるわたしを睨んだ。もちろんわたしは知らんぷり。
「コルセアに頼まれて調べていたんだよ」
『伯爵さまぁぁぁぁぁ!なんで言っちゃうんですかっ!』
「そうは言ってもね。クバルタス殿下からまでお声掛かりがあるようでは、アイナも埒外に置いておくわけにもいかないだろう?この際今明らかになっていることは全て知っておかないといけないと思うんだ」
『そりゃまーほうれふぉうへろ』
わたしの後ろに回ったお嬢さまが、お口の両側をむにゅーっと引っ張っていた。わたしのことで面白くないことがあるけど折檻する程でもない時、最近のお嬢さまはコレをするのが定番っぽい。
「まあ二人ともそこにお座り。込み入った話になるからね」
「ええ。わかりましたわ」
『ういすー』
当主の執務室には当然だけど応接セットがある。わたしはお嬢さまと並んで腰掛け、対面に伯爵さまとじーさまが腰を下ろした。
テーブルの上には特に茶菓子も無し。まあ家族の話なんだから文句は無いけど、わたし的には口が寂しい。
「先ほど夕食を済ませたばかりでしょうに。何か欲しければ自分で取ってきなさいな」
『めんどうなのでいいです』
「あなたね……」
もしかしてお嬢さまも何か欲しかったのかしら。
まあいいや。わたしにしては珍しく、食い気より話の方が気になるし。
「ふむ。アイナにはあらましだけ説明しておいた方がいいかい?コルセア」
『そーですね。お願いします』
「分かったよ。元はコルセアの持ち込んできた話でね…」
場が落ち着くと、早速伯爵さまから話が始まった。
といってもわたしがバナードから聞いた話を伯爵さまに伝えて、件のティクロン侯爵家復興にまつわる裏取りをした、って事情の説明だから、そこんとこは割愛する。
問題は、伯爵さまが調べたことの内容だ。
「……メルベータ産の触媒が取引の大半を占める?」
「そうだね。しかも、実際の品物の動きはほとんど無いんだ。アイナ、メルベータ産の触媒の特徴は分かっているよね?」
「ええ、もちろんですわ。対気砲術の発動に用いられるものが多く、質においても帝国産を凌駕するものと聞きます」
「物騒な話よな。メルベータ産触媒の取引についてはかなり厳重な監視がつく、ってえ話なのによ。それで問題となるのはそれだけじゃねえ。取引の動きはあるってえのに、実際にブツが動いた気配がほとんど無いと来る。どういうことだと思うよ、アイナ」
「それは……」
じーさまの問いかけにお嬢さまは頤に指を当てて考えこむ。多分じーさまとしては答えは分かっているけれど、ブリガーナ家の長女としてお嬢さまがどれほど正しい推論を導き出すかのテストってトコなんだろう。じーさまのやりそーなこった。
「取引をした、という事実を残すことが重要なのであって、本当にメルベータ産触媒を手に入れるのが目的ではない、と?」
「正解だ。そして帝国の目をかいくぐってそいつを入手している、とされるのが、一度帝国に反旗を翻した侯爵家、と聞くと何を想像するかは……ま、自明ってヤツだわな」
「今のところこの辺の話は表沙汰にはなっていない。でもね、アイナ。バッフェル殿下が侯爵家を継いだ後にこの話が、それを企んだ者によって明らかにされたらどうなると思う?」
「……言うまでもありませんわね。殿下のお立場は、追い詰められることになります」
「そういうこったな」
アタマのいい人たちばかりだから、サクサク話が進むなー。
まあ要するに、だ。
最初っから毒を仕込んだ果物を殿下に与えといて、呑み込んだら毒が回って殿下は……って話なんだろう。
ただこのはかりごとは今のところ、殿下に侯爵家を継ぐつもりが無くなった、ってことで不発に終わりそうなんだけど。
「あとはこれを企んだのが誰なのか、って話にはなるけれど…」
「お父様。それは考えるまでもありませんわね」
「ほう。我が娘ながら頼もしいことだね。誰が、だい?」
「二つの事実によって明らかになります。まず、殿下が永らえて帝位を継承した場合に損をするのは誰か。そして、メルベータ産の触媒の管理を行っているのがどの組織なのか。この両者に重なるのは、理力兵団を置いて他には無いでしょう」
「合格だ、アイナ。儂もそう考えておる」
「威張るほどのことではないと思いますけれど……」
満足そうなじーさまと、珍しく褒められて困惑するお嬢さま。嬉しそうではあるけれど。
ただまあ、わたしには一つ気になる点もあるわけで。
『……お嬢さま。でも、殿下がティクロン侯爵家を継いだ場合、帝位継承権の争いからは下りるわけで、わざわざティクロン侯爵家っていう毒餌を用意する必要は無いのでは?』
怪訝な二対、困惑の一対、それぞれの視線に射竦められてわたしはちょっと首をすくめる。
でも伯爵さまは興味深そうな面持ちに改まると、何やら楽しげに聞いてきた。
「……なるほど、それは私も気になるところだね。どう思う?コルセア」
『えー、わたしが思うにー……この会話自体がそもそも理力兵団の悪巧みの一環なんじゃないかと』
「……どういうことかしら?」
俄に不興の気色を濃くするお嬢さま。導いた答えを褒められたのに、そこからケチをつけられればそりゃそうなるよね。
でも、ここで舵取りを誤ると、関係者まとめて地獄送りになりかねないのだし、慎重になる必要はある。「慎重?あなたには似合わない単語ね」とか言われそうだけど。
『まー考えてみてくださいな。伯爵さまとじーさまが調べて、あっさり侯爵家の復興にまつわる不穏な動きは掴めた。でも、考えてみればブリガーナ家は触媒の取引については専門家もいーとこじゃないですか。どんなに隠したって、伯爵さまなら気がついてしまう可能性がある』
「その不審は理解出来るね。確かに帝権の行方に関わる陰謀にしては、あっさりと裏が取れた気はするよ」
『だから、こーしてわたしたちが気がついてしまうことも最初から織り込み済みだったんじゃないですかね。その上でブリガーナ家や殿下がどう動くかを操ろうとした……んじゃないかと』
「そいつあまた悪党の発想だ。やるじゃねえかコルセア。おめえも一端のワルの資格あり、だ」
『んなもんブロンくんにでも継がせりゃいーでしょうよ。わたしもお嬢さまも悪党になんかなるつもりありませんて。で、それと知った殿下には当然、侯爵家を継いで継承権争いから下りる、という選択は無くなる。殿下は相変わらず有力な候補のまま、ってことになります』
「……理力兵団は殿下に帝位を継がせたい、というの?」
『んなこたー無い、って前提で話しますけどね、多分他の有力な候補にとって厄介な対抗馬として用意しておきたい、んじゃないかな、って』
ほう、とか、むぅ、とかいったうなり声が執務室に聞こえた。
別に伯爵さまやじーさまを侮るわけじゃないけど、調べてみて答えが見えた時点でその先を推し量ろうなんてこたー、自分の能力に自信のある人も意外にしないんじゃないかな。それは確かにじーさまの言う通り、悪い奴ほどやりそうで。例えばわたしみたいな。
『多分、ですけど、兵団の連中は殿下が継承権の争いに名乗りを上げても失脚させられる材料の一つや二つ用意しているんじゃないですかね。それで第一皇子や第二皇子が殿下に先んずれば、それで恩を売ることも出来るでしょうから』
「ほう、つまるところよ、うちの殿下は噛ませ犬ってことかい」
そんなことで気色ばんでもなあ、って目でじーさまを見たら、ティラノサウルスみたいな顔でニヤリとしてた。ドラゴン胆を冷やす。
「ふむ、となるとティクロン侯爵家についての仕込みも、それを考えてのことかもしれないね。ただの毒餌にしては手間もお金もかけすぎている。分かった、コルセア。もう少し踏み込んで調べてみよう」
『こっから先は慎重にお願いしますねー。まだ調べてることを気取られたら、もともとの企み通りに行ってないと勘付かれるかもしれませんし』
「もっともだ。気をつけよう。アイナは何かあるかい?」
「え…?え、ええ、そうですね……」
突然話を振られて、お嬢さまはキョドってる。
改めて殿下の身辺ていうか立場が危ういものと知って驚いているのか、それとも……。
「……お父様。一つ尋ねたいのですけれど…」
「なんだい?」
「……殿下との婚約のお話、無かったことには出来ないものでしょうか…?」
……それとも、ネアスとのことが頭から離れないのか。
「なんでえ、アイナ。怖じ気づいたのか?臣籍に下った殿下と一緒になれば、そこそこ安寧な人生送れそうだったってえのに、雲行きが怪しくなってきたもんだからよ」
「そういうことではありません。わたくしとて帝国に悪名も名跡も響かせているブリガーナ家の娘。例え皇帝に嫁ぐことになろうと気後れなどはいたしません」
悪名はほとんど先代の功績だけどね、と苦笑する伯爵さまと、知らん顔をするじーさま。あんたたちねー。
「ただ、わたくしでは殿下の御身の側にいるには力不足なのではないかと……」
「……そんなことは無いと思うんだけれどね」
逡巡を隠そうともしない娘の様子に、伯爵さまはやや親ばかな顔になりつつ反論する。
「君は判断力もあるし胆も据わってる。男に生まれていれば私なんかよりもよほど、この難しい家の舵取りを担うだけの能力がある。だから殿下の力になれない、ということは無いと思うよ。それに何よりも、君は優しい淑女だ。殿下のようなお立場の方に一番寄り添う身分に相応しいと思うのだけれどね」
そこで伯爵さま、わたしを見て一言。
「……もう少しコルセアを叱る時は気をつけた方が良いけれど」
言ってやって言ってやって。お嬢さま、わたしに対するゴーモンじみた打擲はちょっと度が過ぎてると思うんですー。
「それは……買いかぶりというものです、お父様。わたくしはどこにでもいるただの娘ですわ……」
ため息。お嬢さま、難しい顔で黙り込んでしまったのだけれど。
「アイナよ」
「……なんでしょうか、お祖父様」
そんなお顔の内に潜むものをあっさり曝いたのは、意外に過ぎる人だったりする。
「おめえよ、恋でもしたか?具体的には殿下以外に思い人でも出来たのか?」
「んなっ?!」
お嬢さま、立ち上がってあからさまに狼狽。
この有様でブリガーナ伯爵家の舵取りも出来る、だなんて確かに買いかぶり過ぎじゃないですか、伯爵さま?
「そ、そういう問題ではありませんっ!わたくしは本当に殿下に相応しい身ではないと……」
「ま、他に恋しく思う相手が出来てしまうんでは、確かに殿下にゃあ相応しくはねえやな。おいどうするよ、婿殿。この期に及んでとんでもねえ問題が噴出しやがった」
「……そうですねえ、また親としては難しい問題が出てきたものですよ」
その割には伯爵さまもじーさまも、どこか楽しげだった。子供の成長を楽しむ親なり祖父なりの顔つきになっている。
そして一方のお嬢さまは、と言えば。
「ですからそういうことではありませんっ!!お二人ともわたくしをからかうのはお止めくださいっ!!」
真っ赤になって否定しても説得力ってものがー。
そして、この先の展開が容易に想像出来たわたしは、ひとりソファを下りて抜き足差し足忍びあ…。
「コルセアっ!あなたどこに行こうというの!責任を取りなさい責任をっ!!」
逃亡失敗。
あっさりお嬢さまにとっ捕まったわたしは、やけに生ぬるい笑顔でこっちを見つめる視線を受けながら、お嬢さまに八つ当たりされるのだった。ついさっき、わたしに対する叱り方で注意されたばかりでしょーが、お嬢さま。




