第111話・紅竜の決断(殿下の真心)
「……随分と賑やかですわね。何ごとなのかしら」
ひとしきり殿下のお仕置きが終わり、わたしがアタマを抱えてのたうち回っているとお嬢さまが戻ってきた。
ていうか、えらい不機嫌なんだけど。
「遅かったな。何があった」
「何があった、と言いますか……ネアス、お茶を一杯頂けるかしら?話し過ぎて喉が渇きましたわ」
「あ、はい。すぐお持ちしますね」
「よろしくね…………はぁ」
床に転がったわたしを無視して、空いた席にお嬢さまが腰を下ろした。えらく疲れた様子だった。
「……あまり思わしくはないようだな。悪い話なら早いところした方が良いのではないか?」
「ええ、お気づかいありがとうございます。まあ最初はなんとかこの成果を認めさせるか、最悪でもこの先もわたくしたちの手で研究を続行させようとしたんですが……ありがとう、ネアス」
「いえ。それで、まさかとは思うんですが……」
お嬢さまにお茶を渡したネアスは、自分の席に戻るなり色をなす。珍しい顔だ。
「そのまさかがどれのことかは分かりませんが、一つだけ言えるのは………この班は、解散させられること、ですわね」
「えっ…?」
「おい、どういうことだよ!」
「………」
「落ち着け、二人とも。アイナ、続きを」
青ざめるネアス。立ち上がり憤るバナード。
殿下はそんな二人を宥めて、話を促した。
「ええ。お祖父様も粘ってはくださったようなのですが……ちょっとコルセア、あなた今まで床の上でゴロゴロしていたのにわたくしの膝の上に乗るのはお止めなさいな……失礼しました。理力兵団の……第二師団から、研究の成果を全て引き渡すようにと強い要請…いえ、圧力がかかったとのことです。その上で、この件については全て理力兵団の然るべき部署が引き継ぎ、この先の一切に関わることを禁ずる、と。殿下の名を出すことまでしたそうなのですが、鼻で笑われたそうですわ。礼儀というものを知らない野蛮人の所業ですわよ、もう……」
まあ、くちばし突っ込んできたのが第二師団じゃあ無理もないわよね。もともと殿下に敵対してたんだし。
でもそんな事情を知らないネアスとバナードはもう怒り心頭って態で、特にバナードなんかは第二師団に殴り込んでやる、と息巻いて帰り支度を始めてた。
「止めろ、バナード。ただの学生がそんな真似をしたところで連中は痛痒にも感じないだろうさ」
「だからといってほっとけねーでしょーが、殿下!」
「気持ちは分かるさ。俺だって同じだよ。だから、もっと実効的な手立てを講じる必要がある」
「殿下……あの、何かお考えが?」
「………無いでも無い。ネアス、バナード。この件、俺に……いや、俺とアイナに任せてくれるか?」
「わたくしに出来ることが?」
「必然的に巻き込むことになってしまうからな。すまない」
「………」
「………何しようってんすか」
「アイナ、帰りに少し付き合え。話がある。コルセアもな」
重苦しい雰囲気のまま、何もすることがなくなった今日の課外活動は、解散した。
ネアスとバナードの悔しそうな顔が晴れることは、当然無かったわけで。
話がある、なんて勿体ぶるだけあって、殿下は容易に話を切り出そうとはしなかった。
場所は他に耳の無いことが保証されるところ、ってんで、まあ。
「……もう少しマシな場所がなかったのかしら、コルセア」
『言うてご注文通り、誰も聞き耳立てられないよーな場所に案内しろ、とおっしゃるからそーしただけなんですが』
「ま、こんなことでもない限り来られない場所だしな。構わん、話を続けよう」
「殿下がそう仰るなら構いませんが……けほけほ」
少し体を動かしただけで埃が舞う中、お嬢さまは顔をしかめて顔の前を手でハタハタしてた。まあ場所が場所だけに仕方ないでしょ。年一の大掃除すらやってるかどーか怪しい、壊れて何年も放置されてる時計塔の中じゃあ、ね。
床は腰を下ろすのも躊躇われるような有様なので、立ったまま薄暗がりの中での密談になる。いかにも悪巧みするのに適切なシチュエーションかもしれない。
「それを否定しきれないのがまた面白くないが……。さて、コルセアには先日伝えたことだがな。アイナ、俺は帝位の継承について名乗りを上げるつもりだ」
「……え?」
無駄な話を好まない殿下らしく、単刀直入に切り出された話にお嬢さまは驚きを見せる。まだ差し込む光の中に大量の埃が見えているのに、手を動かすのも忘れて、大きく見張った目で殿下の顔を見つめてた。
そして、驚きのためか微かに震える声でその真意を質すのだけれど。
「……殿下、以前はそのことに興味は無いようなことを仰っていたかと…何故です?」
「俺やお前を取り巻く環境が変わった、としか言いようがないな。今日のこともある。俺は、お前とブリガーナ家の者たちが健やかに過ごせればそれで充分と思っていたが、どうもそのためにも力を持たなければならないようだ」
「殿下、わたくしの家のことなどに囚われて御身の処し方を誤られてはなりません。ブリガーナは確かに帝国の中では危うい立ち位置にありますが、当家の歴史は当家で守るものです。父も祖父も殿下のお心配りに甘えて家を保つことなど考えますまい。どうか、殿下ご自身の希望を優先して頂きたく思います」
「俺の希望、というのはだな、アイナ」
一歩、殿下がお嬢さまに歩み寄る。気圧された、ってわけじゃないんだろうけど、それでもお嬢さまはビクッと身を震わせて、重心を踵の方に移してた。
「お前の身を守りたい、ということだけだ。そして、俺も関わった皆の研究に、その努力と成果に相応しい光を当てたい。それだけのことだよ。それ以外の帝国の未来のなど些末なことさ」
「殿下!」
「……なんだ」
いくら他に人がいないといっても、そんなに大声を上げたら誰か来ちゃうんじゃないか、っていうわたしの心配をヨソに、お嬢さまは殿下の胸に手を当て、悲痛に叫ぶ。
「……それは…勿体なく思うと同時に、帝室にある者としては余りにも軽率だと思うのです!以前仰っていたように、臣籍に降りてのお言葉であればわたくし個人としてそのお志を頂戴することも吝かではありません。ですが、わたくしのために帝位を得ようなどというのは、国を傾ける発想と言わざるを得ないではありませんか……わたくしは殿下を尊敬申し上げております。重要な地位に在る者として、一人の男性として、勉学の先達として。ですから、どうか、この念を無謬のものでいさせてください。お願い致します……」
言うだけでなく、お嬢さまは殿下から身を引き、胸に手を当て頭を垂れていた。
そんな仕草にお嬢さまの真剣さが伝わったのか、殿下はただ黙している。
……何て言うかなあ。きっと、殿下もお嬢さまもお互いのことを気遣って、そのためになることを言っているんだと思うのよね。
殿下は、ブリガーナ家の立場とお嬢さまの心を救うため。お嬢さまは、生まれ持った殿下の立場とその名誉を傷つけないため。
きっと……多分さ、そんな二人の根っこにあるものは似たものだけど、出てくるものはどこかすれ違ってる。それが分かるだけに、わたしは殿下にもお嬢さまにも何も言えなくて、誠意の通じないことがどこか悔しそうな殿下と、それを受け止めきれないお嬢さまの二人の顔を、ただ見つめることしか出来なかったんだ。




