05「男なら死ぬと分かっていても行かねばならない時がある」
俺、不条理 京は幽霊である。浮遊霊ライフを満喫する様な余裕も無く、
あの世ガイドの女の子、すだまに付き添われながら、あれこれと勉強中なのである。
「今日の新人さんは、どんな人なんだ?」
寿命、病気、犯罪、事故、自殺、エトセトラと、毎日3000人余りが亡くなっている日本。
幽霊になりたての『新人さん』をサポートするのが、あの世ガイドのすだまの仕事。
そして、それに同行して一緒にあれこれ面倒見てみるのも、俺にとっては良い経験、というコトで、
最近はこうして、すだまとコンビで動いているのである。
「今日亡くなった方は…、―マンガの人だそうです。」
「―? マンガの人…?」
―意味不明だ。
すだまと付き合い出して段々分かって来たのだが、こうして意味不明な説明になる場合、
大抵は、昔に存在しなかった現代の事象の何らかを指しているコトが多い。
戦中に亡くなったすだまは、戦後の目まぐるしく変わりゆくムーブメントに正直、付いて行けて無い部分が結構ある。
生きていれば、すだまは90歳近いお婆ちゃんだ。当たり前といえば当たり前である。
多分、すだまの言う『マンガの人』とは、漫画家とかではないだろうか。
そう見当を付けながら歩いて行くと、現場に到着した。
駅からほど近い雑居ビルだ。
そこに1人の男性がオロオロしながら立ちすくんでいた。彼が新人幽霊らしい。
すだまが男性に近付き、声を掛ける。
「あのー、道賀さん…ですか?」
「―はい? …え!? 貴方、僕が見えるんですか!? 僕の声が聴こえるんですか!?」
振り返った男性、道賀さんは、ビックリ半分、嬉しさ半分といった表情で俺達を見る。
あぁ、周りの人に気付かれなくて困惑してたんだなぁ。その気持ち、分かる分かる。
俺達は道賀さんに、現状を掻い摘んで説明する。
貴方は死んでしまったコト、幽霊になったコト、俺達のコト。
道賀さんは恐ろしく理解が早く、あっという間にこの非日常的な現状を飲み込んだ。
「そっかー。幽霊か―。道理でみんなに話し掛けても、僕をスルーすると思った…。
チームにハブられたかと一瞬ヒヤヒヤしたよ。」
「チーム…とは?」
「あぁ、申し遅れたね。ココが僕の務めている…あ、『務めていた』職場か。アニメ制作スタジオさ。」
道賀さんは雑居ビルの3階を指して、俺達に説明する。
「アニメ制作スタジオ…、つまり、道賀さんはアニメーターだったんですか?」
「正解!動画チーフって役職だったんだ。」
俺もアニメの制作については詳しくは知らないけど、だいたいの基本的なコトは知っている。
少しづつ動きの違う絵を何枚も、何十枚も描いて、それに色を塗って撮影して、動いている様に見せるのがアニメーションだ。
日頃、何となく観ている作品にも滅茶苦茶に時間と手間が掛かっていて、そう考えて観ると大変だなぁ、って思ったコトがある。
道賀さんはそういう動きのある絵を何枚も描く仕事をしていたらしい。
すだまは彼を『マンガの人』と言っていたが、まぁ、何も知らない人が思い描くならば、アニメもそんなモンなのだろう。
案の定、すだまは俺と道賀さんの話に入って来れていない。
首を傾げているすだまの頭の上に、大きな『?』マークが見える様である。
「実際に見てもらった方が早いかな。」
道賀さんはそう言って、俺達を雑居ビルの中へと案内してくれた。
幽霊となってはエレベーターが自由に使えないので、階段で3階まで上がって行く。
すだまはビルの屋上でも簡単に飛んで上がれるが、俺や道賀さんはまだ生きていた頃の常識が邪魔をして、上手く飛べない。
更に、道賀さんは高所恐怖症だそうで。こうして、外が見えない階段の使用と相成ったワケだ。
「ふわぁあああ…! こうして作られていたんですね…!!」
部屋のあちこちの机で、何人ものアニメーターさんが、色々な絵を描いている。
重ねた絵を何回もめくっては、動きをチェックしたり、赤鉛筆で修正の線を描いたり、皆、忙しそうだ。
「私、テレビで放映しているのも、マンガを描いてる人が作ってるのかと思っていました…!」
出た!! アニメ知らない人が誤解してる、あるある鉄板ネタ!!
―そんなコトしてたら、漫画家さんが過労で死んじゃうよ!
すると、そのすだまの言葉に、道賀さんが返す。
「うん。日本で最初のテレビアニメは、時々原作者自ら描いた部分もあったと聞いているけどね…。」
「えぇっ!? それマジっすか!?」
すだまの言葉に内心ツッコミを入れていた俺は驚いた。
まさか、本当にそんな無茶なコトしてただなんて。
道賀さんが苦笑しながら話す。
「あー、でもそれは、その人が『漫画の神様』とまで呼ばれた天才だったからであって、普通はそんなコト出来っこないよ。
時間的にも無理だし、同じ絵を描くメディアとは言え、マンガとアニメは畑違いだというコトも大きいからね。」
「で、ですよねー。でも、結構ビックリしました。」
「良く分かりませんけど、大変なお仕事なんですね。」
何か、道賀さんに説明されて頷いてる俺とすだまは、まるでアニメスタジオ説明会に来たアニメファンみたいになっている。
―と、アニメーターさんの1人がコーヒーを飲む手を止めて声を上げる。
「あれ? 道賀さん、まだ来てないのか?」
それを聞いて、俺の隣で道賀さんが顔をしかめる。
ここにいるアニメーターさん達は、どうやら道賀さんが亡くなったコトをまだ知らない様だ。
「道賀さんッスか? いや、見てないッスねー。」
「道賀さんが遅刻とか珍しいよね。」
「確か、ラストシーン、道賀さんのチェック待ちだったんですよね。」
「あぁ、ラストのアクションシーンね。あそこだけで30秒、300枚はあったよね。」
「参ったなぁ。デッドライン今日だぞ。道賀さんの修正分、昨日から彩色が催促してるからな。」
専門用語が多くて良くワカランが、推察するに、道賀さんが亡くなったコトで
重要な部分の作業がストップしてしまっているみたいだ。
道賀さんが申し訳無さそうな顔をしている。
俺は道賀さんに尋ねる
「今してる作業って、道賀さん抜きじゃ出来ないんですか?」
「うーん…。僕の仕事はね、みんなが描いた絵を、ちゃんと設定のデザイン通りに描けているか、
間違った箇所が無いか、動きがおかしくないか、それらをチェックして修正する役割なんだよ。」
「それを何十枚、何百枚ってやるんですよね?」
「うーん、1回の放送分だけで数千枚になるかな…。」
「数…千…枚…っ!?」
俺とすだまは、開いた口が塞がらなかった。こんなに大変な仕事だったのか!?
「海外に発注した絵が上がって来るのは夜が多いからね。徹夜仕上げは当たり前になっちゃうね。」
道賀さんは噛み砕いて説明してくれる。
でも、これだけ聞いても、専門的知識と専門的技術、それと体力が必須だってコトは分かる。誰でも出来る様な作業じゃ無い。
1枚1枚しっかりチェックして、全体の流れにも気を使う。これは大変なきめ細やかさと粘り強さが要求されるだろう。
道賀さんが説明を続ける。
「で、それが終わらないと色塗りには入れない。当然、音入れも出来ないし、完成しない。
今は、リレーで言えば、バトンが僕のトコロで停まってしまって、次に回って行かない状況なんだ。
元々、僕の動画チェックって仕事は、スケジュールが差し迫ってからが本番だからね。」
―それは、ちょっと…いや、かなりヤバイんではないでしょうか。
すだまも心配になって聞く。
「『でっどらいん』がどうのって言ってましたけど…。」
「うん。デッドラインって言うのは、もう、マジで、これ以上遅れたらアウトっていう、ギリギリの締め切りのコトね。」
―本気でヤバイんではないでしょうか!?
道賀さんはリレーのバトンに例えていたけど、そのバトン、導火線がチリチリ燃え続けているダイナマイトじゃないですかね?
道賀さんは頭を掻きむしる。
「あぁ…、僕が死んだばかりに、みんなに迷惑を掛けてしまった…。どうしたらいいんだ…。」
「―えっと、例えば、その週は休止にしてまた次週に…、とかは駄目なんですか?」
「それ、万策尽きた状態だね。―残念だけど、その手は使えないんだ。」
「何故ですか?」
「先週、ソレで総集編にしちゃったからだよ。」
「うわぁーーーー!!」
洒落にならない。正に崖っ淵だった。道賀さんが尚も続ける。
「何度もこういう不祥事が起きると、信用を失くしてしまい、もうその制作スタジオには仕事を回してもらえなくなる。
そうなると僕だけの問題じゃ無い。このスタジオのメンバー、全員の未来に関わって来るんだ。」
そう聞かされて、俺は業界の厳しさを改めて思い知る。
それを思うと、この状況を何とかしてあげたいと思うのだが、門外漢の俺には、どうすれば良いのか皆目見当が付かない。
自殺を踏み留まらせた時みたいに、霊波で声を掛けて教えてあげられたら、と思ったが、
俺はいつまで経っても上手く出来ない下手クソだし、道賀さんは幽霊になりたてで、そういうコツも何も掴んでいない。
すだまはガイド仕事の規則で、直接的な介入は許されていないし、
交通事故で亡くなった更里さんは、交差点に居着いて離れない地縛霊だ。ココまで呼んで来るコトは出来ない。
八方塞がりとはこのコトだ。
道賀さんがいなくて頭を抱ているアニメーターさんの横で、道賀さんが慙愧の念で同じ様に頭を抱えている。
俺は、まだアニメーターさんの机の横で絵を眺めていたすだまを呼ぶ。
「なぁ、すだま。道賀さんの死亡原因って何?」
「―ええっと…、心筋梗塞だそうです。」
「あちゃぁ…。やっぱり過労が祟ったのかなぁ…。」
アニメーターさんは激務だと聞いたコトがある。今の日本は、週に50本~60本ものアニメが放送されている。
それら全て、放送に間に合わせる為に、昼夜を通して自転車操業の様な逼迫した製作状況だとか。
健康を害する人だって多いだろう。
だが、道賀さんは優しく首を振る。
「いや、元々僕は不摂生だったからね。周りから忠告されても医者にも掛からなかったし、自業自得ってヤツだよ。」
そう言われて見れば、道賀さんはちょっとポッチャリ。お腹が出ている小太りな体型だ。
そんな道賀さんは、至って冷静に話す。
「僕がいなくなっても、いずれ、今後の代わりの人は何とか用意出来ると思う。
―でも、今、手掛けている回は、このままじゃ落ちてしまう。何とかみんなに修正分を届けたいなぁ…。」
「―え? その言い方だと、もしかして道賀さんの作業は終わっているんですか?」
「うん。家に持って帰って、一応、全部チェック終えて、その後、缶チューハイ開けて、それで明け方に寝たんだ。
―あの一杯がいけなかったのかなぁ…。お酒は怖いねぇ…。」
道賀さんは天井を仰いで後悔している。
一方、スタジオ内は段々、騒然として来た。
「道賀さんに連絡!!」
「―駄目です! 『電源が入っていないか範囲外』って…。」
俺は道賀さんに聞く。
「道賀さん、あぁ言ってますけど?」
「―あ、もしかしたら酔っ払って、寝てる時にスマホの充電器、蹴飛ばしたかも…。」
「おーまいがー!!」
俺と道賀さん、2人してアチャー(ノ∀`)ノ∀`)である。
まぁ、充電されてても当の道賀さん御本人が死んでるんじゃ、出るコトも出来ないか。
「で、でも、これで連絡が付かないなら、どなたかが道賀さんのお宅まで確かめに行かれるのでは?」
おう、そうだ! すだまの言う通りだ。
変死してる現場に出会ってしまうのは災難だが、とりあえずは必要な絵を回収出来るハズだ。
だが、道賀さんは難しい顔をして言う。
「―いや、そうは行かないかも。」
「どうしてですか?」
「誰も、僕が死んでるなんて思ってないからだよ。
―行った先のアパートの部屋に鍵が掛かっていたら、普通どう思うかい?」
「―普通だったら…そうか、普通だったら留守って思いますね…。」
「だろ? この業界、1日や2日だったら『作業が間に合わなくてどこかに逃げたんだろう』って思われて、
ありもしない行方探しが先になるだろうね。」
言われて納得だ。
一人暮らしでインドア派、毎日訪ねてくる様な人もいない。そういう人が孤独死すると、誰も気付かず、
大抵は何週間から何ヶ月経って死体から異臭がし始めて、ようやく隣に住んでる人が気付くってのがパターンだ。
道賀さんのアパートにここのスタッフが行ってみても、鍵が掛かってて、叩いても呼んでも出て来ないなら、
まずは『逃げたな、あの野郎!?』って思うのがこの業界の常識か。
と言うか、『死んでいる』という非日常的な可能性を、人は無意識の内に脳内から排除してしまう傾向がある。
何だっけ?―日常バイアスとか言ったっけ?
冠婚葬祭での付き合いがどんどん薄くなっている現代人なら、尚更だ。
「その絵が無いと、ここにいる皆さんまで大変なコトになるんですね? どうしましょう!?」
すだまも大まかにではあるが状況を飲み込めたらしく、危機感を募らせている。
つまりは、アニメの作業を遅らせない為には、
道賀さんが亡くなっているコトをどうにかして、この作業場の人達に教えるか、
道賀さんの住んでるアパートから、作業の終えた絵を持ち出すかしなければならない。
しかも、今日中にだ。
幽霊である俺達に、どれだけのコトが出来るというのか。
そう思って道賀さんを見ると、道賀さんは必死に自分の机で鉛筆を摘もうと、手を動かしていた。
しかし、手は虚しく鉛筆をすり抜けてしまい、何度やっても持てはしない。
「あー、もう!! 字さえ書ければ、みんなに伝えられるのに!!
―『自宅を探せ』。そのたった5文字で良いのに!!」
道賀さんの悲しそうな、苛立った様な、そんな声がアニメスタジオに響くが、それも、俺とすだまだけにしか聞こえていない。
俺は、いたたまれなくなって来て、すだまに問い掛ける。
「なぁ、すだま。何とか出来ないのか!? 幽霊は物を持てないのか!?」
物を持てさえすれば、道賀さんがメッセージをチームの皆に伝えられる。
いや、それどころか、道賀さんの部屋まで行って、修正分の絵をここまで持って来れる。
―すだまは伏目がちな表情で答える。
「結論から言えば、私達幽霊が物に触れて持つコトは可能です。」
「本当かい!?」
「えっと、『ぽるたーがいすと』って、ご存知ですか?」
「え? ―あぁ、突然音が鳴ったり、物が移動したり、宙に舞ったりする心霊現象だよね。…え? それって、もしかして…?」
「はい。あれは、幽霊が物を持って動かすコトで…、イタズラして起きるんです。」
「あぁ! やっぱりそうだったんだ!! ―じゃあ、僕でも持てるんだね!?」
道賀さんが一縷の望みを得たかの様に、食い付いて来る。だが、すだまは首を振る。
「―ですが、それには相当な訓練が必要です。飲み込みが早い方でも数週間から数ヶ月…。」
「―そんな…。」
「『ぽるたーがいすと』を引き起こしている悪霊などは怨念が強く、その念の強さで簡単に物を動かせたり出来ます。
でも、普通の幽霊がやるとなれば、その位の訓練期間が必要だと言われています。」
それじゃあ、とても間に合わない。道賀さんはガックリと項垂れる。
暫しの沈黙。そして道賀さんは、ガバっと顔を上げる。
「―こうなったら、それでも良いよ!」
「はい?」
「悪霊になったって構わない! 今すぐに、僕に鉛筆を持てるようにしてくれ!!」
「ちょっ…、道賀さん!! 何言い出すんですか!?」
俺とすだまは驚いて、道賀さんの顔を見る。
道賀さんの顔には迷いは無かった。そこにあったのは、アニメーターとしての責任感と、そこから来る悲愴な決意。
俺は正直、男として、人として、道賀さんに惚れそうになった。
ぶっちゃけ、死んでしまえば、『後は知りませんのでヨロシク。』で済ませてしまったって良いのだ。
この世界のしがらみから開放され、安らかに成仏したとしても、それに誰が文句を言えようか。
だけど道賀さんは、死んだ『今も』立派にアニメーターだ。
鉛筆1本持てない身体になっても、作品のコト、チームのコト、何よりも、自分に任された仕事のコトを大切に思っている。
こういう、自分の仕事に誇りを持っている技術者は、何とカッコイイのだろうか。
そして、そんなカッコイイ技術者達によって生み出される作品達は、何と幸せなのだろうか。
俺が高揚して、道賀さんにそう話すと、道賀さんは照れ臭そうに返す。
「いやぁ…そんな威張れる様なモンじゃ無いよ。―それ程デキるんだったら、先週、総集編になんかならなかったし…。」
―道賀さん、自らへし折っていくスタイルだった…。
「―あのぉ…、悪霊になるのはお勧め出来ません。」
すだまが困惑して言う。
「でも、もうそれしか方法が無いよ!! 頼むよ!!」
「悪霊になれば、怨念の強さで物を動かせたり持てたりする様にはなるでしょう。
―でも、怨念が理性に勝ってしまい、事務的なコトを伝えるなんて理知的な行動は取れなくなりますよ?」
「えぇ!? ……そんな…。」
意気込んでいた道賀さんの肩が落ちる。今日もう何度目のガックリだろう。可哀想で堪らない。
でも、すだまの言う通りだ。悪霊は人間で言えば、精神を病んだ犯罪者だ。マトモな行動が出来るハズも無い。
ゲームで言えば、コマンド入力出来ないバーサーカー状態なのだ。
だが、このままってワケにも行かない。俺は再度すだまに問い掛ける。
「すだま、別の方法は無いのか? これじゃ道賀さんは未練が残って、永遠に成仏出来なくなるぞ。」
「そうは言っても…。」
すだまも弱り果てている。
―そうだよなぁ。こういうケースがお手軽に解決出来ちゃうんだったら、俺が生きていた時にも
落し物を拾ってくれたり、忘れ物を届けてくれる『親切なポルターガイスト』が、続々報告されているハズだもんな。
幽霊は人に出来ないコトが出来る。その反面、人に出来るコトが出来ない。
俺はそれを今、改めて痛感している。
俺もすだまも道賀さんも、全ての手段を失い、全員黙ったまま、気まずい沈黙が続く。
―と、ふいにすだまの勾玉が光って鳴り出した。
「おわっ!? どうした!? すだま、何かあったのか!? また近くで誰か亡くなった!?」
「いえ…、これは違います! 誰かが…霊波で私の勾玉に語りかけているみたいです!」
「霊波で…って、どこかの幽霊が接触してきたってコトか?」
「はい。少し待って下さい。いま、霊波を合わせてみますから…。」
すだまは勾玉を手で包み込み、目を閉じた。
すると、いつもの勾玉のブザー音が、徐々にノイズ混じりだが人の声に変わって行く。
『……しもし…こえますか? …こち……から通信して…聞こえ…か?…』
「おぉ! 聞こえて来た! もうちょっとだ! 頑張れ、すだま!」
「男性の声だね…。」
「―お二人とも、少し黙ってて下さい…っ。」
これは言うなれば、無線機やラジオにいきなり不明な電波が飛んできて、それにチャンネルを合わせている、みたいなモノだ。
相手の周波数が全く分からないから、手探り状態で合わせて行かないといけない。微妙なダイヤル調整が必要だ。
すだまは、今それと同じ様なコトを、自分の霊波で行っているのだ。俺達の声は精神の集中を乱すらしい。
『もしもーし。聞こえますか―? もしもーし。』
「やった!ピッタリ波長が合いました!!」
そう言ってガッツポーズを取るすだま。勾玉からの声は、とてもクリアに聞こえて来た。
「えっと、貴方が私の勾玉に話し掛けて来たのですか? どちら様でしょうか?」
『初めまして。私、◯◯と申します。天界から通信…って言って良いのかな? ―天界から呼びかけています。』
「えぇっ!?天界って、あの『成仏コース』で行く天界か!?」
俺は驚く。思わぬ声は、これまた思わぬトコロから通信して来た様だ。
「なっ…!? ―◯◯って、あの◯◯さん…ですか!? 『宇宙戦艦ムサシ』とか『無敵鳥人ザンバット4』とか描かれた…!?」
道賀さんは俺が驚いたよりも、更にに驚いている。声は上ずり、姿勢も正しくなってる。
『おぉ、もう随分と昔の作品なのに、知っていてくれたとは光栄だね。』
「そ、そんな!! 恐縮です!!」
道賀さんは、もうブルブル震えて直立不動。まるで軍人が上官の前に立った時みたいだ。
「道賀さん、どうしたんですか?大丈夫ですか?」
「道賀さん、この声の◯◯さんって、お知り合いですか?」
「おっ…お知り合いとか勿体無い!! こっ、この方は、◯◯さんは、僕達アニメーターの中ではレジェンドなんだよ!
今尚、名作と呼ばれるアニメを、超絶作画でいくつも描かれた、伝説級の人物なんだ!!」
興奮した声で、道賀さんは俺達に説明してくれる。
俺なんかは、アニメを観ても本編を楽しむだけで、テロップに出る人物まで注意して観たコトは無い。
まぁ大抵の、普通の人達はそんなモノだと思う。
だけど、観る人が観れば「今回は良い絵だと思ったら、この人が描いていたのか」とか、
「この人が監督なら、面白くなるコト間違い無しだ」とか、指標になるモノなのだろう。
そういった中で、この◯◯さんは、アニメ業界ではとんでも無い偉人らしい。
スポーツで言えばイチロー、マイケル・ジョーダン、ウサイン・ボルト。そのレベルか。
その人が亡くなって、成仏されて天界に行って、そこから今、こうして通信して来たってワケか…。
「ぼっ、僕は! ◯◯さんの描かれた作品が大好きで! ◯◯さんに憧れて! アニメーターになったんだよ!!」
『そうだったのかい。そう言ってもらえると嬉しいなぁ。』
「そ、そんな! 勿体無いお言葉ですっ!!」
道賀さん、最敬礼しちゃったよ。
電話しながらお辞儀するってのは良く見るけど、人の習慣って、幽霊になっても全然変わらんな。
「◯◯さん、私の勾玉に語り掛けて来られたのは、どうしてですか? 何か理由がおありになったのでしょう?」
すだまが、ガイドとしての丁寧なビジネス口調で◯◯さんに問う。
『そうそう、それなんだけどね。実は、今日は私の命日なんだよ。』
「あぁ、そうでしたか。―それでは、ご家族の元に帰られるのですね?」
『そのつもりだったんだけどね。下界を覗いてたら、君達を見付けてね。
私もそこのスタジオで働いていたコトがあって、同じアニメーターとして懐かしく、共感して見ていたんだよ。』
「うわわわわ、見られていたんですかー!!」
『そうしたら、後輩の大ピンチじゃないか。先輩として放っておけなくなっちゃってね。』
「そんな! 後輩だなんて、身に余るお言葉です!!」
―敬礼までしてる。もう、完全に軍人だ、コレ。
『本当は、この通信は、今年の家族へのメッセージ用に許可をもらったモノだったんだけどね。』
家族へのメッセージとは、所謂『夢枕に立つ』というヤツである。
善良で模範的な幽霊には、盆や命日に、時折そういったサービスが与えられるのである。
「え! それじゃあ、◯◯さん、ココで使われたら、ご家族にメッセージを送れなくなってしまいますよ!?」
『うん。分かってる。』
「い、いけません! 僕なんかのために!! そんな大切な機会を失うなんて…!!」
『家族とはまた会えるさ。それよりも、君を含めて僕の後輩達…ひいては、アニメというコンテンツのためだしね。』
道賀さんも責任感とプライドの人だけど、この◯◯さんも同じだ。
亡くなっても尚、アニメを仕事として愛している。俺は感動して、涙腺が熱くにじむ感覚を覚える。
「分かりました。―それで、◯◯さんはどうなされるおつもりですか?」
『君達を見ていて気付いたんだけど、その作品の監督…、さっき騒いでいたのって、☓☓クンだよね?』
「あ、ハイ! ☓☓さんに監督してもらっています!」
『やっぱり彼だったか。随分とフケたなぁ~。ハハハ。―それじゃあ話が早いや。
彼は、私が生きていた頃、私の下で動画やってたんだよ。リテイクの嵐だったけどね。』
「そ、そうだったんですか!!初耳です!!」
『さっき君達が言ってた、物に触れたり動かしたりする能力。今日1回切りだけど、ココで使おうじゃないか。』
「よ、よろしいんですか!?」
『あぁ。資料の雑誌が置いてある棚があるだろう? そこまで行ってくれないかな?』
すだまの勾玉を通じて声を届けている以上、付随する能力もまた、すだまの勾玉を通さないと具現化出来ないらしい。
俺達は〇〇さんの言った資料棚に来た。
『ガイドさん。済まないけど、棚にある資料を見渡せる位置に立ってもらえるかな?』
「あ、はい。―ここですかね…? どうでしょう?」
『うん、良く見えるよ。ありがとう。―あぁ、☓☓クン、やっぱり残してあるな。』
「残してある?」
『私とやった時の作品の雑誌と設定資料だよ。几帳面な彼なら、残してあると思ってね。
―さてと、それじゃあ、後は少し待つとするかな。』
時は刻々と過ぎて行く。ダイナマイト・バトン・リレーの導火線はどんどん短くなる。
監督の☓☓さんはチームの皆に声を掛け、あちこちに電話をして、メールを送り、道賀さんの行方を探している。
だが、一向に埒が明かず、道賀さんの消息は掴めない。
やがて☓☓さんは立ち上がり、動物園のクマの様に、スタジオ内のあちこちをウロウロ歩き始めた。
それを見たスタジオのチームの人達は、肩をすくめ、苦笑いで☓☓さんの徘徊を眺めている。
どこからか「出た!www」「またですかwww」とか、声が聞こえる。
給湯室を回り、トイレを回り、応接間を回り、やがて☓☓さんは資料棚のトコロにもやって来た。
―と、棚からバサバサと何冊かの資料が棚から崩れて、床に落ちた。
☓☓さんの足が止まる。
「―誰だ! こんな落ちて来る様な仕舞い方したのは!?」
☓☓さんは床に落ちた資料を拾う。―そして、ふと見た資料に☓☓さんは目を見開く。
「―これは…『バイキング LOD』…。そうか、今日は〇〇さんの命日だったっけ…。もう何年経ったんだろう…。」
☓☓さんは、〇〇さんの下で新人だった頃を思い出している様だ。
家族でも無いのに、命日をちゃんと覚えていてくれるなんて、☓☓さんは〇〇さんのコトを今でも大切に想っているんだろう。
「―〇〇さんの命日に、こうして狙ったかの様に、この資料が目の前に落ちて来るなんて…。
もしかしたら、何かあるんだろうか…。後輩の俺に何かを伝えたい…とか?」
☓☓さんは、じっと手に取った資料を見つめている。
そして、おもむろに資料を棚に戻すと、踵を返して自分の机に走り、置いていたジャケットを掴んだ。
「道賀のアパートに行って来る!! 嫌な予感がする!! 何かあったのかも知れん!! 誰かついて来い!!」
そう言って、バタバタとビルの階段を降りて行った。エレベーターを待つ余裕も無い様子だ。
チームの1人が、慌てて☓☓さんの後を追ってスタジオを出て行く。
『―ね? 上手く行っただろう?』
「あ、ありがとうございます!! ありがとうございます!!」
〇〇さんのちょっと得意気な声に、道賀さんは何度も頭を下げてお礼を言っている。
「〇〇さんは、あの☓☓監督が、ああするって分かってたんですか?」
『まぁね。彼は新人の頃から、行き詰まると歩きながら考えるクセがあってね。
最初は鬱陶しくって注意してたんだけど、何度言ってもヤメられなくって、もうスタジオの名物になってたよ。』
〇〇さんは笑いながら、話し続ける。
『さて、これでやれるコトは全てやった。後は…、運と時間の勝負かな。』
「運と時間、ですか?」
「―確かに、僕のアパートに行って、トンボ返り出来たとしてもギリギリかも知れないですね。」
「え!? でも、道賀さんの遺体を見付けたら、流石にすぐ戻っては来れないでしょ!?」
『まぁ、お供を1人連れて行ったから、現場にどっちかが残って、もう1人がこっちに戻って来れると良いんだけどね。』
「あ、そう言えば、連れて行きましたね。〇〇さんはそこまで予想されていたのですか?」
『言ったろ? 彼は几帳面だからね。だからこそ監督になれたんじゃないかな。これからも頑張って欲しいな。』
〇〇さんの声は、もう一緒に仕事が出来ないけど、その後輩を思う優しさに満ちていた。
『じゃあ、私はこれで失礼しようかな。』
「本当に! お世話になりましたっ!! ありがとうございますっ!!」
『いや、なに。あの世があんまり退屈で、ちょっと下界の皆に先輩風吹かしてみたくなっただけさ。』
「え? 成仏したあの世って、そんなに退屈なんですか?」
『うん。下界に居着いても、どうせ絵は描けないだろ? だから、もうゆっくり休んでも良いんじゃないかな? って思ったんだけど、
ちょっと早まったかなぁ、って。他の先輩方もそう言ってるよ。』
「―先輩方?」
『ふふふん。聞いたら驚くぞ。』
〇〇さんは、次々に人物名を挙げ始めた。その中には、俺でも知ってる程の有名な漫画家もいた。
すだまも知ってる人がいたらしい。彼女もビックリしている。
「うわぁ~!『のらしろ』描かれた人じゃないですか!私、あのマンガ大好きだったんです!」
道賀さんは、と言えば…放心していて今にも倒れて死にそうだ。
―いや、もう死んでるのに、これ以上死んでどうしますか!!俺は卒倒寸前の道賀さんを支える。
「だ、大丈夫ですか!?」
「―こ、これが大丈夫でいられますか!? アニメ関連だけでもスーパーヒーロー大集合で、気が遠くなりますよ!!」
―つまりは、それだけ偉人クラスのアニメーターさん達がお亡くなりになっている、ってコトだよな。
それでも、今もこうしてアニメは作り続けられている。そして、世界に誇れる日本の文化にまでなっている。
それは、こうした先人達の想像を絶する努力の結晶なのだ。アニメ制作をよく知らない俺でも、それがひしひしと伝わって来る。
道賀さんは襟を正し、自分に言い聞かせる様に喋る。
「確かにアニメ制作は大変な仕事だ。でも僕達は、先輩達の技術を、センスを、想いを受け継いで、今ここにいる。
僕達はあの世に行った時に、先輩達に胸を張って代表作を言える様にしないといけないんだ。」
道賀さんの目はキラキラと輝き、決意に満ちている。
が、それをすだまが無慈悲にぶった斬る。
「―あのぉ…道賀さん。もう、お亡くなりになってるのですが…。」
「あ!! そうだった!! 感動して、つい忘れてました!! ―参ったなぁ。胸張れる様な作品、あったかなぁ…。」
道賀さんが現実に引き戻され、アタフタしている。
そこへ〇〇さんが、優しく言い聞かせる様に話す。
『何を言うんだい。人生を掛けて真面目にやったコトじゃないか。だったら、全てに胸張って良いんだよ。』
「―あ、ありがとうございます!! 神様に会うよりも救われた気分です!!」
思わず、すだまの勾玉に向かって土下座する道賀さん。
道賀さんに取っては、栄光の大先輩は神様と同じだもんな。気持ちは分からんでも無い。
―でもこの状況って、傍目からだと、ぽっちゃりした成人男性が少女に土下座しているワケで。
「パンツ見せて下さい!」って言ってる図に見えて仕様が無い…。
「でも、すだまから聞いてはいたけど、やっぱり『あの世』って退屈なんだなぁ。」
「現世の全てを洗い流す、清めの場所ですからね。」
「成仏するのが、ますます億劫になって来たよ…。」
現代人の様に、情報過多の世界で生きていたなら、尚更そのギャップの激しさに耐えられないだろう。
せめてネットでも通じれば、暇も潰せるんだろうけどなぁ…。
俺がそんな話をすると、道賀さんはキッパリと首を振る。
「いえ! クリエイターなら、何も無くっても、自分で何かを作り出せます!
むしろ、何も無いからこそ、何かを作りたいという意欲は膨らみ続けると思います!」
『おぉ、分かっているじゃないか。何も無い世界だけど、毎日みんなでワイワイとディスカッションさ。』
〇〇さんは道賀さんの言葉を肯定する。クリエイターは創造してこそクリエイターだと。
「やっぱり熱意は消えていないんですね!!」
『あぁ、みんな言ってるよ。』
―今度生まれ変わっても絵を描こう。
そしてこの世界のコトを題材にしよう。
きっと傑作になる。
そういえば聞いたコトがある。
〇〇さんが挙げた名前の中にあった『漫画の神様』と呼ばれた超有名漫画家が、亡くなった時のこぼれ話。
その『漫画の神様』は生と死を扱った漫画を多く描いていて、ライフワークにもなっていたそうだ。
そして生前「自分が死ぬ瞬間、その時に感じたコトを1コマで良いから漫画として描き残してやりたい。」
―と語っていたらしい。
結局、その願いは叶えられず終いだったが、クリエイターというモノは多かれ少なかれ、そういう境地にいる人種なのだろう。
―そう、亡くなった後も。きっと、次の人生でも。