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あの世も理不尽なコトばかり  作者: 歩き目です
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09「死んでモテ期が来るモノか」



「初めまして。わたくし、遷宮橋 綾乃と申します。以後お見知り置き下さいませ。」


「うわぁ! お嬢様だ! 本物だ!!」


「京さん、まるで舶来製品を見る目ですね。」


俺、不条理 京は幽霊である。

俺達幽霊は、生きている人々に『生きているって素晴らしい』と実感させるため、日夜、啓蒙活動に励んでいるのである。


とある大病院の前。俺達は、いまさっき幽霊になった少女と出会った。

楚々とした立ち方、優雅で丁寧な挨拶、そして艶のあるストレートロングヘア。

それはもう、一見しただけでも間違い無く、良いトコ出のお嬢様だった。

背景に桜の花びらでも舞いそうな雰囲気だ。


キチンとした女言葉を使う女子が絶滅危惧種になって久しい。

今の世間じゃ『女言葉を使わされるのは女性蔑視だ』とか言う、トンチンカンな者まで出る始末だ。

誰が何と言おうが、世の男性はこういう綺麗な女性ならではの口調を心地良いと思い、好きなのだ。


―ん? 待てよ…。彼女の名前って…


「あれ?遷宮橋って、どこかで聞いた覚えがあるな…。」


「はい。お陰様で、我が遷宮橋家は、日本の企業を支えている大財閥の末席を汚させていただいております。」


「えぇ!? あの、宇宙開発からネジまで、衣食住幅広く色んな企業に融資してるっていう、あの遷宮橋!?」


大財閥の末席とか、とんでも無い!

遷宮橋家は明治時代から今まで、国の内乱も戦争も不景気も何のその、と乗り越えて躍進を続け、

日本財閥のトップ3からは、一度も落ちたコトが無いと言われている超超大財閥だ。


近年はその勢いが衰えて来たとかで、トップ3から落ちるのも時間の問題か? とか噂されているが、

それでも、俺の様な庶民からしたら、雲の上の存在には変わりは無い。

この綾乃さん。正真正銘の血統書付きの、SSR級のお嬢様だった…。


早速、すだまが幽霊となった綾乃さんへの手続きを始め、まずは死因を確認する。


「―えっと、綾乃さんは病死、ですね。」


「はい、その様です。わたくし、生まれつき身体が弱く病気がちでしたが、

 特にここ数ヶ月は流行病にも冒され、ずっと入院しておりました。」


「そっか。大変だったね。」


「お気遣いありがとう存じます。でも、本当に大変だったのは家族の方でしたでしょうから。

 特に父には、会社が危機的な時に心労を掛けてしまいましたわ…。

 今もこうして、わたくしが亡くなったコトであれこれ気を病まなければよろしいのですけれど…。」


「今はどうですか? どこか具合の悪いトコロはありますか?」


「いいえ、全く。こんなに身体が楽な状態は、生まれて初めてですわ。

 ―あら、いけない。もう死んだのに『生まれて初めて』だなんて。」


綾乃さんは口を手で隠す、鉄板のお嬢様ポーズを見せてくれる。

生のそういう可憐な仕草に感動しつつ、俺はフォローを入れる。


「あー、そういうボケは俺も良くやるよ。つい言っちゃうんだよなー。」


「慣用句や言い回しは生きている人が作ったモノで、使い方も決まっていますからね。仕方ありませんよ。」


「そう言って下さると気が楽になりますわ。」


「―でも、こんな美人なお嬢様が、若くして亡くなるなんて。むごいモンだなぁ…。」


「まぁ、お上手ですコト。お褒めいただきありがとう存じます。

 ―でもどうかお気になさらずに。病弱の身でここまで生きて来れただけで奇跡ですから。

 これが、神様がわたくしにお与えになった寿命だったのだと思っておりますわ。」


「うむむ、流石はお嬢様。人間も出来てる。」


凍死した俺も、その日が寿命だったと後で聞いたが、それが運命だと言われても釈然としないモノがあったのは事実だ。

綾乃さんは、それを到ってすんなり優雅に受け入れている。


そして、俺達は幽霊ビギナーの綾乃さんに、あれこれ基本的な説明をした。

どれもこれも俺が幽霊になった時に、最初にすだまに言われたコトの繰り返しだが。


「綾乃さんの家は、召使いや家政婦さんがいたのでしょうか?」


「はい。何名か。」


「じゃあ、着付けや食事の支度とかも、メイドさん達が?」


「はい。そうでした。」


「うわー、良いなぁー。メイドさんかぁー。

 一度で良いから本物のメイドさんに会ってみたかったー。」


「京様…でしたか。京様はメイドがそんなにお好きなのですか?」


「そりゃあ、庶民の男からしたら『夢』だからね。」


「まぁ。そうでしたか。生まれてからずっと、四六時中側にいるのが普通でしたから、

 その様に珍しいモノでしたとは、わたくし、夢にも思いませんでしたわ。」


「いやぁ、格差ってヤツだなぁー。でも、いざ本物のメイドさんに対応されても、

 こっちが照れちゃって気まずいだけだろうしなぁー。」


「―あの、京様。つかぬことをお聞きしてもよろしいでしょうか?」


「うん? 何?」


「―先程から京様は『本物のメイド』と仰っておりますが、その言い様ですと、まるで

『偽物のメイド』が存在するかの様に聞こえるのですが…。」


「うん。いるよ。偽メイド。」


「まぁ! ―やはり中国製なのでしょうか?」


「「はい?」」


「わたくし、ニュースで聞き齧りましたが、ブランド商品や有名絵画等、文化から食品までありとあらゆるモノに

 中国からの悪質な偽物が多くて、日本や他国はとても迷惑していると…。

 父も日頃から、中国製品が日本製品の『悪貨は良貨を駆逐する』原因になってはならぬと、警戒をしておりました。

 それでもやはり、メイドの様なモノまで、知的財産権と同様に食い荒らされていたのですね。怖いですわ。」


「―うん。俺は綾乃さんの発想が怖い。」


「?」


首を傾げ不思議がる綾乃さんに、俺は『メイド喫茶』を極々簡単に説明した。

何故か、すだまも興味津々で食い付く様に聞いていた。


「あら、まぁ。そういうコトだったのですか。勘違い、お恥ずかしいですわ。」


「いや、まぁ、仕方無いよ。知らなかったんだし。」


「喫茶店の給仕さんがメイド姿で、それっぽく接待してくれるだけなんですね。」


「うん。実際はもっと深いんだけど、それは2人のレベルがもうチョイ上がってからだな。」


この2人に『萌え萌えキューン!』はまだ早過ぎる。

何も知らない無垢で真っ白なキャンパスに、

庶民の欲望にまみれた蛍光パステルピンクのペンキをブッ掛けるのは気が引ける。


これでこの上、ツンデレメイドとか、ヤンデレメイド、元グリーンベレーで暗殺も容易くこなすSPメイド、

挙句の果てはロボットメイドとか変身スーパーヒロインメイドとか出た日には、2人の理解のキャパシティを超えてしまう。

日本のサブカルは、かくも業が深い。


すだまが話を元に戻す。


「―えっと、話が横に逸れましたが、綾乃さんにはそのメイドさんが問題なんです。」


「と、仰いますと?」


幽霊界ここには、基本的に生きていた世界の様な身分階級がありません。

 お金も例外を除き持てませんし、使えません。権力や財力も通用しません。

 ですから、これから綾乃さんはメイドさん無しの生活をするコトになるのです。」


「お嬢様だった綾乃さんには、色々慣れなくて不便だろうと思うけどさ、徐々に…、」


「―それは、これから身の回りのコトは、全て自分でやらなくてはいけない、という意味でしょうか?」


「うん。基本そうなる。」


「まぁ、それでは、何でも自分で出来るのですね!」


「―ん?」


「わたくし、密かに憧れておりましたの。気兼ね無く、何でも自分で出来る生活を。」


「―そうなのですか?」


「はい。わたくし、先程も申し上げた通り、幼い頃から病弱で。

 ですから、余計に周りに世話を焼かせてしまって、それにずっと負い目を感じていましたの。」


「でも、無理出来ない身体だったんだし、それに、そういうお世話がメイドさん達の仕事じゃない。」


「それでも、ですわ。本当なら皆さんお1人で普通になされているコトなのに、

 それが出来ない歯痒さというか、自分の不甲斐無さというか、それが申し訳無くて仕方がありませんでした…。」


「綾乃さんは真面目だなぁ。」


「いえ、そんな…。」


俺に褒められた綾乃さんが、照れて頬を染める。見目麗しいお嬢様は、照れ方も上品で可愛い。

すだまが再び話を戻す。


「それでですね、先程軽く説明しましたが、『天界コース』と『現世コース』、どちらか希望はありますか?」


「そうですね…。残された父や母の気持ちを考えると、わたくしが成仏しないまま、

 こうして現世を彷徨っているというのは如何なモノなのでしょう?」


「確かに、気が気ではないだろうなぁ。―この実情が伝われば、のハナシだけど…。」


「いつの日か、父と母をお迎えする時、やはり、わたくしがキチンと天界にいた方が、お2人にも安心していただけると思うのです。」


「綾乃さんは両親思いだなぁ。もっと自己中でも良いと思うよ?」


「それでは、綾乃さんは『天界コース』というコトでよろしいですか?」


「あー、ちょっと待った!」


「どうしました? 京さん?」


「いやぁー、この間、ちょっと天界のハナシを聞いたんだけどさぁー。アレ聞いて、俺、成仏する気、結構と失せちゃったもん…。」


アニメーターを仕事にしていた道賀さんが幽霊になった時、そのアニメーターの大先輩が天界から通信をして来た。

そして、天界にいる色んな人…俺はよく知らないけれど、道賀さんが平伏してしまう程の偉人達がいるコトも聞いた。

その偉人達が口を揃えて言うのだ。『天界は何も無くてつまらない』と。


あの一件で、天界が死ぬほど退屈な世界だって、改めて分かった。

―いや、死んでるんだけどさ。死んでても『死ぬ』と思う程の退屈さなのだ。

あれは、本当に何もかも心残り無くやり切って、後は魂の安らぎのみを求める人だけが行く場所だ。


綾乃さんは俺がストップを掛けたコトに、不思議そうに質問する。


「―天界は、お話に聞いていた、平和な楽園では無いのでしょうか?」


「―いや、その通りだよ。…つーか、その通り過ぎて大変なんだ。」


「どういうコトでしょうか?」


「平和過ぎて退屈なんだ。本も無いしTVもネットも無いし、レジャーや娯楽の施設も無いし。

 下界こっちには年に1度しか戻れないし。何もするコトが無いんだよね。本当に魂が安住するためだけの世界だよ。」


「まぁ…。それは確かに暇を持て余しそうですわね…。

 わたくし、病院のベッドで寝たきりで、読書やTVを観たりしていましたが、それでも甚だ退屈でしたもの。」


俺も昔、風邪をこじらせて、数日間、学校を休んだ時とかがある。あの数日でさえ暇で暇でどうしようも無かった。

病弱だった綾乃さんは、それのロングバージョン生活をしょっちゅう経験していたのだ。


「病院暮らしじゃ、大変だったろうね。娯楽も少ないし。」


「はい。食事の時間が待ち遠しいと思える程でしたわ。」


「あぁ、食べるしか楽しみが無い、ってヤツか。」


よく戦争映画とかで、戦場の厳しさを語る兵士の、『楽しみは三度の飯だけだ』とか言うシーンがある。

あぁいうコトなんだな、と俺は感じた。


―が、綾乃さんは、そんな俺の言葉をスパッと否定した。


「あ、いえ、そうでは無いのです。」


「ぬ?」


「わたくし、病弱で食も細かったので、お食事を出されても、然程食べるコトは出来ませんでした。

 ただ、近年の病院食は見た目もレストラン級の品があったりと、毎日三度、その華やかさを見るのが楽しみだったのです。」


「う…、そ、そうだったんだ…。」


これは予想外だった。やはりベッド暮らしのプロは違う。

彼女の言葉はお上品だけども、そこには何とも言えぬ病人だった故の重みと説得力がある。


「京さんにも初めての説明の時に言ったんですが、『天界コース』は正直、若い方々にはオススメ出来ません。

 そもそも天界は、人間の煩悩を清めて、次の転生に備える為の場所ですからね。」


再びすだまが話を戻す。

俗世で生きてた俺は、どうも話が脱線しがちだ。すだまはソコを阿吽の呼吸の様にフォローしてくれる。

俺はありがたくその流れに乗り、軌道修正する。


「そうそう。出家するよりキツイと思うよ。特に俺達みたいな現代人には、さ。」


「―それを聞きましたら、何だかわたくし、二の足を踏んでしまいそうですわ。」


「どちらでも構いませんよ。京さんも様子見でこうして残っているワケですし。」


「そうなのですか…。」


「―そうだ! 綾乃さん。何か未練は無い? やりたかったコトとか、気になってるコトとか。」


「未練…ですか? ―そうですね…やはり、父と母が…、」


「いやいや、お父さんお母さんは置いといて! 自分自身のコトでさ!」


「―ですが、その様な我儘…、」


うわぁ、何て躾の行き届いたお嬢様でございましょうか!

今までたいした自由も無かったろうに、死んだこの期に及んで、まだ自分よりも周りを気遣っている。

これじゃいつまで経っても、綾乃さん本人が癒やされない。

俺は、お節介だと分かっていても、彼女に言わずにはいられなかった。


「良いんだよ! ワガママ言ったって! 幽霊なんだしさ! ちゃんと未練を果たせないと、成仏したって後悔するだけだよ。」


「その様なモノでしょうか? ―ですが、そう仰られても、自分のコトなど、思い当たるモノが無くて…。」


「駄目駄目駄目! 諦めんなよ! 探そうよ! きっとあるって!」


俺の言葉は、どこかの暑苦しいテニスプレイヤー並に熱を帯びる。

綾乃さんは少々気圧され気味になるも、真剣に考え出した様で、


「―えぇと…そう、ですね…、強いて挙げるのであれば…、」


「何でしょう?」


「身体も楽になったコトですし、生前に出来なかった色々なコトに挑戦してみたいですわ。」


「出来なかったコト、ですか。」


「はい。生前のわたくしは病弱な為、家と病院を往復する毎日。体調が良くても学校へは車で送り迎え。

 たまに旅行をしても、それには医療設備の整った客船とホテル。―と、そんな生活でした。

 学友の方々のお話に上る様な、友人と色々なトコロへ行って、遊んで、時を共有して、笑い合える。

 そんな青春を謳歌してみたかった…。―そういう気がいたします。」


「おぉ! ちゃんとやりたいコト、あったじゃん!」


「―そ、それと…ですね…。その…。」


「ん?」


「―いえ、これは余りにも過ぎた願いですわ。」


どうやら綾乃さんは、まだ何か遠慮しているらしい。


「言ってみなって。デカイ願い程、叶えた時にスッキリするだろ?」


「京さんの言う通りです。可能かどうか、まずは言うだけ言ってみて下さい。」


「―そう…ですか? …えぇっと…、」


「何か、モジモジしてるな。」


しばらく綾乃さんは俯いて目を伏せていたが、思い切った様子で顔を上げ、言う。


「わ、わたくし、一度で良いから『殿方とデート』をしてみたくて…。」


「「は!?」」


俺とすだまが固まる。

綾乃さんは、カアッと顔を紅潮させ、頬を両手で抑えてフルフルと首を振る。


「あ…、い、いやですわ。どうか笑って聞き流して下さいませ…!」


俺とすだまの時間が動き出す。

俺達に背中を向けてしまっている綾乃さん。コレは彼女にとっては、一世一代の主張だったのではなかろうか。

だったら、コレを笑うコトは出来ないし、軽んじるワケにも行かない。


「―いやいや! 年頃の女の子なんだし、良い願いだと思うよ!

 ―でも、美人な綾乃さんなら、彼氏の1人や2人位、いたんじゃないの?」


「いえ、お恥ずかしい話ですが…、わたくしの知っている異性は、父と執事、家の者。

 後は病院の先生。それだけでした。学校も女子校でしたし、街にも出ませんでしたし…。」


「うわぁ、完璧な箱入りですね。お見合いとかさせられそうです。」


「はい。お見合いの話は沢山あったのですが…、」


「おぉ! やっぱり! 流石はお嬢様!」


「―わたくしの病弱さ故、どなたも良い感触を抱いては下さらず、全て破談になりました。」


「あぁ…、確かに、跡継ぎを考えると、難しいですよね…。」


「ごく稀に懇意にしてくる方もいたとのコトですが、調べると、うちの企業の跡目を拾いたいと考えていた様子で…。」


「えぇ!?」


「わたくしが、この様にいつ死んでもおかしくない身体でしたから、結婚して乗っ取るには格好の相手だったのでしょう。」


「うわぁ…。政略結婚とか言うレベルじゃ無いぞ!」


「酷いですね…。」


「幸いにも、わたくしは両親に溺愛されておりましたから、そういった方達は、父がどんな手を使ってでも追い払ったそうです。」


「―どんな手でも、って…、大企業の闇、怖ぇえ…。綾乃さんのお父さん、パねぇ…。」


「わたくしさえ健康であれば、その様な心労を掛けずに済みましたのに…。

 本当に、父や母には残念な思いばかりさせてしまいましたわ…。」


綾乃さんの両親を想う気持ちは、どこまでも純粋で真っ直ぐだ。

さっきまでは『躾の行き届いたお嬢様』とか思ってたけど、これは綾乃さん本人の偽らざる性格なのだろう。

綾乃さんに対して、心の何処かでお嬢様という格差の壁を感じていた俺だが、

コトここに至っては、清く正しく生きようとする一人の少女として応援したくなってくる。


「でも、勿体無いよなぁ。綾乃さん、美人で可愛くて性格もバツグンな超優良物件なのに!」


「えぇ!? ―そ、そんな…。ご冗談はおよしになって下さいませ…。」


「いやいや、本当だよ。みんな見る目が無いんだ。な、すだまもそう思うだろ?」


「―何で私に振るんですか?」


「いや、ホラ、同じ年頃の女の子同士さぁ…。」


「知りません。」


すだまはプイとそっぽを向く。

うむむ。コレは俺が、現代の事情に疎いすだまに、不得手なジャンルへ話を振ってしまったのが悪かったのだろうか。

それでも、すだまは気を取り直してくれたみたいで、綾乃さんに話を続ける。


「―でも、困りましたね。綾乃さんにお付き合いした男性がいないとなると、逢引きも出来ませんし…。」


「―あ、知っている異性がもうお一人、おりました。」


「お、誰? 誰?」


「―京様です。」


「「な!?」」


再び俺とすだまは固まる。

―え? 何でココで俺が出て来るの? 今日、会ったばかりだよね?

このまま沈黙が続くのにも耐えられず、俺は取り敢えず、何でも良いから会話を繋げようとしてみる。


「―えぇ? 俺!? …いやぁ、まぁ、そうか。幽霊でも一応は男だし…な。

 ―でも俺? 何で? ―何か、照れるなぁ。」


駄目だ。全然イケてる返しが出来ていない。

今まで彼女なんかいたコト無かったし、学校でも、何とか会話を許されるクラスメイト女子は数える程しかいなかった。

社会生活してからは、仕事先とコンビニのレジ位でしか話した女の子はいない。そんなイケてない俺に、綾乃さんは話す。


「京様のお話は、先程から面白いモノばかりで…。こんなに楽しい気持ちになれたのは、わたくし、いつ振りでしょう。」


「いやいや、庶民の話だから新鮮なだけだよ。お嬢様には下世話過ぎるんじゃないか?」


「そんなコトありませんわ! わたくし、もっと京様とお話がしたいです!」


そう言うと、綾乃さんは胸の前で両手をポン! と合わせて、


「―そうですわ! それでしたら京様! わたくしとお付き合いしていただけませんか?」


「「―え!?」」


三度、俺とすだまは固まった。




そしてココは遊園地。


「―どうしてこうなった…。」


相変わらずココは賑やかなデートスポットだ。そこに佇む幽霊が2体。


「すだまは急に機嫌悪くなって帰っちゃうし。俺1人でどうすんだよ…。」


綾乃さんが俺とデートしたいとか、意味不明な宣言をしたら、すだまの表情が変わって、


「勝手にしたら良いじゃないですか。昭和ひとケタはお邪魔でしょうから、お若い二人でご自由にどうぞ。」


―と、キンキンに冷めた目で見られて、このあしらわれ様だったのである。

デート経験なんか皆無で、どうしたモンかと悩む俺をよそに、綾乃さんはかなり興奮しているご様子。


「あぁ、遊園地…。幼等部の頃、両親に連れられて来たのが最初で最後でした。」


「幼等部…、あぁ、幼稚園か。―じゃあ、本当に久し振りだね。」


「はい。はしたないですけれど、心が踊ってしまいます。」


「別に良いんじゃない? 遊園地って、そもそもそういうトコロなんだし。」


「遊具が沢山あり過ぎて、目移りしてしまいますね。どれに致しましょう…?」


綾乃さんは早速、ここで遊ぼうというモードになっている。

だったらこっちも男として、気持ちを切り替えて、庶民レベルでもエスコート位はしなくちゃ失礼だ。


「綾乃さん、テンション上がってんなぁ。よーし、それなら腹決めて付き合うか!

 じゃあ、好きなのから片っ端に行こうよ。今日の営業終了まで、まだタップリ時間あるし。」


「―え? でも、わたくし、門限が…、」


「チッチッチ。幽霊にそんなもの、無い。」


「―でしたわね。嫌ですわ、わたくしったら。ふふふ。」




俺達はジェットコースターの列に並ぶ。


「開幕がいきなりジェットコースターとは…。綾乃さん、攻めるねぇ。」


「前に来た時も、身体に無理が掛かる遊具は駄目だと言われて…。―と言いますか、それ以前に身長が足りず、乗れませんでした。」


「幼稚園児じゃなぁ。」


「大人の方々が楽しそうに乗っていらっしゃるのを、羨ましく眺めていたモノですわ。」


「成る程。十何年越しのリベンジってワケだ。―ところでさ、

 こうして律儀に列に並ぶ必要、ある? 幽霊なんだから、先頭に行っても誰も気にしないよ?」


「それでは並んでいる方々に申し訳ありませんわ。」


「真面目だなぁ。―いや、俺がズルイのか。うん、モラルは幽霊になっても守るべきだな。」


「はい。―それに、こうして『並んで待つ』という経験もしたかったのです。

 周りはわたくしの身体を気遣って、そんなコトはさせてもらえませんでしたし。

 何よりも、周りが何でも用意してくれて、それに甘えているのが心苦しくて…。」


「お嬢様には、お嬢様の気苦労があるんだなぁ…。」


「―京様。わたくし、まだ幽霊になったばかりですので、分からないコトが多く、

 不躾だとは思いますが、1つお聞きしてもよろしいでしょうか?」


「おぅ! 何でも聞いてよ! ―まぁ、そういう俺も、経験値がたった数ヶ月だけどさ。」


「―あの、わたくし達は、周りの方々からは見えていないのですよね?」


「うん。基本的にはね。いわゆる霊感の強い人なら見えるかも、だけど。」


「でしたら何故、わたくし達の並んでいるこの場所は『空いている』のでしょう?

 見えないのなら、後ろに並ばれた方に詰められそうなモノですのに…。」


「あー、それねー。後ろの人や、周りの人を見てみてよ。―ココが空いているのを変に思ってる顔、誰もしていないだろ?」


「―そう言われますと…、確かに。」


「俺達の気配が何となくあって、ココを空けるのが当然、みたいな気になるんだってさ。

 ホラ、偉い人や怖い人の前だと、気圧されて自然と距離を取っちゃうだろ? あんなカンジ。」


「そうだったのですか。」


「いやぁ、ファミレス…レストランとかに行くと、4人で行ったのに『5名様ですね』って案内されたり、

 4人で座ってるのに水の入ったコップが5つ出て来たり。

 ―そういう見えない誰かを感じている『心霊現象』があるとは聞いてたんだけど、実際、自分がその立場になるとはねぇ…。」


「―その様なコトが…。でも、何だか少し…嬉しいです。」


「嬉しい?」


「はい。こうして見えていなくても、今も尚、どこかでこの世と繋がっているのだと。

 ちゃんと何かは通じ合えるのだと。それが分かって、心細さが和らぎましたわ。」


「そんなモンか。」


「はい。―私達に気付いてくださって、ありがとうございます。」


綾乃さんは後ろに並んだカップルに頭を下げた。

そして、俺達の順番が回って来た。


「―やはり、私達の席が2人分、空いていますね。」


「係員も何となく、無意識に空けてるんだろうな。

 まぁ、並んでる人達には、行列の人数調整にしか見えてないし、そう思ってくれちゃうんだろう。」


「幽霊って凄いのですね。―では、失礼致します。」


「俺みたいなのが隣でゴメンね。」


「とんでもありません。大歓迎ですわ。―ところで、動き出したら、わたくし達、すり抜けて置いて行かれませんかしら…?」


「あー、それね。『そう思ったら負け』。」


「―と、仰いますと?」


「難しい話は後で。とにかく、生きていた時の感覚で、普通に座るイメージを持っていれば大丈夫だから。」


「―し、承知しました。」


ジェットコースターは動き出し、レールを登って行く。


「―な、何だか怖くなって来ました…。」


「綾乃さん、エレベーターは乗ったコトある?」


「―? はい。」


「電車には?」


「何度か。」


「なら、平気だよ。」


「―でしょうか?」


ジェットコースターはレールの頂点に達し、緩やかに走り出し、そして最初の落下を始める。


「きゃああああああああ!!!」


「うぉおおおおおおおお!!!」


が、俺の予想とは裏腹に、綾乃さんは大絶叫。俺もつられて大声が出る。

コースターは垂直に近いレールを勢い良く落ちて爆走する。更に、このコースターの目玉、2回転2回捻りのループ。


「京様ぁあああああああ!!!」


「ぬぐぅううううううう!!!」


そこから上下逆さまのままコースを滑って行き、錐揉みして横のループの連続。

トンネルに突っ込み、突破したと思ったら息をつく間も無く急カーブ。


これは、コイツは…、絶叫マシン大好きな俺でも、かなり来るモノがある。

手加減ってモノを忘れてるだろ、このコースターの設計者。『絶対、乗客泣かすマン』みたいな。


―コースターは無事に到着。

そこには、俺にガッシリと抱き付き、目を閉じてブルブルと震えている綾乃さんの姿が。


「ううう…。」


「あ、綾乃さん。も、もう終わったから。もう大丈夫だから。」


「―? ほ、本当ですの?」


「ホントホント。さ、手を離して。」


「い、嫌です! 離さないで下さいまし!」


「えー…。じゃ、じゃあ手はいいや。―立てる?」


「―え…、あ、ど、どうしましょう。こ、腰が動かなくて…。」


「―幽霊でも腰抜かせるんだ…。でも、このままだと、もう1周しちゃうよ?」


「そ、そんな! ご無体です!」


綾乃さんはガン泣き寸前だ。このまま2周目に突入したら、もう1回死んでしまうかも知れない。

そう思わせる程に怯えている。


「困ったな…。―じゃ、ちょっとゴメンね。―よっと。」


俺は綾乃さんを抱き上げる。俗に言う『お姫様抱っこ』だ。


「きゃっ!?」


「行くよー。」


ホイホイとコースター乗り場を離れ、出口を抜ける。そして、出たトコロのそばにあったベンチの前まで小走りで向かう。


「さ、ベンチに下ろすよ。―どう? 落ち着いた?」


「は、はい…。―怖かったです…。」


「うーん…。」


綾乃さんがここまで怖がったコトは、俺には予想外だった。


可能性は2つある。1つは、生前の温室育ちゆえ、

徹底的に怖いモノから遠ざけられて育った為、こういう乗り物に全く免疫が無かったか。

あるいはもう1つの…、


「―綾乃さん、生前にどこか高いトコロから落ちたコトは?」


「―いいえ。覚えがありません。第一、その様な危険な場所には、決して近寄らせてもらえませんでしたし。」


「だよなぁ。」


「―あ、でも…、いえ、関係ありませんわね…。」


「ん? 一応言ってみてよ。ヒントになるかも知れないし。」


「ええと、わたくしの母のコトなのですが…。

 お母様はスポーツ好きで、わたくしの生まれる前に、スカイダイビングを嗜んでおられましたわ。」


「はい、それだー!」


「え?」


俺は綾乃さんにビシッと指をさす。綾乃さんは、何のコトか分からないといった様子で、小首を傾げている。

俺は綾乃さんに説明する。


「すだまから聞いたんだけど、俺達、幽霊の持っている意識って、生まれてから死ぬまでに蓄積された経験が元になってるんだって。

 だから、死ぬまでに経験しなかったコトは上手く出来ないし、理解するのも難しいらしい。」


「そうでしたの…。」


「例えば、俺達の墓前にフランス料理をお供えに出されたとするだろ?」


「はい。」


「綾乃さんは食べたコトあるだろうから、味がキチンと再現され、認識出来る。

 でも俺は、そんな高級なモノ食べたコト無いから、味が全然見当も付かない。

『見た目が肉』だったら、俺の人生経験で食ったコトのあるモノの中で、近そうなモノの味、その程度でしか再現されない。」


「まぁ…、残念ですわ。」


「トリュフやキャビアの味なんて、俺には想像も付かないからね。きっと無味無臭じゃないかな。

 同じ紅茶をお供えされても、綾乃さんなら、シェフやメイドさんが淹れてくれた高級茶葉。

 俺ならティーバッグか、良いトコ喫茶店の味留まりだろうね。」


簡単に言えば、幽霊とは肉体が無くなった、生前の情報…データだけの存在なのだ。

だから、そのデータに無いコトは、そのアプリをインストールしてないスマホやパソコンと同じで、出来ない。


ただ、幽霊になっても見る、聞く、考えるは出来るのだから、学習は可能だ。

でも、それは肉体、特に経験データ保存のための脳が無い分、生きていた時よりもなかなか捗らないそうだ。


「お話は解りました。―でも、それがジェットコースターと、どういった関係が…?」


「俺、最初は、綾乃さんはそれ程怖がらないだろうって思ってたんだ。

 乗ったコト無いんだし、病弱だったから、激しい乗り物経験も無いだろうし。

 ―だから、エレベーターや電車程度の軽い『G』の掛かリ方で、再現されるだろうって。」


「あの時、お聞きになられたのは、そういう意味だったのですね。」


「でも、綾乃さんはとんでも無く怖がった。」


「はい。もう、ずっとどこまでも落ちていく感覚でしたわ。―あ!!」


「分かった?」


「―それって、わたくしがお母様の胎内にいた時の…スカイダイビングの経験、なのでしょうか?」


「多分ね。胎児って、実はお腹の中でも色々聞いたり感じたりしてるって言うしね。」


「……。」


「―綾乃さん?」


綾乃さんはジェットコースターの恐怖が、自分の胎児の頃に受けた経験の記憶だと分かると、目を伏せて、穏やかな表情になった。

そして、ゆっくり目を開くと、俺に言った。


「何だか、とても嬉しいですわ。」


「え? 怖かったのに嬉しいの?」


「はい。こうして死んでしまっても、お腹の中にいた時からの経験が残っている。

 ―わたくしという存在が、まだお母様と繋がっていられるコトが嬉しいのです。」


―あぁ、やっぱりこの子は、綾乃さんは良い子だ。俺は心底そう思った。

もしかしたら、天使なんじゃないかとさえ思えてくる。


「―そうだな。親子だもんな。特に母親とは血肉を分けたんだし。」


「並んでいる時もそうでしたが、私達のために場所や席を空けてくださったり、

 幽霊という空虚な姿になっても、いえ、なってからこそ、人の温もりを感じられたのです。

 こんな大切なコトに死んでから気付くなんて、皮肉なものですわね…。」


「みんな、きっとそんなモンだよ。家族って良くも悪くも空気みたいなモノだから。」


「そうかも知れませんわね…。」


何か、俺も親父やお袋の顔が見たくなって来た。

一人暮らしの果てに行き倒れてたんじゃあ、すっげぇ怒られるだろうなぁ…。


しんみりしていると、綾乃さんが何かに気付いて俺に言う。


「―あ、京様。もしかして、私達がジェットコースターの座席からすり抜けないのも、それが理由なのでしょうか?」


「え? ―あ、そうそう! あー、ヤバイ。『後でね』って言ったのに、忘れるトコロだった。

 そうソレ。そうなんだ。物をすり抜けるなんて経験は、生きてる時にはまずしたコトないだろうから、

 余計なコトを考えなければ、普通に座った時の経験がそのまま反映されるんだよ。」


「そういうコトでしたか。得心いたしましたわ。」


疑問が解けて納得顔の綾乃さん。すると、今度は急に違う話題を俺に振って来た。


「―ところで京様、先程のお話の通り、経験していない事柄は再現出来ない、というコトだと致しますと、

 わたくし、タピオカティーを味わうコトが出来ませんのね?」


「うん。あの感触はなぁ~…。―ま、もうブーム終わってるから、どこにも売ってないけど。」


「あら、まぁ! 流行遅れでしたの。わたくしとしたコトが…。うふふふ。」


「はははは。」


うん。『世間知らず』は、お嬢様にとっては必須スキルだよな。

綾乃さんは、コレで良いのだ!




「京様、この様な場所にピアノが置いてありますわ。」


遊園地でしこたま遊んだ綾乃さんが満足したというので、俺達は市街地を夜の散歩と洒落こみ、

駅前のオープンスペースまでやって来た。


「あぁ、コレね。誰でも弾きたい人が自由に弾ける様になってるんだ。」


「まぁ、音楽を身近にという粋な配慮なのですね。」


「綾乃さん、ピアノは?」


「大好きですわ。病弱でしたので、余りレッスンを受けられませんでしたが、人並みには嗜んでおりました。」


「―お嬢様の言う『人並み』って、どのレベルなんだろ…。」


絶対それって、俺みたいな1本指での『猫踏んじゃった』レベルじゃ無いですよね。

どこかの発表会に、胸張って出場が出来ちゃうレベルに違いない。


「京様にお聞かせ出来ないのが残念ですわ。」


「いきなり勝手にピアノが鳴り出すとか、それ、周りから見たらホラーだな…。あ、待てよ?自動演奏とか思ってくれるかな?」


「幽霊でも弾けたら楽しいのですけれど…。」


「うーん、ソレなんだけど、丸っきり無理ってワケでも無いらしいよ。」


「そうなのですか?」


「これもすだまに聞いたんだけど、訓練をすれば、幽霊でも物に触れたり持てたりする様になれるらしい。

 ほら、オカルトでポルターガイスト現象ってあるじゃん?」


「存じておりますわ。ひとりでに物体が動いたり、音が鳴ったりする怪奇現象ですわね。」


「アレは、そういう熟練した幽霊や、そういう怨念の篭った幽霊の仕業なんだそうだ。」


「まぁ、それは知りませんでした。でも、移動とか騒音ばかりでは楽しくありませんわね。」


「まぁ何だ、俺達幽霊は、生きてる人達に『死後の世界が楽しい』『死んだ方が良い』と思わせない様に、

 怖めに活動するコト、って決められてるからなぁ。」


「京様やすだま様にお聞きしましたコトですが、その様ですわね。

 ―でも、わたくしに人様を驚かせるなんて、そんな大それた真似が出来ますでしょうか…?」


「んー、綾乃さんは気品があって物腰が柔らかく美人だからなぁ。怖くないもんなぁ。」


「まぁ、京様ったら。そんなに褒められたら照れてしまいますわ。」


「いやいや、事実だし。―あ、むしろソコを推してみるってのも手だな。

 ―ホラ、怪談で出て来る牡丹灯籠とか、雪女とか、九尾の狐とか。みんな、すっごい美人揃いじゃない?」


「―京様、それって、どれも痛々しい女性ばかりではありませんか。」


「う!? ―た、確かに。綾乃さん向きじゃ無いか…。」


思わず俺と綾乃さんは吹き出した。


言われてみれば、これはみんな『男に取り憑き殺す』ってパターンだった。

あまりに美人過ぎると返って敬遠され、男からも女からも悪目立ちする、って言われるけど、

昔からそうした、近寄り難い程の美貌への妬みからの陰口が、こういった妖怪話になったのかもなぁ…。


―と、俺はピアノの鍵盤の蓋の上に置かれた札を見付ける。


「―あ、こりゃ駄目だ。」


「どうなされました? 京様。」


「コレ見てよ。」


その札にはこう書かれていた。

『使用禁止』


「ピアノが故障中、というコトなのでしょうか?」


「いや。迷惑だからヤメろってクレームが来たんだろう。で、その声に屈した結果さ。」


「迷惑…? ―あのぅ、申し訳ありません京様…。仰っている意味が、良く分からないのですが…。」


「いるんだよ、世の中には。音楽でも何でも、自分には騒音にしか聞こえないってヤツがさ。」


「まぁ!?」


「駅前コンコースだぜ? ここにずっと住んでるワケでも無いだろうし、どうせ通り過ぎるだけだってのにね。」


「音楽さえも楽しんで聴くコトが出来ない程に、その方の心は荒んでしまっているのでしょうか…。」


「世の中には、幼稚園や保育園の近くに引っ越して来て、子供達の声がうるさいとか言う馬鹿もいる位だからね。

 そんなの引っ越す前に分かってただろうに。後から来て何言ってんだ、ってハナシだよね。」


「理不尽ですわ…。わたくしには理解が出来ません。」


「俺にも理解出来ないよ。あぁいう連中に、綾乃さんの周りを思う優しさが、ちょっとでもあったらなぁ…。」


「ま、まぁ、京様ったら…。本当にお世辞がお上手ですのね…。」


「いや、本気だよ。綾乃さんと比べたら、自己中な奴等は月とスッポンだ。」


俺はマジでそう思った。綾乃さんは天使だ。天使並に優しい。

クレームばかりで生きてる余裕の無い連中に、彼女の爪の垢でも煎じて飲めと言いたい。




「―さて、次は映画でも観ようか?」


「まぁ! デートの定番と言われるアレですわね! ―でも、もう営業を終えてる時間では…?」


「いやいや、オールナイト上映というモノがある!」


「オールナイトですか!! その響きだけでワクワクしてしまいますわ!」


「確かに。人が寝てる時間に起きて映画観るなんて、いけないコトしてるみたいな気分、ちょっとあるよなぁ。」


「ですわね。」


「ただ、俺達にはポップコーンとコーラのオプションが無いのが残念だけどね。誰かお供えしてくれないかなぁ…。」


「まぁ、京様ったら! ウフフフ…。」




そしてオールナイトで恋愛物とヒーロー物の映画、計2本をハシゴして、朝になる。

こんなの普通なら、もうフラフラになるトコロだけど、幽霊となった今では、全然平気なんだから凄いよな。

俺的には『トイレに行きたい衝動と戦わなくても良い』というのが、最大のメリットだった。

これなら『戦艦ポチョムキン』でもノンストップで観られそうだ。―いや、それはソレで精神的にどこかでヘタレそうだな…。


そして午前中は公園を歩いたり、街で文字通りのウインドーショッピングをしたり、精力的に楽しんだ。

更に午後は、これもデート定番の水族館。


色んな魚を見て回っていた時、ちょっと面白いコトがあった。


「京様!! 京様!!」


「―え? あれ? 綾乃さん…どこだ?」


「こっちですわー!!」


「―うん? …えぇっ!?」


何と、綾乃さんは、巨大水槽の中から優雅に手を振っていたのである。


「あ、綾乃さん!? どうしたの、ソレ!?」


俺は水槽を挟んで、綾乃さんと向かい合う。綾乃さんは微笑んで俺の質問に答える。


「京様が仰られたコトを思い出したのです。ジェットコースターの座席に乗っても、置いていかれなかった時の。」


「―あ、あぁ、アレね。」


『物をすり抜けるなんて経験は、生きてる時にはまずしたコトないだろうから、

余計なコトを考えなければ、普通に座った時の経験がそのまま反映される』と言った、アレか。


「でしたら、逆に『すり抜けるモノだ』と思えば、すり抜けられるのではないか? と思いまして。」


「―で、やってみたら、デキちゃった、と…。」


「はい。水槽がとても綺麗で透明度が高いので、そこに何も無い様な気持ちで向かいましたら、出来ました。」


「スゲェな、綾乃さん…。」


すり抜けは幽霊なら誰でも出来るモノではあるけども、幽霊ガイドの指導無しで、いきなり出来ちゃったのか。

俺なんか、このすり抜けを会得するのに、すだまに猛特訓を受けても3日掛かったんだぞ。

まだ常識が邪魔をして、空を飛ぶドコロか、浮かぶのさえ難しいってのに。

綾乃さんは純真だから、思い込むパワーが普通とは違うんだろうかね…?


「期せずして、スキューバダイビングも体験出来てしまいました。」


「―綺麗だなぁ。こうして見てると、まるで人魚姫みたいだよ。」


「人魚姫…ですか。」


―と、綾乃さんは水槽の外に戻って来た。


「お、もう良いの?」


「はい。人魚姫のお話は、悲恋で終わってしまいますから。」


「―うん?」


綾乃さんは、意味あり気に微笑むだけだった。







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