老人と沖縄(1)
老体の身で、たまにうっかり〝やらかす〟ことがある。
視界が一転して目の前に天井が広がった時、彼は一瞬、何が起こったのか本当に分からなかった。
身体がふわりと浮いたのは、あっという間のことでしかなかっただろう。けれど、彼にはそれが一時の中の、長い出来事でさえあるように感じた。
「いってぇ……っ」
途端に重力が戻ってきた身体が落下したところで、腰の強い衝撃に初めて事態を察したほどだ。
彼は痛みに悶絶し、言葉通り床の上で苦しみもがいた。ただでさえ痛む左膝の関節が、腰から走る痛みと共に主張し始めたせいでもある。もう長い付き合いだ、お前のことはよく分かっているのだから、今くらい大人しく黙っていろよと彼は奥歯を噛みて叱りつけた。
家の中で、しかも障害物の一つさえ転がっていない廊下で転倒したのだ。
「若い頃は、こうじゃなかったってのにっ」
自分の責任だ。それが、より許せない。爆発しそうな憤りが腹の中で暴れ出したが、ふと覚えた虚しさや年への負い目などが彼を引き留めた。
痛みが鎮まるのを待って、彼は身を起こした。
その時、急かすような電話のベルが響き渡った。彼はむぅと下唇を突き上げたまま、玄関先の受話器を取る。
「ああ、分かってる、分かってるっ。今から行こうとしていたところなんだ!」
予想通りの相手からの電話に、再び苛立ちが募り始める。老人扱いしやがってと、彼は受話器を叩きつけ、財布をズボンのポケットに押し込んで家を出た。
左膝をかばうように町を歩く。
ふと、乾いた空気の変化に気づいた。蒸し暑いようにも思われた日差しの下で、しっとりと肌を濡らすような冷たい風が、シャツから覗いた彼の素肌に絡みついた。
通りを歩く人々を見れば、シャツ一枚で出歩いている者はもういなかった。
――そうか、もう季節も変わるのかと彼は思った。
彼は気難しい男のように眉間に皺を寄せたまま、肌着の上に重ね着た厚地のシャツの襟を立て、柔らかく吹く風に向かって歩いた。擦れ違う人、見掛ける人の全てが見慣れない顔立ちをしていた。
まるで異国のような地だ。彼は脇目も振らずに進んだ。途中、交差点でやや年上の女性に「いい天気ですねえ」と耳慣れた声と口調で話しかけられた時、彼はようやくホッとして肩から力を抜いたのだった。
那覇新都心、その銘刈にある内科に着いたのは、予約した時刻から数分を過ぎた頃だった。
この日も、彼が午前で最後の診察患者だった。待合席には支払いを待つ人が三人いるばかりで、外界の音や空気が遮断された清潔な室内には、ゆったりとした時間が流れていた。
「調子はどうですか? 膝の痛みは?」
難しい、独特な読み方をする名字を左胸にかかげた若い医者は、いつもと変わらぬことを彼に尋ねてきた。
かれこれ三年通っているが、彼はどうもその医者の名前を覚えることが出来ないでいた。親身な町医者である若い彼の方も、数十回と丁寧に名前を教えてくれるのだが、覚えてもらうことについては諦めている節もあった。
嫌々ながらも、彼は廊下先で転倒したことを告白した。すると医者は心底同情したような目を向け、同時に心配して触診も行った。
「少し、腰の方も診てみましょうか」
幸い骨などに異常はなかったが、医者は丁寧にシップを貼り、痛み止めを増やしておきましょうと言った。
「赤嶺さんのところへは、いつ行かれる予定ですか?」
「明日」
彼はぶっきらぼうに答えた。
「週に二回も通っているんだ。毎週火曜日と木曜日。すっかり身について、忘れるはずもない」
リハビリとして紹介された近くの整体だが、そこの院長である赤嶺とこの若い医者は、どうやら彼の診察の情報をやりとりする過程で仲が良くなったらしい。
なぜなら彼には、この若い医者があの日からめきめきと、整体に関する知識を身に付け始めているように思われてならないのだ。
「どうかね? 俺の推測は間違っているか」
苛々していた彼は、思わずそう指摘してやった。
ただ八つ当たりみたいなものだ。自分でも分かっていたから、そんな自分が嫌になってついぞ口を一文字に引き結んでしまった。
すると若い医者は、人のよさそうな彫りの浅い面長の白い顔に、柔らかな苦笑を浮かべただけだった。気遣われたのだと分かった。
「他の薬も、いつも通り出しておきましょう」
そうはぐらかし、細い指でキーボードを慣れたように叩いた。彼はなんだか身構えてしまっていた肩から、安堵と共に強張りが抜けて行くのを感じた。
どういう流れだったのかは覚えていないが、彼は一度、この若い医者から年齢を聞かされたことがあった。確か、自分が生きた年月の半分にも満たなかっただろう。
――それくらいに、彼自身が生きている証拠でもあった。
「ご自分を大切になさってください。急激な運動や、肝臓に負担をかける飲食も、控えるようにしてくださいね」
「……分かってる」
彼は無愛想に答えて席を立った。その四十と少しを過ぎた医者が、見送るべくニッコリと微笑んだ。
でも彼はどうすればよいのか分からず、別れ際に曖昧に首を傾けて診察室を出ただけだった。
彼がしばらく生きていた時代、沖縄がまだアメリカだった頃があった。
車道の通行は今とは逆向きで、車のハンドルもまた同じだ。看板は横文字が並び、土地のほとんどのところでアメリカ優遇の法律で支配されていた。
けれどそればかりではなく、当時は日本からも虐げられていた過去もある。
パスポートを持って海を渡った同胞達は、学びに行った大学や職場で差別を受け、皆ひどい境遇の中でぼろぼろになって沖縄に帰ってきたものだった。卒業までできた者は、強者だと称賛され、そして『よく頑張ったな』と心を込めて迎えられた。
あの頃は、どの家も兄弟が多かった。七人、多い時には十人もざらにあった。当時の人間の大半が、一人っ子を知らない時代でもあった。
彼は五人兄弟の末の子として生まれたが、働き詰めの両親が彼に構っている余裕はまるでなかった。
家事や育児については、十も年齢の離れた長男と次男が努めていた。食べ物が足りない時は、近くの店を何軒も回って野菜の先っぽや、廃棄するサシミの切れっ端を探したものだ。
両親が米軍の発砲事故で亡くなった年に、海に出稼ぎに出ていた次男が水難事故で死んだ。暴漢を止めに入った長男が撃ち殺された時、残された三人の兄弟はまだ十代だった。
どんなに年月が流れようと、彼は昔の空気を忘れたことはない。身体に刻み込まれた過去が、ふとした拍子に、彼に反省と思考と懐かしみを要求する。
彼は、銘刈にあるその内科を出た拍子に、強くそのことについて想い耽りたい衝動に駆られて、家とは別の方向へと足を進めていた。
「十分くらい待てば、一本ある、か……」
徒歩数分の距離にあるバス停で、時刻表をチェックした彼はバスを待つことにした。
やたら眩しい日差しが頭上から照りつけてくるので、彼は暑さを思い出し手で遮った。黄色く黒ずんだ、皺の多い節ばった手が目についた。流れ過ぎた年月が、待ったも無しに老いへとやってしまった手を、彼はしんみりと眺めずにはいられなかった。
そうしている間に、市内線のバスが予定時刻通りにやってきた。
ドアが開くのを待ちながら、ちらりと見やったところ、乗客は、口元をくちゃくちゃと動かす若い男と、ネクタイをやや緩めた薄毛のサラリーマン。化粧気のないそばかすの女性の三人だった。
――と、バスのドアが開いた。