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若きエリックの悩み

 





 少々緊張して登校したエリックは、誰もいない教室で一人ひっそりと息を吐いた。

 いつもは騒がしいこの場所も、今はしいんと静まりかえっている。朝の日差しが窓ガラスから半透明の淡い光となって、机や椅子を照らしていた。

 初めてこんなに早く登校したが、誰もいない教室というのは思いの外心を落ち着かせるものだ。


 エリックは日差しが当たる場所に座り、ほんのりとした温かさを感じながら教科書を開く。しかし、集中はできていない。視線はちらちらと扉のほうに向けていた。


 半刻ほど経つと、クラスメイトがぽつりぽつりと入ってきた。その少し後に、ゆるくカールした艶めく黒髪が視界に揺れる。リリアだ。入ってきて早々に目を合わせてしまったエリックは、ややバツが悪い。ぎこちなく微笑む。

 花がほころぶような笑顔を見せたリリアに、安堵した。


「エリック様、おはようございます」

「おはよう。今日はいい天気だな」

「はい、とっても!」


 先日の一件があってから、リリアは少し心を開いてくれたらしい。

 目が合ったエリックに、屈託のない笑みを見せてくれるようになった。


 以前までのぎこちない挨拶から打って変わって、今日は挨拶に会話を交えることもできた。天気の話題だけとはいえ、彼にとっては自分から話題を振った。めざましい進歩である。


 挨拶を終えたリリアは、いつもの通り一番前の真ん中に座る。


 ほら、僕にだってできるではないか。

 エリックは、友人との会話を思い出していた。





 昨日のことだ。

 唯一、リリアに婚約の解消を申し出たことを知るユリウスに、今のリリアは演技ではなく、本心から婚約破棄を願っていることを話した。

 恐らく、婚約の破綻のために今まで悪女を演じていたのだろうということも。



「えっ、お前、嫌われてたってこと?」



 ユリウスの言葉に、エリックは胸を抉られた。

 奥歯を噛み締めて衝撃に耐え、苦々しい顔で否定する。



「嫌われてはいない。婚約の解消を申し出た時、顔がかっこいいとか付き合ってほしいと言われた」


「ウケる。テンパってたんだろうな」



 ユリウスは手元の教科書をパラパラと眺めている。含みのある言い方だ。腹立たしい。

 エリックとて自身が嫌われているかもしれない可能性は散々考えているのだ。



 リリアを見た限りーー婚約の解消を申し出る前は見ていなかったがーー申し出後は、エリックを嫌っている様子はなかった。申し訳なさそうではあった。



 その様子が、もしも「あなたが嫌いすぎて悪女をしてました。ごめんなさい」だったらどうしようと考えるだけで、頭を抱えて悶えてしまう。

 今も内心のたうちまわりながら、自分を叱咤しているのだ。嫌われている可能性ばかりではない、真面目すぎるが誠実で努力家で素敵な人だと思う、と褒められたこともある。

 あの時、リリアは自分に気づいていなかったはずだ。本当にそう思ってくれてるのではないか。


 (いや、嫌いな男の長所を見つけようと頑張ってくれただけかもしれない……)



「思春期だな」


 ユリウスが笑っている。エリックの思考がダダ漏れなのだろう。

 この友人は、エリックが幼い頃からの友人だ。遠い親戚に当たるウィーズリー辺境伯家の次男で、寄宿組である。

 婚約者はいないが、常に恋人がいる。茶色の髪と瞳は茶目っ気があり、笑顔が可愛らしいと女性から評判だ。学外の恋人によるお願いで、最近では伊達メガネをかけている。可愛らしい嫉妬に付き合う優しさと、それをひけらかさない余裕があるのだ。



「エリックは婚約を破棄したいの? ……まあ、聞かなくてもわかるけど」


 ユリウスの言葉にエリックがため息をついた。



 今ではもう、破棄はしたくない。



 先日、リリアが自身の陰口を聞いてしまった時、怒る自分にリリアは大丈夫だと言った。明らかに強張った、傷ついた顔をしていたのに。

 その時、今の自分は彼女のために怒る位置にいないのだと思い知らされた。確かに、自分は彼女の友人ですらない。


 あの時、耐えきれず走り出した彼女は全身でエリックを拒否していた。いや、エリックを、というよりは全てをだ。もう嫌だと震える肩が言っていた。

 いつも気遣う彼女が、そんな余裕もなく泣いていた。


 望まれていないとは知りながら、下手な慰めをかけ続け、なんとか笑ってくれた彼女の顔を見たとき、本当にほっとした。

 もう二度と彼女を一人で泣かせたくない。傷つけられた時に怒れない彼女のかわりに怒る権利がほしい。


 今の彼女なら公爵夫人にもふさわしいし、結婚しても心地よい生活が築けるだろう。

 しかし彼女にとって自分は、「結婚したくない相手」かつ「婚約破棄を言い放たれた相手」だ。絶望しかない。




「……破棄しなければ、と思っている」


 何かに耐えるような友人の顔を見て、ユリウスが笑った。



「ま、頑張るしかないよな。俺はお前なら挨拶くらいは自分からできると信じてるよ」

「なんだそれは。挨拶どころか会話だってできる」



 明らかに馬鹿にしているユリウスに憤慨すると、ユリウスは声をあげて笑った。癇に障るがこの友人以外に相談先がないんだから仕方ない。

 さらに腹を抱えて笑うユリウスを恥辱に身を震わせながら睨みつける。




 物陰に隠れていた人物がその様子を見ていることに、二人とも気づかずにいた。






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