エリックは守りたい
今日もリリアは、一番前の真ん中の席に座っている。授業が始まる数分前から着席し、友人のリーナとくすくすと笑い合っている。真面目なものだ。
周りも見慣れたもので、ちらちらとその様子を窺う者も少なくなった。
リリアを目で追うことが日課となったエリックは、今日も横目でリリアを見ている。
考え事をしている時に耳を触る癖だとか、疑問に思ったときは僅かに首を右に傾ける癖があることだとか、歴史と文学の授業の時はより真剣に授業に集中していることだとか、そんなことまで知るようになった。
今日もエリックの目には、彼女が心のままに振る舞っているように見える。
(……そんなわけは、ないだろうが)
「あ、先生。私で良かったらその本、戻してきましょうか?」
歴史の教師はいつも授業の後に、用意してきた分厚い本を資料室に戻すように監督生へ頼む。心得ていたエリックが教師のそばに行こうとした時、リリアが自分から教師に声をかけていた。
「お、リリエンタールか。……これ、重いぞ?」
リリアがその本を持って、にっこり笑う。
「これくらいなら大丈夫です!」
リーナの手伝うよ、という声に大丈夫〜と明るく言って、そのまま行ってしまった。
(貴族令嬢にあれは、重いだろう)
特に資料室は遠い。本棚の背も高く、彼女一人で本を戻すには脚立を使う必要もある。
エリックは少し悩んで、リリアの後を追いかけた。
そうして久しぶりに会話をし、彼女はエリックとの婚姻を全く望んでいないことに気づいた。
◇◇
「お兄さま、顔色が悪いわ」
昨夜は考え事をしていてあまり眠れなかったエリックに、妹のシャロンが心配そうに声をかけた。
「試験が近くてね。ちょっと遅くまで集中しすぎた」
エリックは席に着き、朝食のサンドイッチを手に取る。
「エリック。最近、リリア嬢はどうだ」
父であるフォンドヴォール公爵がエリックに声をかけた。
思わぬ問いに、エリックが咽せる。
「これ以上評判が悪くなるようなら、婚約は解消するべきだ。元々あちらから言い出した縁談だというのに、あんなに素行が悪いとは」
あそこまで素行が悪ければ、あちらも文句は言えんだろう、と父が続ける。
「……最近は、以前よりも振る舞いが変わってきましたが。……様子を見てみます」
朝にすべき話ではない。
味のしないサンドイッチを、エリックは飲み込んだ。
登校のため馬車に乗り、エリックは考える。
一つの仮説が浮かんでいた。認めたくはなかったが、そうだとすれば辻褄が合う。
「リリアは俺と、婚約破棄をするために悪女の振りをしていた……?」
悪女だった頃は、リリアのことをよく見ていなかった。
なんて性悪なんだと嫌悪していたし、エリックは美しいだけの女性には興味がない。知ろうともしていなかった。
エリックの目には根っからの性悪に見えたが、実はあれこそが演技だったのかもしれない。
彼女は両親から溺愛されわがまま放題だったと聞いてるから、嫌な結婚はしないだろうと思っていた。しかし本当はあのように人の嫌がることを率先して行う彼女のことだ。親の決めた結婚に嫌だと言えなかったのだろう。
そこまで考えてエリックは頭を抱えた。
「……なんてことだ……」
本当はリリアは根っからの性悪だったし、エリックとの婚約も、肩書きと見た目が良くなければ嫌!と駄々をこねたリリアのためにリリアの両親が打診したものだ。そして好感度アップという下心のために人の嫌がる雑務をしているのだが、そうとは知らないエリックはすっかり自分の仮説を真実だと思ってしまった。
そうして、気づいた。
自分が今、人生で一番ショックを受けていることに。
「きっと彼女は、今までずっと、したくもない我儘をしていたんだな……」
そのために彼女は、本来であればできただろう友人との学園生活を棒に振り、素を曝け出している今でも生徒から遠巻きに見られている。
リーナという友人ができたことは僥倖だが、本来の彼女であればクラスの中心にいてもおかしくないのだ。あんなに愛らしく、美しく、朗らかで優しいのだから。
彼女に結婚を強いたリリエンタール侯爵家を始めとする、周りの大人たちが彼女の青春を奪ったのだ。
そしてそれは、気づかなかった自分もだ。気づかずに彼女を蛇蝎の如く嫌っていたのだから。
エリックは少々、一度自分の内側に入れた相手に対して熱くなりやすいところがあった。
そうして今エリックは、自分では気づいていないがリリアを自分の内側に入れてしまっている。
婚約の解消を、言えなかったのは今朝だけではない。リリアには言えなかったが、先延ばしにしていた。言えなかった理由は見えない振りをして、エリックは今まで辛い思いをさせてしまった薄幸の少女のためにできることはしようと固く誓ったのであった。





