リリアは安心してほしい
「地味に重いな……」
私は分厚い専門書を八冊、両手に抱えて資料室へ向かっている。先生からお使いを頼まれたのだ。
本来こういったことは監督生がやるべきことなのだけど、率先して人の嫌がることをやり、心を入れ替えたことを知ってもらおう大作戦を決行している私は、先生が監督生であるエリック様に頼む前に何かお手伝いはありませんか?と聞いている。エリック様への軽い罪滅ぼしも兼ねた一石二鳥の作戦だ。
しかし、今回はちょっと重かった。最初に持った時は「いけるいける」と思ったが、私のこの体は貴族令嬢、スプーンより重い物など持ったことがない。
この広すぎる学舎に苛立ち、両手の本がまるでダンベルに思えてきた。暑い。汗もかいてきた。一瞬立ち止まる。
やっぱりリーナに手伝ってもらえばよかったなあ。後悔していると、横からひょい、と手が伸びて私の手から本が取り上げられた。
「あっ……エリック様」
びっくりして見上げると、眉を寄せたエリック様が本を持っている。どうやら見るに見かねて助けてくれたみたいだ。
けれど私を見るといつも顰め面をするのはどうですか。こちらが悪いのですが、婚約破棄された側ですよ、せめて心の中だけで嫌って頂けませんか。
「こういった事は男の仕事だ。君が無理をすることはない」
「あ、いえ、私が自分から名乗り出ましたので……」
エリック様も見ていたはずだ。彼が頼まれる前に私が手を挙げたのだから。
「そもそも監督生の仕事だ」
「私が引き受けたことですから。一度引き受けた以上は自分でやります」
「……では、二人で行こう」
エリック様は私の手に、本を一冊置いてゆっくり歩き出した。私は慌てて後についていく。
「エリック様、そんな、悪いです」
「女性に重いものを持たせて平気な紳士はいない。こちらがハラハラするから持たせてくれ」
「ああそれはなんかもう……すみません……」
気まずすぎる沈黙が続く。
「今日はいい天気ですね」
「そうだな」
「明日も晴れるでしょうか」
「そのようだ」
これほどコミュ力が欲しかったことはない。リーナならばエリック様との会話も盛り上がるだろうに、天気の話しか話題がないとは。と思った時にはたと閃いた。ずっと聞きたいことがあったのだ。
「あの、エリック様。婚約の解消の件ですが、我が家にはまだ正式な通達がありません。進捗はいかほどでしょう……?」
エリック様の顔が見る見る強張っていく。お前なんかとの婚約を思い出させるなという顔なのか、進んでない現状に怒っているのか、どっちだろう。どっちもか。ごめんなさい。
「……すまない。まだ父と話もできていない。……その、父は忙しくて中々時間が取れないんだ」
絶句した。あれからもう三週間もたってるのに、会話する時間もないとは、公爵家当主はそんなに忙しいのか。侯爵である父も多忙ではあるが、毎日夕餉までには帰ってくる。
やっぱりそんなに激務な人を支えるのは無理だなあ、としみじみ思う。私は結婚したらできれば毎日夕飯は一緒に食べたいし、家族団欒の時間がほしい。
「まあ、それはそれは……お忙しいのですね……」
「そうだなすごく忙しい」
エリック様、急に早口。
「早く、お話できるといいんですけれど」
心からそう言うと、エリック様は驚愕した顔で私を見た。
「君は、早く解消したいのか?」
「それはそうですね。早いほうが嬉しいです」
どうせ破棄されるのなら早いほうがいいし、エリック様にも早く楽になってほしいし、あとクラスメイトと打ち解けたい。婚約破棄による親しみやすさアップ大作戦を試してみたい。
それに自分を嫌いな人と婚約してたい人なんていないだろう。リリアだって嫌だったと思う。自分を嫌いになる人はいないとたかを括ってただけだ。それはそれでおかしいけど。
「君は公爵夫人になりたいのではないのか?」
「別にまったく」
かつてはなりたかったのだろうけれど、今は全く興味がない私はきっぱりと否定する。
少しは安心できたでしょう、と軽いドヤ顔でエリック様を見ると、彼は絶句していた。どことなくふるふるしてる気がする。
ええ〜……ショック受けてる……。
「いや、あの、エリック様のお家が嫌とかそういうのではなくて、私にはとても務まらないという意味で。器ではないということです。もっと性格がいい淑女の鑑! のような人が良いのではないかと。もう私なんてほら、性悪ですし。あっ、心入れ替えたので、もう全然、婚約しなくていいです。本当です」
「……そうか」
やっぱり、立派なお家を背負う人には並々ならぬ誇りがあるんだろうな。感性が一般市民の私にはピンとこないけど、気をつけよう。
◇◇
資料室についた。この部屋は生徒が使うことはほぼないため、少し埃っぽい。
本を元の場所に戻していると、窓の外に金色に近い明るい茶色の猫がいた。窓枠にもたれて目を細めている。
「かっ……かわいい……」
思わずぽろりと本音が漏れる。
近寄ると危ないかな。触りたいけど、逃げちゃうかな。うずうずしながら見ていると、猫は視線がうるさいと言わんばかりの迷惑そうな顔をしていた。
「……猫が好きなのか?」
エリック様がぽつりと言う。私ははい、と笑顔で言った。
手の中の本を手早く戻しながら、何となく会話が許されるような気がして話しかける。
「エリック様は猫派ですか? 犬派ですか?」
「……僕は犬かな」
「それじゃあ犬と猫が一緒に私を撫でて、と言わんばかりに寄ってきても喧嘩せずにすみますね。私とエリック様がそれぞれ撫でればいいんですから」
「めちゃくちゃな状況だな」
エリック様が苦笑する。
でも、前みたいに心が痛むような笑い方ではなかった。
その事にちょっとだけ安堵する。
この優しい人のために、早くエリック様のお父さんの時間が空きますように、と祈った。





