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【番外編:ユリウス・ウィーズリー】人生最良の日を、どうか俺と

 




 ミルクティー色の、ふわふわの柔らかな髪の毛を見たらもうだめだった。

 ユリウスは後ろを向いている彼女を強くぎゅっと抱きしめ、ふわふわの髪の毛に顔を埋める。手に持っていた花束がくしゃりと恥ずかしそうな音を立てた。クロエが小さく息を呑む。彼女の髪の毛をかきあげると、小さな耳が赤くなっているのが見えた。


「……かわいい」


 そう耳元で囁くと、クロエの体が小さく跳ねた。それが愛しくて、思わず吐息を漏らす。


「好きだよ。俺を信じなくてもいいから、ずっと側にいて欲しい」


 自分の声が掠れていることに気づいて、込み上げてくる気持ちになんとなく泣き出したいような気持ちになった。もう祈ることしかできない。腕の中の彼女が、ユリウスの腕に恐る恐るそっと触れて、熱い息を吐く。


 彼女の声が届くまでのほんの一瞬の間。

 人生での一番の緊張感に眩暈がする。目眩の中、ゆらめく蜃気楼のようなかつての自分たちが見えた。



 ◇



 高位貴族の家に生まれ育ったユリウスは、自分の人生におおむね満足していた。


 次男といえども卒業後は辺境伯である父から爵位と領地の一部なんかをもらう予定で、このまま悠々と生きていくことを疑わずに生きていた。

 つまらないといえばそうかもしれないが、人生に於いて冒険はしない主義だ。したくなったら本でも読んで、お手軽な冒険をすれば良い。


 自分はこのまま卒業して爵位を得る。領地経営に精を出し、そのうち妻を持つだろう。幸いにも女性にはモテる。彼女が長く途切れたことはないが、不真面目な付き合い方はしない良識もある。それゆえ社交界の評判も悪くない。きっと相手には困らないだろう。


 相手の女性は話が合って、好感が持てて、家格が合えばそれでいれば良い。家格が低すぎれば父が難色を示すだろうし、高すぎるのは面倒だ。そんなふうに思っていた。クロエに会うまでは。




 ユリウスが古書店の店主であるクロエと会ったのは、一年ほど前のことだ。


 読書が好きなユリウスは、当時どうしても欲しかった、すでに絶版となった本を探していた。ありとあらゆるツテを探したものの古い本だしマイナーだしで、見つからない。

 王都のやや外れまで足を運んだが、空振りだった。諦めて帰ろうとした時、小さな古書店が目についた。


 ダメ元で建て付けの悪い扉を開くと、ギイイと軋む音がした。店内はやはり狭いが、たくさんの本が丁寧に綺麗に並べられている。大事にされて安心している本たちが、静かに呼吸をしているような。そんな錯覚さえ感じた。


 入ってきたユリウスを見て、ミルクティー色のふわふわ頭の店員は笑顔を見せずに「いらっしゃいませ」と言った。貴族とわかるだろう上等な服を着たユリウスを見て、冷やかしだと思ったのかも知れない。貴族は大体、他の立派な本屋に行くものだ。

 ユリウスが臆せず「すみません」と声をかけると、店主は訝しげな顔をした。若い女性だ。ユリウスより若いかもしれない。意思の強そうな眉に、くっきりとした二重の目。可愛い子だな、と少し思った。


「タレス博士の星の観察という本を探しているんですが……」


 まずこの本の著者を知っている人は、少ない。諦め半分で尋ねると、店主はびっくりした顔でユリウスをまじまじと見た。


「あ、無いなら良いんです。ただもし、ありそうな店をご存知でしたら教えて頂けませんか。どうしても読みたくて」

「あなた……お客様が読むんですか?」


 頷くと店主は何やら難しい顔で少し考え込んで、躊躇いがちに口を開いた。


「……一週間後に、いらしてください。ご用意します」


 まさか著者を知っているとも思わなかったユリウスは驚きつつも、頷いた。反面少し疑った。もしかして来週探したけれど見つからなかった、と言って手数料をせしめる気では。不信を胸に抱きながらその日は帰宅した。


 そんな半信半疑……いや、九割九分疑いつつも翌週訪れたユリウスは、渡された本に喜びを隠しきれなかった。


「本物だ……」


 渡された本はかなり古くて多少傷んではいるが、大事にされていただろうことが見て取れる。これを探すのは本当に大変だっただろう。何度も何度もお礼を言う。


「本当にありがとう。とても助かった」

「いえ。それではお会計を」


 にこりともせず提示された金額は、ごくごく普通……いや、希少性を考えたらかなり安い金額だった。


「え?……いや、手を尽くしてくれた分、手数料は上乗せしてください」

「必要ありません。たまたまツテがあっただけなので」

「いや、それでもこの本は貴重だから……」

「大事に読んで頂ければいいんです。これ以上は頂きません」


 ピシャリと強く言われた言葉に、しぶしぶお金を払った。欲が無さすぎる。


 ただ、『大事に読んでくれればいい』その言葉は、ほんわかとユリウスの心に沁みた。

 素っ気ないこの少女は、顔が可愛い。本に対する造詣も深そうだ。お礼もしたかった。丁度付き合ってた彼女とも別れたばかりで、気兼ねもない。だから本当に軽い気持ちで、でも珍しく少し緊張なんかもしつつ、口を開いた。


「ありがとう。本当に嬉しい。あの、お礼に食事でもご馳走させてもらえませんか」

「……お帰りください」


 大体の女性が満更でもない反応をする笑顔での誘いに、彼女はあからさまに不愉快な顔をして、拒絶した。


 その嫌がる顔を見て生まれた初めて味わう感情は、恋ではなかった。どちらかと言えば好奇心に近かった。

 この顔が笑顔に変わったら、どれくらい可愛いのかな。




 ◇



 建て付けの悪いドアをぎいい、と音を立てて開けると、ミルクティー色のふわふわ頭がぴくりと動いた。

 大きな瞳だけを動かして、警戒心を剥き出しにこちらを伺う様子は野生の小動物のようだ。目があった。天敵(ユリウス)だとわかり、あからさまに眉を顰める。


「嫌がる顔をしても可愛いなんて、クロエはさすがだね」


 声をかけると、彼女は顔を赤くして眉間の皺を深くする。

 その嫌がる顔さえ可愛いのだから、正直自分でもどうかしているなと冷静に思った。まあでも彼女は、表情よりは嫌がっていないような気がする。


 あの本の受け渡しから約三ヶ月。

 週に一度、土曜日の十一時。ユリウスはこの古書店に訪れる。毎週決まった日時なのは、ユリウス自身を強く意識してもらいたかったからだ。もちろん、もうすぐ十一時!と待ち遠しくなってもらうことが目標だったが、もうすぐ十一時……とモヤモヤしてもらっても、それはそれで、やや嬉しい。


 そんな風に毎週通っているうちに、少しずつ店主のことを知ることができた。

 名前はクロエ。歳は十八。ふわふわの茶色い頭は母親譲り。小さい頃に母は亡くなり、この古書店は去年亡くなった祖父から継いだもの。父はおらず、貴族……特に男の貴族が嫌い。


 ぐるりと小さな店の中を見回す。

 この古い小さな古書店には、あまり……いや、ほぼ人が来ない。

 だからユリウスは一時間程度は、心置きなくゆっくりと過ごすことができた。

 と言っても彼女の仕事を邪魔するのは本意ではないから、大人しく本屋を堪能するだけだ。


 本たちが静かに呼吸をしている静かで日がさすこの空間で、彼女の佇まいを感じるのが好きだった。

 時折彼女を盗み見たりはするが、おすすめの本を聞いたり、気になる本を探したりして、最後は一、二冊本を買って帰る。その時に前回買った本の感想を言うと、彼女は微妙に口元を緩ませる。時たま、クロエ自身の感想や考察を教えてくれたりもする。


(この一時間が、一週間で一番楽しい時間だよって言ったらどんな反応をするかな)


 剣呑な様子の少女を見る。間違いなく、鼻で笑うか嫌な顔で無視をするかどちらかだろう。なんとなくそれは嫌だった。

 だから何も言わずに微笑んで、仏頂面の彼女を目に焼き付ける。毎週毎週、その繰り返し。



 ◇


 日曜日は古書店が休みだ。

 部屋にいても彼女の顔がちらちら出てきて落ち着かない。こんな時は友人の家に行く。


「……何か最近楽しそうじゃないか?」


 昨日行った舞踏会で婚約者と揉めたらしい友人のエリックが、げっそりとした顔で言った。彼の婚約者は、とんでもない女だと聞いている。気の毒に。割と本気で同情しながら、出された菓子を口に放る。


「そうかな?」

「最近毎週出かけてるんだろう?学外に恋人でもできたのか」

「いや、別に。気に入った店ができた」

「ああ、この間言っていた店か。良い本を揃えているとか」


 疲れた顔のエリックは、「じゃあ僕も連れて行ってくれないか」と言った。気分転換をしたいらしい。


「……無理だ」

「なぜだ」

「日曜は休みだから」

「次の土曜でいい」


 エリックは一番仲の良い友人だ。今まで、付き合った彼女や気に入った店なんかは自分から連れ回していた。だが今回だけは、この無駄に顔が良いキラキラピカピカした男は会わせたくない。


「……だめだ」

「そうか。じゃあ馬にでも乗らないか。付き合ってくれ」


 あまり聴かれたくない雰囲気を察した友人は、何も聞かない。

 この友人のこういうところを見ると、クロエを見せたい気持ちと同時に、やっぱり連れて行きたくない気持ちが湧き出てくる。


胸に、得体の知れない靄がかかる。

振り払うかのように首を振り、馬小屋に向かう友人の後に続いた。










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