恋の盃/エリック
「じゃあ、エリック様は本当に私が好きなんですね」
頷いた途端、キラキラ輝くリリアの瞳が喜びに溶けた。
その変化を見て、どうしようもなく胸が締め付けられる。ああ、本当にリリアが好きだな、とエリックはぼんやりと思った。
自分の言葉一つで、こんなにも喜んでくれる。他でもないリリアが自分に心を揺らしてくれる幸せを、痛みに近い強さで噛み締めた。
「リリア、聞きたいことがあるんだ」
微笑みながら首を傾げるこの少女に、言わなければならないことがあった。
◇
「私が、婚約解消を、望んでいたのか、ですか」
リリアが目を見開いている。
寝耳に水、といったその表情にエリックの方が驚いた。
「そうだ。……解消を、望んでいなかったのか?」
「いやいやいや。私がエリック様と結婚したくないわけないじゃないですか!」
リリアの言葉に一瞬舞い上がるが、慌てて気を引き締める。
(では、僕の勘違いだったのか)
ぶんぶんと、手を振るリリアは憤慨している。当たり前だ。婚約解消を申し出られた挙句、お前の方が婚約を解消したかったのだろうと言われるなんて言いがかりにも程がある。
最低だ。エリックは自身の思慮の浅さを、深く恥じた。
「すまない……」
「エリック様、いつも私に謝ってばかりですよね……」
返す言葉がない。
「それにしても、何故そんなことを思ったんですか?」
「僕が婚約解消を申し出た後、君はとても変わっただろう? あれは何故なのか考えてみたんだ。最初は撤回を主張するために演技をしているのかと思っていたんだが、違うと気付いた。だから僕は君が婚約解消を狙って悪女の演技をしていたのかと……」
「突拍子がない……!」
項垂れる。リリアに関して、思い込みが激しくなると自覚している。
「それと君は……公爵夫人になりたくないと言っていた。婚約解消を申し出た僕への気遣いだったのかもしれないが、その当時はどうしても嘘に見えず……」
「……? あっ」
「いや、そんなことは問題じゃないんだ。全ては僕の思慮の浅さと勘違いで、君を傷つけてしまった」
そしてもう一つ、謝らなければならないことがある、と告げたとき、リリアが不安そうな顔をした。
自分が情けない。この会話が終わった後にも、リリアが自分を好きだと言ってくれるかどうか、エリックは自信が無かった。
「君に告げた婚約の解消だが、まだ何も手続きをしていない。それどころか、父にも伝えていないんだ。謝っても許されることではない」
暗澹たる気持ちになった。
自分から言い出したことを、手続きしていないどころかリリアに隠して、誤魔化していたなんて卑劣極まりない。お互いの一生を、いや、両家まで左右する大事なことだ。
リリアが自分と婚姻したくないと思い込んでいたなら、まずは何故そういう思いに至ったのか聞いてみるべきだった。リリアに負担をかけない話し合いもできた筈なのに、しなかったのは、怖かったからだ。
自分から解消しようとリリアに告げたくせに、リリアの口からあなたと結婚したくないと言われるのが、怖かった。
さすがにこれにはリリアも幻滅するだろう。そう思ってエリックが彼女を見ると、彼女はきょとんとした顔でエリックを見ていた。
「あ、婚約解消が進められないってそういうことだったんですね」
ふんふんと頷いていたリリアが、はたと気付いた。
「……まさかエリック様、私が好きだから婚約を解消したくなくなって、でも私が婚約を解消したいと思ってるから、どうにもできなくなったということですか?」
エリックは頷く。
リリアが「かわっ……!!」と言って顔を押さえた。
「何も問題ないです。むしろ、両思い……ふっふ、両思い、になった今、婚約が解消されてなくて本当によかったなって逆に感謝です!」
エリックは、困惑した。
「リリア、冷静に考えてくれ。僕は一方的に婚約の解消を宣言し、君を好きになったからと言って婚約の手続きをしないまま誤魔化していた。そうして君が告白をしてくれた後にようやく謝罪している、卑劣極まりない最低の男だ」
「そ、そこまで反省してもらえたらむしろ誠実だなとしか……」
「良心の呵責に耐えかねたことと、誠実なことは違う。誠実な人間は最初からこんなことはしない」
「そんなこと言ったら、私も以前褒めて頂いたような優しい人間ではないですよね……あんな振る舞いをした人間ですから……」
「えっ、いや、それは違う!」
しゅんと落ち込んだ素振りのリリアに思わず叫んだ。自分の愚かさを伝えたかっただけなのに、どうして彼女を傷つけてしまうのか。
「ならこの話は終わりです!」
有無を言わせぬ迫力で、リリアが言った。
「せっかく両思いになったんだから、こんな話はやめにしましょう! 甘い話をしてください、甘い話を!」
口を尖らせてむくれるリリアは、この世のものとは思えないほど可愛かった。心臓が鷲掴みにされるような感覚に身悶える。
正直、謝りきれていないというか、思った反応と違いすぎて戸惑っている。けれどもリリアが望んでいないことを無理に押し付けるわけにはいかない。時間を置いて、改めて謝罪しよう。
リリアが許してくれるなら、時間はたくさんあるのだ。
「……許してくれて、ありがとう。もう二度と、君を傷つけたり誤魔化したりしない。君が良ければ、僕の恋人になってほしい」
「もちろんです。大好きです!」
凝り固まった罪悪感が胸の奥に、決して消えない氷となって存在している。しかし、目の前の幸せそうに笑うリリアに心が満たされた。
神秘的な黒い瞳が濡れたように煌めいた。瞳の中に、喜びを隠しきれない自分が映っている。
目を離せないエリックに、リリアが少し悪戯めいた笑みを浮かべた。
「キス、しないんですか?」
心臓が止まりかけた。
「結婚する前に、そんなことは……」
「あれ、さっきされかけた気が……私の勘違いかなあ」
エリックは黙る。沈黙以外の答えはない。
リリアは満面の笑みを浮かべている。前から思っていたが、彼女はエリックをからかう時が一番楽しそうだ。
「キス、しかけましたよね?」
誤魔化さないと、誓ったばかりである。
「………………」
頷いた。
からかうリリアの声を聞きながら、自分は生涯彼女に勝てないだろうなと予感した。





