手のひらの温度/エリック
リリエンタール侯爵家につくと、空にたなびく薄い雲は茜色に染まり始めていた。
舞踏会は十九時から始まる。丁度良い時間だ。
一瞬、校門で待ってると騒ぎ立てたマーガレットが脳裏によぎるが、首を振って追いやる。知ったことではない。
応接室に通され、出されたお茶を飲んでいると、侯爵夫妻がやってきた。エリックは立ち上がり挨拶をする。
エリックに挨拶をする彼らは、記憶よりもずっと顔色が良く快活そうだ。そういえば、最後に会ったのはヒステリーを起こすリリアを、エリックが無表情で見つめていた時だ。二人は疲れきった顔で力なくエリックに謝罪していた。あの頃は、この夫妻の顔を見ることも嫌だった。
けれど今は、朗らかに笑う二人の顔にリリアの面影がよく見える。
「ご無沙汰しておりました。お元気そうで何よりです」
「エリック様もお元気そうで。娘のためにドレスを用意して頂いたこと、礼を申し上げたい」
「本当にとても素敵なドレスでしたわ。お気持ちが伝わってくるような。親のわたくしが言うのもなんですけれど、最近あの子がとても素直なのはエリック様のお力によるものだと、わたくしどもは本当に感謝しておりますのよ」
とんだ誤解だが、エリックは微笑んだ。
「とんでもない。受け取って頂けて光栄です」
出来上がったドレスも見た時、これを着たリリアはどれほど素敵なのだろうと想像した。
自分の色と、紋章を使ったドレスに自分の独占欲の強さを知る。婚約破棄が前提であるというのに、こんなドレスを贈られてリリアは引かなかったろうか。今更心配だ。
「エリック様、ご機嫌よう」
鈴が鳴るような愛らしい声が聞こえてきて、エリックは視線を向けた。
現れた想い人に、息を呑む。
ふわりとした金のドレスを纏うリリアは、光輝く精霊のようだ。
真っ白なデコルテにはシミ一つない。レースでできた袖がリリアの細い腕を隠しながらも清楚さを演出し、動くたびに光が反射しキラキラ輝く胸元と裾の宝石が眩しかった。
編み込んで結い上げた黒髪には百合の生花が飾られ、イヤリングとネックレスは希少なパープルカラーのサファイアが使われている。
長い睫毛が縁取る瞳は驚いたように見開かれ、上気した頬は薔薇色に染まっていた。
「エリック様……すごく……かっこいいです……!」
リリアから漏れた素の声に、エリックは思わず動揺する。今日のエリックは正装に合わせ前髪を後ろに流してきた。いつもと違う雰囲気では、ある。しかし褒められるとは思わなかった。
「ありがとう。……君も、綺麗だ」
お互い、何となく照れる。
そんな二人を生温い瞳で、侯爵夫妻が見つめていた。
◇
王宮に着くと、たくさんの人で賑わっていた。久しぶりに二人で訪れた舞踏会は、挨拶しなければならない人たちがたくさんいる。息をつくヒマもなく挨拶に周っているが、リリアは疲れた様子も見せずそつなくこなしていた。
興味深そうにリリアを見る者も多い。ある種有名人だった彼女が大人しくなったという噂は、広まっているようだ。
その視線にも気付いているだろう、時たま手が震えていた。しかしリリアは侯爵令嬢として凛々しく、優雅に振る舞っている。
自分が思うよりもリリアはずっと自立している女性だと、何度も気付かされる。
そんな彼女を愛おしく、誇らしく思った。
(けれども不躾な態度からは、絶対に守る。守られてると気づかれないように)
挨拶がおおよそ終わった頃、ファーストダンスの音楽が流れてきた。
「どうぞ、美しい方。僕と一緒に踊って頂けませんか」
エリックが微笑んで冗談混じりにリリアを誘うと、緊張に強張っていたリリアの顔がふわっとほころんだ。
エリックが大好きな、花のような微笑みだ。
「ええ、ぜひとも踊ってください、素敵な方。……下手ですけど」
ほんの少し緊張しているリリアの手をとる。大丈夫だという気持ちをこめて、ゆっくりエリックがリードすると、踊りやすいのかリリアが安堵の表情を見せた。
「エリック様と一緒だと、とても踊りやすいですね、ちゃんと踊れている気がします」
「男側の力量は大事だからな……誰かと踊ったのか?」
「執事のマルケルと。何度も足を踏んでしまいました」
ほっとする。と同時に、あの厳しい表情の執事が足を踏まれている姿を思い浮かべて笑ってしまった。
「大丈夫、上手に踊れてる。君は本番に強いんだな」
「エリック様は、本当に褒め上手です」
照れたように視線を逸らすリリアは、頬がほんのり赤い。
ダンスのターンに合わせて揺れるドレスの裾の宝石がきらきらと輝いている。髪に飾った百合の香りも強く香って、体が甘く痺れるくらい、幸せだった。
腕を覆うレースから覗く肌色が、官能的だ。重ねられた手のひらが柔らかい。けれど強く握り、踊っているうちに肌と肌の境目が溶け合ってわからなくなるような、そんな錯覚も覚えた。
「エリック様と踊れて、良かった」
目を合わせてはにかむリリアが愛しくてたまらず、自然と笑顔がこぼれる。腕の中にいる時間が、このままずっと続いてくれたらどんなに良いだろうか。
「僕もだ」
エリックが答えると、リリアが僅かに目を丸くして、甘く笑った。
幸せな夜が始まった。
次回、エリックの嫉妬回です!





