リリアのハンカチーフ
厄日だった。
朝、お気に入りのハンカチをどこかで失くしてしまったことに気づいた。白いレースに金の縫い糸で、私のイニシャルが刺繍されているハンカチは、お母様が刺繍してくださったものだ。
もしかしたら学園に落としているかもしれない。探してみよう。ため息をついて、制服に着替えた。
登校して教室に向かおうとすると「今更取り繕ってももう遅いのにお気の毒」という声が聞こえてきた。他にもヒソヒソと聞こえる言葉に、どうやら私のことらしいと気づく。
ちら、と視線を向けると何人かの生徒が一瞬怯んだが、すぐに嘲笑するかのような表情を浮かべた。
一応私は侯爵令嬢なので、距離は置かれていたが面と向かって敵意を向けられたことはあまりない。びっくりした。
多分、昔、リリアが小馬鹿にした態度を取った子なのだろう。
思い出そうにもリリアは全方向、いや、自分より立場が弱い人に対して天上天下唯我独尊、傲慢不遜な女だった。日常だったので記憶に全く残ってない。ごめんなさい。目を伏せて会釈してその場を後にした。
久しぶりに、心がちくちくする。
教室につくと、エリック様とすぐに目が合い、挨拶をしてくれた。私も笑って挨拶をしたけど、何故かエリック様が眉を顰める。
「具合でも悪いのか? 顔色が優れないようだが……」
「えっ、いえ、何とも。元気です」
「隠さなくてもいい、それとも誰かに何か言われたか?」
イケメンは心でも読めるのか。
「違います! 実はお気に入りのハンカチを失くしてしまったみたいで……お母さまが刺繍してくださったものなので、すごく残念で」
これ以上心を煩わせてしまうのは申し訳ない。
慌ててそう言うと、エリック様がほっとしたように息を吐いた。
「そうか。……ハンカチ、落とした場所に心当たりはあるか? 僕も探そう。どんな色だ?」
控えめに言って天使じゃん……。
大天使エリカルの優しさがささくれた心に沁みる。申し訳ないので丁重に断ったが、心がほんわか温かくなった。
◇◇◇
「リリア・セイ・リリエンタール様」
ハンカチの落とし物が届いていないか聞くために事務室に向かう途中、後ろから可愛らしい声が聞こえてきた。
振り向くと、桃色の髪に丸く大きな瞳の、小柄な子が立っていた。小柄で、どことなく小動物を思わせる。しかし、その桃色の瞳に隠す気もなさそうな敵意が滲みでていて、私はたじろいだ。
「……性格変わったって本当なのね……ちっ」
こんなにかわいらしい子が、舌打ち。
慄いているとその子は「バグかよ」とか「面倒くさ」とか「予定狂うわ」とかぶつぶつと呟いている。なんかこの学園では全然見ないタイプだ。悪態をつかれていることはわかるが、内容がよくわからない。
しかし、彼女が次に放った言葉に衝撃を受けた。
「性格変えたって、エリック様に相手にされるとか思ってます? 彼、他に好きな人がいますよ。その人もエリック様を好きです」
エリック様に、好きな人?
どくん、と心臓が嫌な音を立てた。
「時期が来て、彼が自覚さえすればあなたはお払い箱です。精々今のうちに婚約者気取りしてればいいんじゃないですか?」
青ざめて言葉を失った私に気をよくしたのか、彼女がにっこりと微笑む。
「じゃ、そういうことなんで」
たたたっと走る彼女の姿を見送った。
「好きな人、かあ……」
エリック様が好きな人は、エリック様を好きだと言った。それは当たり前だ。
あれだけ素敵な人だから、彼を好きにならない女の子なんていない。
というか、恋愛とかそういう感情があったんだ。あまりにも真っ直ぐで良い人なのでそういう俗っぽい感情とは無縁だと勝手に思っていたけど、好きな人がいるなら安心だ。
きっと彼は、恋人には特別優しいのだろう。嫉妬したり、愛おしく感じたり、きっと私には見せない顔を見せるのだろう。
彼女の言葉が本当という保証はないけど、事実だとしたら、逆に嬉しい。喜ばなければ。
好きな人に愛されたら、きっとすごく幸せだろうから。
「あ、おかえりリリア。ハンカチあった……って、え? 何かあったの?」
結局事務室にはいかず、何も考えずに教室に戻ってきてしまった。
思いきり無表情の私を見て、驚いたリーナが私の頬を引っ張る。
「なんか、モヤモヤする……壁とか殴りたい」
「落ち着けリリア。内なるリリア様に負けないで」
リーナが私の口にチョコを入れる。
「……甘い」
「どんどん食べな」
チョコがわんこそばのように詰め込まれていく。
口の中で溶けていくチョコさえも腹立たしい。乱暴に噛み砕いた。
心臓がきゅうっと苦しい。
胸が詰まって、ヒリヒリする。
彼女の言葉が本当かはわからない。
嘘だとしても、絶望しかない。
知りたくなかった感情に、気づいてしまったかもしれない。
好きになるだけで、困らせる人を好きになってしまったかもしれない。
「リリア? 大丈夫?」
リーナが心配そうに顔を覗き込む。
「ごめんね。大丈夫、なんでもない」
私は自分に言い聞かせるように、笑顔を作った。





