37.奈落の王
――<奈落の底>最奥部のボス部屋。
アトラスとアニスがその扉を開けると、待ち構えていたのは、骨格が浮き出てきて鎧のようになった竜だった。
アニスがスキルでボスの名前を確認すると<奈落の王>の名前が与えられていた。
他のダンジョンでは見ない、ダンジョン固有のユニーク・ボスである。
<奈落の王>は、アトラスたちをその両目で認めると、低く咆哮して地面を震わせた。
――Sランクボスとはレベルが違う。
間違いなく、SSランク!!
通りで、ダンジョンから生きて帰った者がいないわけだ。
「アトラスさん、奥にもう一つ門があります!」
と、アニスが<奈落の王>の後ろを指差す。
確かにそこには門があった。
今は閉ざされているが、ボスを倒せば開くはずだ。
「……やっぱり、倒すしかないみたいだね!」
「はい!」
アトラスは、アニスが圧倒的なボスを前にしても、冷静に周囲を観察していることに勇気付けられた。
二人なら勝てる。そう思えたのだ。
「はぁぁッ!!」
アトラスは自分から切り込んでいく。
すると無防備なアトラスに<奈落の王>は、黒い炎を吐き散らかした。
獄炎によって、アトラスのHPはごっそり削られる。
だが、その攻撃は倍になって主人の元へと帰っていくのだ。
「“倍返し”ッ!!」
アトラスのスキルによって、獄炎の炎は二倍の威力で<奈落の王>に帰っていく。
業火が竜の肢体に襲いかかり――
だが、次の瞬間。
<奈落の王>の体が青白く光り炎を遮った。
「――効かないッ!?」
アトラスは想定外の展開に驚く。
<奈落の王>のHPは全く削られていなかった。
「アトラスさん! 相手は結界を纏っています!」
――結界は、ある一定以下の攻撃を無効化する。
だが、<奈落の王>のそれは規格外だ。
SSランクボスの二倍の攻撃をもはねかえすのだから。
「これはまずいな……」
このボス相手にはアトラスの“倍返し”は効かない。
結界の防御力が、<奈落の王>の攻撃力の二倍よりも大きい。
そうなると、どれだけ“倍返し”しても、全て結界に弾き返されてしまう。
攻撃を通すためには結界を破る必要があるが、それが“倍返し”では望めない。
“倍返し”が効かないと見ると、一転してアトラスはディフェンスモードに入る。
そして、HPが減ったアトラスの代わりに、アニスが前線に入ってきて<奈落の王>の注意を引きつける。
その間にアトラスはポーションで回復をしつつ、作戦を考える。
……と言っても、彼が取れる作戦は一つしかない。
考える余地はなかった
問題は、それが有効になるまでなんとか持ちこたえられるかだが――
しかし、迷っている余裕はなかった。
「アニス! 後衛に戻って!」
アトラスが叫ぶと、アニスは指示通り後方へ下がった。
代わりに再びアトラスが前線に行く。
<奈落の王>は再び炎の広範囲攻撃をアトラスに浴びせてくる。
アトラスはその攻撃を正面から受け止める。
「――ッ!!」
その圧力に吹き飛ばされそうになるが、なんとか踏みとどまる。
そしてアトラスは自動で発動される“倍返し”を――――あえて封じ込めた。
実は“倍返し”自体は反射的に発動するが、自分の意思で攻撃を止めておくこともできるのだ――
そして業火がやんだ瞬間、後方のアニスに指示を出す。
「とにかく時間を稼ぐから、HPが減ったらヒールを打って!!」
「は、ハイ!」
アニスは言われた通り、アトラスにヒールを打つ。
そしてアトラスは、今までとは違って自分から突っ込んで行くことをせず、<奈落の王>が動くのを待つ遅滞作戦に切り替えた。
<奈落の王>は今度はその大きな翼を広げて、それをそのままアトラスに向かって振りかざした。
アトラスはかわそうとするが、巻き起こった風圧によってバランスを崩し、そのまま直撃を受ける。
「――!!」
だが、今度もやはり“倍返し”は使わない。
いや――本音を言えば、使えないというのが正しいのだが――
アニスはそれを見てすかさずヒールを打つ。
なぜアトラスが“倍返し”を使わず、時間を稼いでいるのかはわからなかった。
だがアニスは、アトラスが無策でただただ敗北を待っているとは決して思わなかった。
説明する時間がないだけで、逆転のための何かがあるはず。
だから、アニスは指示通りにアトラスにヒールを打ち続ける。
――だが、戦いが長期化するにつれて、<奈落の王>は「苛立ち」を露わにした。
鼻息が荒くなり、攻撃にもより力が入る。
アトラスが攻撃を受けるたびアニスはヒールをかけて行くが、いよいよMPがなくなってきた。
「アトラスさん! もうMPがッ!!」
アニスがそう言うと、アトラスは後方にジャンプして<奈落の王>と距離を取る。
「……ごめん。ポーションで回復するから、少しだけでいいから時間を稼いでくれる?」
体力が減ったアトラスはそうお願いし、アニスは二つ返事で前線へと飛び出していった。
<奈落の王>はその鋭い爪でアニスへと襲いかかる。
「はぁぁ!!!」
渾身の力で刀を振り抜き、<奈落の王>の打撃を迎え撃つ。
「――ッ!」
冒険者として高い力量を持つアニスだったが、さすがにSSランク相手では敵わない。
完璧に力負けして、弾き飛ばされてしまう。
だが、アニスは仰け反りが解消されるなりすぐに立ち上がり、再び立ち向かって行く。
――しかし、再び弾き飛ばされる。
そしてそれによってアニスのHPは、一気にレッドゾーンに突入する。
アトラスほどHPがないアニスは<奈落の王>の攻撃を3度耐えることはできない――
しかも今度は<奈落の王>の近くに叩きつけられたせいで、敵が動き出す前に立ち上がることができなかった。
怒り狂った<奈落の王>の攻撃が迫る。
ポーションで回復する時間はなかった。
――ここまでか。
不思議と恐怖心はなかった。
大好きな人と一緒に死ねるなら本望――――
――全てがゆっくりに感じられた。
迫ってくる<奈落の王>の鋭い爪も、簡単に避けられそうなほど遅く感じる。
だが頭がそう感じているだけで、体はリンクしていない。
事実、体を動かそうとしても、すぐに反応しない。
<奈落の王>の爪が届くまでに避けることはできないだろうとわかった。
これは神様が与えてくれた、死ぬ前の時間――
――アトラスさん、さようなら。ありがとう。
そう告げて。
そしてこの世に悔いはなく…………………………………………………………
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だが、次の瞬間。
「――――“倍返し”!!!!」
響くアトラスの怒号。
アニスの見る世界は、再びスピードを取り戻す。
アニスと<奈落の王>の間にアトラスは割って入ってきて、そして攻撃を受けたわけでもないのに“倍返し”を使って見せた。
<奈落の王>の結界がアトラスの倍返しを遮る。
しかし、結果は何度やっても同じ――にはならなかった。
「グャァァァッ!!!!」
アトラスの倍返しの剣は、<奈落の王>の結界を粉砕して、初めてその本体に到達したのだ。
「結界を破った!?」
アニスはありえないと思いつつ、好機だと言うことをすぐに理解した。
ポーションでHPを回復し、再び<奈落の王>に斬り込んでいく。
今度は結界がないので、ちゃんとダメージが通る。
「ギァァ!!!」
怒り狂った<奈落の王>の刃がアニスに襲いかかるが、それはアトラスが身代わりになって受ける。
――再び、倍返し。
それが決定打となった。
結界に守られている分、<奈落の王>の素のHPと防御力はそこまで大きくなかったのだ。
「グァァァァア」
<奈落の王>はひときわ大きな咆哮を上げてから倒れ込んだ。
巨体が倒れたことで、あたりを大きく揺らした。
「か、勝った?」
アニスは目の前の光景が信じられずに思わずそう呟いた。
「うん、勝ったよ」
アトラスがその事実を確認すると、アニスは思わず彼に抱きついた。
「や、やった! これで帰れるんですね!! 一緒に!」
「う、うん……」
突然年頃の女の子に抱きつかれて困惑するアトラスは、それまでの勇ましい姿が嘘のように棒立ちになる。
とアトラスのあまりの無反応さに、アニスもハッとしてアトラスから離れる。
「……す、すみません」
「いや、別にいいんだけど……」
むしろ得をした感じだ。
アトラスは顔に出ないように心の中でそう呟いた。
「で、でもなんであの時攻撃を受けていないのに“倍返し”が使えたんですか? しかも結界を破れるほど威力があったのはいったい?」
アニスは赤くなった顔を誤魔化すようにアトラスに尋ねる。
「あんまり使わないんだけど、“倍返し”は任意発動なんだよ」
「確かに、トニー隊長の暴発とかをアトラスさんが体を張って防いでましたもんね」
そのことを理解してくれている人がちゃんといたのかと、アトラスは少し感動する。
「“倍返し”のカウンターをするまで貯めておけるんだよ。しかも、貯めておくと、その倍返しをした時には“利子”付きで威力が高まる。俺は勝手に“借金返し”って呼んでるんだけど」
「そんなことができたんですね!!」
「でもまぁ、貯めてる間は他の攻撃を受けても倍返しできなくてやられっぱなしになっちゃうから、あんまり使わないんだ。今回はたまたま役に立った。それも、アニスがちゃんと時間を稼いでくれたからだね。アニスとじゃなかったら勝てなかった。本当にありがとう」
「と、とんでもないです……。とにかくアトラスさんに言われた通り、信じてやっただけです」
――――アニスはそう言った後、自分で恥ずかしくなって俯いたのだった。
「さて……早速外に行こう……と言いたいところだけど、MPももうほとんどないし、ちょっと休憩していこうか。ボス部屋なら安全だし」
「はい!」
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