35.人質
<奈落の底>と呼ばれる大穴があるダンジョン。
既にダンジョンボスは倒されており、魔物もほとんどいない。
アトラスは全速力でそのダンジョンを駆け抜ける。
アニスをさらったのが誰かはわからないが、アトラスを罠に嵌めるためにしたのは間違いない。
それでも、アトラスは自分に迫る危険などどうでもよかった。
とにかく、アニスを救わなければ。
その思いだけに突き動かされて走る。
――そして30分ほど全速力で暗がりの洞窟を走っていくと、目的の場所にたどり着いた。
少し坂を降っていった先に、わずかに松明で照らされた場所が見えてくる。
そこが大穴と呼ばれる場所だった。
家の敷地が5個は入るほどの穴がぽっかり空いていて、その先は真っ暗で一体どこまで続いているのかわからない。
そして、その手前に一人の男がいた。
――その顔は、アトラスにも見覚えがあるものだった。
「ぎ、ギルマス!?」
そこにいたのは、<ブラック・バインド>のギルドマスター、クラッブその人だった。
「良くきたな、アトラス」
笑みを浮かべて呼びかけるクラッブ。
その足元には手足を縛られたアニスの姿があった。どうやら意識を失っているらしかった。
「どうしてあなたが――」
アトラスもさすがに彼のことを善人だとは思ってはいなかったが、まさか元部下を誘拐するほど腐っているとは思いもしなかった。
その蛮行に至った理由をクラッブは吐き捨てるように言う。
「なぜ? 簡単だよ。目障りなお前を殺してやるためさ」
アトラスは、その動機が全く理解できなかった。
確かに<ブラック・バインド>では、散々無能と罵られていたが、しかし殺されるほどの恨みを買った覚えは全くなかった。
「お前のせいで、SSランクダンジョン攻略の受注を取り消された。王女様と謀って、俺に恥までかかせたんだ」
「そんな、謀ってなんて……」
「嘘をつけ! じゃなければ、お前が俺に勝てるわけがないだろう!」
クラッブの中で、アトラスがズルをして決闘に勝ったという話は、もはや事実になっていた。どんなに無理のある陰謀論であっても、自分に都合がよければ信じてしまうのが弱い人間の常だからだ。
「とにかく、お前さえいなくなれば全て解決なんだよ。だから死んでもらおう」
と、そう言ってクラッブは足元に転がっていたアニスを持ち上げる。
「さぁ、大穴に飛び込め、アトラス。さもなければ、代わりにこの女を穴に落とすぞ」
アトラスは頭をフル回転させ、アニスを助ける方法を考えるがいい方法が全く思いつかない。
アトラスの低いステータスでは、どうあがいてもアニスを奪い返すのは不可能だ。
アトラスの<倍返し>は、敵から攻撃を受けなければ無力なのだ。
「なんだ? 自分からは飛び込めないか? なら仕方がないな――」
――そう言い、クラッブは勢いをつけてアニスの体を大穴の方へと投げ入れた。
次の瞬間、アトラスは一も二なく地面を蹴っていた。
「――――ッ!!」
放物線を描いていくアニスの小さな体を追いかけ、その下に入るようにして大穴に飛び込む。
――すんでのところで、アニスの体をキャッチする。
だが、その先に当然地面はない。
重力によって、大穴に吸い込まれていくアトラス。
「ははッ! バカなやつだな!!」
クラッブの笑い声が大穴にこだました――
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