33.誘拐
――その夜。
自宅の庭で訓練に汗を流していたアニスの元に、突然の来訪者があった。
「ぎ、ギルマス!?」
アニスの元に現れたのは、他でもない<ブラック・バインド>のギルマス、クラッブだった。
「久しぶりだね、アニス君」
クラッブはそう言って笑みを浮かべる。
アニスはトニー隊長がクビになった直後に<ブラック・バインド>を辞めていたが、クラッブと会うのはそれ以来だった。もう一生関わることはないだろうと思っていたので、突然現れた彼を見て驚く。
「今日は一体なんの御用で?」
怪しむアニスに対して、クラッブは真剣な表情を浮かべて答える。
「実はアトラス君のことで、君にお願いしたいことがあってね」
「……アトラスさんの?」
アニスがこの世で一番尊敬する人物の名前がでてきたことで、アニスは一気に前のめりになる。
「ちょっとご飯でも食べながら、お話できないだろうか」
「ええ、わかりました……」
他の話なら断っていたが、アトラスの話となるとアニスとしては聞かないわけにはいかなかった。
アニスはクラッブに引き連れられ、少し歩いたところにある高級店に通される。
アニスは個室に通され、クラッブと向かい合って座る。
「正直に言って、アトラス君にはすまないことをしたと思っている」
クラッブは席に着くなり、謝罪の言葉を口にした。
アニスは黙って言葉の続きを待つ。
「彼がいなくなって初めて、我がギルドがどれだけ彼に助けられていたかを実感したんだ」
――その言葉を聞いた時アニスは「ようやくか」と思った。
<ブラック・バインド>がここまで急成長してこれたのは、全てアトラスの活躍あってのことだ。
それはずっとアトラスのそばで彼の活躍を見てきたアニスにとっては、あまりにも当たり前のことだったが、
他のメンバーはそれを理解していなかった。クラッブ、トニー、コナンと誰もアトラスの功績をちゃんと評価する者は今までいなかった。
しかし、ようやく改心したのか。
「もう彼に<ブラック・バインド>に戻ってきてくれと言うつもりはない。だが、彼に謝って、お礼がしたいんだ」
クラッブの言葉に、アニスは心の中で安堵のため息をついた。
彼らのことは、人間としてどうしようもない人たちなのだと思っていたが、ようやく改心したのだ。
「どうだろうか。私たちがアトラス君に謝罪と感謝を示す機会を得るために、一つ君の助けを借りれないだろうか」
「そこまでおっしゃるなら、もちろんです」
「よかった。では今日のご飯はそのちょっとしたお礼だ」
アニスとしては、どんなに美味しい料理でもクラッブと一緒に食べたいとは思わなかったが、しかしアトラスに謝りたいと言ってくれたことで、少し印象が良くなっていた。
そんな相手の申し出を断るのも気が引けたので、仕方なく付き合うことにした。
少ししてから料理が運ばれてくる。
クラッブは運ばれてくるなり、すぐに料理を食べ始めた。
「ここの料理はなかなか美味しいんだ」
アニスもそれを見て料理に手をつける。
確かに美味しい――
クラッブと雑談するのにいい話題なんて何もなかったので、沈黙をごまかすために、続けてもう一口料理を食べる。
――だが。
「……ん?」
次の瞬間、アニスは強烈な眠気に襲われた。
まぶたが重くなり、抗うことができない。
意識が遠のいていく――
そして意識が落ちる直前、かろうじてクラッブの方に視線をやると――彼はいつも通り邪悪な笑みを浮かべていた。
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