洲崎早苗の懇願
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命に別状はないらしい。
ただ精神的に疲れ、過労によるもののようだ。今は個室で寝ていてしばらく安静にしていれば、体調は元通りになるらしい。
そう診断され、ほっと洲崎早紀は胸をなでおろす。
30後半になるという早苗は、年相応に見えるもどことなくやつれているようにも窺える。
美人であることに変わりなく、昔の面影がどことなく残ってて懐かしい思い出が蘇る。
脅迫されたから仕方なかったという側面もあるかもしれない。台本通りに事を終えれば解放してくれると言われ、ハメ撮り動画の作成に協力させられ、終わってようやくといったところへ俺が死んだんだ。絶対周囲から何か言われたんだろう。軽蔑されただろう。好奇な視線に晒され、扱いは最悪なものだったに違いない。
「私にとってお母さんは自慢なんだ」
母親の手を握り、娘は語り始める。
あまり裕福な生活とはいえなかったけど、幸せで笑顔が絶えなかった。美人で優しくて皆に自慢できる母親だった。
「中学の頃は反抗期でワガママだったの。私は私を通して違う私を見るお母さんにちゃんと自分を見てほしくて、それで結構いろんなことしたんだ。最後にはお母さんに私をちゃんと見てほしいって言ったらね。ゴミを見るような汚らわしいものを見る目で見てくるようになって、写真を眺めるようになって次第に笑うこともなくなって……なんで、私はワガママしたのかな。きっとワガママしなかったら、私は何も知ろうとしないで昔の仮面を着けたまま幸せに暮らせたのかな」
「洲崎さんは母親との関係を改善したいんだな」
「うん。お母さんには笑顔が一番似合うから」
笑顔が似合う、か。たしか前世の俺はそんな事を言ってたな。無理やり笑わせようとして奇行に走ったこともあり、姉さんには正座させられたのは恥ずかしい思い出だ。
などと前世の記憶に思いを馳せていた時だ。
「さ……き……?」
洲崎早苗が目を覚ましたのだ。
「お母さん!」
「早紀。ああ、よかった。早紀、駄目じゃない、貴方は私と優紀さんとの子供なのよ。貴方が会った人は貴方の父親なんかじゃないわ。その内、優紀さん……貴方の本当の父親に会わせてあげるから」
「お母さん……?」
「あら、お友達も一緒なの?もしかして、早紀の彼氏?ふふっ、早紀はおっちょこちょいでワガママなところがあるけど、よろしくね」
笑顔なんだけど、なんだろう……どうしようもなく不自然だ。
前世の俺は徹底して避妊していたから、無責任に避妊しなかった先輩との間にしか子供は出来ていなかったハズだ。まあ、先輩以外にも相手したんなら、話は別だろうけど。
これで事実を突きつけたら、恐らくマズいだろう。
俺はただ普通に挨拶するに留めたが、洲崎早紀はそうしなかった。
「お母さん、宮森優紀って人は私の父親じゃないよ。本当の父親は神田誠也さんって人だよ」
「何を言い出すのかしら。お願いよ、早紀。貴方は私と優紀さんとの間に産まれた娘なの。そう覚えて。そう思いなさい」
ああ、これはマズい。姉さんと似たようなパターンだ。
「洲崎早紀、それ以上は言っては―――」
「全部聞いてきたよ。私は神田―――ううん、沢渡誠也って男にお母さんが無理やり犯されて産まれた子供だってことをね」
言ってしまった。
これはもう後戻りができなくなる。
早苗からおよそ表情というものが消え失せ、色のなくなった死んだ目となって俯く。
そんな母親に娘は寄り添い、話し掛ける。
「お母さんがあの男を憎む理由も辛い理由も何もかも理解できるつもりだよ。でも、いつまでも現実逃避してたら前に進めない。受け入れよう。もう過去は変えられ―――」
「うるさい。黙っててくれない?」
「え……」
ゾッとするような冷たい声が耳に届く。およそ自分がお腹を痛めて産んだ娘に対する出すような声音じゃなかった。
「そんなこと解ってるわ、とっくの昔にね。だって仕方ないじゃない!私、優紀さんとの思い出は記憶に残っていて愛し合っている記憶も残っているのに、何も形として無いの。あの男に何もかも捨てられてて、必死に探して見つけ出せた高校の修学旅行の時のあの写真だけなのよ。貴方はどうして私と優紀さんの娘でいようとしてくれないの? お願い、そうしてくれないと私は貴方を産んでしまったことを後悔して殺したい程憎たらしく思ってしまう」
涙ながらに悲痛に訴えるその姿は、憐れ過ぎて目を背けたくなる。
本当は産むのが嫌だったと全てを思いの丈を語ることにした早苗は、娘の心を容赦なく抉っていく。
関係を強要されてる期間に思い出の品々を先輩に纏めて目の前で捨てられながら犯され、心をへし折られても、それでも思い続けたのだという。でも、汚れきってしまったから全てを告げようとしたら、前世の俺が事故って死んで、その遺品の中に自分の最後の情事の動画があり、周囲からは軽蔑と罵倒され、姉さんにも罵詈雑言並べられて殴られて締め出されて拒絶され、葬式に出て線香を立てることも墓参りすることも許されなかった。
一応、第三者という立場にいさせられている俺はいていいのか疑問である。しかし、語りだしてしまったので俺は黙って聞き役に徹する。
「貴方を妊娠したと解った時には、すぐに堕胎しようとしたわ。でも、既に手遅れだった。私には、貴方を産むしか選択肢が残されてなかったわ。まるで私にはあのクズがお似合いだと言われてるような気分だったわ。否定したかった。私は優紀さんだけを好きなのに愛しているのに、私はあのクズの子供を身籠ってしまった。だから、貴方を妊娠したのはチャンスだと思うことにしたの。私と優紀さんの子供だと思いこんで育てればいいんだって思ったの。幸い、貴方があのクズの面影がなくて私に似てくれて助かったわ。これで似ていたら、もう無理だった」
「お母さん……」
「でも、時を経る毎にそんなハズないと思ってもあのクズに似ているような気がして怖かった。娘が、優紀さんとの間の娘だと思えなくなりそうな自分が怖かった。でも、それも貴方が去年自分を見てほしいって言われて、もう駄目だった。私にはもう貴方を自分の娘だと思えないの。優紀さんがいたら『最後まで責任を取れ』って怒られるんでしょうね、きっと。でも、それでもお願い、私に貴方を自分の娘だと思わせて。優紀さんの娘だって言って、お願いだから私に貴方を嫌いに憎ませないで!」
「お母さん、私は……」
これは洲崎早紀の選択だ。
自慢の母親だ、と言った。彼女にとって早苗は良き母であり、尊敬できる人だったのだろう。早苗の苦しみを知り、寄り添いたいと言ってもいた。でも、それは難しいだろう。否定しなければいけないのだが、そんな事をしたら徹底的に拒絶される。逆に肯定したところで、いつか破綻するのが目に見えている。
口出しは良くないけど、俺は口を挟まずにいられなかった。
「産んだのなら、最後まで……せめて成人するまで面倒見るのが親だろう」
「貴方に何が解るというの? 何様のつもり?」
「洲崎早紀の相談役です。俺からすれば、貴方こそ何様だと言いたいですね。自分で決めたことをほっぽり出すなよ。最後まで逃げずに責任を取れ。貴方はもう子供じゃない。責任ある立場になったんだ。だったらもう自分の過去の過ちを自分の子供に押し付けるな」
「なによ、それ。あんまりじゃない。私はもう優紀さんを想ってはいけないってことなの? あの人だけなのに……」
「知らん。貴方みたいに自分の不幸ばかりを嘆いて子供に押しつけるような女を本気で好きになった宮森優紀が可哀想だな」
花瓶が飛んできた。
寸でのところで受け止めたものの、当たったり壊れたりしたら大惨事になっていた。
顔を真っ赤にして今にも殴りに掛かりそうな鬼が、必死に娘の手によって抑えられていた。
「訂正しろ!お前なんかに私の何が解る?全てを失わされた私の気持ちが、どれだけ辛かったか後悔したか、何も理解できないクセに偉そうなことを言うな! それに赤の他人である貴方が優紀さんだったら言いそうなことを口にするな!」
「お母さん、ダメ!落ち着いて!」
「うるさい、放しなさい!さすがはあのクズの種で産まれてきただけあるわね。そうやってイイ人を演じるのは親譲りね!最低よ!」
相当、精神を病んでいるようだ。
大声で騒ぐものだから、駆けつけた医師や看護師が止めに入って鎮静剤を使ってようやく静寂となる。
事情を訊かれ、答えに迷う。
「すみません。どうか事情を聞かないでください。家庭の事情で公にはしたくありません。どうか何も聞かないでください。お願いします」
洲崎早紀が頭を深々と下げ、その静かな圧力に顔を見合わせた彼らは「今後は注意するように」と言い残して立ち去った。
廊下でしばらく会話もなく佇む。病院なだけあって静かだなと思う。今はこの静けさが気になってしまうが、それはきっと俺もなんだかんだと精神的にショックを受けているのだろう。
俺が良くも悪くも狂わせてしまったのだ。そして、洲崎早紀を被害にあわせてしまった。
でも、俯いた彼女になんと声をかけたらいいのやら。
「今日はありがとう。そして、ごめんなさい」
「急にどうした?」
迷っていた矢先、いきなり感謝されて謝られて俺はひっくり返った心臓が跳ねるのを必死に抑え込む。
「実のお父さんに会わせてくれたこと。私を助けてくれたこと。私のワガママに付き合ってくれたこと全部」
「……相談役だからな」
「……そう、だよね。ねぇ、私はこれからどうすればいいかな」
「どうすれば、とは?」
「きっと否定したらいけないんだけど、肯定も出来ない。私はあの人の娘である事実を無かったことには出来ない。私はどうしたらいいのか解らない」
「……そうか」
今の洲崎早紀は、母親に過去を受け入れて前に進んでほしいという願い、母親と虚構でもいいから母娘でありたいという願いがある。
どっちかしか選択できず、どっちも選ぶには茨の選択だ。
俺に助言できるような人生経験はないし、こういうのは専門家に頼るのがいいだろう。でも、俺は思う。
「今ここで結論出す必要はないんじゃないか?」
「どうして?」
「ゆっくりと考えるのも大事だってことだよ。今の君が答えを出したところで、どうせ後悔する。だったら、ゆっくりと時間をかけて自分の納得する答えを出せ。それだけだ」
「手伝ってくれる?」
そう問われ、俺は肯定する。
「任せておけ。俺に出来る範囲で手伝ってやる」
「頼もしいね。早速、お願いしてもいい?」
「おう。なんでも訊くぞ」
「私を泊まらせてほしいの」
ゆっくり考えることは必要だな。もう早速後悔しちゃったよ。
随時修正していますが、一応この神田誠也氏に関しては逮捕されて実刑判決を受けています。洲崎早苗の両親からは訴えられましたが、宮森優紀の家からは訴えられることはありませんでした。というのも、事故の事や姉の妊娠と神田誠也氏への過剰な暴力など立て続けに面倒事が起きた影響があり、とてもそっちまで首を回してる精神的な余裕が無かったということがあります。
ちなみに。
洲崎早苗について。
先ず宮森優紀が事故死したのを知ったのは警察が事情聴取に来た時です。慌てて確認を取ろうとして彼の家へ向かい、そこで優紀の姉にビデオを投げ渡されて門前払い。事実を全て知り、謝るために再度向かうも平手打ちされてまたしても門前払い。葬式に参列することも許されず、会場のすぐ近くで泣いているところを彼女の両親に自宅へ連れ戻される。ならばとこっそり墓参りへ向かって、花を添えてお参りするものの、たまたまやってきた優紀の姉がその場で無惨に投げ捨てるのを目撃。そして、その日に妊娠していることが解る。既に中絶する段階を超えていたので当初は自殺しようとしたけど、家族に引き止められる。
そして、性別が女の子だと解った時、彼女はある本編で語った内容に考えが至り、元凶である当時の沢渡誠也に罵詈雑言並べ立ててやった上で言い放ってやり、その後無事に出産。
でも、事実は決して拭えないので段々と間男の先輩に似通ってくるような気がして段々と娘を娘として見れなくなってきたトコロへ、娘の早紀の「自分を自分として見てほしい」などの懇願が決定打となり、娘として見れなくなった。その事に絶望して、昔の写真を眺めて昔のことに思いを馳せるようになった。
そして、早紀の「実の父親に会いに行く」という旨を聞かされ、娘がいなくなるかもしれないという恐怖を抱いて口論となり、頑として譲らないことにカッとなって手を上げてしまった。それで後悔して精神的に疲弊したのもあって倒れ、搬送。本編へ続いたという流れです。
簡単ですが、大まかな流れはそんな感じです。深く知りたいことがあれば、答えられる範囲で答えていきたいと思います。
最後になりますが、感想や評価等ありがとうございます。