宮森優紀の破壊
「久しぶり、早苗。元気にしてた?」
自分でもビックリするくらい、すんなりと言葉が出た。
私と同じ名前のお母さんの義理の弟で、私の実の父親である宮森優紀は目の前の洲崎早紀の母親の早苗さんの彼氏だった。
私は実父の死の原因を担う一人であるこの女に対し、特にこれといった感情を浮かべることはない。
生まれながらの気質で、私は物事に対して淡白だった。興味関心が薄く、早苗さんのやらかした事とか諸々の事情がどうであれ、特に同情することも助けようとかそういう気持ちを抱くこともない。
関心が無い。
でも、私は洲崎と赤崎の行動を陰ながら見ていた。特に洲崎の行動に関しては、私は常に目を光らせてきた。
あの娘が私のお母さんと会ってしまわないようにするためだ。
絶対に攻撃するであろうことは明白で、余計な心労を背負いたくもないし何より彼女が自身の母親と仲良くしたいのであれば私や私のお母さんに関わるべきではないからだ。
1度は関わらせてしまって赤崎にも余計な心労を背負わせてしまったので、私は彼らがこちらを気にかけさせないようにしたつもりだ。実際はこちらの事情を理解させて同情を誘うものであったが、私だって吐き出したい時はあるし、愚痴る相手としてしまって申し訳なく思っている。
そして、今日も盗み聞きも兼ねて尾行した。予め仕込んでいた盗聴器から聞いた会話は、聞くのも嫌になるものだ。母娘関係を取り戻したいのであれば、洲崎は厳しい言葉を浴びせるべきではなかった。ワガママだったということか。
で、赤崎はただ居るだけだった。腹の内はどうであれ、彼は聞き役で傍観するだけで結局は何もしていない。最後に良い感じに終わらせようとしていたが、それで好転するなら良かっただろう。
しかし、現実は残酷だ。
「優紀さん、ごめんなさい」
そう謝ってきた女性は、洲崎のお母さんの早苗さんだった。
スゴい美人だ。30後半だというのにまだまだ若々しく、美貌に衰えを感じさせない。でも、どことなく疲れたような暗い雰囲気を漂わせる幸薄の女性だ。
正直なところ私は優紀であって優紀ではないから、謝られても、思いの丈をぶつけられても困るのだ。
この人は私が宮森優紀だと勘違いしている。よく見れば違うのに、それだけ似ているのかもしれないけど、裏を返せば壊れて錯乱しているのだろう。お母さんのように。
この人への思いというのは複雑である。
洲崎早苗が寝取られてくれたおかげでお母さんは実父と繋がれて、私を授かることが出来たのだ。でも、ある意味で私の家族を壊した元凶とも言える存在で、私はこの人に憎しみや怒りをぶつければいいのかわからない。私は今の現状を受け入れ、犠牲になることを決めたのだ。誰かのせいにするつもりはないし、誰かのせいにしたくない。だから、私が洲崎や洲崎のお母さんに負の感情をぶつけたりしない。
赤崎が焦った顔をしているが、今更遅いだろう。何も出来ない第三者は黙って見学していればいい。そして、洲崎は固まって動けずにいる。
大丈夫。結果は良い方向へ持っていくつもりだ。お母さんなら許さないかもしれないけど、いい加減こちらも疲れたのだ。事故現場で花束を置いていくし、謝罪文という怪文書を送り付けてくるものだから、その度に半狂乱になるお母さんを宥めるのが面倒なのだ。何度かやめてほしいという旨の手紙を返したが、諦めなかったので私も諦めてお母さんの目に入る前に処分してた。さっさと立ち直るなりして私たちに関わることを止めてほしい。
「どうして謝るの?」
「貴方を裏切ってしまったから。私は優紀さんの彼女で将来を約束してたのに、他の男に抱かれてしまった。貴方以外の人に溺れてしまった」
「脅されたんでしょう。なら、仕方ないよ」
仕方ないから、いい加減諦めて新たな道を歩んでほしい。脅迫されたなんて今となっては単なる言い訳でしかなく、状況に流されて受け入れたのは最悪だ。言い出せなかったかもしれないけど、隠して何も言わないでいるのは悪手だ。
もし、どこかから実父が見ていたらどんな顔をしているのだろう。悲しい顔をするのだろうか。もしくは私のように無関心でいることを選ぶのだろうか。助けようとするのかな。わからない。だって私は実父ではないし、会ったことのない人間だから、心情を理解することはできない。
だからといって現状維持をすれば、この人のせいでお母さんは変に狂ってしまう。それはもう嫌だから、この人にはもう関わってほしくはない。
「もう関係は終わりにしよう。貴方はもうこっちのことなんか忘れて新たな道を歩むべきだ」
決別の言葉を吐く。実父がどう思うかわからないけど、今このチャンスを逃すワケにはいかない。
きっと納得してくれるだろう。実父から言われたのだと思うだろうから、きっと受け入れてくれる。
しかし、私のこの見通しは甘かった。
「ふ……ふふふ……さては貴方、偽物ね」
「え……」
さっきまでの悲しい雰囲気から一転し、寒気がするような空恐ろしい雰囲気をした女が目の前にいた。やだ、めっちゃ怖い。
カタカタと肩が震え、震える声で私はいつも通りのお母さんに接するような口ぶりで応じる。
「な、なにを言うんだ」
「だってそうじゃない。優紀さんはそんなことを言わないわ。彼は私を愛していた。だから、私も愛した。別れるわけがないじゃない。そんなこともわからないなんて、顔や立ち振る舞いは誤魔化せても、彼の私への思いの深さを推し量れなかったようね。三流役者さん」
全身が震える。怖い。目の前の鬼が純粋に怖くて体が動いてくれない。どこぞの寝取られものエロゲーみたいなことされて別れない選択をするとか、メンタルがおかしいだろう。正常時のお母さんが「私が何もしなくても、あのビデオを見た後で関係を維持することはなかった」と言っていたから、その通りに動いたのにこれは予想外だ。
すでに洲崎早苗は手遅れであり、壊れていたのだ。
「早紀もそこにいる赤崎くんも、下手な役者を送ってくれたわね。私と彼は心の底から愛し合っていたの。それをあのクズと愛し合っただのなんだの好き勝手に言ってくれたわね。どれだけ私が傷ついたと思うのかしら。ねえ、おかしいわ。優紀さんは私を愛しているわよね。理性と本能は別で私たちは祝福されなければいけないのにどうして皆、否定するのかしら?」
あまりにも身勝手だ。
確かに実父は貴方を好きだったかもしれない。でも、だからってドギツイビデオを見せられては関係を維持できないだろう。死人を都合よく美化している。
そう反論しようとしたところで、早苗さんが私に抱き着いてくる。
「ねえ、そうでしょ。優紀さん。私たちが別れるなんて有り得ないわ。だって私たちはあんなに愛し合っていたのよ。子供だってほら、私に似て美人に生まれた女の子で二人で考えていた名前にしたのよ。何も問題ないじゃない。だって早紀は私と優紀さんの子供よ。優紀さんは認めてくれたんだから、偽物の貴方も認めるわよね?」
実父が認めた? いや、そんなハズがない。だってお母さんとの話に齟齬が生じる。この人の妊娠が発覚する頃には、実父は既に死んでいる。まさか死体が喋るなんて有り得ないし、絶対に妄想だ。
否定しようとした。でも、言葉を紡ごうとして首に早苗の手が回って絞められる。
「あ……がっ……は……」
「ほら、認めなさい。そうすれば、楽にしてあげるから!」
苦しい、息ができない。誰か助け……!
「やめろ!」
「ダメ!」
近くにいた赤崎と洲崎が早苗さんを拘束して離してくれたおかげで助かった。
ゲホゲホ、と咳をしながら荒い息を吐いて何とか整える。
なんでこんな事になったんだっけ。
私に落ち度は無かったハズだ。きちんと演技出来ていた。私の演技力はお母さんを騙せていたのだから、他にも通じると思っていた。だというのに、こうして痛い目に遭っている。おかしい。私はきちんと出来ていたのに何故だ。
ああ、そうか。お母さんと一緒でこの人も狂っているんだ。
「だから、やめろと言ったのに。余計なことして変に深入りするから、そうなるんだ」
そう言った赤崎の目を見上げ、私は覚った。
初めからそういう事だったのだろう。
「アハハ、優紀さん。私はね、貴方が大好きよーフフフ。こんなに愛し合っているんだから当然よね。あの男は快楽だけで優紀さんは恋も愛も与えてくれる。私の心を満たしてくれる人よ、貴方は。だから、優紀さんは絶対に放さないから。どんな事があっても、私は優紀さんを思い続けてあげるからね。ウフフフ」
後からやってきた看護婦やら医師やらが騒がわしく動き、狂ったように笑う早苗さん。洲崎は頭を抱え放心し、ただ一人‥‥‥赤崎は無関係を装って空気と同化するようにひっそりと壁際へ身を寄せていた。
私はただひたすら、無関係を装う元凶に恐怖した。