洲崎早紀の救済
最近オンラインゲームのロストアークにドハマリして疎かにしていました。
時は遡り、洲崎早紀が病室から出てくる前の事だ。
俺は聞き耳を立てて病室の外から聞いていた。
嫌な修羅場だ。
洲崎早紀は宮森優紀の娘であることは拒み、かといって神田誠也の娘でいることも拒んだ。彼女は早苗の娘として生きたいと言った。でも、早苗は前世の俺の娘としてなら受け入れると条件を出して交渉は決裂した。
仕方ないことだと割り切るしかないかもしれない。ぶっちゃけ、ここまで引きずられると逆に気持ち悪く思えてしまう。俺は全然割り切って新たな道を歩もうとしているというのに、なんだか引きずり戻されそうな感じがしてきて恐ろしい。手を引かなかったこちらが悪く、落としどころを見つけるしかないかもしれない。
「なんでかなぁ‥‥‥」
詰まるところ俺が死んだから、今の状況があるという事なんだろう。
人のせいにしても困るのだが、ある意味で俺は自分が死んだのが逃げだと言うのなら、何とかしてあげるのが筋かもしれない。
などと考えた矢先、洲崎早紀が俯きながら病室から出てきた。
「‥‥‥ぐすっ」
鼻を啜り、今にも泣きださんばかりの様子を見せながら立ち上がった俺に寄りかかる。
肩に顔を押し付け、啜り泣く声が聞こえてきて妙な罪悪感が芽生える。
嫌なら決別するしかない。そう思って行動した結果なのだから、素直に受け入れるしかない。でも、それでも悲しいものは悲しいのだろう。これで早苗がどうなるかだが、あちらとしても娘と関わるのは避けるだろう。そして、孤独になるか。
なんて声をかけるべきだろうか。前世含めて人付き合いがあまり得意でなかった俺には、気の利いた言葉を投げ掛けることが出来ないでいた。早苗に抗議するかなんて考えたが、あれには何を言っても届かないだろう。届くのは前世の俺かもしれないけど、それは諸刃の剣だろう。やる気はない。深入りは避けよう。
そう考えた時だ。
「おや、こんな入院患者が歩いてる往来で逢引きか。羨ましいよ」
そう声をかけてきたのは、デカデカと『なんくるないさー』とプリントされたシャツにジーパンを履いている宮森優紀(女)だった。
バッと離れた俺たちだったが、洲崎早紀は顔を真っ赤にして押し黙ったので俺が話しかける。
「なんでここに?」
「ずっと話しかける機会を窺っていたに決まっているだろう。二人で病院に入っていくのが見ていたものだから、存分に冷やかしてやろう思ったんだが悪いか?」
「冷やかすな。シリアスで悲しい雰囲気なのにコメディにしようとしたところで、変な空気になるだけだ」
「当然だろう。私はシリアスブレイカーなのだから」
「何も壊せてねーよ。むしろややこしくしてるだけだ」
「だったら、もっとややこしくしてやろう」
そう言って、宮森優紀は病室を開けようとして取っ手に手をかける。
「おい、バカ!やめろ!」
「なんで?」
「何でもだ」
「私が宮森優紀だから? お母さんが言うには、私は似ているらしいから、きっと洲崎のお母さんは激しく取り乱すだろう」
似ているだと? まあ、その‥‥‥そういえば自分の顔がどうだったか覚えてないから、宮森優紀が前世の俺に似ているかわからんな。
でも、ここで行かせてしまったら恐ろしい事になるだろう。どんな事が起きるか想像できないよ。既に取り返しがついてないけど、ここらで洲崎母娘のことは終わらせるべきだ。
「まあ、任せろ。悪い結果にはならないようにするから」
「1番信用できねーよ」
宮森優紀は「御開帳」と言って扉を開ける。
ガララ、と音を立てて開かれた病室では今まさに洲崎早苗が窓から飛び降りようとしていたのだった。
「ほわっ!?」
驚いて変な声を上げたのは宮森優紀で、俺は衝撃的過ぎて声を上げることも何もなかった。
なんで飛び降りようとしてんの? ここは2階だから、空挺部隊の人なら助かるだろうけど、寝込んで体力が衰えててしかも女性が飛び降りたら下手したら死ぬかもしれない。いや、死ぬつもりなのか?
すぐには動かなかった俺や宮森優紀とは対象で、誰よりも早く動く影があった。
「お母さん!」
洲崎早紀だ。
彼女は駆け寄って飛び降りようとする早苗の腰にしがみついて阻止する。
「離して!もう死なせてよ!私が生きている必要なんかもう無いのよ!お願いだから死なせて!優紀さんのところに行かせてよ!」
「嫌だ!お母さん行っちゃやだよ!」
「触らないでよ!あれだけ言ったのに、どうして私を楽にさせてくれないのっ?」
「だってお母さんなんだよ?たった一人の家族がいなくなるのは嫌だ!」
「私にはもう必要ない!優紀さんだけがいてくれたら、それでよかったのに‥‥‥もうたくさん間違えて貴方にも酷いことをしてしまって、私なんか生きてる必要なんかない」
「そんなこと言わないでよ!」
言い争う声が耳に入ると同時、俺と宮森優紀は我に返って慌てて早苗が飛び降りるのを阻止する。えっ、何コレ。力強くね?
女2人、男1人の合計3人がかりで窓から飛び降りようとする30超えた女性を引っ張り出そうとしているのだが、これがなかなか手強い。
絵面としては俺が洲崎早紀の腰を掴み、宮森優紀が俺の腰を掴んで電車みたいに連結して引っ張っている。
くそったれ、なんなんだよ。力強すぎるだろ!
力を入れて踏ん張るも、ヤツの力は強い。
諦めようと手抜きしている俺を余所に、洲崎早紀の説得は終わりを迎える。
「現実から逃げないでよ!いつまでも死んだ人を思わないで私を見てよ!私はお母さん‥‥‥ううん。洲崎早苗の娘の早紀なんだよ?他の誰でもないお母さんの娘なんだよ!もういいでしょ!もう過去ばかり追いかけないで今を見てよ!」
「早紀‥‥‥」
一瞬だけ力が早苗から抜け、そのおかけで引っ張る力が強かったのも相まって勢い余って宙を舞ってしまった。
「重いー!」
洲崎早紀と俺によって潰された宮森優紀が悲鳴を上げる。女の子にサンドイッチされる至福のひとときは一瞬で、すぐに避ける事となった。ちなみに宮森優紀はアサルトライフルだった。で、洲崎早紀はバズーカ砲である。
「馬鹿じゃないの?女の子を下敷きにするか普通?男の子なんだから、気を使って下敷きになって潰されてろ!」
「理不尽じゃね?」
「重かったんだよ、コンチクショー!!」
柔らかそうなボディしておいてなー。俺が下敷きになってたら、紙になってるね。
などと考えたところで、不意にパァンっと紙を叩いたような音が鳴り響いた。やったのは洲崎早紀で、叩かれたのは早苗だった。
「バカ!なんで死のうなんて考えるの!いくら決別したからってお母さんが死んだら悲しいに決まっている!それに死んだら全部終わりなんだよ?そんなの許さないんだから!一生かけて償え、このバカ親!!」
「親にバカってなによ!」
「バカなものはバカだよ!人のことをゴミ呼ばわりして!そんなに育てるのが嫌だったなら、とっとと捨てればよかったのにそんな事しないでちゃんと育ててくれて嬉しかったんだよ?私にとってイイお母さんだった!なんで私を見てくれないの?そんなに嫌なの?そんなに宮森優紀って男の娘じゃないと嫌なの?お母さんの娘でいさせてよ!」
「早紀‥‥‥」
泣きじゃくりながら必死な訴えをする洲崎早紀は、母親の胸に縋りついて抱きしめて離さないでいた。
別に良いことだと思う。あれだけキツい言い回しして決別したけれど、それでもやはり母親とは一緒にいたいという気持ちは解る。なんだかんだと洲崎早紀は早苗のことが大切なんだろう。
じゃあ、俺はどうなんだろう。
よくわからない、というのが答えだ。
かつては好きだった。そして、裏切られた。なのに怒りが湧いてこなければ、憎悪も抱かないし、逆に好きだとか愛してるだのといった感情も抱いていない。
完全なる無だった。よく好きの反対は嫌いだというが、俺は目の前のかつて好きだった女性に対して嫌いだの好きだのといった思いは無くて、全くの無の感情を抱いていた。
それはあまりにも薄情だろう。
とりあえず、洲崎早紀に頼まれた事をしよう。
「洲崎早苗さん、ちょっと聞いてもいいですか?」
「貴方は‥‥‥」
「ついこの間、偉そうに説教してしまってすみません。名乗るのを忘れてました。俺は赤崎大和です。よろしくお願いします」
「早紀の友達なのね」
「そうですよ。色々とこの件について相談に乗ってあげたりなんかしてました。ところで、洲崎早苗さんは早紀さんのことをどうされるつもりなのですか?」
「それは‥‥‥」
正直、有耶無耶にしてハッキリとさせない方がいいのかもしれない。臭いものには蓋をする、というのが正しいのかもしれない。
でも、それは洲崎早紀は望まないだろう。またどこかで爆発する。そして、今度は完膚なきまでに壊れててしまうかもしれない。
早苗に対して何も感情を抱くことないのなら、勝手に不幸になっていくくらいなら幸せになってくれた方が洲崎早紀のためにもなるし、ちょうどいいだろう。
「貴方の過去は色々と知ってます。辛い目に遭いました。取り返しのつかないことをしました。後悔ばかりの人生だったかもしれない。でも、貴方は今は一人じゃない。誰が隣にいるかわかっているハズでしょう?」
「早紀‥‥‥」
「なに? お母さん」
今更、死人を求めたって何も始まらないだろう。どれだけ前世の俺を求めたところで、俺は何も出来ないし、してあげられない。今ここにいる俺は別人なのだから、何を言ったって無駄かもしれない。それでも。
「どんな形であれ、早紀さんは貴方がお腹を痛めて産んで育てると決めた娘なハズです。貴方が何を言おうと離れることはしなかった。娘として一緒にいたいというのなら、貴方はそれにどう応えるのですか?また捨てるんですか?」
前世の俺を捨てた時みたいに、などとは言わなかった。そもそも、無理やり捨てさせられたのだから同情の余地はあるだろう。
前世の俺は仕方ない。今更どうする事もできないから、諦めてもらうしかない。だけど、洲崎早紀に関しては別だ。
このままでは、あまりにも報われないだろう。
「どれだけ時間がかかるかわかりません。それに無理だと思うかもしれません。それでも、貴方は早紀さんの母親です。偉そうなことを言えませんけど、貴方のワガママに娘を付き合わせてきたのなら、今度は娘のワガママを聞いてあげる番ではないですか?」
答えを聞くことはなかった。
いい感じに話を収められる確信があったのに、ここでまさかの邪魔が入ったのだ。
そいつは既に病室の中にいた。
「優紀さん?」
早苗が呆然と見つめる先。
にこやかな笑みを浮かべている宮森優紀の姿があった。
「久しぶり、早苗。元気にしてた?」
慣れ親しんで気心知れた仲のような恋人か親友のような気安さを持って、宮森優紀は早苗に声を掛けるのだった。
失敗だ。
そう覚った瞬間だった。