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半分の満月  作者: 織田 智
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第二十一話:最終話

 目を開けた時、あまりにも近い場所で久嗣が座っていて心臓が飛び出すほどびっくりした。


「あの、久嗣さん……明日でお別れになるやもと思い、挨拶をしたくて陽子さんと変わってもらいました」

「はい——それは、伺いました」


 陽子と交代してもらったはいいが、いざ対面してみると何を話していいものか分からないものだ。話したいことは沢山あったはずなのに、と寂しいという感覚に埋もれてしまった言葉を探す。その間自分を見つめている彼は何も言わず、じっと待っていてくれた。


「先日頂いたクリスマスカード、大切にしまってあります。——来年はどうなっているものかわかりませんが、あれは私の、私だけの大切な思い出にできます」


 言いながら、こんなことを話したいわけじゃないと思う。月子の愛想笑いは陽子のものよりも酷かった。

 彼からも何か言ってほしいと思っていた頃、思いが通じて自分以外の声が部屋に響く。


「——私は今日浅見様から貴女方の旅立ちを伺って心臓が張り裂ける思いになりました。貴女との別れが辛く、それ以上に無力な自分が——悔しいのです」

 

 左右の眉との間に深いしわを刻み、彼の膝に置かれた手には力が込められて白くなっている。手と一緒に握られていた袴の裾は、彼の眉間にできたそれのようにひと所に寄っていた。


 そこからまた暫しの沈黙がふたりの間に流れる。


 月子はカウチから立ち上がり、下半分に結露がついた窓の外を見るとそこに月はなく、その日が新月だったことに初めて気づいた。


「今日は月がないので星がたくさん見えますね」


 誘われるように彼も同じく窓際に立ち、空を見上げる。

 傍に立つ彼の気配を背中に感じて、とくんと脈打つものを感じた。そしてもう一度話を始める。


「今だけ、ほんの少し弱音を吐きたくなりました。次にいつ言えるか分かりませんので、聞いていただけますか」

「——ええ」

「陽子さんと和人さんはお互いとても愛し合っていて、私が彼女の中で消えてしまえば、二人には幸せな未来が待っているのです。私はそれを受け入れる覚悟ができました……。できたつもりでいました」

 

 窓の外を眺めていた月子の頬に暖かいものが一縷(いちる)伝う。そして久嗣の方へ潤んだ瞳を向け、その大きな胸に飛び込んだ。

 心臓が痛いほど強く鼓動し、一度決壊した涙腺からは次から次へと熱いものがこぼれ出す。もう彼女自身の意思では高ぶった感情を抑えることなど出来そうにない。


「——本当は……本当は、陽子さんが羨ましくて——そして憎くてたまらない!」

 

 縋った胸に熱と涙が籠って彼の胸からも強く打つ音がするようだった。高ぶった感情に食いしばっていた歯も閉じたままではいられず、子供がするように泣きながら声を漏らす。はしたないだとか、格好の良し悪しなど構いやしない。

 やがて、小刻みに震える彼女の肩への締め付けが急に強くなった。そして背中から掌の感覚が伝わってくる。月子は自分が抱きしめられているのだと気づくのに時間はかからなかった。

 久嗣が触れた場所から熱が広がり、抱きしめられる心地よさが月子の心を満たしていく。

 彼女はずっとこの時を切望していたのだ。


 先日押し入れから出る際にわざと胸に飛び込んでみたのも、彼に抱き留められることを願ってのことだった。——そしてついに叶えられた。ほんのわずかな時間でも、この得難い幸福を味わえたことに感謝しかなかった。

 この先に何が待っていようと、今はこの時、この瞬間しか考えられない。

 彼の顔がすぐそばにあって、吐息さえぶつかりそうな距離で互いの温度を感じた。久嗣も月子がやがて落ち着くまでただじっと抱きしめた。



 音のない部屋でそろそろ涙も枯れた頃、彼がもう一度月のない空を見上げた。そして彼女に向き直ると、月子を見ながらこう言う。



「光は空にあらずとも、今夜の月は美しい」


 その言葉に月子の目からは、枯れたはずの涙がまた細い糸のようにひと粒流れた————


「——最後にそれを聞けたなら、私は消えてもいいですわ」



 ゆっくりとした動きで、久嗣の手が月子の頬に当てがわれると、少しずつ顔を近づける。やがてふたりの唇がそっと触れると、静かに目を閉じるのだった。




 

最後まで読んでくださってどうもありがとうございました。

初めて書いた中編規模の小説ということで、上手くまとまっているかどうか分かりませんが、評価等いただけると幸いです。


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