出立。
プカプカと紫煙を浮かべながら、少し離れた場所で整備士たちが慌ただしく機体に張り付いている様をアルフォンスはぼんやりと眺めていた。
城方面から白服の高い背が認められて煙草を揉み消す。
タカタカと駆け寄ってくる愛娘の姿に垂れ目を更に垂らして、両腕を広げ迎え入れる態勢をとった。
「ユキチャン、おかえり…グフゥ」
「うふふ。アルフォンス・エイントフォーフェンさま。取り敢えず一発抉らせて」
「も、もう抉って…ヒイィ」
ごりと鳩尾へと沈む一撃に、くの字に折れ曲がりながらアルフォンスは呻いた。
満足げに微笑んで、雪妃は草地に膝をつく保護者で恩人の医師を高々と見下ろした。
「色々聞きたかったし色々聞いたよ。もう、アル先生は」
「ウウゥ…ユキチャン、ゴメンデス。堪忍デス」
涙目にも笑顔を浮かべるアルフォンスに嘆息して、雪妃は楽しそうに歩み寄ってきた守ノ内を横目に立ち尽くした。
「どうも、あなたが先生ですか」
「ワア、モリノウチサン。ユキチャンが世話になったデスカネ」
「おや、私の事ご存知でしたか」
「ンフフ。ワタシ、何でもご存知デス。イエ、怪しくはないデスヨ。中枢の軍人サンは皆、有名デス」
エヘヘと笑ってアルフォンスは腹を摩りながら立ち上がった。
差し出される手に微笑み握手をして、守ノ内は自分よりも更に高く猫背な姿を見遣った。
「成る程、噂通り胡散臭いお人ですね」
「エーッ?いたいけな、しがないただの医師デス。妙な噂もあるものデスネ」
「言動が胡散臭いんだよね、アル先生は…自分から怪しさを匂わせて」
「オット、そんなハズは…きちんと一般人を演じきってるデス」
肩を竦める雪妃へと微笑んで、大きな手は亜麻色の髪を撫でやった。
「馬子にも衣装デスネ。可愛いデス」
「おう…ありがとう。みんな本当に綺麗でね、涙が溢れそうだったよ」
「ンフフ。皆娘みたいなものデスカネ、晴れ姿は心震えるデス」
「うんうん。結局見送れなかったけど、みんな無事に戻ってるのかな」
「中枢の軍人サン、優秀デス。無事に決まってるデス」
ポンポンと頭を叩く手はいつも温かい。
雪妃は目を細めてそうだねと返し、改めて居並ぶ軍用機に胸を昂らせた。
「かっちょいいね。この形、マッハで飛ぶのかな」
「超音速デスカネ、中枢は進んでるデスネ」
見慣れた旅客機とは違うシャープなデザインはまるで大きなプラモデルのようだった。夫が趣味で買い漁り箱を重ねていたのを思い出して、何とも複雑な表情となる。
「乗れるのかな、でも訓練しないと耐えれないとか聞いた気も…」
「失神しちゃうデスネ。あちらの大きい方に乗せられるはずデス」
「ほほう…気になるけど、安全運転な方にお願いしたいな」
しげしげと機体を見遣る雪妃へとアルフォンスは躊躇いがちに口を開いた。
「もう聞いたデスカネ。一緒に中枢に行くデス」
「うん。何かさ、もうここには居れない空気もあるし…女王さまにも不敬だって言われちゃって」
「ンフフ。やらかしたデスカ」
「結果オーライだよもう。わたしね、のんびり世界旅行も良いなあって思ったんだけど。アル先生のポケットマネーで何とかなる?」
へへ、と急に低い姿勢になる雪妃をアルフォンスは目を瞬かせて見た。
「唐突デスネ。玉の輿作戦はもう良いデスカ」
「それはそれで。お城に行ったら人いっぱいだったし、普通に飛行機も掃除機もある時代みたいだし。アル先生の有り金でさあ…ここはひとつ。出来るなら仕事も探したいけど」
「フム。ユキチャンとのんびり旅行も良いデスネ。中枢のお呼び立てはまた今度にして、行くデスカ」
「お、流石大将。太っ腹ぁ」
「おい、逃さんぞ。旅行なんざ研究を終えてからにしろ」
「ヒイ、耳聡いデス」
話に割って入る遠方からの真田の声にアルフォンスは身を震わせた。筋肉魔人め、と悪態を吐いて雪妃は機体を見上げる真田の精悍な横顔に渋い表情を作った。
「怖いのに連行されるデス、落ち着いたら行くデスカネ」
「うう…その間わたし、何してたらいいの?中枢に働き口あるかなあ」
「小さな島国デスガ、人も職も溢れているはずデスヨ。資格はなくとも、若い身なら尚更デス」
「おお。若いって素晴らしいね」
ワクワクしながら雪妃は空を仰いだ。長閑な晴れ渡る薄い雲たなびく青空だった。
自堕落に、テレビや雑誌を見てぐうたら過ごすのも最高だが、10日も経てば暇を持て余し腐ってしまうだろう。折角の若い身での時間を持て余すのは、あまりにも勿体なく感じた。
「軍曹らが戻ったら出るぞ。猿も流石に空には飛び出さんだろうな」
「へい、まだ長生きしたいでござる」
「そうしろ。こっちに乗せて目を回してやりたい所だがな、おまえは平然と乗って騒ぎそうだからやめとく」
「おお、そんな狭そうなのに相乗り出来るの?の、乗りたいなあ」
「やめとけ。座席に漏らしでもされたら敵わん」
何やらゴワゴワと上に着込んでいる真田へと憮然とした顔を返す。
同じく上にもう一枚羽織りグローブをつけた守ノ内もにこりとしてメットを被った。
「普通の機体になら、戻ったら乗せてあげますよ。空のデートも良いですね」
「やったあ、デートは兎も角、それは楽しみにしとくね」
「ンン、モリノウチサン、ユキチャンとデートするデスカ」
「ええ、婚約者です。保護者なんですってね、先生。お嬢さんをください」
「ドッヒェ…本気デスカ、聞いてないデス」
「いえいえ、お坊ちゃん。ご高名なあなたさまにはもっと相応しいご令嬢がね」
「ふふ。一目惚れなんです。これから愛を深めていくのでどうぞ、温かく見守ってください」
「ハハア…少し離れてる間にエライ事に。ユキチャン、モリノウチサンなら間違いないデス。良い物件を捕まえたデスネ」
照れ笑いの守ノ内へとアルフォンスは再び握手を求めた。雪妃は憮然として、呑気さでは近いものを感じるふたりを見遣った。
(良過ぎて逆に困るんです。まるで釣り合わないでしょう…)
有難く受け止めてイケメン有名人とのひと時に酔いしれるのもアリなのかもだが、怖いのはその周りだ。取り巻きのひとりとして加わっても、恋敵たちから階段から突き落とされ水をかけられ、あらぬ嫌疑をかけられるのだ。きっとそうだ。
「わたしはのんびりスローライフをスローガンに掲げておるのよ。お抱えの女の子同士の諍いなんて御免蒙りたいですのよ」
「フム、そんな感じはしないデスガネ。ユキチャンの幸せ第一デス。三十路を回っても行き遅れていたら娶ってやるデス、自由に過ごすデスネ」
「まあ、心強い。遊び呆けてやるんだから」
「ンフフ。程々にネ」
含み笑いを漏らす医師は優しく愛娘を見据えて無精髭をなぞった。
「今から発って深夜、時差もあるし着くのは明朝になるデスネ。ユキチャン、皆に挨拶もさせず悪いデス」
「ううん。みんなが無事ならそれで良いよ。ダリアさまも気まずいだろうし…」
「そうデスカ、城で何があったか長旅の間に聞かせるデスヨ」
シャープな機体に乗り込み始める佐官ふたりを白服たちは敬礼と共に見上げていた。
その後ろへとついて同じように見上げたふたりを守ノ内はにこりとして見遣った。
「一緒に居たいんですが、これを操縦できるのが他に居なくって。先に中枢でお待ちしてますよ」
「うん、気を付けてね」
「ええ。また後程」
轟音を上げて二機はあっという間に見えなくなる。激しく乱された髪を押さえて雪妃はやれやれと息を吐いた。
(中枢かあ…)
元居た国の首都みたいな所だろうか。
新しい土地、ましてや都会となると期待も膨らむ。あの軽薄なのか天然なのかよく分からない色男の事はこの際置いておくとして、軽やかな足取りで促されるままに搭乗口へと向かった。
「お好きな所へ。周りは我々が固めますので」
若い白服の丁寧な物腰に会釈をして乗り込むと、頭部側の端に押し込まれている司教とその付き人が疲れた顔で先に座っていた。
あまり見ないようにしつつ、後方へと進むアルフォンスについて対角線上に落ち着いた。
偉い人だからと何も疑う事なく従ってきた柔和な白髭。ほぼ接点もなく、悪事を働いていたと知ってただ嫌悪だけが湧いていた。
「アル先生も知ってて付き合ってたんでしょ?悪い大人だね」
「ン、ただの流れの一医師には何も出来ないデスヨ。一緒になって色気を出さなかっただけ偉いと褒めて欲しいデス」
靴と靴下をポイポイと脱いで縦長な体をのびのびと伸ばすアルフォンスは、欠伸すら大きくしながらシートにもたれかかった。
「そんなもんかあ…司教さま、どうなっちゃうんだろうね」
「ンン、良くて数年の投獄生活デスカネ。中枢の王サマ、無慈悲デス。ユキチャンも食ってかからないよう気を付けるデスヨ」
「うへえ。でもどうせ今回みたいに関わる事もないだろうし、大丈夫だよ」
「ウゥン…寿命が縮められるような気しかしないデス」
呑気な顔でシートベルトを締める雪妃の肩には白い軍服の上着が羽織られたままである。
中枢の軍人と関わりを持ってしまった以上、高官に気に入られてしまった以上は避けて通れないと思うと、痩せた肩も落ち込んでしまった。
パラパラと白服たちが乗り込んできて軈て搭乗口が閉まる。若い顔ぶれを指揮する若い軍曹が、渋い表情も隠さず通路を挟んだ隣へと腰掛けた。
「おお少年よ、ご苦労さまである」
すっかり定着した呼び方とその態度に、軍曹は辟易と顔を背けたままで舌打ちした。
「パキラ軍曹サンデスネ。悪い人から守ってくれるデスカ、助かるデス」
「一応な、あっちはもうその元気もなさそうだが。どちらかというと監視だよ、あんたらの」
「ホウ、空の上からは逃げられないデス。安心するデス」
「長年陛下から逃げ回ってるのと、目を離すと何するか分からねえののふたりだ。こっちの方が犯人よりタチが悪いって、どうなってやがる」
「ンフフ。苦労するデスネ」
「頼むから大人しくしててくれよ。疲れるから」
軍帽を脱ぐとアイスブルーの短髪が涼しげに覗いた。ニンマリと同じように笑むふたりから視線を避けつつ、パキラはとさりと顔に帽子を被せた。
「本当に若いのばっかりなんだね。軍人さんというと、厳つい壮年の屈強そうなのなイメージだったのに」
「もっと偉いのはそれだったデスカネ、若者が支える強国デスヨ」
「ふうん。そんな争いが多いの?こっちって」
「中枢とお隣りの大陸の二強と言われてるデス。他は平和なものデスヨ」
「ほうほう。大陸とやらは秘術?がどうのとかいってたあれかね。若返りという魅惑的な」
「ンフフ。今のユキチャンには未だ無縁なヤツデスネ。大陸はそれこそ怪しい術の宝庫デス、面白いデス」
「怪しいのはやだけど、魔法みたいなの?ファンタジーだねえ」
「エエ。入出国も厳しい土地デスガ、落ち着いたら観光に行くデス」
緩々と機体が動き出す。
ガタガタと揺れながら速さを増して離陸していく眼下を小窓から覗き込んで、半年程世話になった緑の大地をぼんやりと眺めた。ポツンと古城が、教会が見える。
(夢じゃないんだなあ…)
目覚めそうで目覚めない、夢心地な毎日だった。淑やかなシスターたちの微笑みも味気ない食事も、屋根から見上げた満天の星空も、全てが淡い思い出として蘇ってくる。
機体が平行を保って白雲と青空ばかり広がるようになると、早々にアルフォンスは鼾をかき始めてしまった。もたれかかってくる肉の薄い長身に小さく笑んで、雪妃も目を閉じた。
目覚めたらいつもの天井を見上げるかもしれない。それもいいな、と心地良い微睡の中で思う。充分過ぎるくらいの開放感を堪能できた。
(嫌々でも、馴染んだ生活って恋しくなるものなんだな)
慌ただしく朝家を出て、パート先で無心で働き、日暮れの道をトボトボ歩き帰る。つまらないけれど、それなりに充実はしていたのかもしれない。気のせいかもだけれども。
教会内での就寝では夢も見ずに爆睡だったが、久しぶりに夢を見た。
まだ幼い子どもたちと、それを愛おしくも見つめて笑い合った夫との、まだ幸せだと噛みしめていた頃の夢。
子どもたちに一喜一憂しながら、確かに絆を持っていて家族だと言えたあの頃。一体どこから間違えてしまったのだろう。
寄り添うように眠った雪妃とアルフォンスを嘆息混じりに見下ろして、パキラは薄いブランケットを雑にもふたりに被せた。親子にも歳の離れた恋人同士のようにも見える、面倒で不可解なふたりだった。
「そのまま到着まで寝てろよ、煩えから」
ぽつりと呟いて渋い顔は同じように爆睡へと入っているらしいギュスたちを一瞥した。静かで良い。
自分もブランケットを被って座席に深々と沈んだ。
このふたりが中枢入りすることでまた騒がしくなるのだろうと嫌な確信をこの少年は持っていた。少ししか関わっていないのに目に見えて知れてしまう。
心労が増える事を苦く噛み潰しながら、少しでも休んでおこうとパキラは顔に乗せた軍帽の下で目を伏せた。