祭典2。
ガラガラと音を立てて馬車は行く。
初めて乗るので浮き足立ってしまうが、舗装されていない道を走るのは中々の揺れの中となった。吐きそうになったら止めてもらえるのだろうか。雪妃は幌馬車の開かれた側面から頭を出して、離れていく深い森を眺めた。
ジェラとは別れて詰め込まれ、鈴の音のように淑やかにも微笑み話す同僚たちとの相乗りだった。うっかり嘔吐でもしようものなら失神させてしまうかもしれない。
「シスター雪妃、身を乗り出すと落ちてしまいましてよ」
くすりと隣から笑みを溢されて大人しく固い座席に腰を下ろした。薄地の白いワンピースの胸元に留められた数字が自分は18。同乗者も13から17まで順にふられていた。
「この数字って何なの?」
「列に並んだ順ですわ。わたくしたち18人の」
「へええ。点呼がわりにでも使うのかな」
「女王陛下への識別番号ですのよ。名前なんて覚えて頂けませんものね」
「番号で呼ばれた者が今季の献花役になりますの。名誉な事ですわ」
何じゃそりゃ、と雪妃は微笑み合う綺麗な顔たちを眺めた。ジェラの言ってたお目に止まるとはこれの事なのだろうか。献花役に選ばれれば、そのまま女王の侍女にしてもらえるという。教会での暮らしよりは華やかそうだが、ダリアの表情を思い出すと何とも気の引ける名誉だった。
「お城の侍女ってそんな良いものなの?」
プレートを引きちぎりたい衝動に駆られながら弄る雪妃へ、同僚たちは不思議そうに首を傾げる。
「名誉な事ですのよ。この地に生まれた娘なら誰もが憧れますのに」
「女王さまのお世話係だよね、そっかあ、そう言われると」
「司教様がお受けする孤児もいらっしゃるけれど、親がそれを願い許され教会に。わたくしもそうですのよ」
「ははあ、普通に志望してもなれないとかなんだ」
「平民ではとても。多額のお給金も頂けますし、一番の親孝行になりますのよ」
「ふうん。稼げるのかあ」
どこか誇らしげなシスターたちを雪妃は眩しくも見遣る。
こちらに着の身着のまま投げ出され、支給されるがまま何とか過ごしてこれているが、無一文である。金とは無縁な生活を送っていたので薄れていたが、一大事なのではと急に焦りが出た。
(味気ないとか言ってないで、有難く食べないとだな…)
パサついたパンに味の薄いスープ。
毎日代わり映えのしない食事でも、ありつけるだけ幸せだったのだと今更ながら思う。
「女王陛下は従順な慎ましい娘がお好みでいらっしゃるとか。シスター雪妃もせめて御前ではそうなさるとよろしくてよ」
「はは、御意に」
くすくすと鳴る笑い声へ堅苦しくも頷き雪妃は姿勢を正した。
魅力的な職場のようだが、あくまでも目指すは玉の輿である。変に気を遣わず自堕落に好きなように生きるのだ。
(ジェラが選ばれるといいな)
快活な少女が恍惚と女王の話をする様を思い出す。娘を見るように接していたと知ればまた渋い顔で悪態を吐かれてしまいそうだが、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた親友の晴れ舞台を応援したい。
そしてあわよくば、大陸の若返りの秘術とやらをそのうちお裾分けして欲しい。眉唾物の妙なものでなければ、是非とも。
大きく揺れていた幌馬車も軈て整備された道へと踏み込んだ。
城下町への道だよ、と御者がにこやかに告げた。丸鼻の人の良さそうな顔は近所の精肉店の主人を思い出させた。いつもオマケをしてくれたあの店にも、家族の食事を作らなくてよくなると長い事顔を出していなかった。
窺った先に高い塀が見えてくる。
薄い色の空に白く煙だけを残す花火があがっていた。気を逸らせる人集りも見えてきた。ソワソワする体を引く腕に大人しく固い座席に座り直した。
沢山の目がある中、シスターは慎ましくいなければならない。気疲れで今夜はぐっすりだろうなと雪妃は爽やかな風に乱れた髪を整えた。
***
「ご覧になって、守ノ内勝永様よ」
中央通りの規制のロープが張られた中をゆっくりと馬は駆ける。色めき出す同僚たちの高い声に雪妃は木枠についていた頬杖をがくりと崩した。
見物客たちと切り分けるロープの内側に佇む背の高い姿。周りに興奮気味な老若女性を多く集めながら空色の長い髪を流していた。
(出たな、人誑し魔人)
開かれた側面へと押し寄せるような同僚たちの後ろで雪妃は憮然と眺めた。
微笑み先を行く幌馬車を見送っていた守ノ内がふと三台目へと視線を移す。深まる笑みと共に小さく振られる手に、幌馬車も大きく揺れるようであった。
「お手を、お手を振ってらしたわ」
「こちらに微笑んでらしたわよ、何て光栄な」
「どうしましょう、ああ神よ」
手を取り合い恍惚と側面に張り付くシスターたち。楽しげに笑う御者の声に雪妃は頬杖をつきなおして反対側を眺めた。
(イケメン大魔王め…)
穏やかな微笑みに知らず高鳴ってしまう胸を忌々しくも押さえ込んで、雪妃は向けられる見物客の好奇の視線に満面の愛想笑いを浮かべた。
色とりどりの衣服に身を包んだ人々の中に、派手なとびきり目立つ豪奢な姿もぼちぼちと垣間見えた。田舎だからなのか他所もそうなのか、貴族というのはやたらと派手な格好をするようだ。陽の光に沢山の宝石も煌めいて存在を誇示してきた。
(お金持ちも人集りに揉まれるもんなんだなあ。スリとかに合わないといいけど)
愛想笑いを貼り付けたままでぼんやりと流れていく人の波を眺める。等間隔に立つ黒い服がこの国の警備員なのだろうか。ロープが張られただけの境界線に雪崩れそうな見物客を押し戻すのに労力を割いているようだった。
(お祭りの警備って大変そうだよね。ご苦労さまです)
沢山の脚の合間から手を振る子どもに雪妃は手を振り返した。教会に居る人たちと参拝者としか関わりもないので、こんなにも多くの人が集まっている事がどこか不思議な程だった。急に視界も開けたようで期待に胸も膨らむ。
他所の地を巡るのも良いな、とふと思った。
何の柵もない自由な身である。先立つものはないが、この世界をのんびり旅行して堪能するのもアリかもしれない。
(帰ったらアル先生に相談してみるか)
結局は頼れる先の保護者を当てにして、雪妃は停止する幌馬車から石畳へと降り立った。
「ようこそ、時間までゆっくりなさっててください」
年季の入った城門から迎えてくれたのは黒いメイド服姿たちだった。にこりともせずにどこか虚げにお辞儀をして先導してくれる。促されるままに後をついていくと、囲むように白服が現れた。
シスターたちの警備だと言っていた守ノ内の言葉を思い出し、のろのろと最後尾についていた雪妃は隣を姿勢も正しく歩く若い白い軍帽をちらと見上げた。
「随分と物々しいんですね、何かあるの?」
前を見据えたままの軍人は軍帽に触れながら押し黙っていた。黙々と歩くばかりの隣に肩を竦めて、構わず口を開く。
「ただの献花だよね?なんで警備に来てるの?警備ならここの人がしてるんだよね」
従わざるを得ないとはいえ、何も知らず大人しくはしていられなかった。そう歳も変わらないように見える若い軍人から少しでも情報を得ておこうと、少し必死だったのかもしれない。
「…オレが」
「ん?」
「オレが叱られるから、黙っててくれないかな」
ぼそりと漏れる声に雪妃は眉を寄せた。
真っ直ぐ前を見る目は先頭の逆立つ赤毛に向いている。あの厳めしいのか、と雪妃は嘆息を漏らした。
「あんな前だし分かりゃしないよ。わたしだって大人しくしてないと叱られるんだし、同じよ同じ」
「じゃあ大人しくしてろよ。また屋根にでも登れば静かに出来るのか」
うぐと詰まり、そういえばあの場に居た白服のひとりかもしれないと苦い顔になった。はしたないのは、しかと白服に知られてしまっていたようだった。
「それはご内密に…それより喋れるなら教えてもらえませんかね。わたしよく分からないまま来ちゃっててさ」
「分からないままで良い。大人しくしてれば良い」
「あのね、暴れるつもりはないけど、教えてくれてもいいんじゃないですかね。少年よ、お互い内密にするということで」
「誰が少年だよ、頭沸いてんのか」
笑みを貼り付けたままで雪妃はピシと顔を硬らせた。随分な言われようである。
慎ましく、と言い聞かせながら笑みを崩さぬよう保っていると、隣の少し高い所にある整った横顔もしまったと言わんばかりに歪んでいたので、雪妃はウフフと笑みを深めた。
「何て仰いまして?少年よ」
「…いいから黙ってろ」
「いたいけなシスターに頭沸いてるって?いけませんわね、泣いちゃう」
「煩え奴だな、早く行けよ。部屋で待機だ」
辟易として立ち止まる少年ににこりとして、雪妃は扉を開き待つ侍女の元へと向かった。
「軍曹、ここは任せる」
「は。二名体制でよろしいですか」
「ああ。頭沸いてるのが彷徨かないようよく見張っとけ」
唇の端を持ち上げる真田に顔を引き締めて敬礼する。耳聡い上官の背を緊張感を持って見送った。
開けたままの室内からは、用意された菓子類に歓喜の声を上げる華やかな声が響いていた。
「クッキーなんて久々ね」
「アル先生からくすねる患者さんの手土産もお饅頭が多かったもんね」
さくさくと齧りながら広がる甘みに誰もが頬を緩めていた。
装飾も華やかなティーカップには琥珀色の紅茶も注がれている。客用とはいえこれが身近にある生活なら侍女も良いなあと雪妃は幸せを噛みしめた。
「美味しいおやつもあって、中枢の良い男たちも見れて。今季は最高の祭典ね」
「そうだけどさ、何か嫌な感じしない?ダリア様も様子が違ったし」
「そう?ひとり献花で抜けるし少し寂しく思ってくださってるとか?」
「うーん。毎年教会から抜けてたって事だよね?その割にはここ、人気が少なすぎない?」
閑散とした広い城内だった。
古めいているせいか余計に物悲しい雰囲気すら感じてしまう。先程の侍女は元シスターではないのだなと皆の反応から窺い知れたが、あまりにも人が居ない。
「皆女王陛下の側なんじゃない?わざわざシスターの為に人も使わないだろうし」
「そっかあ、気にしすぎかな。ジェラも気合い入れていかなきゃだしね。頑張ってね」
「任せて。慎ましい淑女を演じてみせるわよ」
口いっぱいにクッキーを頬張ったジェラが頼もしくも笑った。
「ところで雪妃、髪が乱れてるけど馬車からはしゃいだ?」
「う…結構風があったもんね」
「落ちなくて良かったね、雪妃も薔薇も」
「整えた方がいい?まあいっか、わたしは選ばれたくもないし」
「うむ。そのままの君で居て」
わしゃと余計に乱すジェラの手をそのまま受けて、雪妃は扉の側で佇む白服をちらと見た。
「お手洗いとか言って、少し散策してきても良いかな?」
「やめときなって。気持ちは分かるけど」
「折角のお城なのになあ。お菓子食べ尽くして待つしかないのか」
「そうそう。また来年までお預けなんだし」
上品にも摘んでは少し齧る同僚たちの楚々とした仕草を眺めながら椅子に座り直した。花火の上がる音に外に飛び出したくなってしまう。
(これだけ居るんだし、ひとり抜けても分からないんじゃないかな)
少し埃のかぶった窓へと視線を向けて温いティーカップへと口を付ける。この煮きらしたような渋みはあまり好きではなかった。
「お手洗い、行っとこうかな」
「すぐ戻りなさいよ、シスター長も後で来るんだから」
いいペースで腹に収めていくジェラに苦笑して雪妃はヌッと扉から顔を出した。
ギョッとした左に構える軍帽ににこりとして、右の渋面の方へと声を潜めた。
「少年よ、お手洗いはどちら?」
「廊下の突き当たりの右。早速脱走かよ」
「生理現象なんだから仕方ないでしょ。右ね」
「見てるからな、勝手に行くなよ」
「あらやだ、恥ずかしいわ」
「早く行け」
背に視線を感じながら雪妃は小走りに廊下を行った。
どこも年季の入った造りである。埃をかぶっている所が多くてつい気になってしまう。城とはお仕えの者たちが毎日磨きあげているものではないのだろうか。掃除のしがいもありそうである。
(窓からは、出られないかあ)
洗面所の窓は重く開けられなかった。
燦々と日差しの降る外を薄汚れたガラス越しに眺めた。城下町とは反対のようで森が広がるばかりだった。
「迷いの森ですのよ、沢山の屍も眠っているのだとか」
「ヒッ」
不意に声があって雪妃は身を竦ませた。
にこりと向けられる薔薇の下の顔は若いシスターの中でも最年長・チィーメイの涼しげな美貌だった。
「それは何とも怖い森だね…」
「ええ。本当に、恐ろしい話ですわ」
鏡に向かい艶やかな髪を整える。
チィーメイは微笑んだままで窓に張り付く雪妃へと顔を向けた。
「シスター雪妃はまだいらして半年程ですものね、ご存知ないかしら」
「うん、知らない事だらけで」
「情報源も遮断されて、従う事だけを強いられて。つまらないですわよね」
「え…」
「あなたのように身軽な体があったら良いのですけれど。皆、諦めて従う他ありませんのよね」
淑やかに微笑む輪の中に居て、殆ど話す機会もなかったチィーメイの意外な言葉に雪妃は目を瞬かせた。
美しい金髪を耳にかけながら涼しげな目元がフッと細まった。
「あなたはいつも年長者に叱られてるか、どこかへ行ってるかで中々捕まらなくて。当日になってしまったけれど、今良いかしら」
「ん?何の話?」
「ご協力を頂きたいの。あなたは目立つし身軽だから、ずっと目を付けていたのよ」
「ははあ、何だろ?」
「事情は聞かずに、では無理かしら。少し時間を稼いで頂けたらそれで良いの」
「うーん?チィーメイもお城散策でも狙ってるの?」
「うふふ。そうね、そんな所ですわ」
煌めく髪を見ながら雪妃は首を捻る。よく分からないが楽しそうな提案に、慎重さなんて置いてきてしまった好奇心の塊はニンマリとして頷いた。
「チィーメイに危険がないなら良いよ、何するの?」
「まあ、ありがとうシスター雪妃。あなたならそう仰ってくださると思っていたの」
「悪い事はしないんでしょ?」
「ええ。自分のものを取り戻すだけですわ。悪いものですか」
「探し物かあ、あの白服さんたちの時間稼ぎって事?」
「ええ。わたくしが抜け出すまでお願いできまして?」
薔薇をくしゃりと外し洗面台に置くと、胸のプレートを外しきゅっと髪を一括りに纏める。
「外へ出てしまえば協力者が居りますの。ダリア様に尋ねられたら、チィーメイは女王陛下よりお召しを受けたとお伝え願えますかしら」
「ははあ、練られたものだったのね」
徐にまくり上げる裾の下にはピタリとした膝丈のパンツを履いていた。ふわりと余った白布を腰に巻きつけて、チィーメイは教会では見た事のない勇ましげな表情で雪妃を見据えた。
「いつでも。わたくしはこの先の窓から出ますので、あのおふたりの注意をお任せしますわ」
「うん。見つかると良いね、気を付けてね」
細い太ももに巻かれた短剣に少しギョッとしつつも雪妃は頷いた。チィーメイは読み書きの勉強の時優しくも熱心に側についてくれた。やや剣呑な雰囲気もあるが無下にはできなかった。
洗面所から顔を出すと、少年軍人がじろと顔を向けた。隣の大人しそうな方は苦笑を浮かべている。
雪妃はのんびりと戻りながら、引き受けたもののどうしようかなと逡巡した。果たして警戒する軍人の注意をどれだけ引けるものなのか。
「ただいま戻りました」
にこりとして部屋の前を過ぎる雪妃の肩を軍曹は掴む。
「次はどこに行く気だ。部屋はここだ」
「いえね、良いお天気ですし。部屋に居るのは勿体ないですし」
「いいから大人しくしてろ。頼むから」
「頭沸いてるらしいからねえ、じっとしてられないんですかねえ」
「…失言だ、根に持つな」
「そんな事シスターに言ったんですか軍曹、酷いな」
「言葉の綾だ、うっかり出ただけだ」
渋い顔の軍曹に隣の兵卒は苦笑を深めた。良い塩梅に洗面所の方を窺えるようになり、ふたり越しに雪妃はスッと目の合ったチィーメイに笑みを浮かべた。
「懺悔に来られます?教会はいつでも門を開いてますよ」
「煩えな、おまえ本当にシスターなのか?一々煩え」
「まあ、お口が悪い少年よ。いたいけなわたくしは涙が溢れてしまいそうですわ」
「どこがいたいけなんだよ、鉛の心臓してそうな顔して」
「鉛かあ、重そう」
「阿保に付き合ってられねえんだよ、菓子でも食って肥えてろ」
「そう、お菓子ね。教会だと全然食べられなくってさ、それなのに肉はつくんだよ。おかしいと思わない?」
「知るか。人の分までメシ食ってんじゃねえのか」
悪態を吐く軍曹はまあまあと宥める兵卒の苦笑に腕組みし、ニンマリとした雪妃を苛立たしげに睨み下ろした。
「可愛い顔してとんでもねえよ。偽シスターだ」
「あら、可愛いだなんて嬉しいわ。あなたも素敵よ」
うぐと詰まる軍曹の顔が赤く染まる。目を逸らし拳を震わせる様子を微笑ましくも見上げて雪妃は頬に手を当てた。
「中枢の方に愛を囁かれたなんて良い土産話になりますわ、ありがとう」
「阿保か、囁いてねえわ」
「まあ酷い、純真な乙女心を弄ぶなんて」
「あのなあ…ふざけてんのか。任務中なの、頭沸いてても分かるだろ」
「成る程、軍曹はこんな子がタイプだったんですね」
「やめろ。オレはもっと控えめな大人の女が…違う、そういう話じゃない」
ふっふと笑うふたりに軍曹は益々拳を握った。
するりと洗面所を抜けて廊下の角へと滑り込んでいくチィーメイを認めると、雪妃はホッとして横歩きに廊下を戻った。
「そんな感じで、大人しく戻ります」
「戻れ戻れ。もうひとりは?」
「あら、あなた好みの大人の女性だったでしょ?熱く語ってるうちに戻ってないかな」
「知らねえよ、そこまで覚えてねえし」
「確か金髪の…ああ、居ますね金髪のシスター」
「そうか。おまえも座ってろ、座ってられねえなら逆立ちでもしてろ」
「へいへい。御意に」
他にも金髪がいて助かった。何とか誤魔化せたかなと雪妃はジェラの隣へと戻って小さく息を吐いた。
「おかえり。何の話してたの?」
「女の子の好きなタイプの話?軍人さんもあんな砕けて話すものなんだね」
「あんたね…流石だわ」
恐れを知らない、というのが率直な感じだった。白い軍服に見下ろされては恐縮するばかりだというのに、呑気な様子に笑みが溢れた。
「チィーメイは?」
「ん、何かヤボ用かな?いや便秘かも」
「ああ…パンとスープじゃお通じも中々ねえ」
まだ齧っていたクッキー片手にジェラは納得したように頷いた。
軈て騒がしくなる表にシスターたちの顔が向く。濃紺色の修道服がふたり、先ににこやかな顔が覗いた。
「皆寛いでらっしゃる?そろそろお時間ですわよ」
ダリアは乾燥する手を擦り合わせて一同を見渡した。モナに急かされるように椅子を立ち、胸元の番号を確かめていたダリアへと雪妃は駆け寄った。
「ダリアさま、実は」
「あら、シスター雪妃。ひとり足りないのはあなたじゃなかったのね」
「はい、その。女王さまの召しを?受けたとか何とかで。お伝えするようにと」
しどろもどろに話す雪妃をダリアは瞬きも忘れて見遣った。顔に青みすら差して見えて一瞬バレたかとどきりとするが、柔和にも笑んで幾度も頷きが返ってきた。
「そう、お召しが。チィーメイね」
「はい、そんな感じです」
「そう、そうなのね。分かりましたわ雪妃。あなたはそれ以上は聞いていらっしゃらないのね」
「え?そうですけど…」
「良いの、それで良いわ。さあ、行きましょうね」
とんと背を押されて雪妃は振り返りつつも部屋を出た。硬い表情のモナが十字架を握りしめていた。
脇を固める軍曹の舌打ちすら聞こえてきそうな苦い顔を横に雪妃は歩いた。ダリアは何か知っているのだろう。決して教えてはもらえない何かを。
「おまえ、勝手な事をしてもオレは知らねえからな」
小さく漏れる声に、雪妃は不安を抱えつつも笑みを向けた。
「わたしはいいよ、みんなを守ってあげてね」
軍帽の下の色素の薄い瞳が怪訝と落ちる。
もう何だかよく分からないが、やるしかない。期待に溢れる同僚たちの晴れやかな姿を前に、履き潰されたようなショートブーツは灰色の床を踏みしめた。