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邂逅2。

司教の柔和な微笑みを眺めながら話は左から右へと抜けていく。熱心に聞いているようでそうでもないのはいつもの事だった。

それより献花だ。お祭りというのはそれだけで年甲斐もなくワクワクとしてしまう。外へと出られるのも、城も城下町も楽しみだった。


「お城ってさ、どっちなんだろ。やっぱりここの雰囲気的に洋風のやつ?」

「ん?どっちって何?お城はお城よ」

「えっとね、こう屋根も尖った感じの。何ていうんだろ、バルコニーとかあってさ。ダンスホールとかありそうな?」

「ああ、バルコニーから女王陛下がご挨拶なさるのよ。手を振るだけだけどね。遠目にもお美しくてねえ」

「へええ。あの絵の人だよね、お人形さんみたいな」

「そうそう。ずっとあのまま変わらず美しくってね。女王陛下ともなると歳の取り方も違うのかなあ」


ヒソヒソとジェラと話しながら壁の肖像画を眺める。金の額縁に収められた華やかな姿は小さく口元に笑みを浮かべ、豊かな艶髪を盛りに盛ってその上に豪華な王冠を乗せていた。

ずっと不思議に思っていたのは、その姿が思いの外幼く見える事だけだった。今の自分とあまり変わらないくらいなのである。


「羨ましいね。良い美容部員でもついてるのかなあ」

「若返りの秘術だなんて噂もあるよ、大陸の術士がそういう魔法みたいなの使えるんだとか」

「うへえ。そいつは是非ともお友達になりたいもんだね」

「えー?これ以上若返ったら幼女じゃない」

「ジェラちゃん。老いというものはね、あっという間に迫ってくるものなのだよ」


まだツヤ張りも瑞々しい頬を撫でながら雪妃は噛みしめるように呟いた。特に何もしなくても吸い付くような肌は今だけの宝物のようなものである。


「心してこの若さを堪能するのです。あの頃は良かったなあって思うのもすぐよ、すぐ」

「雪妃って時々年寄り臭くなるよね、笑っちゃうんだけど」

「誰が年寄りじゃい。ピチピチのモッチモチよ」


くっくと笑うジェラの肩を叩き雪妃も一緒になって笑った。

唇に指を当てて楚々と微笑む同僚にバツが悪そうに頷いてみせて、女王陛下が如何に素晴らしいかを説く司教へと顔を戻した。視線はそのままに尚ヒソヒソとお喋りは続く。


「祭典の時、少しおめかしできるんだよ。女王陛下にお目見えするしね」

「ほうほう。ジェラはそこで自己アピールしていくという訳だ」

「まあね。これでお目に止まれば女王陛下の侍女に抜擢されるかもだし、私が教会に来たのもそれ目的だからね」

「シスター長が知ったら卒倒しちゃいそうだね。不徳ですわあって」

「ぷぷ。言いそう。でも名誉な事だし遠慮なく前に出てやるわよ。雪妃は目立つからさあ、ヴェール深く被って変顔でもしといてよね」

「ええ…?イケメン貴族さまを見逃したらどうしてくれるのよ」

「もうアルフォンス様で良いじゃん。あの人ユキチャン大好きおじさんだし、医者なら裕福でしょ?」

「あはは…気を遣わなくていいし、それもそうかもだねえ」

「良いと思うけどなあ。またもやシスター長が卒倒しちゃうだろうけど」


じろりと窘めるように向けられていたモナの視線に肩を竦めてジェラは苦く笑った。

唯一厳しいシスター長が淡い恋心を呑気な医師に抱いているのを、見て見ぬフリをするのが暗黙の了解となっていた。

有力な貴族に連れ出されるのは神の思し召しだと司教を通し介されるものの、貞淑を貫かねばならないシスター自身は何もできない。もどかしさと葛藤を抱えてアルフォンスを遠く見つめるモナは何とも健気で微笑ましくも見えた。


「さて。献花も控え皆浮き足立ってるようですわね。明日はお務めの合間に準備を進めます。シスターの心得は忘れぬよう、どうか楽しんでね」


司教から引き継ぎ前へと立ったダリアが優しく微笑んだ。

付き人を引き連れ司教が退室するとシスターたちも密やかながら騒めいた。


「良き日となるよう祈りましょう」


掲げられた十字架に跪きじっと祈りを捧げるダリアに従い、手を組み静まり返る。

雪妃は廊下の方で満足そうに笑みを浮かべそれを見遣る司教たちを盗み見しながら、頭を垂れた。



***



翌朝も五月晴れだった。

爽やかな空気を開いた窓から招き入れて、今朝も美神像を磨き上げる。

祭典の準備もある為か早くから起き出し清掃に取り掛かる同僚たちの目も憚らず、いつものように語りかけ鼻先に口付けて、雪妃は箒に持ち替え表へと飛び出した。


「おはようございます、ダリア様」

「あら、おはようシスター雪妃。今日も元気ね」

「はい。若いっていいですね、目覚も良くって」


軽やかに駆けながら会釈をし、雪妃は裏手の方へと回っていった。

3人がかりで井戸の水を汲む同僚に手を貸しながらふと辺りを見渡した。


「ねね、この辺にハンカチ落ちてなかった?」

「あら、見かけませんでしたけれど。落とし物ですの?」

「ううん。ないならいいの」


昨日の坊ちゃんの件については特にお咎めもなかった。草毟りを手伝わせたなんて知れたらやはり叱られるのだろうか。

ハンカチは元の世界から持ち込んだものだったので少し残念にも思いつつ、箒を振りながら薔薇園を抜けて壁を伝った。

一面に広がる深い森と、その向こうに見えそうで見えない城をモヤががった空に屋根の上から認めようとして、やはり見えなかった。意外と距離があるのだ。

小さく見えた居並ぶ軍用機が煌めくようで、ソワソワとしてしまう気持ちをぐっと堪えた。近くで見てみたいけれど確実に処罰を受けてしまう。


「シスター雪妃!またそのような場所に…降りてらして」

「うげ、シスター長」


びくりと肩を揺らし雪妃は愛想笑いで屋根の上を掃いてみせた。


「えっと、ここにも汚れがですね」

「高い所まで見なくてもよろしくてよ。落ちたらどうするのです」

「大丈夫です、そんなに高くないし」

「中枢の方もお見えですのよ。はしたないのが居ると覚えられては困ります」

「はあ、左様で」


渋々と飛び降りた先に人影を見て、雪妃はうわあと顔を顰めた。白服の集まりが数名ほど。ギョッとして見られて気まずくも微笑み、そそくさと退散を決め込んだ。


「山猿みたいなのが居るな」


ぶえ、とぶつかった鼻先を押さえて雪妃は不服そうに顔を上げる。背の高い屈強そうな、いかにも偉そうな軍服姿だった。丁重にご挨拶を、粗相のないようにと言われていた事を忘れずに雪妃は箒を抱えて深々とお辞儀をした。


「おほほ…失礼を致しましてござる」

「お転婆娘、ギュスはどこだ」

「ギュス?」

「司教。白狸だ」


そんな名前だったのか、と首を捻りながら白狸という響きに思わず笑みが溢れた。


「狸というより熊さんだけど。司教さまならお部屋じゃないですかね」

「熊か。とぼけた面は狸だろ、部屋はどこだ?」

「三階です。わたしは行けないから、ご案内ならダリア様かシスター長に」

「そうか。勝手に行くから良い」


行くぞ、と靴音も高く向かう白服を雪妃はぽやと見送った。話に聞いてた通り、軍帽の下の若い顔ぶれは確かに整ったものばかりだった。軍服姿だから補正もかかるのだろうが、広い背中はどれも頼もしく映った。


(あれが軍人さんか。初めて見たなあ)


ちらと振り返る若者たちに雪妃は愛想笑いを浮かべて手を振った。軍帽のつばに手をかけ会釈をする若い顔は初々しくもはにかんだ。


「流石ギュス殿が誇る花の園ですね。屋根から降ってきたけど」

「田舎だからな。野生の猿も活きが良い」


真田はくっくと笑いながら駆け出して行く身軽なシスターの翻る濃紺の裾を一瞥した。


「白狸の所は俺だけで良い。軍曹は残りを連れて聞き込みだ。シスター長とダリアとやらだったか」

「は。しかしおひとりで?中佐はどちらに」

「あの馬鹿は知らん。どうせその辺ふらついてるんだろ、見かけたら捕まえておけ」

「は。あの方の放浪癖は相変わらずですね」

「事が起これば奴が欠かせんからな、それにしても手を焼かせやがる」


渋い顔で教会の入り口へと戻り散じる。

厳めしいのが踏み入れてシスターたちはシンと静まり返った。畏れる目たちを睥睨し、真田は嘆息混じりに三階だったかと階段へと向かった。


「これは真田大佐殿」


降りてきていた司教とその付き人ふたりは足をびくりと止め、険しい顔つきに取り繕うような微笑みを向けた。


「朝早くからご足労痛み入ります。御用でしたらこちらから伺いましたのに」

「おう。退屈でな、自慢の花園の見物だ」

「ホホ、それはそれは。ごゆるりと」

「おまえも付き合え。見所でも案内してくれ」

「はは、僭越ながら」


ちらと顔を見合わせる付き人たちを背にギュスは笑みを深めた。


「大佐殿もお気に召すと良いのですが」

「名簿は?以前来たよりも少なく見えた」

「ええ、奉公先が決まり出て行く者もございまして」

「フン、大枚と引き換えにか?控えてあるんだろうな」

「滅相もございません。お布施として多少は拝受しておりますが」


名簿を、と伝えひとりが階段を駆け上った。部屋も名簿も整理したが、踏み込まれては粗も見出されてしまいそうだった。


「お話でしたら一階に部屋がございます。そちらへ」

「そうか。行こう」


じろと睨め上げるような赤茶色の双眸に知らず背が震えた。腰を低くしながら側を通り抜け先導するギュスと少し蒼ざめたような付き人の肥えた後姿を鋭い目が捉える。


「教会内ですので帯剣はお控え頂けると幸いなのですが。シスターたちも怯えてしまいます」

「任務中だ。陛下の前でも帯刀は許されてる、他所で解けるか」

「は…それはご無礼を」

「どちらにせよ怯えるんだろ、尤も震えてるのはおまえたちだけだが」


鼻で笑うような真田へ付き人が尚震えた。顔付きもそうだが身に纏う独特の圧迫感に緊張ばかりが走った。


「ここの清掃は後で良い、お茶をお持ちしてもらえるかな」


拭き掃除をしていた室内のシスターへとギュスは優しく呼びかけた。

恭しくも頷き、怯えながらも楚々として出て行くヴェールの頭を真田は高い背からいくつか見遣った。


「基本は従順なんだな、猿が一匹混じっていたが」


ソファにどかりと足を組み座る真田にギュスは首を傾げ、ゆったりと向かいへ腰掛けた。


「皆清く美しくお務めを。清廉従順でございます」

「さぞ高く売れるんだろうな。女王への献上は陛下もお目を瞑って居られたが、それ以外はないはずだぞ」

「はて、それ以外とは。光の君はご健在であらせられますか」

「ああ。どこぞの狸が不正に私服を肥やしていると嘆いてはいたがな」


薄く浮かべる白髭の微笑みに、細い眉が跳ね上がる。


「前任と同じ道を辿るか、ギュス」

「滅相もございません。私は潔白、斯様な真似は」

「そうか。検めさせてもらうぞ」


息を切らし抱え持ってきた付き人から名簿を乱雑に受け取ると、真田は顔を顰めめくっていった。

教会で受け入れた時の日付と顔写真。女の筆跡で特筆すべき事や、他所へ渡る理由とその日付も記されていた。


「お布施とやらは?」

「は…お気持ちで頂いております故」

「懐に収めたか、帳簿はどうした」

「はは、すぐにお持ちを」


ちらと見られ、息を整えていた付き人が再び慌てて飛び出して行く。

パラパラとめくりながらふと手を止め口元を緩めた真田を目敏く認めて、ギュスは媚びるように金の指輪をいくつも嵌めた太い指を擦り合わせた。


「お気に召す娘でもおりましたかな」

「いや、猿だ」

「は、はあ。猿、でございますか」

「活きが良いのも飼ってるようだな」


中腰になって覗き込んだギュスは意外そうな顔で名簿と真田を交互に見遣った。


「シスター雪妃でございますか?アルフォンス殿のお連れした、日は浅くとも敬虔なシスターでございます」

「ほう。これがドクの」

「不慣れながらも熱心にご奉仕を。見た目も華やかでこれが中々の人気…いえ、診療所の手伝いも進んで行い、気立ても良いと」


じろと一瞥されギュスは額の汗を拭った。


「俺相手にも営業か?良い度胸をしてる」

「め、滅相もございません。興味がおありのようでしたので」

「小娘に興味はない」

「はは、でしたらこちらが歳上の…」

「もう良い。黙ってろ」


びくりと肥えた肩を揺らしギュスはおずおずと固いソファに尻をついた。

やがて肩で息を吐いて戻ってきた付き人から帳簿も受け取ると、ざっと目を通して真田は眉を顰めた。


「俺には分からん。これは預かっていくぞ」

「は、はあ。構いませんが、内容は特に問題はございません」

「奉公先とやらを訪ねてもか?」

「そ、それは。構いませんが」


口止め料として幾らか返金もしている。真夏のように溢れ出る汗を止められずにいるギュスの忙しなく拭く手を胡乱げに見遣り、真田は帳簿と名簿を机に投げ出した。


「問題ないなら良い。おまえも陛下が不正に厳しいと知っているな」

「も、勿論でございます。故に不正などとても働けません」

「それが良い。首と胴を斬り離されたくなかったらな」


ごくりと飲み込む音が響くようだった。

狼狽える付き人たちを睨め上げて、真田は恐る恐る入ってきたシスターを横目にソファに寄り掛かった。

震える手が丁寧に茶托と湯呑みを置く。

日に焼けた手の甲に、ちらと見上げた先の顔が赤く染まった。


「ああ、シスタージェラ。シスター雪妃は?」

「え?は、はい司教様。本日は中庭担当のはずです」

「そうか。お呼び致しますか、大佐殿」

「要らん。もう会った」


ズズと湯呑みを啜って、真田は美味いとジェラに頷いてみせた。耳まで染まりペコリとお辞儀をすると、ジェラは静かに扉を閉めて退室した。


「献花は明日だったな」

「はは…皆様も警備に当たってくださると、感謝致します」

「おまえら馬鹿が逃げださんよう見張るだけだ。流石に競りはせんのか」

「競りは…競り、でございますか。いえ、あくまでも女王陛下へのお目見えです」

「フン、精々その薄汚い尾を腹に巻いておけ。後は何か報告する事はないのか」


飲み干した湯呑みを煩く茶托へと置いて、真田は探るようにギュスの汗ばむ顔を見遣った。


「いえ、特には…陛下は献花について何か?」

「さてな。ああ、アルフォンスだが連れて行くぞ。医者は適当に補充しておけ」

「何と、アルフォンス殿を…な、何か問題でも?」

「安心しろ、おまえに関係はない」


安堵の色を見せるギュスに鼻を鳴らし、真田は二冊を掴むと立ち上がった。


「じゃあ預かる。これだけなんだな」

「…そちらの二冊で間違いございません」

「そうか。そのまま震えて待て」


ガチャと帯剣が鳴る。

立ち尽くす付き人を睥睨し、真田は靴音高く部屋を出ていった。浮かせた腰をヘナヘナとソファについて、ギュスは差し出されるおしぼりで顔を拭った。


「生き永らえたか…恐ろしいお人だ」

「司教様、奉公先への手回しの件ですが」

「良い。下手に出るとまた取られる。向こうも易々と口は割れんだろう、お互い様だ」

「畏まりました」

「女王陛下は?如何様に」

「沈黙です。中枢の犬めが来てから控え、伏せっておられると侍女より」

「そうか…何、あと1日の辛抱よ。犬が去ってより献花の続きを」


おしぼりを放ってギュスはソファに踏ん反り返った。


「所詮は脳筋の若造共の集まりよ、証拠もなしに陛下も捕らえよとは仰らん。このまま逃げ切れよう」


首を垂れる付き人を背に高らかに哄笑した。ギュスは白髭を撫でやって逡巡の後、もたれかかったままで深く目を閉じた。



***



「雪妃、あんたまた何かやらかしたの?」


食堂で祈りの後に昼食を摂り始めたばかりだった。雪妃はキョトンとしてジェラのアーモンドのような双眸を見た。


「身に覚えはござらぬが…」

「だってさっき、司教様がさあ」


厳めしい軍人と話している中で茶を運び名を出されたと聞いて、パサつく丸いパンを齧りながら雪妃はううんと唸った。


「特にはないはずだけどなあ」

「もう会ったって言ってたよ、強面だけどやっぱりさあ、カッコ良かったなあ」

「強面…カッコイイ…」

「そそ。筋肉も凄かったよね、抱きしめられると骨折させられそうでさあ。どうする?」


キャッキャと珍しく興奮するジェラを眺めながら、雪妃はもしかしてと着地した先の白服たちを思い出した。


「偉そうな人居たもんね、踏み潰した訳じゃないし粗相はしてないよ」

「え?また登ってたの?そりゃあ咎められても仕方ないというか」

「お小言はシスター長からもう賜っておりますし、これ以上はもう満腹だよ」

「絞られた?ダリア様も軍人に捕まってたみたいだし、助け舟はなかったでしょ」

「そうだったんだ。何だろね、やっぱり献花で何かあるのかな」


国を挙げての祭典とはいえ、軍人が介入するとは物騒この上ない。テロなんてこんな平穏な田舎で考えにくいし、平和しかしらない素人脳ではそれ以上のものも出てこなかった。


「考えすぎよ、今までも何もなかったし。ただの警備の打ち合わせじゃない?」

「そっかあ。大人しくしとこう」

「そうそう。後で祭典の衣装の合わせもあるしね。慎ましく過ごしてりゃ良いのよ」

「衣装か、どんなの?」

「毎年白いさ、ふわっとしたやつ。ヴェールも脱いで頭に薔薇飾ってさ。薔薇が映えるように白なんだって」

「へええ。楽しみだね」


頭に花を乗せるなんて結婚式以来だろうか。この若い姿にはさぞ似合うんだろうなと雪妃はニンマリとした。

シスター長が席を立つので慌てて昼食を口に押し込んだ。少しの休憩時間を挟んだら午後の参拝者の受け入れを交代でしつつ、衣装作りだった。


「ほら雪妃、あの人。イケメン強面」

「ああ…やっぱり」

「怖そうだけどきっと根は優しい方なんだろなあ。眼福眼福」


トレイを手に返却しながらジェラがうっとりと外を眺めた。雪妃も苦笑しながら厳めしい横顔を見遣った。山猿呼ばわりされてはいくらイケメンでも恍惚とはできない。

何をそんなに聞いて回っているのか訊ねたい所だが、また変に司教の耳に伝わっては追い出されかねないので、黙っている事にした。

当番の同僚にお願いしますとトレイを預けジェラと別れ、雪妃は参拝者を迎えに教会の入り口の方へと向かった。



***



食後の暖かな陽も差すこの時間、眠たくなるのは人間の常だ。

うとうとしながら人も疎らな入り口で取り敢えず手摺りを磨いたり売り物の刺繍を意味もなく並べ替えたりして時間を潰す。

交代に来てくれた同僚に顔を輝かせて、雪妃は教室に行くと見せかけてぐるっと裏手へ回った。

柵も監視カメラもないここでは自制心だけが脱走犯を止める事となる。裏手から抜け少し行くと鮮やかな草原が広がっている。木枯らし吹く半年程前、寒さに震えながら露頭に迷っていた草地だった。

青臭さに包まれながら寝そべると静かな風が吹き抜けて、いっぱいの五月晴れを臨める。高い所にある太陽を眩しく見上げて雪妃はころころと転がった。


(こっちの世界の醍醐味だよねえ)


いい歳をしてひとりでこんな事をしていたら不審者扱いされそうである。川縁の土手に座る事すら憚れるご近所だったので、思い切り転がり尽くして雪妃ははあと息を吐いた。

戻って衣装作りに励まなければならないが、少しだけ。照りつける陽に腕で庇を作りながら雪妃は目を閉じた。

みんなどうしてるかな、とふと思う。

居なくても毎日は普段通り進んでいるのだろうか。失踪者として捜索されているのだろうか。それとも、元々居ないものとされてしまっているのだろうか。

少しぞくりとして雪妃は目を開ける。

思い出さないようにしても思い出してしまう。綺麗さっぱり忘れてしまう方が酷い事だというのに。

ぐぐと手足を伸ばしていると、不意に差す影に雪妃はギョッとして顔だけを向けた。


「お嬢さんだ、サボりですか」

「…違うよ、休憩だよ」


さらりと流れる空色の髪にうぐと詰まってしまう。穏やかな微笑みは昨日見たものと同じように綺麗に優しく湛えられていた。


「暇なの?お仕事は?えっと…モリ、さん」

「勝永です、明日まで暇なんです」

「明日?祭典待ちなんだね」

「ええ。明日の警備が今回の任なんですよ」

「へええ。お坊ちゃんの警備?観光で来てるんだっけ」

「いえ、お嬢さん方の警備ですよ」

「お嬢さんかあ、イケメンお坊ちゃんなら紹介してもらおうかと思ってたのに」


隣にトスンと座る守ノ内を横目に雪妃はくすりと笑ってみせた。

草地を凪いでいく湿った風も心地良い。

眩しく空を見上げる雪妃を膝を抱えて見遣り、守ノ内も微笑みを浮かべた。


「お嬢さんはイケメンお坊ちゃんをご所望なんです?」

「そうだよ、玉の輿狙いでのんびりと余生を過ごす野望を抱きここに居ます」

「へえ。では私にしませんか。お嬢さんひとりくらいなら自由に出来る蓄えはありますよ」

「そうなの?そんな良いおうちに仕えてるんだ」

「おうちというか、城ですが。良い所に仕えてますよ」

「え、お城?中枢とやらの?」

「そうです。私も欲しい物が特になくって、溜め込む一方なんです」


城仕えの従僕なのか、と雪妃は思わず身を起こした。気品ある立ち居振る舞いにも漸く合点が行くようで、にこりとした顔をまじまじと眺めた。


「お城かあ。お城のお姫さま方の警備なら、こんな所でサボってる場合じゃないよね?叱られないの?」

「ふふ。明日の祭典の時のね、お嬢さんたちの警備です」

「ん?わたしたちの?」

「そうですよ。良からぬ輩の魔の手からお守りするんです」

「ははあ、お城の従僕ってそんな事もするんだ。ありがとう、助かります」


改めて守ノ内を見遣り頭を下げると、昨日と同じ白揃えの衣服への違和感に二度見をした。帯剣こそしていないが、先程の厳めしいのを筆頭に着込んでいた白い軍服と同じものに見えた。


「あれ…勝永」

「ええ、やっと覚えて頂けましたか」

「軍服って、軍人さんじゃなくても軍服?」

「軍人さんの軍服ですよ。事務職の皆は少しデザイン違いで。似てますけどね」

「ええ…?あなたも軍人さんなの?」


思わず仰反る雪妃ににこりとして守ノ内は頷いた。


「余りそれらしくないですかね」

「分からないけど、まさかの。そっか、そうだったんだ」

「微妙に話が食い違うのはそれでしたか。今は蒸しますし、帯剣しなくてもここは平和ですからね」

「ははあ、割と自由なものなんだね。さっき会った人たちはぴしりとしてたのに」

「おや、聞き込みに行ってたんでしたっけ。誰に会ったんだろ」

「背の高いムキムキの逆立ったのと、初々しい若者たちだったよ」

「ふふ。祐たちかな、シスターさんたちが震えてしまうので、和やかな面子でと言ってたのにな」


胡座に組み替えながら守ノ内は苦笑を漏らした。目を瞬かせて見上げてくる雪妃に首を傾げ、照れたように空色の頭をかいた。


「そんなに物珍しいです?」

「軍人さんなんて早々お目にかかれないからさ。ははあ、これが勲章?えらい貼り付けてあるね」

「そうなんですね。私も勤めて長いのでこんなものですよ」

「まだ若いのにねえ、凄いんだねえ」


無遠慮にも左胸に飾られた数々のリボンに触れる雪妃を困ったように見下ろして、亜麻色の髪に乗った草葉を守ノ内はそっと払った。


「お嬢さん、抱きしめたくなっちゃうので、その辺で勘弁してください」

「はっ、ごめん。あとこの肩のピラピラだけ…」


肩章に食い付いて雪妃はモールのような総を引っ張った。環形の上に走る三本のラインに太陽がひとつ、花がふたつ飾られていた。


「成る程…勝永は若いのに何か偉そうな人なんだね、多分」

「うちは実力主義なので、お陰様で年齢は関係ないんですよ」

「へええ。ご立派です、明日の祭典も安全過ぎる程になるのかな」

「そうなるようにはしますが、お嬢さん。こうやって奔放にされると困るので目の届く所に居てくださいよ」

「承知仕りました」


恭しく首を垂れてはたと雪妃は固まった。白服には丁重に、粗相のないように。ダリアの柔和な微笑みと険しく眉間にシワを刻むモナが浮かんで、慌てて離れて正座を取った。


「勝永さま」

「何です、急に怖いですよ」

「馴れ馴れしくした事はご内密に…わたくしまた叱られてしまいまする」


目を瞬かせた守ノ内に深々と頭を下げて、雪妃は今更どうしたものかと顔を顰めた。フッと笑う守ノ内にも動じずに、生真面目な顔を作って空色の澄んだ瞳を見上げた。


「とはいえ、まあいいや。粗相はしてないもんね。よね?」

「ふふ。厳しいのが上に居るんですね」

「そうなんです。でもお世話になってるんだから多少は頑張らないとだよね」

「そうですね。でも良いんじゃないです?私は気にしてませんし」

「流石勝永さま、懐が深い」

「やめてくださいよ、怖いですよ」


持ち上げてくる雪妃に苦笑が深まった。

雪妃はパッと膝を崩して草に転がりなおす。緩々と泳いでいく白雲も目に優しくて、大自然の中に居るとやはりどこか夢心地になってしまう。


「面白いですね、お嬢さんは」

「そうかな、つまらない人間だよ」

「見てて飽きないというか、何をするか読めなくて。初めてですよそんな人」


顔にかかる亜麻色の髪を摘むしなやかな指に雪妃は目を伏せた。


「そんなの、勝永だってそうだよ。いつもニコニコしてて冗談なのか何なのか、何考えてるか分からないよ」

「私ですか?私はお嬢さんの事でいっぱいですよ」

「ほほう。そうやって口説いて回ってるんですね、お上手です」

「やだな、そんな軽薄そうに見えます?何年独り身で居ると思ってるんですか、私は奥手なんですよ」

「そんなに熟れてるのに?お兄さん」

「これでも必死なんです。お嬢さんの方が熟れ過ぎてスルスルと逃れちゃうから、どう捕まえたらいいのかと困ってます」

「オホホ…そりゃあ、浅くても二回りは長く生きてるんだからね。多分」

「え…?」


がばりと身を起こした雪妃に守ノ内は眉を寄せた。その顔に焦りの色を見て、響く鐘の音を風に聞いた。


「しまった、のんびりしすぎちゃった」


裾を払いながら立ち上がり、雪妃はぽかんとする守ノ内に笑みを向けた。


「衣装作り。徹夜になっちゃう」

「それはいけませんね。私も流石にお手伝いできなそうなやつです」

「ふへえ、またね勝永。うーんと、また明日?」

「ええ。晴れ姿、心待ちにしてますよ」


慌ただしく立ち去ろうとする雪妃の腕を取り、守ノ内はその手の甲に口付けた。ギョッとする顔ににこりとして、駆け去る姿をのんびりと見送った。


(王子さまか、あれは)


気恥ずかしくも手を摩りながら雪妃は走る。振り返ると呑気にも手を振る姿が見えて、ときめいてしまう自分を戒めるように頬を叩き、草原を駆け抜けた。

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