式典2。
叙勲式典は天守一階の層で催されるという。
夥しい数の白服たちが本丸に詰めて、城郭内はいつも以上に物々しい雰囲気だった。
唯一の出入り口となる鳳凰門へと繋がる跳ね橋の辺りに報道陣も殺到していて、真田と望月の後ろに守ノ内と並び歩きながら、雪妃は向けられるカメラに顔を強張らせた。
「何か…凄いね」
「城郭内にここまで入れる稀有な機会ですからね、皆朝からご苦労な事です」
苦笑する守ノ内は、アナウンサーの呼びかけにいつもの微笑みで答えて小さく手を振った。いえーいと大きく手を振る望月には、低く真田が悪態を吐いて諫めていた。
露出した木の梁も見事な天守内一層は、国の報道陣と叙勲賜る白服と、警備の白服が整然と居並んでいる。列の前方の端へと向かうのでソワソワしながらついて歩き、雪妃は大人しく並び立った。
「ユキチャン、おはようデス」
欠伸を噛み殺しながらふらりと横につくアルフォンスも、流石に例の女性研究員たちに咎められ整えたのか無精髭もなく、モサモサの赤銅色の頭もやや、すっきりとしていた。
白衣の下も派手な柄ではないがサーモンピンクのシャツで、早くもだらしなく緩んでいる赤ネクタイを苦笑しながら締め上げてやった。
「おはようアル先生、眠そうだね」
「昨夜も遅くなったデス、早く戻って仮眠取りたいデスネ」
「そうなんだ。大口開けてる所、撮られないようにしないとだね」
「ンフフ。気を付けるデス」
さらりと亜麻色の髪に触れる大きな手に漫然とした安心感を得る。微笑み見下ろしてくるアルフォンスは、いつもよりくっきりとした雪妃の目元に笑みを深めた。
「ユキチャンも綺麗にしてもらったデスカ」
「ね。朝から美容部員の人が来てくれてさ、わたしは立ってるだけなのにね」
「可愛いデスネ、互いに粗相のないよう気張るデス」
編み込まれた髪に触れながら、雪妃はそうだねと苦く笑った。
司会進行役は便利屋のパキラが務めるようで、その生真面目そうな面持ちにもまた、忍び笑いを溢してしまった。
「あの上の人、後藤さんと誰だろ?」
壇上の椅子に腰掛ける巨躯の隣に、線は細いがやたらと迫力のあるブロンド波打つ美貌の男と、やたらと迫力のある派手な見た目のプラチナブロンドの美女が足を組み座っている。
式典も始まり声を潜めながら、アルフォンスは楽しそうに含み笑いを漏らした。
「軍で一番偉いフレディ・ガルシア元帥サンと、次いで偉いルーリー・キューネル大将サン、デスネ」
「ほええ、ど偉いお二方なのかあ」
「エエ。鬼神の如きデス、怒らせたら怖そうデス」
「ひええ、気を付けないと」
紅い唇をニイと持ち上げるルーリーと目が合ったようで、雪妃はふるりと肩を震わせた。
光の君が緩々と壇上に姿を現すと、総員が敬礼をし緊迫感と静寂に包まれる。
最上級の麗しさを濃縮したような姿が一言二言短く言葉を述べると、パキラの生真面目そうな声が次へと進行した。
西の地、東の地での功労を称える声と共に、佐官たちが壇上へと流れていく。
恭しくも拝受する真田をぼんやりと眺めていると背を突かれて、雪妃はギョッとして振り返った。
「え…?まさかわたしも?」
「そうデスヨ、今回一の功労者デス」
「ふああ、そうなのかあ」
ドキドキしながら守ノ内の後へと続く。
にこりとした整った顔が光の君と何やら話し、こちらに振り向いてやはり笑みを浮かべた。首を捻りながら雪妃は壇上へと上がった。
「あのう…わたしも?良いの?」
「うむ。此度は大儀であった」
サテン生地に埋もれた勲章を渡されて、雪妃はわあと目を輝かせた。金色の輝きに薔薇が刻まれている。表彰されるような経験なんて一度もないので、感激に受け取る手も震えそうだった。
「今後の任も良く務めよ、雪妃。期待しておる」
「ははあ…有難き幸せ」
ウキウキしながら光の君の小さく笑む眩い顔にお辞儀をして、後方に陣取る迫力のふたりにも会釈をした。
ちょいちょいと指が招いて、雪妃はごくりとしながら軍服の胸元を窮屈そうに盛り上げる美女の方へと歩み寄った。
「貴様が猿か、可愛いもんだな」
「さ、ささ猿か?ぐぐう…」
「フフ、なあフレディ。勝永の女だとよ」
「…陛下の御前だ、控えろ」
ずしりと腹に響くような声だった。
鶯色の双眸が視線で行けと示すようで、雪妃は硬い笑みを貼り付けて頷き壇上から離れた。
(うへえ…恐ろしや)
ニヤニヤとするルーリーを背に感じながら、雪妃は足早に元の場所へと戻る。
尉官以下の叙勲受賞者が読み上げられる中で、やたらと疲弊しながら嘆息を漏らした。
「お疲れデス。後は好きなだけ食べてくるデス」
「おお…ご馳走、ご馳走が待ってるんだった」
「ワタシ、先に戻って休んでるデス。楽しんでくるデス」
「うん、またね。おやすみ」
光の君が静々と引いていくのにあわせて、アルフォンスはポンと雪妃の頭を叩き気怠げに出ていった。
「食事の準備をしてくれるようです。時間まで家で休んでましょうか」
「そっかあ、楽しみだなあ」
「おい雪妃、食い過ぎるなよ。パキラから聞いた。トレーニング表組んでやったから後で取りに来い」
「うげえ…優しめなのにしてくれた?」
「甘えるな、削ぎ落とせ」
ほやほやと未だ見ぬご馳走へと思いを馳せていた矢先、真田の低い声に気分も盛り下がってしまう。食べた分動けばいいのだと前向きに捉えて、苦笑する守ノ内の肩へと添えられた手に押され、天守を出た。
「目線、目線こちらにもらえますか」
「真田大佐、お話を」
曇り空の下、跳ね橋の向こうで報道陣に取り囲まれる白服たちの姿が見える。
テレビで見た事ある光景だ、と雪妃は肩を竦めて守ノ内をちらと見た。確実にこの呑気な男も捕まるんだろうな、と少し離れようとしたが、肩を押す手からは逃れられなかった。
「ねえ、巻き込まれたくないんだけど…」
「大丈夫ですよ、適当に通り抜けましょう」
「そう?頼むよ」
涼しい顔はにこりとして身を寄せてくる。のんびりと歩く空色の頭に報道陣が向くのも、そう時間はかからなかった。
「守ノ内中佐、おめでとうございます」
「ええ、ありがとう」
「功労のお話、お聞かせ願えませんか」
憮然として足早に行ってしまう真田から波が押し寄せてくる。フラッシュの嵐は微笑む守ノ内へと激しく明滅し、ひょええと雪妃は慄いた。
「そちらは…?事務員の叙勲もありましたか」
「私の隊員です、以後お見知りおきを」
「隊員ですか?初の部隊という訳ですね、併せておめでたい」
「そうなんです。輝かしい第一号ですね」
照れ笑いを浮かべて答える守ノ内を、雪妃は渋面で見上げる。
(さっさと通り抜けるんじゃないんかい)
集まる視線に愛想笑いを浮かべつつも、さり気なく肩をぶつけて急かす。しかし悲しい事に、うまくは伝わらないようだった。
「華都でよくご一緒されてた方ですよね?仲睦まじくも過ごされる目撃情報が多々…」
「ええ。お陰様で」
「ちょっと、勝永さん」
「ずばり、熱愛発覚という事ですね?」
興味津々に迫る報道陣へと気圧されそうになりながら、雪妃は足を止めがちな守ノ内の袖を引っ張った。
にこりとした空色の双眸はその手を絡めとって、事も有ろうか唇を落としてみせた。
「私の婚約者なんです。温かく見守ってください」
どよめく報道陣にびょええと雪妃は項垂れた。先日シロツメに聞いた通りなら、そう演じなければならないのだろうか。もう好きにして、と抱き寄せてくる腕に引きつった笑みを浮かべておいた。
「婚約者、電撃結婚ですか?」
「それは追々、ですかね」
「出会いは?どのように愛を育まれて…」
「お疲れのようなのでこの辺で、失礼しますよ」
「ああ、守ノ内中佐。きっかけは?ファンの方へ一言是非」
「プロポーズはもうお済みで?どのような方なんですか?」
「ええ。私の全てですよ」
のんびりと歩きだす守ノ内にホッとしつつも、雪妃はおのれえと睨み上げておいた。
「勝永さん、君ね。今ここでそれを言う?」
「ふふ。折角なので」
「必要なのかもだけどさあ、先に言ってよ。演じるにも心の準備というものがですね」
「おや、演じるとは何です?」
「うう…何か疲れが。ご馳走、ご馳走を励みに生きるよ」
項垂れる雪妃に首を傾げ、守ノ内は楽しそうに笑った。
「そうです、ご馳走が待ってますよ」
「わあい…ダイエットは明日からだい」
「そんなの必要ありませんよ、祐みたいになられても困っちゃいます」
「流石にあれまでいったら、わたしも困っちゃうよ…」
「ふふ。どんな姿のお嬢さんでも、私は愛してますよ」
「ふふん…ぶくぶくに肥えてやるわ」
腹の辺りを触ろうとする守ノ内の手をぺちんと叩いて、ここからぐるっと半周する事となる佐官邸までの道のりを雪妃はノソノソと歩いていった。
***
場所は再び天守の一階層。
あの後部屋に押しかけてきた望月と、やはり巻き込まれた真田と雑談して時間を潰し、遅い昼食となる祝宴の場へと赴いた。
壁一面のよく分からない獣のような絵はそのままに、立食形式に整えられた華やかな雰囲気にはやはり気分も盛り上がった。
「天国だ…ここは天国」
目を輝かせる雪妃に守ノ内も微笑んだ。
佩用金具に飾られた勲章も明かりに煌めいて、左胸に収まった。守ノ内に留めてもらったその重みを噛みしめていたのも束の間、豪華な食事を前に誇らしげな気持ちも吹き飛んでしまう。
「録事殿、おめでとうございます」
肉だニクだと白いテーブルクロスの前に陣取った雪妃は、かけられる声に一瞬自分の事だと気付けなかった。
「ロクジ…そう、わたくしは録事」
「そうですよ、役職名を忘れないで」
苦笑する白服にへへと笑みを返す。
以前、西の地の城でパキラと共に客間の見張りをしていた気弱そうな兵卒、アンシェスは今度の南の視察でもご一緒するとの事だった。山吹色の髪と瞳をした好青年も、本日受勲した煌めきを左胸に飾っていた。
「あんまり話すと叱られるので少しだけ、今いいですか?」
「うん?叱られるんだ?」
「そうなんです。軍曹もだけど、ほら、中佐がね…」
「ええ…?誰も叱りゃしないよ」
渋い顔で肩を竦めて、雪妃はアンシェスの後ろの白服たちにも会釈をした。えへへと照れたように頭をかく若者たちは初々しい。
「折角訓練所とかで見かけるのに、中々お話もできないから」
「確かに。煩いのは気にせずお気軽に」
「本当ですか?じゃあ遠慮なく」
いそいそと端末を取り出す兵卒たちにお任せして、斜めがけから腰のベルトループへと留める形に変えてもらった鞄から記録端末を手渡し登録してもらった。
「ありがとう、光栄です」
「いやいや、そんな大層なものではござらぬ」
沢山並んだ顔と名前に、誰が誰だか覚えるのも大変そうだと見比べながら苦笑した。
「守ノ内中佐と婚約されてるんですよね、斬られない程度に仲良くしてください」
「お、おう?そうね、何と言ったらいいやら…こちらこそ」
複雑な想いで笑みながら雪妃は頷いた。
嬉しそうに去っていく後にもあちこちと登録をしてもらって、連絡ツールも随分と賑やかになった。
「肉はまあ良い、甘いのを食い過ぎるなよ」
「うぐ…甘いの、いっぱい、食べたい」
「喧しい。適量だ」
ローストビーフを鼻歌混じりに幾重にも盛っている横で、現実に引き戻す低い声が響いた。真田もまた大食漢のようで、更に皿を盛り上げていた。
「そういえばもっちは?」
「聞くな、どうせ女の所だ」
「あ、はい。予想の範囲内でござった」
「全く、どいつもこいつも」
苦い顔は口いっぱいに肉を頬張る。
食べ盛りの中学生のようだ、といつも微笑ましくもそれを見てしまった。
甘酸っぱいソースのかかった肉と、こってりとした見た目の肉と、少しの野菜を添えて雪妃は守ノ内の元へと戻った。
「勝永は食べないの?」
「あまり腹は減ってなくって。お嬢さんは遠慮なく食べてくださいよ」
「そこは抜かりなく。勝永は少食だよね、少しでもお腹に入れときなよ」
「ふふ。心得ましたよ、お嬢さんの少し分けてください」
「うん。また取ってくるし、好きに食べていいよ」
手にした肉盛りの皿を差し出すと、守ノ内は小さく笑って赤い野菜を指差した。
「それがいいです」
「う、うむ。どうぞ」
口を開けて待機する守ノ内へと躊躇いつつも、その口へとミニトマトを押し込んでやった。
肉汁滴る薄い一枚を齧り、雪妃は甘酸っぱいのも良いなあと頬を緩めた。
「ふふ。お嬢さんって、本当に美味しそうに食べますよね」
「美味しいからね、美味しい顔にもなるよ」
「それは何よりです。私にもひと口ください」
「どうぞどうぞ」
いつも丁寧にひと口大に切り分け食べているのを思い出して、雪妃は薄いのを引きちぎりレタスを巻いて差し出してやった。
「お兄さん、自分で食べなさいよ」
「嫌です、お嬢さんが良いです」
「へあ?何でそんな…」
口を開けて待つ守ノ内へと眉を寄せてしまう。上品にも口にして静かに咀嚼する様子を横目に、雪妃はこってりの方へと齧りついた。
「だってお嬢さん、皆に囲まれるんですから」
「へ?」
「嫌ですよ、他にその可愛いお顔を向けるのは。私だけにしてください」
「ええ…?あれは別に、何て事ない交換であってですね」
「妬いちゃいます。お嬢さんは私のです」
いつもの微笑みに僅かに滲むのは何だろう。ポカンとして、その後フッと笑み雪妃は肩を揺らした。
「やだな勝永。何それ、可愛い」
「え…」
(拗ねてるのかな、可愛いもんだ)
くすくすと笑う雪妃に守ノ内は目を瞬かせた。
「何を言いますか、可愛いのはお嬢さんですよ」
「いえいえ、そういうのも良いと思いまする。そうだよね、まだ若いんだもんね」
「いえ、子供扱いしないでくださいよ」
「そういう訳じゃないけど。よしよし、おばちゃんが食べさせてあげようね」
「え…いえね、それは嬉しいんですけど」
満面の笑みでフォークに刺した肉塊を差し出してくる雪妃に、守ノ内は眉を垂れた。
いつもの緊張感もなく、寛いで歓談する白服たちの楽しそうな声が辺りを包んでいる。ちらちらと向けられる視線にはもう慣れていたし、元々そこまで気にする方でもなかった。
それでも、渋かったり困惑したりも多いが常に楽しそうに笑っている隣へと向けられる視線には、この呑気な男も蟠るものもある。
「どしたの?もう要らない?」
首を傾げてぱくりと食べてしまう雪妃に長く息を吐いて、守ノ内はその手の皿を取り上げ側のテーブルへとコトンと置いた。
「…ねえ、お嬢さん」
「うん?」
もぐもぐしながら雪妃は守ノ内を見上げる。
壁にもたれかかっていた空色の髪の男は背を離し、フォークを握りしめた雪妃の腕を掴んで壁に押し付けた。
「な、何?」
「私は、あなたが欲しくて欲しくて堪らないひとりの男ですよ。それを忘れないで」
「ぶえ…か、畏まりました」
壁に縫い付けられてヒョエエと塊肉を嚥下した雪妃は、澄んだ空色の奥で揺らめくような光を覗き見た。女避けの為の相手にもここまでするのかと、周りの注目を浴びているのをちらと認めつつ肩を落とした。
「お嬢さん、ソースがついてます」
くすりといつもの様子で笑う守ノ内に少しホッとし、雪妃はバツが悪そうに口元を拭った。
「あらやだ、取れた?」
「ふふ。取ってあげましょう、また目を閉じますか」
「オホホ…口元でしょ?目は瞑らなくても」
「そうですか。ではじっとしててくださいよ」
頬に触れる手はいつも温かい。
ゆっくりと迫る整った顔に目を瞬かせて、口の端を舐めとる柔らかな感触にギョピと肩が震えた。
「きっ、きき君ね」
「グレイビーソースですか、少し煮込みすぎですかね」
「あのねえ…」
「おい、いちゃつくな。陛下をお見送りに行くぞ」
微笑む守ノ内の襟首をぐいと豪腕が掴む。狼狽える雪妃を一瞥して、真田は顎で示し足早に踵を返した。
「お見送りですって。お嬢さんも行きます?まだ食べてますか」
「お、おう。行こうかな」
「ええ。私も満腹になりました」
にこやかに手を取られて、そのまま引かれるように白服たちの間を縫い歩く。
(くそう…イケメン大魔王め)
さり気なく口元を拭いながら、雪妃は先程連絡先を交換した初々しい顔たちに手を振り笑みを返す。その手に握りしめたままだったフォークを苦い顔のパキラを見つけて押し付けておいた。
天守を出るともう報道陣の姿もなく、警備の白服だけのいつもの光景だった。雲間の光に目を細めて、静々と御殿へと向かう麗しの姿をぼんやりと見送った。