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式典。


「叙勲式、でございますか」


訓練所で短剣を握りしめていた雪妃は、聞き慣れない単語に首を捻る。気怠げに座り込みアイスブルーの頭をかいたパキラがやはり気怠げにそうだと頷いた。


「春と秋に陛下より賜るんだ。勝永さんとか胸に沢山つけてるだろ」

「ははあ、勲章ってやつかあ」

「そそ。明日はそれで訓練はないからな。忘れてこっちに来るなよ」


武器訓練は一通り終えたとの事で、蒼念は経理課の方へと詰めているらしい。少し寂しく思いつつも、雪妃は刀を振る軍人たちの隅でやる気のなさそうなパキラについてもらっていた。


「式典って事は、まさかその後ご馳走が…」

「そうだけど、おまえな。少し肥えただろ」

「うぐ…だってここの食べ物美味しいんだもの」

「それ以上肉がつくと動けなくなるぞ、走るか」

「ええ…?世知辛いなあ」


短剣を元の場所に返して渋々とパキラに続く。タラタラすんなと舌打ちする背に、渋い顔は確かに重くなりつつある体に余計に渋さを増した。


「祐さんに頭下げろ。あの人のはハードだけど確実に筋肉つくぞ」

「うげえ…あんなムキムキになるの?」

「ブヨブヨよりはマシだろ、何だよこの腕」

「これ、パキちゃん。乙女の柔肌に気安く触れるでないぞよ」

「誰が乙女だよ、クソババアなんだろ」

「ひ、君い、ぶん殴るよ」

「煩えな、事実だろ」


ふにと二の腕を掴むパキラに、雪妃はにこりと顔を歪めた。息子でもおかしくない年頃のこの軍曹は、出会った当初と変わらず口が悪く態度も悪い。上官の前では生真面目な態度を取る癖に、と振り上げた拳は容易くぱしりと受け止められてしまう。


「へなちょこが、十年早えわ」

「ぐぬぬ…この若造め」

「煩えババア」

「君い、もっと年長者を敬いたまえよ。おねえさんは悲しいよ」

「お姉さん?どこに?清楚で綺麗なお姉さんなら紹介してくれよ」


から振る腕をケラケラと笑って避けながらパキラは先を走る。おのれえと追いながら、雪妃はアイスブルーの短髪に怨念を込めてひたすらに拳を振るった。


「良いなあ軍曹…楽しそうで」

「羨ましいよな、毎日あれは」


最早訓練所の風物詩である。

駆け回り対峙し笑い合うふたりは、傍目には戯れあっているようにしか見えない。その会話の内容は色気のかけらもない陰惨たるものなのだが、それを知るのは啀み合う本人たちだけであった。


「そういやユキ、おまえさ」

「ん?」

「勝永さんとはどうなの?マジでデキてんの?」

「うべ…いえ、何といいましょうか」

「おまえにゃ勿体なさすぎるだろ、何か弱みでも握ってんのか?」

「ええ…?特にそういうのはないけども」


白の革靴は弾力のある地面を蹴る。

弱みかあ、と呟いて雪妃は躊躇いがちに名前をあげた。


「シロちゃんがさ」

「は?誰?」

「武器課のかわいこちゃんの」

「ああ、シロツメさんか。おまえと違ってお淑やかそうな」

「そう、あのかわいこちゃんさあ。その、勝永の好きそうなタイプじゃない?」

「さあ?勝永さんあれで女っ気ないからなあ、だからいきなりおまえで仰天してんだよ」

「むむ…いえね、わたしもそう思うよ?謎すぎるもん、ああいう子のほうが、というかさ。あのふたりがデキてんじゃないの?」

「そうなのか?幼馴染とは聞いてるけど、そうは見えねえ」

「いや、知らないけど。もしそうだったらわたし、お邪魔でないかなあと思ってさ」


胸がチクリとするのは、守ノ内へというよりはシロツメに対してだった。直接聞くのも何となく憚れるが、若いふたりの恋路の邪魔なんてしたくはない。


「おまえの方が勝永さんとベタベタしてんじゃん。鬱陶しい程に」

「はえ?そ、そうだよね。ここではやめてとは言ってるんだけども」

「全くだよ、家でやってろよ」

「いえ、おうちでもそういうのは…」

「フン、まあどうでもいいけどな。勝永さんの趣味を疑うぜ」


そろそろ昼か、パキラは足を止める。

ぶえ、とその背にめり込んで、雪妃は不服そうに少しだけ上にある涼しげな少年の顔を見上げた。じっと見下ろすアイスブルーは、ふと細い眉を寄せて口元を持ち上げた。


「何だそれ、顔にゴミ乗せるのが流行ってんの?」

「へ?ゴミ?」


ぺっぺと顔を手で払い雪妃は顔を顰めた。


「取れた?」

「さあ?そのまま乗せとけば?」

「おい、パキちゃん。乙女のメンツというものがですね」

「パキちゃん言うな、誰が乙女だ」


睫毛、と渋面で伸びてくる指先に、雪妃は同じく渋面で目を伏せた。目の下をカリと引っ掻く感触に、思わず低く唸った。


「乙女の柔肌はもっと優しく扱いたまえよ」

「煩えなあ、ありがとうございますパキラ様、だろ」

「へえへえ、恩に着ます」

「動くなよ、目潰ししても怒るなよ」

「怒るよ、それはもうけたたましく」

「勘弁してくれ」


肩を押さえて頬を弾くと、抜けた睫毛はふわりと消えた。黙ってりゃ可愛いのに、とパキラは目を瞬かせる雪妃に嘆息を漏らした。


「取れた?」

「さあ?」

「あのね…責任を持って最後までやり遂げるのじゃ。それが君の使命です」

「はあ?知らねえし」

「知って、さあさあ」

「煩えな、もう」


乱雑に頬に触れながら、はたとパキラは固まった。目を伏せ待機する雪妃に、これはと冷や汗すら流れた。赤くなる顔はしかし、次にはサッと蒼ざめた。


「おやパキラさん。お嬢さんは私のですよ、お手は触れぬよう」

「か、勝永さん。これは別に、その」


びくりとしながら離れて、パキラは慌てて言葉を探した。お昼か、と雪妃は微笑む守ノ内の姿から後方の時計を見遣った。


「気持ちは分かりますが、中々良い度胸をしてますね」

「ち、違うんです。顔に、その」

「ふふ。この可愛らしいお顔が何です?」

「睫毛落ちてたんだって。もうない?」

「ああ、そうでしたか」


にこりとして守ノ内は雪妃の頬を撫でた。まだ取れてないのかと目を閉じ、少し上向きになる様子に空色の瞳は細まった。


「…そのまま、お嬢さん」

「ん?分かった」


愛おしげな微笑みを横で見て、ああとパキラは震える。何かの間違いなのではと少し疑ってかかっていたが、どうにも疑いようもなかった。


(勝永さんも、こんな顔するんだな)


何故か息苦しさすらあって、パキラは胸元を握りながら目を逸らした。

閉じた瞼に唇を寄せて、守ノ内はギョッとする雪妃に微笑んだ。


「さて、お昼ですよ」

「うお…おう、そうか」

「今日は総務の方と、でしたかね。行きと戻りはご一緒しましょう」


では、と腰に手を添え守ノ内は促す。

敬礼も忘れて立ち尽くし、パキラは苦く噛み潰すように、まだ幼さを残す白い面を歪ませた。



***



「雪妃ちゃん、こっちこっち」


騒めきを増させる空色の髪をした男の横へとシロツメは手を振った。

出入り口近くの席で、総務部の女子たちは恍惚と中佐の微笑みを見上げていた。


「では、また後程」


にこりとして中央へと行ってしまう守ノ内を嘆息混じりに見遣って、お邪魔しますと席に着く雪妃へと綺麗な身嗜みの面々は身を乗り出した。


「でかした、でかしたよシロツメ」

「うふふ、でしょ?皆お待ちかねの雪妃ちゃんだよ」

「お待ちかね?何で?」


キョトンとする雪妃は、甘い香りも漂ってきそうな同年代の事務員たちへと首を傾げた。


「そりゃあ、ねえ?」

「仲良くなれば、守ノ内様とお近付きになれるかもだし?」

「ははあ…それならシロちゃんの方が」

「そうなの、そうなんだけどね。シロツメはほら、妹扱いだし」

「そんな事ないもん、ちゃんと女として見てもらえてるもん」


ぷうと膨れるシロツメは相変わらず可愛らしい。雪妃は苦笑しながら、先にランチのトレイを受け取りに並び戻った。


「雪妃ちゃんの、軍服とも事務員の制服とも違うんだね」

「本当だ、微妙に違う?」

「何たって守ノ内部隊だもんねえ、一緒に視察とか良いなあ」

「でも危険なんでしょ?雪妃ちゃん平気なの?」

「え、そんな危ないものなの?」

「さあ?軍の事はよく分かんない」

「でもさあ、守ノ内様が守ってくれるんでしょ?はあ羨ましい」


お姉さんぽい方が経理課のハナミル、快活そうな方が装備課の結衣香だと紹介される。ランチのポトフへとフォークを落とし、雪妃は大ぶりな人参へと齧り付いた。


「成る程ねえ、守ノ内様ってこういうタイプがお好みなんだあ」

「んぐ…いえいえ、わたくしなんてとても」

「一緒に住んでどう?守ノ内様の寝顔、可愛い?」

「さ、さあ?わたしいつも先に寝ちゃうから」

「えー?勿体ない、あわよくば…とかないの?」

「いえいえ、滅相もございませぬう」


具材の甘みも濃縮されたスープを掬って、雪妃は苦笑するしかなかった。少し、シロツメの見てくる目が痛かった。


「まあさ、婚約者といっても仮のでしょ?カッちゃんは紳士だし、手も出さないでしょ」

「え?そうなんだ?」


向けられる視線に、思わずぽろりとくたくたに煮られた玉ねぎを落とす。

仮の?と雪妃も首を捻り、シロツメのオレンジ系の紅に塗られた口元を見遣った。


「え?そうでしょ?また視察先でお姫様やらに迫られないように、婚約者だとか言って連れていくんじゃないの?」

「な、成る程ね。そういう事なんだ」

「へええ?仮でも羨ましいよお。側に居れるだけでも多幸者だよね」

「間違いないね、雪妃ちゃんは可愛いし身のこなしも良いから選ばれたとか?」

「むむ…どうなんだろね、聞いてないから分からないけど」


(ははあ、そういう事かあ…)


曖昧に笑みながら雪妃はフカフカのロールパンをちぎる。教会のものとは違い、しっとりとして甘い。噛みしめながら、お近付きの印にと結衣香からもらった苺ミルクのパックへとストローを刺した。


(そういう事なら、気負わず受けれるんだけど…)


目元に落とされた口付けを思い返しながら雪妃は眉を寄せた。所謂女避け対策にしては、今までの言動はやや深すぎないかと唸ってしまう。分からないものだな、と少しだけモヤリとしつつ他愛のない会話に笑みを向けた。


「雪妃ちゃんもカッちゃんの事、好きなの?」

「へ?」

「あれだけカッコイイもんね、側に居たら好きになっちゃうかあ」

「んん、大変お世話にはなってるけども…」

「あたしはね、まだカッちゃんが小さくて痩せてて女の子みたいだった時からずっと、好きなの。もしも違うんだったらさ、くっつくのは最低限にしてもらいたいなあ。ちょっとヤキモチ焼いちゃうもん」

「そ、そっか。ごめんね」

「ううん。お仕事だもんね、あたしも我慢するよ」


にっこり笑うシロツメは安堵の色を浮かべる。恐いわあとハナミルも苦笑した。


「またタイミング合う時皆でお茶しに行こうね」

「良いね、でもさあ彼氏と会う日に被せてこないでよ?」

「恋人より友情優先じゃないの?ハナミルは酷いんだから」

「フフフ、そういうシロツメなんて絶対的守ノ内様最優先な癖に」

「当然じゃない。ただでさえ貴重なんだからね、カッちゃんと会えるなんて」

「はいはい。高嶺の花というか、恐れ多すぎるけどね。精々頑張って」


守ノ内に限らず、中枢の白服たちに憧れない女は居ないだろうが、皆遠くから見つめるだけで精一杯、それだけでも幸せだというのに。それが一般的な声である。

しかし幼馴染というアドバンテージがある分か、シロツメは誇らしげに任せてと華奢な胸を張ってみせた。


(うう…吾輩、どうすべきなんじゃろか)


彼女らよりずっと長く生きていても、こればっかりは妙案も浮かばなかった。取り敢えず美味しいランチを可愛い事務員たちと堪能する事にして、雪妃はモヤモヤを奥底へと押し込めた。


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