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中枢5。


ポツポツと降り出した雨に、研究所へ向かうのはまた後日となった。いつも見かけたニマニマとした顔を見れないのは少し、物足りなかった。

守ノ内は召集がかかったとの事で屋敷を出ている。代わりに幾つか本を置いていかれたので、それをペラペラとめくっている所だった。


(この国の歴史とか時事問題とかだったらお手上げだなあ)


一般教養の書籍は、活字を追うのが得意でない雪妃には暗号文章のようにも見える。ポイと座卓に放って畳に寝転がった。

四角い木枠の明かりがぶら下がっている。実家の天井みたいだな、とぼんやりと見上げていると玄関の方が俄かに騒ついて、雪妃はコソコソと覗きに行く事にした。


「あ、すいません。お届け物です」

「ああ、どうも。ありがとう」


緑色の制服を着た配達員に差し出される小さな紙に、取り敢えず守ノ内の名でサインをしておいた。

続々と運び込まれる箱に口元も引きつってしまったが、大人しく見守った。先程の百貨店からの荷物のようだった。


(これまた…至れり尽くせりだなあ)


衣類等、とあったので自分のものだろうなと勝手に開けていくと、確かに無難なワンピースやらがこれでもかと詰まっていた。下着とタオルと洗面用品と、化粧品と。赤い箱には酒と書いてある。守ノ内が呑むのかなと、それだけはよけておいた。

整然とした部屋にこれらを並べるのも何だか気が引けるものだった。

外は雨だし座学に勤しむ気力はない。

怠惰な少女は机に突っ伏して、軈て惰眠へと突入していった。



***



「大陸の斥候、か」


本丸の御殿に集められた高官たちは、段上の光の君の逡巡するような白い美貌を前に控えていた。


「相変わらず堂々たる斥候ですよね。いつもの三人のようでしたよ」

「ふむ」

「何で捕らえないんだ、毎度見逃しやがって」

「だって、街中でしたし。お嬢さんが居るのに、手荒な真似はできませんよ」

「あのなあ…」


深々と溜息を吐く真田へと困ったように守ノ内は微笑んだ。

本丸の謁見の広間は閉ざされている。雨音も静かに届く畳の間で、其々刀を右手側に置いた高官たちはやや重い表情となっていた。


「手は出さずともよい。捕らえた所で口も割るまい」

「は。仰せのままに」

「しかし斥候を送るばかりで沈黙よの、こちらからの動きでも待っておるのか」

「…紫庵めはまた、良からぬ秘術を生み出しているとか。大陸では失踪者が後を絶ちません」

「ふむ。夢登、卿が向かうか」

「御意。書状は未だ返りなしでありますか」

「あれは送りつけてくるばかりでのう。構わぬ、続けよ」

「は。仰せのままに」


さらりと透き通るような美貌を包む金髪が流れる。

少将・安羅石夢登は平伏し、所作美しくも退室していった。


「陛下、各地の視察は引き続き勝永らに?」

「うむ。問題あるまい」

「御意に。恐れながら、近場の小国は尉官にと存じます」

「そうか。任せる」

「は。仰せのままに」


平伏する真田を見遣って、光の君は静々と退室していく。

残された守ノ内のにこやかな顔を一瞥して、真田は苦々しく吐き捨てた。


「あの馬鹿は?また来てない」

「もっちさんなら、後藤さんに捕まってるみたいですよ」

「馬鹿が、こってり絞られると良い」

「楽しそうにお話してましたけどね、後藤さんも優しいから」

「フン、体も頭も緩みきりやがって」


玄関で番傘を開き差し出してくれる守ノ内から乱雑に受け取ると、足早に櫓門を潜り抜ける。


「安羅石さんが出るとなるとまた、荒れますかね」

「どうだかな。おまえもすぐ戻れるようにしとけよ、キビキビやれ」

「大丈夫ですよ、優秀なのが上に下に沢山居るんですから」

「気構えの話だ。大体おまえはなあ」

「ふふ。まあまあ。ほら、絞られてきたのが来ましたよ」


渋い顔へと微笑んで、守ノ内は番傘を手にピョコピョコ跳ねてくる望月へと手を振った。


「あれえ?もう終わっちゃったあ?」

「ええ。安羅石さんが大陸へ、他は引き続きですよ」

「ふわん、夢登さまの綺麗なお顔、拝みたかったのにいぃ」

「喧しい。おまえはこのまま三の丸を走り込んでこい。十周してこい」

「えええ?!やだあ、この雨の中?鬼すぎない?!」

「百周にするか」

「あああもおぉ酷いんだからぁ!祐の馬鹿ぁ!筋肉魂!剣豪の誉れえぇ!」


頰肉を震わせながら望月は来た道を引き返す。辟易と肩を竦めて真田は歩を進めた。


「兎も角、腑抜けるなよ。嫌な予感がする」

「そうですかね、平和でありたいものです」


気楽な微笑みは天守を見上げる。

権威の象徴として代々改装を繰り返されてきた佇む塔は、揺るぎない中枢の顔として尚、聳え立っていた。



***



スヤスヤと眠るその肩へと上着をかけてやって、守ノ内はくすりと笑みを溢した。

雨は上がり、辺りは静寂に包まれる。

投げ出された書籍を座卓の隅に立てて、詰まれ開けられた箱を眺めながら私服へと手早く着替えた。


「あれ、勝永。おかえり」

「戻りました、おはようお嬢さん」


涎を拭いまだ微睡む目を向けてくる雪妃へと優しく微笑む。


「荷物、届きましたか」

「うん…こんなにいっぱい、ありがとね」

「いえ。また必要なものがあれば何なりと」


畳へと胡座をかいて、守ノ内は座卓の上へと目を細めた。水を張った器に薔薇が浮かんでいる。祭典でのひと騒動も遠い昔の事のように感じられた。


「そうだ、お嬢さんにこれを」

「うん?」


開けられた形跡のある封筒を渡され、雪妃はキョトンとして受け取る。


「城に届くのは検閲されるので、開いちゃっててすみません」

「手紙?ジェラからだ」


癖のある丸文字を懐かしくもなぞった。

皆元気でやってる旨と、城の侍女になった旨が書かれている。

基本的には教会での日々のお務めとそう変わらず、ただ女王の美貌に見惚れながら身の回りのお世話が出来るのは光栄で、至高の時間とも書かれていた。


(結局侍女に…でも楽しそう、なのかな)


女王は伏せりがちだったが、おやつに焼き菓子と果実のジュースで過ごし、今の所被害も出ていないとあった。ホッとしつつも、最後の一文に雪妃はくしゃりと手紙を握りしめた。


「シスターのお友だちからですか、返事を書くなら渡しておきますからね」

「う、うむ。頼もう」


ひょこと覗き込んでくる守ノ内に曖昧に笑んで、丁寧に畳んで封筒の中へと戻した。


「式には絶対呼んでね、ですか。是非とも西の地の皆さんをご招待しましょうね」

「うおおい、見てたんかい」

「ふふ。すみません、私目が良くって」


照れ笑いを浮かべる守ノ内の腕をぺしりと叩いて、はあと雪妃は項垂れた。


「お勉強は進みませんでしたか」

「うう…生きてく為にも色々知っといた方がいいんだろうけど、字だらけなのはどうにも」

「試験自体は問題ないでしょうしね。お嬢さんの日頃分からないのは、私が側に居ますので。こちらも問題ないですかね」

「そ、そっか。分からない事あったらしつこく聞くよ」

「そうしてください。愛する人に頼られるというのは、気分が良いものです」

「へい…もう好きにして」


髪を撫でてくる手をそのままに、雪妃は力なく呟いた。余程の醜態でも晒さない限り、この穏やかな男の微笑みからは逃れられないのだと分かってきた。


(清楚からは程遠いし、じきに思ったのと違うとか云々で離れてくれるかなあ)


それはそれで惜しい気もするが、今はこの十分すぎる環境を有難く受け入れておこうと、取り敢えず低姿勢にもお茶でも振る舞う事にした。

緑の茶葉はよく知った香りがする。

電気ケトルに水を張って手持ち無沙汰に窓の外を眺めていると、フッと背後に差す影に肩も跳ねた。


「な、何?」

「お湯が沸くまで、少しだけ」

「お、おう…」


背から抱き竦めてくる腕に雪妃は低く唸った。

薄いシャツから伝わる熱は息苦しくなる程で、挙動不審になる自分に落ち着けやと内に唱えておいた。


(困ったな…)


視察にいつ、どれくらいの頻度で出るのか知らないが、毎日この調子で共に過ごすのはよろしくない。きっと身が持たない。

いい歳したのが中身なのだとよくよく考えてもらいたいのだが、微笑み流されてしまうのは目に見えていた。

それよりも先に自分の方が陥落してしまいそうで少し、怖かった。


(二回りくらい下の子相手に、って誰か貶し諫めたまえ…おばちゃん死んでまうわあ)


カチリと電気ケトルが鳴って沸騰を知らせる。

静かに抱きしめるばかりの守ノ内の腕の中で身動いで、雪妃は大人の余裕をと念じ口を開いた。


「沸いたよ、お湯が沸きましてよ」

「気のせいです」

「はえ?いや、カチッていったね?湯気でてるよ?」

「熱湯は火傷してしまいますよ」

「そうだけど、ほら。お世話になる感謝を込めてだね、お茶をわたくしめがですね」

「お茶より、お嬢さんが良いです」

「ぷへ…お茶に勝利したのは嬉しいんですがね、ねえ勝永さんよ」

「お嬢さんが好きなんです、どうしたら私の事、好いてくれますか」


押し退けようとした腕が力を込めてきて、雪妃は困惑しながらも押す手を引っ込めた。


「いえ、あのね。わたしも勝永は好きだよ?こんな良い坊ちゃんを嫌いにはなれますまいて」

「違うんです。その好きよりもっと上の好きになって欲しいんです」

「ははあ…おばちゃんね、恋愛なんてもう遠い昔の事でござって、どうにもこうにも」

「そうですか、では思い出して。今も昔も、関係ありませんよ」

「む、むむう…」


そっと離れていく守ノ内に雪妃は難しい顔で唸った。にこりと見下ろしてくる空色の瞳はいつも澄んでいて、真っ直ぐだった。


「お嬢さんが煩ってる事が段々と見えてきました。私は、それを払えば良いという訳ですね」

「ん?んん…?」

「お任せください。この勝永が見事打ち払い、お嬢さんをこの手に勝ち取りましょう」


整った顔の決意を秘めた姿は神々しい。

立ち尽くし唖然と見上げるしか出来なかった雪妃は、出番を待つ電気ケトルから立ち昇る湯気を横目に、やはり立ち尽くしていた。



***



一緒に食事をと攻め込んできた望月と、ついでに渋る真田も巻き込んで、賑やかな夕食となった。

あの赤い箱の酒は真田の好きな焼酎だったらしい。騒がしくも呑みだす中で先にと守ノ内に促され、雪妃は湯殿へと向かっていた。

雨は上がり星空が覗いていた。西の地よりも狭く低くも見える夜空。

良い塩梅に湯殿の横に足場があったので、一応辺りを見渡しつつもソイヤと屋根に登った。


(身軽な身体は良いね、楽しい)


見上げた先には石垣が詰まれ、本丸と呼ばれていた天守を構える曲輪がある。

屋根を三軒も飛び越えてしまうような足が守ノ内だけでないのなら、この堅固そうな城郭もあっという間に攻略されてしまいそうだった。この世界の人々は皆身軽なのだろうか。


(そもそもこんな高い塔、いい的になりそうだよね…)


不意にカタリと音が鳴って、見遣った先に白い面が覗いた。木枠の窓の隙間、遠目にも分かる眩い御姿である。

本丸は天守と、高官との謁見の広間と、あとは光の君の居住スペースだと聞いていた。

マズいかな、と思いつつも雪妃は酷い愛想笑いと共に、目を瞬かせたような光の君へと手を振ってみせた。


「こんばんは、王さま」


この距離で聞こえるかは謎だったが一応ご挨拶などしてみる。大声を張れば真田あたりが憤怒の表情で飛び出してきそうだった。

小さな声はやはり聞き取れなくて、雪妃は着替えの入った籠を屋根に置くと、石垣に飛び乗り石の継目を辿って渡櫓の前までよじ登った。


「何か言いました?」

「ふむ。そなた、確かに祐の言う通りであるか」

「むむ?王さままでアレを言いますか」


猿か?猿と言いたいのか?と雪妃は憮然として眩い姿を見上げた。


「客人と知らず、鼠と違われ撃ち落とされよう。控えよ」

「ははあ…あんまり登らないよう気を付けまする」

「うむ。して、湯殿上で何をしておったか」

「え?いえ、何か登りやすそう…いや星を、星をですね。見やすいかなって」

「そうか。今宵は薄いが星も臨めるか」


色のない双眸が上を向いて、雪妃も見上げようとして、しかしギクリと身を竦ませた。

別の格子窓から覗くのは王のお付きの皆様だろうか、えへへと頭をかいて雪妃は誤魔化した。


「そなたは、恨んではおらぬのか」

「へ?」

「奈々実に娘を与えるを許したはこの身よ。気丈と耳に入れていた故、恨み言のひとつでもと構えておったが」

「奈々実ちゃん…女王さまだっけ?そうだよね、こっちは被害者だもんね」


俄かに諫めるような怒気を横から沸々と感じつつも、雪妃はうーんと唸った。


「勝永にも聞いたけど、女王さまの為に仕方なくやってたんでしょ?被害を受けたシスターは可哀想だけど、女王さまも可哀想だし。わたしは何も言えないよ」

「ふむ。そのようなものか」

「シスターも名誉な事だって言うのが普通だったし、わたしにはよく分からないけどさ」

「ふむ」

「ちゃんとごめんなさいして、もう絶対やらなければいいんじゃないかと…あ、はい。すんません、黙ります」


隣の窓辺の血走った目に肩を竦めて、雪妃は渡櫓から離れた。


「アル先生来て良かったね、体調悪いんでしょ?お大事に」


お側の皆様方の怒気にひええと震えながら、雪妃はひらりと二の丸の方へと降りた。また偉そうなのが出てきて後々叱られてしまうかもしれない。

湯殿の上から籠を取って、そそくさと脱衣所へと逃げ込んだ。


(いやはや、それにしても隙間からでも麗しの美少女だったなあ)


ポイポイと服を脱ぎ捨てて、ガラス玉のような双眸を思い出しニンマリとする。側で何時間でも飽きずに眺めていられそうな、本当に綺麗な御姿だった。

チャプと白い湯を掬って鼻歌混じりに曇った窓辺を見遣った。

明日試験を受けて、いけそうだったら適度に各地を巡るのについていって、無理なら街で職探しだ。あの海堂の肉料理店なら、お情けで雇ってもらえるかもしれない。


(楽しい事考えていかないとね、勿体ない)


自由な若い身は先が明るい。

水分をよく弾く肌を撫でて、雪妃は決意も新たに素っ裸で気合いを入れなおした。


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