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中枢3。


近道なんです、と来た道とは逆の北側へと御殿の脇を通り抜けた。

守ノ内様だわ、と黄色い声の上がる台所を通り、井戸櫓を覗き込み、あとは曲がったり行き止まりを横目に見たりとひたすら歩いた。

振り返るとエプロン姿の炊事場の女たちがまだ恍惚と見送っている。本当に人気があるんだなあと隣で呑気にも微笑む空色の男を見上げた。本人にはあまり自覚がなさそうな所が余計に憎たらしい。

住居がある方面に向かっているとの事だが、広大な城郭を改めて踏みしめ歩く事となっていた。ならされている地面は乾いていて砂塵があがった。

横を見れば柵の向こうにちょっとした崖のように傾斜がついて堀に水が巡っていた。あまりよく知らないが、これらがこの城を守っているのだろうと遠く烟るビル群の影を見遣った。


「井戸があったけど、ハイテクな大都会なんじゃないの?ここだけ?」

「ええ。あれは昔の名残と言いますか、緊急時の水源でもあるようですがね。水道も電気も通ってますよ」

「へええ。電線もないのに?」

「自家発電なんですって、太陽と洋上の風と」

「あらまあ、便利」

「西の地のような不便はないと思いますよ、快適な所です」

「それは素晴らしい」


ごく自然に握りしめてくる手を一瞥して、雪妃はまあいいかと握り返した。どうにも不本意だがこの男の手は温かく、心地良い。

いくつかの倉庫のような櫓を過ぎて漸く屋敷らしきものが見えてくる。先程の御殿とやらと同じく立派な出立だった。


「こちらは将官の皆さんのお屋敷です」

「へええ。流石、良いおうちなんだね」

「ええ。一応立ち入りは控えないと叱られちゃうので、覚えておいてくださいよ」

「うむ…将官、将軍さんとかって事だよね」

「そうですね、私の上官に当たります」

「おう、更に偉いみなさまか。気を付けよう」

「ふふ。まあ気の良い皆さんです、多少は目を瞑ってくれますよ」


庭付き一戸建てとでもいうのか、綺麗な垣根を4区画眺めながら左方へと折れて行く。


「あのお城に住むんじゃなくて、周りに住んでるんだね」

「あれは飾りですからね、急場の立て篭り所です」

「ふうん。何か勿体ないね」


近くに見上げられた天守の天辺の方には金の模様やら飾りやらも煌めいているようだった。軍服の肩章にもあった太陽と花のような飾りだと認めて、ふと肩に羽織ったままの上着を思い出す。


「そういえば借りっぱなしだったね、これ。ありがとね」

「いえ。お嬢さんのお役に立てたなら、それも光栄でしょう」


にこりと向けられる整った顔は曇り空にも眩く目に映る。うぐと怯んで雪妃は先に見えてくる屋敷の方へと視線を移した。


「あっちは誰のおうちなの?」

「あちらは、私たち佐官の住まいですよ」

「ほほう。こっちも立派だね」

「ええ。有難く住まわせてもらってます」


やはり4区画の垣根のある屋敷だった。

そのひとつは湯気が立ち昇り、これはもしやと雪妃の期待も膨らんだ。


「外風呂?温泉?」

「いえ、この辺は湧きませんからね。共用の浴場ですよ」

「成る程…佐官さま専用風呂かあ」

「将官宅には内風呂もあるんですがね、こちらも広くて良いものですよ」

「確かに、広いお風呂っていいよね」


手前の屋敷へと手を引かれて玄関に入る。整った垣根の向こうには小さいながらも縁側つきの中庭が覗いた。


「私の家です、遠慮なくどうぞ」

「ははあ。お邪魔します」


(あれ、吾輩何でイケメン大魔王のおうちに…)


城の客間かどこかに案内されると思っていたので、はたと靴を脱ぐ手が止まった。

取り敢えず自分の薄汚れたブーツを端に寄せ、艶のある白の革靴を揃えて玄関を上がった。


「綺麗にしてるんだね、というか物があんまりない…」


教会の相部屋が3つは入りそうな広さの一間だった。畳敷きの床に乗るのは、箪笥と座卓と食器棚、格子衝立の向こうの床の間に刀掛けが見えるくらいである。小さな流し台と、壁にひとつある扉は洗面所だろうか。


「寝に帰るだけなので、これで十分なんですよ」

「へええ、贅沢な使い方してるねえ」


座布団を差し出しながら照れ笑いを浮かべる守ノ内越しに、雪妃は座卓の上の黒い箱を二度見した。


「え、ノートパソコン…?」


新品のように艶やかなままで畳まれた箱を唖然として開いた。モニターにキーボードがついた、見慣れた形だった。


「ええ。私は機械が苦手で宝の持ち腐れなんですが、一台ずつ支給されてるんです」

「ほええ…ネット社会なのか」

「お嬢さんの所にもありましたか、似た所も多々あるようですね」

「ね、これは暮らしやすそうで助かるなあ」


流石に電源を入れる事は憚れたが、キーボードの丸っこい記号のような、漸く慣れだした文字列をなぞる。

郷に入れば郷に従えと、どんな場所でも逞しく生き抜く覚悟はできていたが、文化こそ違えど似たような文明という、これは嬉しい発見であった。


「それは何よりです。視察で出る事も多いですが、居る時はのんびり寛いでくださいね」

「へ?拠点はここになるの?アル先生も?」

「ええ。先生は研究所内の良い部屋を与えられるはずですよ」

「ぶええ?待って待って、待ちたまえ」


パタンとノートパソコンを閉じて雪妃は混乱する頭に手を当てた。微笑む守ノ内を見るともなく見て、たらたらと流れる冷や汗を背に感じていた。


「どういう事?勝永と一緒に住むの?」

「おや、そうですけど」

「どへえ…何で?ぼくはリッチな客間にでもご招待されるとばかり」

「何でって、お嬢さん。婚約者ですし共に居るのは当たり前じゃありませんか」

「いやいや、お兄さん。君ね、我々はまだそのような関係ではござらぬであろう」

「ふふ。そうです?では改めて。お嬢さん、私の妻になってください」


パタパタと振る手がスッと掬われる。その甲へと降ってくる唇に、雪妃はあわわと取り乱した。


「き、君ね。早まるでないよ、気の迷いで後悔するハメになる事も人生、沢山あってだね」

「急いてるかなとは思いますけど、後悔なんてしませんよ。私はお嬢さんを好いてしまったんです」

「そ、そっか。どうも、ありがとう」

「ええ。これから共に過ごし互いを知り、愛を深めましょう」


亜麻色の髪に触れる手に、血反吐を吐きそうになりながら雪妃は固まった。

半年程前に目論んだ玉の輿イケメン大作戦は早くも達成となる訳なのだが、どこか落ち着かない。

ろくに顔も知らない貴族の元へと本人の意思に関係なく嫁がされる、みたいなのは聞いた気もするが、これは何か違う。相手が相手だけにたじろいでしまった。


「あ、あのね?勝永さん」

「ええ、何です?私の愛しいお嬢さん」

「ぐへ…いや、あのですね。何人の奥さんの中のひとりになるんでございます?」

「え、やだな。お嬢さんひとりに決まってるじゃありませんか」

「ほほう。ここらは一夫多妻制ではないんどすな」

「それは、跡取りが必要な王様とか、辺境の地の有力者とかですかね」

「ふんふん。じゃあやっぱり、よくよく考えないとじゃない」

「ここ数日は、お嬢さんの事ばかり考えてますよ」

「もひゃ…え、本気なの?」

「すみません、面白い冗談が言える程器用でなくて」

「いえいえ、十分面白い事言ってると存じますが」


何てこった、と雪妃は立ち尽くした。

見目麗しく高級取りらしい理想的な存在からの喜ばしいはずの言葉に、素直にいえーいとガッツポーズ出来ない自分にも戸惑った。


「お嬢さんは何を迷うんです?私はお好みではありませんか」

「とんでもございません。素敵だと思うよ、優しいしあったかいし」

「そうですか、安心しました」

「いえね、でも諸々ぶっ飛ばし過ぎだと思うんでございます。わたしはね、これで大の字で余生をぐうたら過ごせる訳なんですが。勝永はさ、ほら。まだ若いんだし、未来ある若者だし」


(本当に良い子だと思うから、もっとまともな素晴らしいお嬢さまと、って思うのかなあ)


目を瞬かせる守ノ内から視線を逸らしながら雪妃は思う。こんなおちゃらけた年増が中身の小娘ではとても、勿体ないように感じてしまった。


「そうですかね。存分にぐうたら過ごしてくださいよ、私も隣でぐうたらしますので」

「ほっほ。兄ちゃん、目を覚ませよ。あの筋肉魔人も言ってたじゃない、猿だなんだって」

「ふふ。祐の事です?可愛らしい渾名がつきましたね」

「あ、本人には言わないでね?今度猿呼ばわりしたら直々に吐き捨ててやるんだから」


厳めしい顔のニヒルな笑みを思い浮かべて表情も渋くなる。ギャフンと言わせてやりたい野郎選手権の上位に君臨する奴だ。


「あの祐と仲良しになれるだなんて、お嬢さんくらいなものですよ」

「仲良しじゃないよ、失敬千万な輩なのに」

「へえ、妬いちゃうな」


頬を撫でる指にギャピと雪妃は慄いた。

真っ直ぐに見つめてくる空色の瞳は澄んでいて、ああ綺麗だなあと漫然と感じる。

思わず後ずさる足に座卓がぶつかって少しよろめいた所を、伸びる守ノ内の腕が腰元を支え止めた。


「…ねえ、お嬢さん」

「は、はひ」

「少し、抱きしめても良いですか」


返事も待たずにふわりと包む細腕に、雪妃は声にならない悲鳴を上げた。

ジェラやアルフォンスと抱擁を交わす事は多かったが、あからさまな熱を持って抱き竦められる事なんてなかったので、年甲斐もなく大いに狼狽えた。案外筋肉質な腕と、胸元から伝わる力強い鼓動の速さに、これは死ぬわと雪妃は呻いた。


「な、何で?」


上ずった声だったと思う。

所在なげな両手をぶら下げて呟く声に、守ノ内は亜麻色の髪に埋もれたままで小さく笑うようだった。


「何でって、お嬢さん。愛する人を抱きしめるのに、理由が要りますか」

「うっう…そうじゃなくって、何でそこまで、わたしなの?」

「ふふ、聞きます?軽く小一時間くらい語り尽くせそうなんですが」

「しょええ…またの機会に、お願い致す」


笑い揺れる肩が離れて、知らず握りしめた拳も汗ばむようだった。流石に頬を赤らめるような、年頃の娘の愛らしさを持ち得ない雪妃は、覗き込んでくる整った顔へと代わりに渋面を作っていた。


「好きなんです、お嬢さん」

「お、おう…ありがとう、多謝じゃい」

「私ね、愛おしすぎて参っちゃうくらいなんです。これ、どうしたら伝わりますか」

「いえ、もう十分、十二分に」

「本当です?どうにも流されてる気がしますよ、このお顔は」

「ぷぺえ…」


ふにと両手で頬を押し潰してくる守ノ内の悪戯っぽい顔にどきりとしてしまう己を、戒めるべきなのかどうなのか。

幾度も押しては離す掌が頬を優しく触れなおして、こくりと喉が鳴るようだった。


(おっと…これはアカン。アカンぜよ)


愛おしげに微笑み唇をなぞる指から察して、雪妃は慌てて言葉を探した。このまま飲まれていては、いい歳した熟女も形無しである。


「…お嬢さんのお口、を」

「ひょお、お、お風呂」

「え…?」

「飛行機、オラ乗ってきた。ずっと、入ってない。湯船ざぶん、したい」


きょとんとして見下ろす守ノ内は謎のカタコトを俄かに反芻し、フッと笑みを溢した。


「そうですね、長旅の後でした」

「う、うむ。余所者はどこに入れるの?」

「余所者ではないですし、外風呂に入ります?お背中流しましょうか」

「いえ、お気持ちだけ有難くう」


残念、と微笑む守ノ内が離れてホッとする。箪笥の上から紙袋を取り出し差し出されて、雪妃は首を傾げながら受け取った。


「何?これ」

「お着替えです。お嬢さんの好みが分からないので、取り敢えず私の趣味ですが」

「わあ、ありがとう」

「何も持ってきてないですよね、当面の着替えとか、諸々聞いてから揃えようと思ってたんです。あと何ですかね」

「そうだよね、お城だし何でも出てくるのか…」

「一先ずさっぱりしてきてください。お疲れでなければ街へ買い出しでも良いですしね」

「おお、大都会。行きたいな、後でアル先生のお財布奪ってくるよ」

「良いんです、さあお風呂へ」


背を押されるままに玄関まで戻されて、靴を履き引き戸が開かれる。

垣根をふたつ通り過ぎて、湯殿の前へと立ち止まった。


「鍵、一応閉めてくださいね」


ひらひらと手を振る守ノ内へと頷いて、檜の香りに包まれた中へと踏み入れた。

開放的な、浴槽の向こうは一面窓で開けた景色を臨んだ。素っ裸でいるのが大変恥ずかしい気もするが、うまい事死角になってるのだろうと掛け湯をして白く濁った湯へと脚を入れた。


(はああ…沁み渡るう)


鼻先まで浸かって雪妃は体が弛緩する様を心地良く感じた。

教会では短時間の味気ないお風呂タイムしかなかったので久しぶりだった。これで風呂上がりに発泡酒と肴でもいけたら最高なのに、と曇ってはいるが明るく差し込むような窓辺へと寄って頬を緩めた。

軍用機が轟音を上げて離着陸している。

あまり実感も湧かないが、慣れだした知らない土地から知らない土地へと渡ってきたのだと、改めて思う。

のんびり浸かっていたいが待たせてるかなと名残惜しくも湯から離れて、適当にその辺のシャンプーやらのボトルを拝借し洗い流した。

流行りの良い香りがするやつだとかアミノが云々とかいう娘の御所望のものを探し求めて置いて、勝手に使うなとよく怒られていた事を思い出し小さく苦笑が漏れた。


(母は家政婦、父はATMとは、よく言ったものだなあ)


最後にもう一度湯に浸かって鼻歌混じりに脱衣所へと引き上げた。

タオルで拭き上げながら紙袋を漁ると、控えめなレースのついた下着と靴下と、白い丸襟のついたグレーのワンピースが入っていた。


(成る程、イケメン大魔王は清楚なのがお好き…)


程遠い、と笑みを溢しながら髪を熱風で乾かして袖を通した。鏡に映る姿は黙っていれば楚々とした服装の似合うお嬢さんである。黙っていれば。

紙袋の一番上に薔薇の花を乗せて、これから出かける大都会へと胸を弾ませた。



***



「何やってんだ勝永」


湯殿から少し離れた垣根にもたれかかる呑気な顔を認めて、厳めしい顔は怪訝と顰められた。大佐の屋敷の垣根である。


「お嬢さん待ちですよ」

「ああ、おまえ今日非番だったか」

「ええ。色々、お買い物とか付き合おうと思いまして」


黒い帽子の下で微笑む顔に渋い顔を返す。

白いスウェットに黒いパンツ姿の守ノ内をじろりと見遣って、真田は腕組みをした。


「華都に出るのか、外出申請忘れるなよ」

「それね、後で頼むつもりだったんです。祐に」

「は?自分でやれよ、押すだけだろ」

「私が機械苦手なの知ってるでしょ、頼みますよ」

「何年やってんだ、ポチポチ押すだけだろうに」

「あのページまで辿り着けないんですよ、もっと分かりやすくなりませんかね」


苦笑する守ノ内へと肩を竦めて、湯殿から届くドライヤーの音に嘆息が漏れた。


「お転婆娘から目を離すなよ、あいつ何しでかすか分からん」

「ええ。デート楽しんできますよ」

「喧しい。申請しといてやるから詫びに酒買ってこい。いつものやつ」

「ああ、あの箱のやつですよね、赤い方」

「おまえが選ぶと外してくるから、店主にいつものとでも言え。そっちの方が間違いない」

「ふふ。そうですね、心得ました」


じゃあな、と踵を返しながら真田は辟易と振り返る。


「何だよその顔、緊張でもしてんのか」

「え?あ、いえね。少し、狼狽してしまってて」

「ほう、おまえが?珍しいな」


穏やかな微笑みに僅かに滲む色を認めて、真田は唇の端を持ち上げた。

ぽりと頬をかく守ノ内の珍しくも戸惑うような表情は、可笑しくとも不可思議とも捉えられた。


「まあ、煩いのが戻る前に避難だ。どうせくだらん事だろ」

「ふふ。いえね、お嬢さんに口付けようとしたんですけど」

「は?」

「可愛らしい顔でお風呂と言われて、私死ぬかと思って」

「はあ?」

「もう、参ってしまいますよ。私、どうしたらいいんですかね」

「知るか。そのままくたばっとけ」


苦々しく吐き捨てて、真田はそのまま步を進めた。足早に屋敷へと入っていく白服を苦笑して見送って、カラカラと開く湯殿の扉に微笑みを向けた。


「おかえりお嬢さん、ゆっくりで良かったのに」

「いやあ、お陰さまで久しぶりのお湯を堪能できたよ。ありがとね」


機嫌良く出てきた雪妃に笑みを深めて、守ノ内は紙袋を取り代わりにホカホカした掌を掬い取った。


「では行きましょうか、華都へ」

「うん、雨降らないといいね」


曇り空を見上げながら将官邸と佐官邸の中間地にあるような櫓門を潜り橋を渡った。真新しいブーティは軽快に砂地を蹴った。


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