中枢2。
中枢への搭乗時間は10時間弱。
起き出し腹が減ったと騒ぐふたりに機内食を押し付けて、静かになったかと思ったら携帯用チェスセットを取り出しああでもないこうでもないと再び騒ぎ出す。いつもなら静かな休息タイムとなるジェット機内にはしゃぐ声が響いていた。
辟易とした軍曹の顔にも構わずトランプへと移行したふたりは、しかつめらしい顔で手持ちの札を抱えて見据え合っていた。
「ホラホラ、早く引くデス」
「ぐう…そのわざとらしくずらして持つのやめてよ、そっち引きたくなるじゃない」
「取ると良いデス、今度は勝ちを譲ってやるデスヨ」
「嘘だあ、絶対そっちがジョーカーでしょ」
「ンフフ、どうデスカネ」
じりじりと札の上を行ったり来たりする白い指をアルフォンスは含み笑いを漏らして眺めた。一枚だけ飛び出るように抱えたジョーカーを毎度引いては悔し涙を飲む雪妃は、素直なのか単純なのか。一々反応が面白いそれを見ているだけでも飽きずに座っていられた。
「くそう…飴ちゃんは必ずや頂くぞよ」
「そうデス、飴玉が待ってるデス」
「ぐおお、こっち!これだ」
飛び出した一枚を摘み上げる指に、ニカリとした顔と愕然と歪む顔が交差した。
「おのれえ、また謀ったな」
「アハ!また引っかかったデス」
ケラケラと笑い、すかさず雪妃の入念に混ぜ掲げる二枚のうちの一枚を引き抜いて、ぱさりと同じ柄を座席の机に放ってみせた。すぐ顔に出るので勝敗も御し易やすい。
「もう、狡い。卑屈な輩め」
いつも三回に一回は勝たせてくれるこの男は透視でもしてるのではないかと、重なったトランプを纏めながら雪妃は低く唸った。
ニマニマと飴を摘み上げて包紙から琥珀の玉を取り出し、アルフォンスは隣の憮然としている口元へと押し付けた。
「努力賞デス、精進するデス」
「ぐぐ…施しは受けぬわ」
「オヤ、ワタシ食べてしまうデスヨ」
「ええい、寄越してやるもんか」
ぱくりと骨張った指から飴玉を掠め取って、雪妃は舌の上で転がしながらシートへともたれかかった。
そろそろ尻も痛くなってくる。海外旅行なんて修学旅行で行ったきりで縁遠かったので、長時間飛行機に閉じ込められるのも慣れないものだった。
「もう着く?若くてもこれは凝っちゃうもんだね」
「ン、時間通りなら間も無くデスカネ」
シルバーの高そうな腕時計へと視線を落として、アルフォンスは小窓の外へと張り付く雪妃へと微笑んだ。
「都会が見えてくるデス、中枢の城郭は見応えがあるデスヨ」
「へええ。やっぱり街には高層ビルが立ち並ぶ的な?いや、こっちだと西欧風な可愛いやつなのかな」
「フム。ユキチャンの想像するのが分からないデスガ、街並みは確かにビル群デスネ」
「ははあ。元居た所の大都会と同じなのかな、そっちのが馴染み深いけど」
実家の方は電車もバスも一本逃すと一時間待ちなんてざらだったが、婚後の住まいは次から次に発着し混雑する公共機関だった。当初は、混んでるし次に乗ろうと見送っていると、いつまで経っても混み合ったままで乗れずにいた事を思い出す。通勤時間帯なんて人に圧迫されてつかまる所もなく踏ん張りもきかず、足も浮くようだった。満員電車で通勤通学している方々には頭が上がらない思いがする。
「着陸だ、大人しくしてろよ」
煩さから少しでも逃れるように、通路を挟んだ隣からさらに離れたシートへと移っていたパキラの苦い顔をふたりは見遣る。退屈凌ぎに揶揄って遊ぼうと思っていたのに、任務中だと顔を顰めて押し黙り離れてしまった少年はそれだけ告げるとやはり、押し黙った。
長旅を見越してボードゲームやトランプを持ち込んでいたアルフォンスには感謝しなければならない。本も渡されたが小難しくてとても読めなかった。お陰で大いに時間は潰せた。
シートベルトをして覗いた窓の下方に箱庭のように広がる大地。島国と聞いていたが確かに海に囲まれた縦長の国のようだった。
降下する揺れに大人しく座りなおす。
離着陸時の浮遊感はどうしてもソワソワと落ち着かなくなってしまうものだった。
「ユキチャン、中枢は安全デスガ、魔境デス。どういった待遇になるか分からないデス、重々気を付けるデスヨ」
「おう…ここに来てぶっ込んでくるね」
「ンフフ。男社会なのは変わらないデス、慎ましくするのは引き続きデス」
「ええ…?面倒そうだなあ」
一際大きく揺れて、滑らかに景色が流れていく。鈍色の雲立ち込める空模様が広がり見えて、コンクリートの滑走路には幾つもの機体が並んでいた。
俄かに慌ただしくなる機内で、先に引き連れられていく司教とその付き人の疲れた顔も蒼ざめて見えた。
「あれ、勝永さんが来てる。あんたらの迎えかな」
「オヤ、もう逃げられないデスネ」
口内で小さくなった甘みをカリと噛み砕いて雪妃はシートベルトを外した。
またもや着の身着のままで移ってきた訳だが、保護者の医師へと強請れば何とかなるかと気楽にも構える事にした。
「ようこそ、中枢へ」
タラップを降りるふたりを眩い微笑みが出迎える。くうと唸りアルフォンスの後につきながら、雪妃は湿った風に揺れる白い上着をかき寄せた。その持ち主は襟のないシャツ姿で爽やかにも佇んでいた。
「長旅でお疲れでしょうが、先にご案内を。王様がお待ちですよ」
「ウウ…早速デスカ、気が重いデス」
「歓迎してくれますよ、待望の名医なんですから」
にこりとする守ノ内はアルフォンスの影に隠れるような雪妃を覗き込んで笑みを深めた。
「お嬢さんもですよ。快進撃をお伝えしたらとてもご興味を引かれたようで」
「え、不敬だとかいうのを伝えたの?やだなあ、叱られない?」
「まさか。悪習を止めたんです、きっとご褒美を賜れますよ」
「おお、ご褒美。それは誠に有難き幸せ」
背に流れる空色の髪を見ながら、作業着姿たちが忙しそうに走り回っている中を抜けていく。ギョッとして思わず足が止まったのは、先に臨む高い天守に気付いたからだった。
「もしかして、あれがお城?」
「天守デスカ、城の象徴デス。趣きのある望楼型デスネ」
「ははあ…想像してたのより和風のやつだ」
「フム。このお堀と天守を持つ形の城郭は中枢だけデスネ、ユキチャンの所もそうだったデスカ」
「いや、そうなんだけどさ。お城なんてもう文化財というか観光地の目玉みたいな」
「ホホウ、城を観光とは面白いデスネ」
「そうなんだ?しかし凄い立派だねえ、下もプールみたいだし」
「ンフフ。入ったら狙い撃ちされてしまうデスヨ。きっと底にトゲトゲとかもあるデス」
「ふへえ、うっかり落ちたら大変だね」
石橋を渡り門を潜ると、天守を取り囲むように段々と積み重なる石垣が見えてきた。足腰が鍛えられそうだな、と雪妃は感心しながらも見上げて後をついていった。
更に櫓門を潜り左面の行き止まりに面食らいつつも開け放たれた方へと進んでいく。何だか迷路のようで、迷子になりそうだった。
「ご苦労様です、王様もう来てます?」
「は。御成です」
「そうですか。ではこのまま向かいましょう」
番所に詰める白服の敬礼ににこりと返して、守ノ内はきょろきょろするふたりを二の丸御殿の玄関へと促した。
「王さまってどんな人なの?」
「ええ。偉大なお人ですよ、おっとりしてて平和主義な」
「ふむふむ。王さまというかお殿さまだよね?丁髷で派手な着物着た…あれ?ビル郡って、こんな笛太鼓鳴り響きそうな所で高層ビル?」
長く伸びる廊下も美しい床板を靴下で踏みしめて歩きながら雪妃はふと首を捻った。平家の武家屋敷のような街並みこそ相応しい雰囲気なのに、とうまく想像がつかないでいると、隣のアルフォンスも不思議そうに目を瞬かせた。
「ホウ、平和主義デスカ。情け容赦のない御仁だとばかり思ってたデス」
「ふふ。良からぬ輩にはそうなんですかね、先生のような」
「ヒィ…良からぬ輩ではない、はずデス」
待合室を抜けて、開放的な広間へと辿り着いた。微風吹き抜ける廊下で額当ての布を流した真田が腕を組み仁王立ちして待ち受けていた。
「来たか。陛下は先にギュスの方を済ませたいとの仰せだ。待ってろ」
「ホウ、どんな処罰になるデスカネ」
ひょいと広間内を覗き込むアルフォンスの派手な柄の首根っこを、真田の逞しい腕は無下にも掴み引き戻した。
「勝手に入るな、無礼だぞ」
「ウグゥ…首が絞まるデス」
「全く、揃いも揃って不敬なのか」
御身の側だというのにのほほんとした三人を真田は辟易と睥睨した。とても理解が追い付かなかった。
「ねえ祐、どうせ話すんですし。入ってていいんじゃないです?」
「馬鹿野郎。待てとの仰せなんだ、大人しく待つんだよ」
「ふふ。ほら、王様がいいよって顔して見てます」
「は?おい…勝手な真似をするな」
ガラス玉のような双眸へと会釈をして敷居を跨ぐ守ノ内へと、その豪腕は間に合わなかった。
ドウモと頭をかきながら鷹揚にも続くアルフォンスと、興味津々といった顔で入っていく雪妃に、厳めしい男は愕然と目と口を見開くしかなかった。
「王様、お連れしましたよ」
「うむ。そこで待て」
「ええ。お邪魔します」
蒼い顔で振り返るギュスたちへとにこりとして、守ノ内は隅へと座り込んだ。
倣って畳へと腰を下ろし、雪妃は目を丸くしながら段上の姿勢も正しい美丈夫を見遣った。
(ひょえぇ…なんという美少女。いや、王さまなら男の子なのか?後光が差しておられる)
見目麗しい眩い姿に目を奪われてしまった。抑揚がなく、より人形めいて見える美貌の御身は筆舌に尽くし難い。
はああと見惚れる雪妃を一瞥して、光の君は薄い唇を開いた。
「ギュスよ、申し開きはもう良いか」
「はは…弁解の余地もございません」
「そうか。では腹を切れ」
「はは…は?え?いえ、陛下。そんな、私は猛省し悔い改めるよう存じます。御身の為今後はより一層の…」
「そうか。では首を斬るか、己で始末できぬなら」
(おおう…平和主義なんじゃないのか)
うっとりと見ていた雪妃もギョッとして、微塵も表情を変えずに冷ややかにも告げた光の君を見上げ直してしまった。
付き人の片方がフッと意識を手放し畳に倒れ込むと、肩を震わせ言葉を失っていたギュスはギリと歯を噛みしめた。
「よい、下がれ」
外に控えていた白服が呆然とした方と倒れた方の付き人を連行する。後ろ手に掴まれ立ち上がったギュスは、不敵にも柔和な顔を歪ませ見据える先の光の君へと吐き捨てた。
「よろしいのですね。奈々実様の件、世間に公表される事となりますぞ」
「ほう」
「私に何かあれば、陛下より奈々実様に娘を与えていた事が明るみに出る。皆どのような目で陛下をご覧になることか」
くっくと白髭を揺らすギュスに白狸が、と柱越しに真田が拳を握りしめる。
僅かに細眉を持ち上げて光の君は首を傾けた。
「そなたの言に如何程の力があると申すか」
「私は聖ウェルデントの司教です。現地の悪習を解任と共に外へ漏らせば記者共も食い付きましょう」
「ふむ。狡猾老獪よの、未だ生にしがみつくか」
「恩赦を、陛下。後任には荷の重い役目ではございませぬか」
戸惑ったように連行の足を止めた白服はちらと守ノ内を窺う。微笑み静観していた美貌は正座を胡座に変えて笑みを深めた。
「いいんじゃないです?事実なんですし」
「は…?守ノ内殿、これは中枢の沽券にかかわるものでございます。人身売買を厳しく取締る国家がそれを行っていたと、それを公表されても良いと?」
「王様が必要だと判断したから行った事です。その是非も王様次第ですよ、世界の意思なんですからね」
「はは…恥も外聞もかなぐり捨てなさるおつもりか。ろくでもない、若造共の集まりが」
「ふふ。まだ未熟なもので、お力添えを頂きたかったんですが。司教さん、どうやらあなたでは色々力不足だったようです」
「何を、小癪な」
赤紫色の祭服を揺らしギュスは唾を吐き散らす。
聖のつく教会の最高責任者、その地の居城の主よりも権威は上で尊び敬われる立場である。表向きは静淑に、裏では私服を肥やし贅の限りを尽くす。それが許されるのが聖司教だと疑いも持たなかった。
自分の半分も生きていない若造たちに翻弄される筋合いはない。例えそれが君主とその直属の配下たちだとしても。
いきり立つギュスをぶん殴り黙らせたい衝動に駆られる真田も、外で待てと言われ迂闊に飛び込めない。ワナワナと怒りに震える戦友を柱越しに感じながら、守ノ内は困ったように微笑んだ。
「どうしますかね、王様。もう斬っちゃいますか」
「よい、勝永。御殿を血で汚すな」
「心得ました。では無罪放免です?」
「ふむ。前任に続きの悪行よ、赦しはない」
「そうですね、では連れてっちゃってください」
立ち尽くす白服へと微笑んで、守ノ内は痺れた脚を揉みほぐした。
呆気にとられるギュスも悪態を吐こうとした口を噤まざるを得なかった。穏やかに微笑むばかりの空色の髪をした男の纏う、底冷えのするような冷ややかさはいつも背筋が凍る思いがした。
「さて、話も済みましたし次ですね」
「うむ。前へ」
肩を震わせ連行されるギュスを燃え盛る紅蓮の双眸で睨み下ろし、真田は一礼して漸く敷居を跨いだ。
御身の前へと座り直し胡座をかいた守ノ内の背へとさり気なく膝を打ち込んで、苦笑するその後方へと平伏する。
「最後の悪足掻きですかね、司教さまも出立時は綺麗な瞳をしていたでしょうに」
「うむ。人は移り行くもの、さもありなん」
ちらと正座する雪妃を見遣って、光の君はひとつ嘆息を漏らした。
「美しいな。それがそなたの探し物とやらか、アル」
「エエ。長らくお待たせをしましたネ、ヒカリサン」
「久しいのう。少し老けたか」
「ンフフ、まだまだ現役デス」
長い脚を組み替えながら、アルフォンスはよく分からないといった表情を浮かべる隣の雪妃の頭へと手をやった。
「ユキチャンデス、モリノウチサンから話は聞いたデスカネ」
「うむ。奈々実への粛清、大儀であった」
目をぱちくりさせている雪妃へと薄い唇は僅かに綻んだ。
何かしでかすのではと落ち着かない様子の真田を背に感じて、守ノ内は苦笑した。
「見事に悪習を断てましたね、王様の気苦労も減るんじゃないです?」
「うむ。あれも憐れだが、娘たちもまた不憫だったか」
「遺骨をと言ってた人も居たので、死人もあったようですね。後ろの森だったかな、探っていたのは。慰霊碑でも建ててはどうです?」
「そうか。派遣しよう」
「きちんと遺族の方にご挨拶するデスヨ、後任の司教サマは決めてるデスカ」
「おいドク、言葉を慎め」
「ヒィ、慎んでるデス」
ピリピリとした緊迫感を背にアルフォンスの声も上ずった。
「よい、祐。これとは旧知の仲だ」
「…は。ご無礼を」
「よい。して、観念して来たという事だな。そのまま研究所へと赴け」
「承知デス。少しは進んだデスカ」
「生憎被検体の協力を得られず難航しておる。それも解消されるか」
「成る程、ボチボチやらせてもらうデス」
「うむ。期待しておる」
「ユキチャンなのデスガ、暇を持て余しヤンチャをしてはいけないデスネ。何か働き口はないデスカ」
うぐと詰まる雪妃にニンマリとして、アルフォンスはポンポンと頭の手を叩いた。逡巡するように首を傾ける光の君の絹糸の髪がさらりと揺れた。
「働き口か、何が出来る」
「大概何でも出来るデス。研究の方にとも思うデスガ、詰めるのも可哀想デス。きっとじっとしてられないデス」
「あのう…研究とかは無理そうなので、もっとこう気楽なやつを」
「ほう。勝永、卿の提案はそれの了承を得ておらぬか」
「ええ。まだお話できてなくって」
にこりとして向いてくる整った顔に、雪妃は嫌な予感を抱えずにはいられなかった。
「な、何?また妙な事吹き込んだの?」
「いえ、お嬢さんには私の視察の従軍をと思ってまして」
「へ?」
「折角来て頂いたのに幾日もお会いできないのも寂しいですし。婚前旅行だとでも思って気楽に、ご一緒しませんか」
あんぐりと口を開いたのは雪妃だけではない、隣のアルフォンスも後ろの真田も、揃ってにこやかな守ノ内を見上げた。
「おい…任務に女を連れていく気か、馬鹿野郎」
「だって心配ですし、私の側が一番安全じゃないですか」
「あのな、毎度言わせるな。遊びじゃないんだぞ。大体軍人でもないのに従軍とはおまえ」
「フ。勝永にそれを言っても始まるまい、好きにせよ」
「ンフフ。そうデスネ、ユキチャン、世界旅行を考えてたデス。一緒でないのは残念デスガ良い提案デス」
「ええ…?そうだけど、そうなんだけどさ。何か違うくない?」
ぐぬぬと唸る雪妃に守ノ内は微笑むばかりである。怒りを抑え込む真田へと身震いしつつも、アルフォンスは呑気に手を広げてみせた。
「ワタシも研究所に詰めるとあまり構ってやれないデス。良い提案デス」
「いやね、それは勝手に時間潰すし。適度に働いて適度に遊び回るし」
「奔放なユキチャン、野放しに出来ないデスネ。きっと何かやらかすに決まってるデス」
「おう…聞き捨てならないね、何もしないって」
「高層ビルやら天守やらの天辺によじ登りかねないデス」
「そりゃあ、あの天辺見晴らし良さそうだなあとは思ったけどさ、高層ビルは無理だよ。せめてここの屋根とかですね」
「おい、登るなよ猿。引っ捕らえるぞ」
「だから、猿じゃないって。失礼ね」
低く唸りながら真田を振り返った雪妃にくすりとして、守ノ内はまあまあと宥めた。
「どちらにせよ、お嬢さんとは離れ難いんです。ご一緒できないなら私、視察からは外れますよ」
「おまえな…」
「よい、祐。勝永の勝手を許すはその腕を見込んでこそよ。軍を離れられては困る」
「は…御意に」
「しかし卿の申すように軍人にあらぬ者の従軍は認められぬ。雪妃といったか、そなた文字の読み書きは可か」
「へ?まだ覚束ないけどなんとか…」
「そうか。身体面に問題ない事は勝永より聞いておる。一度試験を受けられよ、それにて判断する」
「試験?ええ…?いいよ、わたしもっと気楽なのに就きたいんですが」
「そう言わず。お嬢さん、離れたくないんです」
「おう…いや、待ってね。一度持ち帰らせて頂いてですね」
「よい。明朝返事を聞く」
「へへえ…そうだ、王さま。女王さまへの事なんだけど、林檎のやつ。頼みますよ」
「うむ。そうであったな、愉快な立ち回りであった」
フッと緩む口元に安堵して雪妃も笑んだ。不老不死とは謎だが、年頃も変わらないように見えた女王の不遜ながらも寂しそうな顔は、母性本能を擽る幼気なものだった。首を絞められたけれども。
「では皆さんお疲れでしょうし、お部屋へ案内してきますね。また明朝伺います」
「うむ。任せる」
「ア、ヒカリサン。出る前に少し診ていくデスカ。体調が芳しくないようデス」
「そうか。頼む」
「先生のお迎えは研究員さんに任せますか。お嬢さんを先にお連れしますよ」
「ハーイ。承知デス」
呑気な返事に微笑んで守ノ内は雪妃を促した。ぺこりとお辞儀して立つと、小さく頷き返した美貌を最後に有難くも拝んで広間を退室した。
「ウゥン…また無理して取り込んだデスカ、まだ身に入れるのは危険デスヨ」
人払いをした段上でぴとりと額に触れながらアルフォンスは渋い顔をする。
「大事な御身デス、もう少し労わるデス」
「そうか。自愛しよう」
「ナナミサンも少し揺らいでたデスネ、大陸の影響もあるデスカ」
「うむ…大陸か、奴も動き出すか」
「困ったものデス、あちらの王サマも」
「アルはこちらにつくのだな、敵に回したくはない」
「ンフフ。よく考えておくデス」
絹糸の頭をポンと叩いてやって、アルフォンスは微笑んだ。
「ワタシもユキチャン次第デスカネ、世界の意思より愛娘の意思デス」
「フ、それは困る。だが今は任を果たせ。研究を進めよ」
「承知デス。やりがいがあるデスネ」
赤銅色の頭をかきながら立ち上がるアルフォンスへと向くガラス玉のような瞳は色を定めない。鷹揚に出て行く猫背を見遣って光の君は小さく嘆息を漏らした。