中枢。
中枢とは光の君と呼ばれる王が統べる小さな島国だ。
正式名称は常世華暁光ノ国という。しかしいつからか世界の中枢と、そう呼ばれるようになっていった。
公用語も世界的にこの国の言語を主と定められている。実質、この世界は中枢の恩恵という名の監視下の元で回り動いていた。
中枢の本丸が置かれるのは縦長な島国のど真ん中、広大な敷地内に深い堀に囲まれた五重六階地下二階の見事な白塗りの天守が聳え立っている。そこを中心に連なる曲輪、櫓も多く立ち並び堅固さを誇っていた。
その城郭の向こうに側に広がる高いビル群の上空を轟音が飛び抜けた。
シャープな白の機体は旋回すると滑走路へと着陸し、作業着姿の整備士たちが敬礼しながら迎え入れた。
若い佐官ふたりは、ふうと息を吐いてコンクリートの地面へと降り立った。
「おい、同じ機体なのに何でお前の方が先なんだ」
「そうです?降りるのは先を譲ってあげたじゃないですか」
「喧しい。手を抜かれるのは好かんが、先を越されるのも好かん」
厳めしい顔を顰めながら、真田はにこやかな守ノ内の背に流れる空色の髪を乱雑に掴んだ。
「これも切れ。鬱陶しい」
「ふふ。祐が散髪してくれます?切ろうとは思うんですが、中々足が向かなくって」
「丸刈りにしてやるよ、さっぱりするぞ」
「お嬢さんが好んでくれるならそれも良いですね、どんなのがお好きなのかな」
頬を緩ませる守ノ内をげんなりと見遣る真田は、おーいと手を振りながら駆け寄ってくる小柄な姿に、より顔を歪めた。
「やっほー!おかえりい」
「おや、もっちさんもお戻りでしたか」
「うんー、こっちはつまんない視察だったよお。ボクもそっちが良かったなあ。女王さま、可愛かった?」
もちもちとした頬を胴へとすり寄せ抱きついてくる童顔を守ノ内は苦笑混じりに見下ろした。
「どうでしたかね、絵の通りだったと思いますが」
「えー?!相変わらず色気のない色男なんだからぁ。シスターは?女の子だらけだったんでしょ?良いなあ女の園!」
「喧しい奴だな。そっちの首尾は?」
「えーっとね、うーんとねえ。オジサンたちがいっぱいでえ、それで船のさあ。何だっけ?あれが船のね、下の荷物の所のさあ」
「…もう良い、他に聞く」
苦い顔は足早に抜けていく。
ぷうと膨らんだ頬をつついてやりながら、守ノ内は翡翠色の髪の下の大きな瞳に微笑んでみせた。
「悪いのは悪事を働いていたという訳ですね。引っ捕らえてきたんです?」
「そそ。今ね、陛下とお話中だよお。もお、祐は短気なんだから。その点勝永は良いねえ、カッコイイし優しいしい、ボク大好きだよぉ」
「ふふ、それはどうも。でも、もっちさんは立ち会わなくて良いんです?」
「ボクはほら、難しい話はさーっぱりだもん。それよりふたりのお出迎えの方が有意義でしょ?」
フフンと胸を張りながら、これでも少佐を務める望月諸親その人は得意げにも告げる。
東方の地に蔓延っているという密輸の取り調べ、という名目だったはずだが、潜入捜査において功を挙げ続けこの地位まで昇ってきた童顔の男は、その本業以外のものには少し疎かった。
「へえ、王様今出てるんですね。ついでに報告できるかな」
「んー、それは祐に任せて、ボクに聞かせてよ。西の地のかわいこちゃんズの話をぉ」
「かわいこちゃんですか、そうですね。可愛らしいお人は居ましたけど」
「お?お?勝永のお目に止まるコだなんて珍しいね。詳しく詳しくぅ」
「報告の場に居合わせないと揃って叱られちゃいますよ。お話なら後で食事でもしながら」
「えーん、勿体ぶるんだからあ。勝永のケチー!優しさの権現ぇ!色男の極みぃ」
腕を引きながら望月は口を尖らせた。
苦笑のままで守ノ内は柔らかな手に大人しく引っ張られ、荘厳な城郭の方へと向かっていった。
***
滑走路側から外堀の橋を渡り東門を潜り抜け、整備された石畳を歩く。二の丸御殿への門を抜けると、ふわと風も爽やかに吹くようだった。
鬱蒼と豊かに茂る森も良かったが、意匠を凝らした水と緑と石の庭園は大いに目を楽しませてくれる。
「長閑なのも癒されますが、やはりこちらの趣きは良いですね」
待ち構えていた真田と合流し、番所からの敬礼を受けながら玄関へと入る。華美な装飾も立派な権力の象徴として確かに煌めいていた。
「フン、おまえはフラフラできたら何でも良いんだろ」
「それもそうなんですがね、老後はこういう庭のある所で日向に当たりながら茶を啜り、静かに暮らしたいものです」
「おい…今から老後の話をするなよ。まだ半分も生きてないんだぞ」
磨きあげられた長い廊下を並んで歩く隣の守ノ内は呑気なものだ。
真田は死ぬまで光の君の下、功を挙げ続けたいと願うし、死ぬなら戦さ場で華々しくと決めている。老いぼれ耄碌した自分なんて想像もしたくなかった。
西の地の広大な自然の上に見えた白雲かかる薄い青空も、こちらは狭く鈍色をして見えた。
季節は間も無く梅雨に入る。ジメジメとした雨ばかりの時期が来ると思うと、気も滅入ってしまいそうだった。
「あの喧しいのはどうした、よく解放されたな」
「ふふ。あれで聞き分けの良い人ですよ、後で一緒に食事をしましょう」
「俺はいい、メシくらい静かに食わせろ」
「先にあちらが発って、一週間ぶりくらいですかね。積もる話もあるようですよ、そう言わず」
「あれの話をよく聞いてられるよな、勝永。蛙がピーピー煩く喚いてるようにしか聞こえん」
「ふふ。同じ盃を交わしたんです、仲良くやりましょうよ」
「フン、不本意だがな。少しなら付き合ってやる」
「ええ。お嬢さんの中枢入りに備えておきたいですし、早めにお開きにしないと」
呆れる程にあのお転婆娘の事でいっぱいな戦友の幸せそうな顔にはもう、言葉も出ない。この男がここまで執心する理由は、今の真田には到底理解の出来ないものだった。美しい容貌こそしていたが、あんなのはただの山猿である。
「おまえはよく分からん奴だな、いつまで経っても」
10年近くを共に過ごしても、その穏やかな微笑みを湛える腹の底の本質は未だに読めずにいる。ただの能天気ではないが、狡猾な訳でもない。決してお人好しでもなければ冷酷な面も持ち、ひたすらに怜悧だと感じる。
誰しもに一目置かれる様は見ていて清々しい程だが、基本は楽観的な風来坊だった。
「そうです?私の事を一番良く知ってるのは、祐だと思いますけど」
「そりゃあな。とぼけたおまえを理解出来る奴なんぞ、そう居ないだろ」
「単純だし分かりやすいと思うんですがね。でも私は、祐の事をよくよく分かってますので。そこは安心してくださいよ」
「は?何の安心だよ」
「あなたはすぐそう、怖い顔になるからね。でも根は優しくて面倒見の良い奴だと私は知っててあげてますよ。何なら広めてやりましょうか」
「よせ。要らん世話だ」
「この眉間の溝がね…木の枝でも挟んでみますか。何本いけるかな」
「喧しい。溝を掘り広げるような言動をするな」
眉間を伸ばすように撫でるしなやかな指。この手で握る刀が、万物を斬り地に伏せるのだ。この穏やかな微笑みを持って。
真田は煩そうに手を払い、にこやかな守ノ内を一瞥する。そして開放された謁見の大広間の側面で深呼吸をした。恐れ知らずのこの厳めしい男も、君主を前にする時は些か緊張を走らせた。
「おお、祐に勝永。戻ったか」
「は、ただ今戻りました後藤中将。恐れながら取り急ぎご報告に」
「ガハハ、そう怖い顔をするな祐。順番だ、座って待て」
「は、失礼します」
端にどかりと胡座をかいていた大柄な壮年の男は、中枢軍の中将後藤錦之介である。
一段上がった上段の間の御身へと深々と頭を下げて畳を踏む生真面目な顔は、後藤の横へと正座し表情を引き締めた。
「おや、まだお話中でしたか。あれが首謀なんです?」
「おうよ、諸親のボウズが丸め込んで捕らえてきたらしいんだがよ。ビビって言葉もでねえのか、黙っちまって」
「へえ。それは困っちゃいますね」
苦笑と共に柱に寄りかかる整った顔を真田はぎろりと睨み上げた。
「おまえな。座れ、正座してろ。頭を下げろ」
「足が痺れちゃいますよ、順番が来たらきちんと座りますから」
「馬鹿野郎、いいから大人しく座ってろ」
長い髪を力任せに引く剛腕にしぶしぶと守ノ内は正座で座り込んだ。
「何、喋らねえなら時間の無駄だしな。すぐボウズたちの出番になるさ」
カラカラと笑って、後藤は膝を進めて段上へと頭を下げた。
透明なガラス玉のような双眸が抑揚なく静かに向けられる。絹糸然とした長い髪をひとつに括り横から流した静謐な姿の御身は、重ねた金の刺繍も美しい衣を肩に揺らし僅かに首を傾けた。
「錦之介、こやつは目を開け寝ておるのか」
「ガハハ。陛下、こいつは気圧されて口が回らねえだけですよ。一度下げましょう」
「ふむ。そうか、任せる」
「御意に」
よっこらせと鷹揚に立ち上がった巨躯は、俯き震えの止まらない首謀の肩をべちんと叩いてニカリと笑った。
「行こうぜ兄ちゃん、寒いのか?ワシが少し暖めてやろうか」
「ひ…認めます、認めますので、どうか命だけは」
「おうおう、喋れんじゃん。んじゃ陛下、連れていかせますぜ」
「うむ。任せる」
ひょいと米俵のように男を抱え上げて、鼻歌混じりに後藤は外で控える白服へと身柄を受け渡した。
「反省文でも書いて待ってな。後で見に行くわ」
「は、連行します」
緊張を隠せない若い軍帽は、後藤のその迫力に息を飲みながら敬礼した。
まるで一枚岩の如く厚みのある体は仰ぐ程で、硬い毛並みに覆われた獅子を彷彿とさせる。しかし浮かべる表情はニカリとし人懐こくも朗らかだった。
「さて、次はボウズたちだな」
「は。恐れながら」
堅苦しくも畏まり平伏する真田の横で、守ノ内はにこりとして変わらず抑揚のない光の君へと軽く会釈をした。
「お疲れですか王様、何かあったんです?」
「…おい、それ以上無礼を働くな。おまえという奴は」
「よい、先に卿らの報告を聞く」
ふうと息を吐いて光の君はその美貌を俄かに陰らせた。
「奈々実は息災だったか」
「は、我々が着いた先では伏せっておられたようです」
「ええ。私たちの目を気にして啜るのを控えていたようですよ。まあ、我慢できず献花とやらを召し上がる所でしたが」
「ふむ。未だ喰らっておったか」
「そういえば、王様に伝言を託されてました。協力はするから、そっとしといて欲しいそうですよ」
「そうか。斯様な事を吐く玉でもあるまいに」
「あと、すみません。ついうっかり斬っちゃったんですが、良かったですかね」
「おまえ…それは聞いてないぞ」
悪びれもせずに頭をかいて苦笑した守ノ内を横から睨め上げる紅蓮の双眸は、憤然と燃え盛っていた。君主を前にぐっと堪えたその額には青筋も浮かび上がる。
まあまあと真田を宥める守ノ内の困ったような微笑みに、後藤も高らかに笑う。
「ブハハ!カツ坊、おめえあの姫さんを?相変わらずぶっ飛んでやがんなあ」
「いえね、不老不死と聞いていたし多少は良いのかなと。でも、大事な被検体ですもんね」
「当たり前だ、何の為に陛下があれを庇護してきたと思ってるんだ。おまえという奴は…」
「よい、祐」
ただでさえつり上がった両目を尚つり上げる真田を静かな声が制した。ハッと居直り下げる頭に、定めた色を持たないガラス玉の双眸はゆっくりと瞬いた。
「如何にぞ、あれは確かに斬れたのか」
「ええ。血もなく、すぐぴたりとくっついてしまってましたが。斬るのは容易なようです」
「ふむ。そうか」
「不思議なものですね、痛覚もないのかな」
「うむ、では斬り落とし一部を検体とし持たせるのは悪手か。再生ではなく再接着とは」
「この際もう、中枢に呼んではどうです?お飾りの女王様なんですし、あの地は他に任せても問題ないと思いますが」
「ふむ。勝永は不人情よの、三百余年も住まえば離れ難ろう。憐れなものよ」
「ふふ、そうですかね。一々来てもらう手間を思えば最善な気もしますよ」
「そうか。考えておこう」
凛として座り伸びた背は華奢で肉も薄い。女のように細い指は顎を撫でて、少しの逡巡の後に顔を上げた。
「して、あれをしおらしくさせたは如何にぞ」
「おお、ワシも気になっておった。沈黙の姫君をどう籠絡したのやら」
「ええ。それがですね」
にこりとした守ノ内を横目に真田は諸々を、諦めた。せめて忠義を尽くす己だけは平身低頭、光の君へと崇敬の念を示し続けた。