第十七話 「第90層BOSS・かつて勇者と呼ばれた男」
剣戟は、ほの暗い迷宮内に、文字通りの嵐を巻き起こした。
奴の剣と、俺の鍵がぶつかり合うたび、フロアは振動する。
骨の芯を揺さぶるような振動は、刹那の中で無限回。
隙がないことは知っている。
実力差に彼我ほどの差があることも知っている。
だから、今は、ただひたすらに前へ。
黒鍵を振るい、奴の懐に飛び込み続ける。
(余計なことは考えるなっ……!)
奴の振り下ろした刃を跳ね返す。
刺突が頬を掠り、髪を僅かばかり裂いていく。
気を緩めれば、死はすぐそこにある。
何度も自分を、心の中で叱咤する。
余計なことなど考えていては、奴の「重み」には追い付けない。
スキルも、魔法も、行使しようとするその時間すら、無駄だ。
ただひたすらに、奴の剣に追いすがるのだ。
その「蓄積」に、この数瞬で追いつくために。
都合の良いパワーアップなんてない。
考え方を改めたからといって、都合の良い覚醒なんてない。
そんなことは知っている。
俺たちに与えられるのは、「宝具覚醒」という例外だけだ。
だからこれは、俺が俺自身の力のみで乗り越えなきゃいけない壁なんだ。
脳が擦切るほどに使いつくせ。
奴のその剣の軌道を読み解け、そして、自分に落とし込めろ。
一瞬の内に強くならなければ、奴には追いつけない。
退くな。
気持ちは常に前へ。
足を動かせ、手を動かせ。
力が足りないのは知っている。
だからここで、追いつくのだ。
お前には、守りたいものができたんだろ?
それも、「命と引き換えに」なんて理不尽な条件付きじゃない。
俺も生きて、彼女も救う。
俺が幸せになるために、彼女と共にここを出る。
この決意と欲望は、尽きることなどないはずだ。
「……さぁ、ショウタイムだ!」
奴の目前に躍り出て、嗤いながら叫ぶ。
これは虚勢だ。
生死の綱渡りをしている緊張を誤魔化すための、醜い芝居。
けれど、不思議と悪い気分ではない。
ここで辿り着く。奴の領域まで。
奴の蓄積を奪いつくす。
スキルの力ではない。
今度は、俺自身の力で。
―――SIDE・骸骨の剣士―――
傷つき、血だらけになりながら。
勝利を信じて、何度でも立ち向かう。
まるで本の中の英雄、勇者。
そんな少年を見て、俺は思い出していた。
俺がここに来る前の話。
俺が迷宮の魔物になる前の話を。
―――
俺は片田舎出身の、ただの少年だった。
そんな俺が、剣の才能を認められて学院に招かれたのは、十五の春だった。
特に将来のことなど気にもしていなかった俺は、学費免除と学院の楽しそうな雰囲気に惹かれて、入学を決めた。
入ってすぐに気づいた。
そこは地獄だった。
考えてみれば分かることだ。
貴族の、その中でも魔法や剣に優秀な人材が集まる場所だ。
最初は慣れず、ゲロを吐きながら出席してたっけ。
魔法の授業は、特に大変だった。俺に魔法の才能は一切なかったから。
けど、まあ、俺は剣の天才だった。
魔法分野に関しては、先方もまったく期待してなかったらしいし、剣の腕があることから、周囲からも認められていった。
授業や必須の課外活動でフラフラの学生生活。
そんな中で、唯一の楽しみは、「彼女」と剣を振るうことだった。
白くて、長くて、さらさらの髪。
長身の彼女は皆の憧れで、俺の剣のライバルだった。
毎日のように、学生寮の前に集まって剣を振った。
学内の大会では、死闘を繰り広げた。
俺は次第に、彼女に惹かれていった。
そんなある日、彼女が行方不明になった。
皆が慌てふためく中、俺だけは彼女の居場所を知っていた。
迷宮だ。
世界に五つしかないグランドダンジョン。
その一つ、この王都にある『神への入り口』と呼ばれるそこに、彼女は居る。
彼女は俺に語ったのだ。
妹が、ある病に掛かっていること。
その病は既存のどんな治療でも回復することはできず、
その病が治らなければ、妹は母親に「処分」させられてしまうのだと。
だから未開拓のダンジョン、その先にあるかもしれない秘薬を探しに行く。
彼女は泣きながら、そんなことを言っていた。
俺は唖然としていた。
彼女の覚悟に対してもだが、「処分」という単語が、人間に対して使われていることに、だ。
何でも、彼女は魔法騎士以前に、魔術師の名家出身らしい。
魔術師という単語には、二通りの意味がある。
迷宮攻略や、対魔物の戦いにおける、単なる役回りとしての意味が一つ。
もう一つの意味は、生き方そのもの。
誰かが言った。
魔術師は、魔を極める者。
人間とは根本的に違うものだ、と。
魔術師の家系では当たり前なのだ。自分の子供を、魔術のために使うなんてことは。
彼女の妹は、病気の所為で使えないことが分かった。
だから、彼女の母親は、「ソレ」を有効活用することにしたのだとか。
死ぬ瞬間に根源から霧散される魔力。
それを蓄えにするつもりらしい。
学院側に説明し、迷宮攻略の許可を取ろうとしたが、却下されたらしい。
なんせ卒業の時期だ。
それに家の問題に、学院は干渉できない。
俺は言った。俺も一緒に行くと。
彼女は泣き笑いしながら答えた。君は隠れられないでしょ、と。
彼女には魔法の力があったけど、俺にはなかった。
だから、寮官の目を盗んで抜け出すことができるのは、彼女だけだった。
一週間で戻ってくると彼女は言った。
秘薬があってもなくても、心配はさせないからと。
一週間が経っても、彼女が返ってくることはなかった。
学院側は彼女が居なくなって一日、捜索隊を向かわせたが、
彼女はすでにもう、彼らが追いつけない場所まで潜っていた。
俺は宣言した。
「俺が助けに行く」
彼女に次いで、学内成績二位の俺は、大半の魔法騎士よりも強かった。
剣の腕だけなら、学院の教師よりも上回っていた。
学院は止めた。
だが、俺に対し、退学処分など鼻くそ以下にどうでもいいことだった。
俺が学院を出ようとしたところ、
学院内にいた「創神教」の神父に呼ばれた。
俺は迷ったが、付いていった。
連れていかれたのは、学内にある教会。
毎日の食事をとるそこには、多くの学生たちがいた。
そこには仲のいい連中もいれば、顔も知らない奴もいた。
そこで俺は、勇者だと崇められた。
勇者。
それは英雄譚に出てくる、強敵に立ち向かう者のこと。
運命を捻じ曲げて進む者。トリックスター。
彼は英雄譚で、周囲を巻き込みながら進み続ける。
彼の者に常識は意味をなさず、多くの者に迷惑をかけながらも、結果的には良い方向に向かっていく。
そんな、「神に愛された」かのような人物。
それが勇者だ。
当時も、優秀な魔法騎士や超級Sランクの冒険者などがそう呼ばれることはままあった。
が、正式な儀式にてそれを認められるのは、その時代にてただ一人。
そして俺は、それに選ばれたらしい。
俺は漆黒の鎧と大剣を受け取った。
すると大剣の方は、二つに分かれ、二刀の剣となった。
話によれば、勇者の武器は、その者に一番あった形に変わるらしい。
俺は装備に身を包み、『神の入り口』に単身乗り込んだ。
スライムを圧殺し、竜人共を鏖殺し、螺旋の道を駆け抜けた。
魔物を殺すことに感情は動かなかった。
ただひたすらに、彼女を求めていた。
地獄のような戦場でも、彼女を想えば辛くはなかった。
並みいる強敵を斬り伏せて、俺が階段を下った回数が百回に至ったとき。
相対したのは、巨大な白蛇だった。
けれど、俺が奴に斬りかかることはなかった。
――石となった彼女が、彫像のように固まって立っていたから。
白蛇は口が裂けるほどの笑みを浮かべながら、それを尾で叩き壊した。
俺は絶叫などしなかった。
絶望などしなかった。
ただただ理解が追いつかずに、そこで突っ立っていた。
気づいたときには、俺の身体は白蛇にかみ砕かれ、飲み込まれていた。
俺は、死んだのだ。
目が覚めると、そこはほの暗い空間だった。
目が慣れると、そこがどこだか、俺にはわかった。
90層のフロアボスが立ちふさがる場所であった。
俺は自分の身体を見る。
黒の鉄鎧はそのままで、
白い骨が見え隠れしていた。
地面をみると、そこには二刀の剣があった。
そして頭の中で、誰かの声が何度も俺を追い詰めた。
「侵入者を殺しなさい。それが何者であっても、殺し続けなさい」
俺はこの声には抗えないようだった。
殺しても殺しても一定周期でポップしつづける骸骨騎士を、俺は剣で切り伏せ続ける。
もう必要もない剣の技も、闘力や魔力も、成長し続ける。
俺が死んで、どれだけの時間が経ったのだろう。
時間感覚なんて、とうの昔に無くなってしまったが、おそらく数百年は超えているだろう。
だって、こんなに想い続けている彼女の顔も名前も、忘れてしまうほどなのだから。
そんな俺を掻き立てる欲望はただ一つ。
「もっと、もっと、熱い戦いを――」
彼女と重ねたような、熱い死合いを、もう一度。
たった一つだけの願いを胸に抱きながら、
ほの暗い迷宮で、俺は剣を振り続けた。
―――
剣戟は、ほの暗い迷宮内に、文字通りの嵐を巻き起こした。
少年の剣と、俺の剣がぶつかり合うたび、フロアは振動する。
最初は期待外れだと思っていた。
少年は生に執着するあまり、逃げ続けていたから。
怖がりながら剣を振り続けるその姿は、みっともなくて仕方がなかった。
少年に握られている、おかしな形をした剣は哭いているようだった。
けれど、今はもう違う。
その足は前を向いている。
その眼光は真っ直ぐに俺を射抜いている。
守るために。
望む物を手に入れるために戦う少年は、まさしく勇者であった。
そんな少年と戦うたび、
すでに無いはずの俺の心臓は、何度も跳ねた。
流れないはずの血液が、全身を巡る感覚。
その血が沸き立つ感覚が、今はある。
望んでいた戦いが、ここにはある。
「……さぁ、ショウタイムだ!」
ハッとして少年の顔を見る。
怖いはずなのに、
その顔は嗤っていた。
迷宮に潜ってから数百年、
俺はこのとき、初めて笑った。
不思議と、悪い気分はしなかった。