第十六話 「殺意」
「ああ、戦うには少々足場が安定しないな。うん、よし」
漆黒の鎧に身を包んだ骸の男は、そう零すと、
腰を深く深く落とし、双剣を構えた。
ビリッ。
肌が痛む。
感じる。
空気の圧が、変わった。
「――上手く避けろよ」
横薙ぎに振るわれたのは、二つの剣。
その時、世界は変わった。
「なっ――――!?」
土の地面に波が起こったのだ。
生み出したのは、奴の双剣から放たれた空気の圧。
俺は咄嗟にララを持ち上げ、飛び上がり、空気の刃を避ける。
ズッガァァアアアアアアアアアアアアアア!
直撃を受けたわけではない。
が、それにもかかわらず、衝撃で俺は後方に吹っ飛ばされていた。
通常、魔石を核として構成される魔物は、それが壊された際、灰となって消失する。だから、冒険者は強大な敵と戦う場合、敵が体内に宿している魔石を狙う。それが一番手っ取り早い魔物を殺す方法だからだ。
逆に魔石を破壊したり、奪取するのを忘れたりすると、賢しい魔物や生命力の高い魔物に抵抗される恐れがある。だからこそ、冒険者は報酬を抜きにしても魔石を核実に手の内に収めるのだ。
が、魔物たち同士の殺し合いでは、その傾向はあまり見られない。
単に知能が足らないからか、
もしくは、本能で生き死にの判別がつくのか。
それは分からないが、魔石は放置されることが多い。
もっとも、魔石に籠る魔力は、一定時間を過ぎると空気中のマナに変換され、空となってしまうので、冒険者にとって特に利がある話ではない。
ここまでは常識の話。
ここからは非常識の話。
今、何が起こっているかを説明するとしよう。
周囲には、何もなくなった。
頑丈な剣も盾も、鎧も、骨の一片すら残さず、骸骨騎士たちの死体は消滅した。
そこに在るのは、俺と気絶したララ、そして奴だけだ。
「…………はは」
思わず、笑みが零れる。
なんだってんだ。
こんなの、どうすればいいんだ。
奴は、正真正銘の化け物だ。
「思考する暇など、与えると思ったか?」
「――――!?」
一瞬にして、奴は目の前に現れた。
俺は咄嗟にララを手放す。
魔力の流れは感知しなかった。
つまりは、スキルや魔法は一切使わず、歩法のみで神業のような瞬間移動を行使したわけだ。
異常だ。
奴は想定の外をいっている。
対策など練る間もないままに、
奴の手元から伸びた無数の刃が俺を襲った。
死が、近づく。
「舐めるな!」
俺は己を叱咤するように叫びながら、黒鍵を抜く。
意識を集中し、タイミングを合わせる。
奴の黒剣と、俺の黒鍵が重なり合う。
ぶつかり合ったその瞬間、衝撃が全身を撃ち抜いた。
「ぐ、ぁぁあああああああああ!!」
筋肉が震え、骨が軋む感覚がある。
痛みを感じる暇もないまま、剣は交わり加速する。
二刀の剣に対し、こちらは一鍵。
ただでさえ実力差があるというのに、手数が圧倒的に足りない。
「はっ、はっ、はっっ」
永遠に続くかのような衝撃が、そこには在った。
少しでも気を緩めれば、俺はあの二刀によって切り伏せられるだろう。
このままでは、駄目だ。
体力が尽き、じり貧になるのは必至。
「……それならっ!」
頭にちらつく死のイメージを振り切りながら、
俺はあらゆる手を片っ端から試すことにした。
「アアアアアアアアアアアア!!」
気合と共に叫ぶ。
スキル『放電』。
行使には大量の魔力が消費される。
魔力8:闘力2の割合で発動された雷撃は、俺を中心に周囲を焼きながら拡散する。
こうなれば奴は俺から距離を取らざるを得ない。
俺は左腕を黒鍵で切り落とす。
ボタボタと流れ落ちる血。
痛み。
それらに苦悶する暇などない。
「ぁあああああ!!」
俺は即、光速移動スキル『電光石火』を使用。
紫電と化した身体は、一本の光線を描きながら跳ね飛んだ。
表情浮かべることのない奴と向かい合う。
奴に視覚があるかは不明だ。
だから、これは確認だ。
俺は千切れた左腕を放り上げる。
当然、警戒する奴はそれを切る。
俺はドクドクと左腕から流れ出す血を、奴の顔面にぶっかけた。
が、奴は一切怯むことなく俺に刃を向けてきた。
(くそっっ!)
俺は心の中で苦虫を噛んだ。
だが、思考も後悔も、している時間はない。
俺は瞬間、第二プランへと移行する。
第二プラン。
それは先ほどから詠唱していた魔法の行使――。
骨が見え隠れする左腕の断面には、確かにあったのだ。
二つの魔法印が。
そして詠唱はすでに完成している。
轟音と共に、それらは発動した。
俺は何度もバウンドしながら、その場から弾き飛ばされる。
水魔法と炎魔法の接触による、水蒸気爆発。
瞬間的に高威力を発揮したそれは、攻撃対象のみでなく、俺自身の身体をも吹き飛ばした。
「が、はっ――――!」
呼吸が苦しい。
内臓も焼かれたようだ。
関節の節々に激痛が奔る。
倒れたまま体を見ると、火傷と切り傷が至るところにある。
だが、これほどの威力。
殺し切るには至らないだろうが、奴にも多大なダメージを与えたに違いない。
とはいえ、奴の実力は底知れない。
俺はスキル『再生』を行使しながら、「この方法」を適切に使い続ければ、勝ち筋も見えてくるのではないかと考えていた。
俺が行った、無詠唱魔法を実現した「方法」。
それはしかし、詠唱していないのではない。
スキル『無音』による詠唱の隠匿だ。
魔法行使において、詠唱が意味するところはイメージの想起に他ならない。
魔法名を声に出して、その魔法がどういうものかを自動的に想起させる。一種の洗脳である。
そして『無音』は口元に固定。
ゆえに、俺の体内で詠唱が響くのみに留まったのだ。
(これを使いこなせば駆け引きで確実に有利に戦える。なんせ相手には俺が何の魔法を出すか分からないんだからな。行ける、行けるぞ。勝てるほどの見込みはないが、ララを連れて逃げることくらいなら、きっと――――)
しかし、俺の希望は早々に失われた。
ぐちゅ。
奴は目の前にいた。
音の正体に気付いた。
奴の剣が俺の内臓をかき混ぜていることに。
「つまらん」
骸骨の剣士はそれだけ言って、
左手に持つもう一刀の剣で、思い切り俺の腹部を切り裂いた。
視界が、九十度、反、転、す、る?
腰から下の感覚が、ない。
ずるりと、何かが決定的にズレ落ちる音を聞いた。
そして、俺は初めて見た。
下腹部から下が、己の半身から離れた姿を。
「あ、え――――は? あぁ? あ、ぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
なん、だ?
なんなんだ、これは。
「あはは、あははははははははははははははははっ!」
誰だ。
こんな状況で笑っている非常識な奴は。
ああ、
俺か。
笑い声が尽きる前に、俺の視界はブラックアウトした。
―――
光の世界。
眩しくて、ふわふわな気分になれる世界。
俺は気付いたらそこにいた。
ああ、ここは偽りの世界だ。
だって俺の手が、こんなに小さいわけがない。
だって愛する両親が、生きて笑っているなんてことはありえない。
「さすがだわノア! 私の息子はやっぱり天才よ!」
言いながら、母が抱き着く。
「はっはっはっはーーーーーー!!! うちの子は天才だ! 正真正銘の天才だ! 将来は安泰だな、母さん!」
言いながら、父が俺を持ち上げる。
「…………」
かつては拒絶した世界。
けれど、俺は迷っていた。
なぜなら、気付いてしまったから。
己の我を通して生きようとすることは、とてつもなく辛いのだということに。
諦めてしまった方が楽だ。
夢の世界の、虚構の幸せに逃げてしまった方が楽だ。
逃げることは間違いだろうか。
立ち向かうことがこんなに辛いのに、逃げることが過ちだと、どうして断定できるのだろうか。
もう、諦めようか――、
だが、俺の判断を待つ前に、
スイッチを消すように、ぷつりと意識が暗転した。
―――
目を覚ますと、そこには現実が在るだけだった。
断続的に続く痛み。
生気が抜けていく感覚。
絶叫する力すら、もうこの身にはない。
「ほう、やはり凄まじい回復力だな。
一体どんな仕組みなんだか……」
体を起こそうとするも、それが物理的に不可能であることを俺は再確認する。
下腹部から下はなく、
いつのまにか、両腕は分断されていた。
「とはいえ、もう満身創痍といったところかな。
抵抗する気がないのなら、首を縦に振れ」
奴はそう言って、剣を俺の首元に近づけてくる。
頷けば、俺はこの命を絶つことができるだろう。
(もう、疲れた)
ここで死んでもいい。
そう思った。
痛いのは嫌だ。
生き続けることは、辛い。
首を縦に振ろうとする。
が、その動きは、途中で止まった。
目線の先に、紅玉色の髪が見えたから。
灼熱色のそれを見て、俺の心は目が覚めた。
「っ、ぁぁぁあああああああああああああ!!!」
叫び、放つ雷撃。
拡散されるべきそれを一つにまとめて、俺はただ一点に放った。
完全に意表をついたのか、初めて、奴の腹にまともな一発が入る。
軽々と奴の身体が吹き飛ばされた。
「……フゥゥウ」
俺は全集中を『再生』に注ぎ、優先する。
指先の感覚をも、取り戻す。
闘力と魔力を大量に消費した代償か、頭痛が激しい。
だが、関係ない。
俺は立てる。
俺は戦える。
その事実があれば十分だ。
そして、奴を瞳で捉える。
そうだ。
俺が死んだら、俺が殺されたら、彼女も殺されてしまう。
俺の大切が、また、奪われてしまう。
嫌だ。
それだけは嫌だ!
彼女に抱く感情は、憧れに近いものだろう。
不安だった。
口には出さないけれど、独りでいるのは辛かった。
そんなとき、彼女は俺を救ってくれた。
契約魔術などという、人生を分かつほどに貴重なものを、俺を助けるために掛けてくれた。
心細い俺の横で、明るく笑いかけてくれた。
わずかな時間しか共に過ごしていないけれど、俺は確かに彼女に救われたのだ。
――俺は一人ではないと、彼女が教えてくれたのだ。
そんな彼女が、このままでは殺されてしまう。
そんなことは許されない。
許されるわけがない。
ならば、やるべきことはただ一つ。
「俺は、お前を殺す」
ただ、それだけ宣言して、
俺は黒鍵を構え、駆けだした。