表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/7

第5話

 「ワンワン、ワンワン、ワオーン」

 「ワンワン、ワオーン、ワンワン」


 大通りの反対側に建つ岡部邸の秋田犬、シローが吠え立てる。

 

 寝ていた当主の伝助が飛び起き、庭で吠えるシローを叱りつける。

 怖いはずの伝助の叱る声さえも無視してなおも吠え続けるシロー。

 

 「何事ですかいの」と女房の小春も起き出す。

 「曲者(くせもの)でもいるんかいな、母さん、木刀ば持っちきない」

 伝助が木刀を抱き、庭を見回るも誰もいる気配はない。

 それでもシローは大通りに向かって吠えることをやめないでいた。

 

 「あんた、警察ば呼びましょう」と小春。

 「犬が馬鹿吠えするっち呼ぶとか」阿呆言えと伝助。庭木戸から通りを覗くも、そこにも誰もいる気配はない。ボケたやろかシローはと愚痴(ぐち)りながら庭に戻ろうとした伝助の目の端に(わず)かなライトの光がつついた。

 

 「母さんや、向こうの溝が光っとると」

 「あれま、ほんなこつ。おかしかね、蛍の季節でもないとに」

 

 二人が通りの向こうの側溝を覗くとバイクが見え、その下に人が倒れていた。

 シローが勝ち誇ったように吠え立てる。

 

 「大変ばい、救急車に電話せな母さん、急がんね」と小春を急き立てる伝助。

 慌てて家に駆け戻る小春。その場で雷太に声をかける伝助。シローも吠える。


 「峠は越えましたが、右の腎臓が傷ついています。摘出手術が必要になるかもしれません。それと肋骨骨折があります。一ヶ月ほどの入院となるでしょう」と鮫島医師。

 「よろしくお願いいたします」と朋子。安堵と失職の不安が混じった、ため息一つ。

 

 「痛てて、朋子どうなってんだ。何でこんな目に合うんだ」事故の記憶のない雷太。

 酒での失敗を繰り返す夫に怒る気力も無くなった朋子は、自業自得(じごうじとく)、の言葉を吐き捨て部屋を出ていった。

 

 したたか酒を飲み、バイクに跨ったとこまで記憶が戻った雷太が痛みに顔をしかめる。


 「あと一週間で退院、良かった」と朋子。入院してちょうど一か月後のことであった。

 学校の方も、教頭が雷太を置いて一人で帰ったことを悪かったと悔やんでくれていて、雷太の怪我を公務中扱いにしてくれていた。

 

 「心配かけたな、酒は当分控える」と雷太。

 「当分じゃ駄目。一生控えて頂戴な」と朋子。酒依存症的夫には無理を承知でくぎを刺す。

 「それにしてもこれはきっとお狐様、いやさお稲荷様の祟りだな。伏見稲荷大社で厄落としでもしたいところだが今はそれも叶わぬ。やむを得ん、お狐様が嫌ってる犬のテリーを家から出すしか道はないな。そうすれば厄落としになるだろう」酒での失態を犬のテリーのせいにする雷太。

 

 あなたを救ってくれたのは他ならぬ犬のシローなんですけど。と言いたいとこだが、キツネ崇拝(すうはい)に関しては正論の通らない雷太を熟知している朋子は、だんまりを決め込むしかなかった。

 

 恭介がテリーと遊ぶことで、友達を作ろうとしないことも気がかりであったので、テリーと引き離すのもやむなし、と考えることで免罪(めんざい)を図ろうとしていた朋子であった。

 今日は、恭介の好きなカレーライスに特大のハンバーグを()せて食べさせてあげよう。大好きなテリーを捨てることに同意した母の、せめてもの罪滅ぼしにと思う朋子であった。


 「よかですよ、曾我さん、ちょうど明日は北九州です。そこまでいけばさすがのテリーも戻れんですばい」と教科書販売会社の後藤が不要品を廃棄するがごとく簡単に請負う。


 「母ちゃん、どうしてもテリーば捨てなならんと」べそをかきながら訴える恭介。

 「ごめんな恭介、氏神様には逆らえんと。でも賢いテリーのこと、どこに行ってもちゃんと生きていけるとよ」目を潤ませながら諭す朋子。


 その夜、夕食のとき後藤氏の(はか)らいを恭介と朋子に話す雷太。

 

 「氏神様なんか嫌いじゃ、大人になったらお狐様はじぇたい捨てちゃるき」と恭介。

 「罰が当たるぞっ、恭介」と叱る雷太。

 

 「父ちゃんは偉いと思うちょったけんど、悪いことばじぇんぶテリーのせいにする、そんなん間違ちょる、父ちゃんなんか嫌いじゃ」と言い捨て家を飛び出す恭介。

 

 追いかけようとする朋子を、「ほっときなさい、時間が解決する」と雷太。

 雷太に(ののし)りの言葉をなにか言いかけるも、ただ顔をそむけるだけにした朋子であった。


 次の朝、恭介が学校へ行った後、後藤がやってきてテリーを強引に助手席に乗せ、首輪とロープを繋ぎ、サイドブレーキに引っ掛ける。これで良しと運転席に戻りドアを閉め車を出そうとしたとき、物陰で見ていた恭介が助手席の窓にへばりつく。

 

 「テリー、じぇったい戻ってくるんばい。約束げんまん嘘ついたら針千本飲~ます指切った」と涙で光る眼で必死に小指を差し出す恭介。

 

 テリーはいつものように小首をかしげながらワンと一吠え、心配するな恭介、僕の親友よ、必ず僕は君のもとに帰ってくるから、と。

 

 その様子を見ていた朋子は、己の不断(ふだん)さを(ののし)ると、後悔(こうかい)の海に投げ出されていった。


 車は北九州へと出発して行った。


 そして、テリーは凛として流れゆく景色を脳裏に焼き付けていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ