表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/7

第4話

 二週間ほどそれぞれ手を尽くして探してみたが、引取り手は因縁(いんねん)の桂家だけであった。


 残り三匹はどうしても貰い手が見つからない。近じか炭鉱が無くなるになるという噂がたち、皆はそれどころではないのだ。炭住長屋も(くし)の歯が欠けたように空き家が増えていった。


 「これ以上子犬達を置いとくと、お狐様の(たた)りがあるかもしれない。しようがない恭介には内緒で今晩でも捨てに行こう」雷太には似合わぬ理不尽な一面が頭をもたげる。これは、彼の聡明で清廉(せいれん)な頭脳さえも洗脳し得る、いやそれ以外の選択肢は非国民として(ほうむ)り去られるという現実。|体制を揺るがし兼ねない冷静な判断基準を常に排除し続ける、屈折したファシスト達が蔓延(はびこ)ったゆえの歪んだ軍国主義のなせる(わざ)である。天皇陛下の為、国家の為に死するを本望とすべし、という刷り込み。


 「恭介には貰い手が見つかったと言っときましょう」子犬達と恭介が不憫(ふびん)な朋子。

 その夜、恭介が寝入った後雷太はホンダスーパーカブ(※14)の荷台に二重張りの段ボール箱を(くく)り付け、三匹の子犬を乗せると、そっと家を出た。


 「母ちゃん、子犬達がいないばい」寝ていたはずの恭介が眠い目をこすりながら鳴き声がしないと母親に聞いてくる。


 「急に貰い手が見つかったと。そやき心配せんでもよかよ」泣きそうな作り笑顔で朋子。


 「三匹一緒にね、どっかのお金持ちなんやね母ちゃん」良かったと安心して寝いる恭介。


 雷太の動きを見過ごすテリーではない。雷太はテリーを無視し、バイクをすっ飛ばす。


 テリーは全速力で追いかける。街灯もない夜中の田舎道を十五分程走ったところで停止。


 テリーを振り切ったと確信した雷太は、段ボールを下ろし彦山川支流の添田川に段ボールをそっと浮かべた。なかなか手が離れない。二日前の大雨で水かさは増し、流れも速い。溺れるのは必至だ。勘弁な、名もない子犬達、と手を合わせると、段ボールは暗い闇の中に消えていった。悔恨(かいこん)の念がわいてきた。それを振り払うとそそくさとバイクで(きびす)を返す。


草むらの影で(のぞ)いていたテリーが脱兎(だっと)のごとく飛び出し、川沿いをつっ走る。


 やがて段ボールに追いつくと、後先も考えず飛び込んだ。


 段ボールの角に(かじ)り付くも、既に水を含んだ段ボールと三匹の子犬の重さは小さなテリーには荷が重すぎる。段ボールに引きずられ、渾身(こんしん)の力で泳いでも流れに逆らえない。やがて体力も(つい)えようとしていた。

 と、突然段ボールの動きが止まった。その衝撃で咥えていた段ボールの角が破れ、テリーだけが流されていった。


 何が起こったのか瞬時に察知したテリーは、最後の力を振り絞って川岸に這いあがる。


十数メートルほど上流で岸辺に引っ掛かっていた大きな古木に抱きかかえられるようにそこに留まっている段ボールを発見した。


 三匹の子犬の鳴き声がテリーの耳に届いた。


 この時、テリーはなにものかに感謝するがごとく大きくワンと吠えていた


 テリーは慎重に古木を便って、三匹を崩れかけていた段ボールから無事に救い出した。


 そこから子犬達を(だま)し騙し歩かせ、やがて恭介の眠る曾我家の縁の下へたどり着いた。


 朝、恭介が子犬達の鳴き声で目を覚ます。

 寝ぼけ眼で縁の下を覗くと、水に濡れた子犬達がテリーのおっぱいを飲んでいる。

 その様子をうんうんと眺めていたが、はたと昨夜の母ちゃんの言葉が(よみが)る。


 「母ちゃん、子犬達がまだ縁の下にいるよ。貰われて行ったとになして」と寝ている母親を揺り起こしながら問う恭介。


 「寝ぼけなんな恭ちゃん。子犬達がいる訳なかと、父ちゃんが捨て、いや違う、貰い手に届けに行ったんばい」言い間違えそうになって慌てて起きた朋子の耳に鳴き声が。


 「父しゃん、起きない。子犬達が戻っとるよ。どういう事ね」と雷太を起こす朋子。


 「うるさいなそんなはずないぞ、今頃は彦山川に沈んでるはず」と雷太の耳に鳴き声。


 二人が起きると、恭介が枕元で仁王立ちして両親を(にら)んでいた。手に竹箸一本持って。


 「これにはいろいろ訳があるんだ恭介。難しい話だが、お狐様の祟りが曾我家に、いや恭介に降りかかるかもしれないんだ。だから子犬達をうちに置いとけなかった」と雷太。


 「父ちゃん母ちゃんは嘘ついた。父ちゃん言ったばい、正しくないことには立ち向かえち。テリーの代わりにおいが()らしめなとよね」涙を一杯溜め、震える手で訴える恭介。


 「仕方なかったとは言え、正しいこととは言えない。恭介の言うとおりだ。嘘もいけない。恭介、気のすむまで打ちなさい」と首を差し出す雷太。うちもと朋子が正座する。


 べそをかきながら箸を振り上げたとき、ワンワンとひと際大きくテリーが吠えた。


 箸を投げ捨て、突っ伏して号泣する恭介を朋子がかき抱く。


 「生きとし生ける者として、やってはならないことを犯した。悪い父ちゃんだった。

恭介、テリー約束する、子犬達は貰い手が見つかるまで家に置いとくことを」と頭を下げる雷太。


 三人揃って縁側に出てみると、テリーが子犬達を引き連れてかしこまって座っていた。


 母親として、子供達を救い出しただけ。やるべきことをやったまでと言いたげな毅然(きぜん)とした顔と、主人の意に背いた行いに出た自分に赦しを乞う悲しげな顔を(あわ)せ持って。


 三匹それぞれに貰い手と名が付き、曾我家にも何の(たた)りもなく、新学期が始まっていた。


 「母ちゃん、ミミクロを貰ってくれた宮嶋さん引っ越して行ったちばい。これで三匹がちりじりになってしもうたよ。テリーも寂しかろうね」自分も寂しい、と恭介。

 

 「宮嶋さんな門司港に行きんさったと。ほんにようまあばらばらになったばいね、タロウは行橋市、ナキムシは山田市、でんが皆さん出世して出ていったき、子犬達も幸せに暮らしとらす、きっとね。ただ夜逃げした桂さんに貰われたホホジロはどうなったやろね。あの子だけが心配やね」朝の定番食、具なしオムライスを調理しながらしんみりと朋子。

 

 「金持ちに貰われていったと思っちょたんに、どうして夜逃げなんかしたん」と恭介。

 

 「炭鉱が閉山(※15)になって、一番割を食ったのは人入れ稼業の頭達なんだ。それでも堅実にやってた頭は、一財産築いた筈なんだが、桂さんは違った。旅役者に入れあげ、力士のタニマチになったりと、派手に散財(さんざい)してしまったんだ。羽振りの良い時代が未来永劫(みらいえいごう)続くと思っていたんだな」と雷太が説く。

 

 「与之助もかわいそうやね」と苛められた相手に同情する気の優しい恭介であった。

 

 「今夜は青少年育成会議が会館である。教頭と出るから夕食は要らない」と雷太。

 「はいはい、飲みすぎんごと」と酒に目のない雷太にくぎをさす朋子。

 「はい、は一度でよい」と威厳(いげん)を取り戻そうと雷太。

 「母ちゃん、行ってきます」と恭介。

 「口の端に卵が付いとるよ」

 「よかと」と飛び出す恭介。


 朝飯に丸丸一個卵が付いちょった。誕生日やきに、と自慢げに黄身を口の端に付けていた富江に対抗するつもりでわざと付けていたのだった。この時代卵は贅沢品だったのだ。


 「ではこの辺で、この夏休み中に起こった非行及び事故の報告会を終了いたします。この後、慰労会(いろうかい)の席をささやかですが、用意しております。お疲れのことと存じますが、ご参加ください」とPTA会長渡辺勇氏が告げる。隣の広間に酒とつまみが設えてあった。


 PTA副会長の竹下綾子女史が、不調法ですのでお先にと帰途に就く。

 紅一点ではあったのだが、目ざわりが一人居なくなり、うまい酒が飲めると曽我と教頭アイコンタクト。酒豪(しゅごう)で名高い野添教頭と最後まで居残り、酒瓶を次々と空にしてしまう。

 

 「教頭さん、お迎えですばい」とタクシードライバーが自ら呼びに来る。

 

 「曾我主任はよかと、送るたい」千鳥足(ちどりあし)で出口に向かいながら聞く教頭。

 

 「大丈夫。自家用車で帰ります、新車の原付ですぞ」すごいでしょうと曽我。

 

 「酔って二輪は危ない、四輪なら良かばってん。こけんごと帰りや」何が良いやら、ずれてる教頭。


 小高い丘に建つ公民館の車寄せの端に止めてあったバイクに、あっちこっちふらつきながらようやく辿(たど)り着き(またが)る。ポケットをまさぐりやっとこさキーを見つけると、おもいっきりキックする。一回でエンジンがかかったのはよいがバランスを崩して横倒しになる。その弾みでギアが入り砂利の敷いてある坂道を滑り出し、3メートルほどの落差のある石垣から下の側溝(そっこう)にバイクともども雷太が落下していった。

 雷太の上にバイクが乗っかかり、ブレーキレバーが雷太の腹に突き刺さる。

 酔いのせいで痛みは鈍いのだが、出血がひどいようだ。身動き取れずか細い声で助けを呼ぶ。そこは大通りなのだが、田舎のしかも深夜である、人も車も滅多に通らない。


 やがて睡魔(すいま)が雷太を襲う。朝までこのままでは出血多量で危ない状態なのだが……


(※14)ホンダの50㏄の単車。現代のホンダ自動車の礎となるほど大ヒットしたモーターバイク。

(※15)石油が安価で輸入されるようになり、石炭の需要が極端に減少し、採算が取れず撤退すること。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ