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第2話

 「その犬やったら隣の恭ちゃん家のテリーばい」


 赤子を背に負いあやしていた富江が、車の主に返答した。


 「ごめんやっしゃ、曾我(そが)さん、(かつら)というもんじゃが大将は()りますかな」と与之助の父与一(よいち)が引き戸を開けながら(たず)ねる。


 「は~い何ごとでしょうか」と恭介の母朋子(ともこ)が応対に出る。


 「実はのう、お宅の飼い犬がうちの息子に噛みついたとよ。痛がっちょると。狂犬病の注射ば打ちょろうね」運転手兼用心棒の若い衆を従えて、与一が抑えた訛声(だみごえ)で告げる。


 「え~、何ちゅうことばしたとやろか、恭介ちょっとおいで」と(あわ)てて奥に声をかける。


 「テリーはおいば守ってくれたとよ、悪いことはしちょらん」与一の剣幕(けんまく)に震えながら訴える恭介。


 「なんちゅうてん犬のくせに我が息子に噛みつくとは言語道断(ごんごどうだん)たい。その犬ば出しんしゃい、こん刀で叩き切ちゃる」手にした日本刀を振りかざす与一。


 そこへ、よれた浴衣(ゆかた)羽織(はお)った恭介の父雷太(らいた)が、やれやれとばかりに奥から現れる。


 「桂さん、息子さんに怪我させたのは申し訳ないことです。ですが、私はテリーが何の理由もなしにやったとは思えません。息子さんは何で噛まれたか言ってませんか?」と恭介を後ろに(かば)い、与一の前に立ち、雷太が眼光鋭(がんこうするど)く物言う。


 「武田(たけだ)んちの重徳が先ず噛まれて、逃げようとした息子にも飛び掛かって来たち言いよると、言い訳でけんばい」駄犬が息子を噛んだ事実が何があっても許せんとばかりに与一は高飛車だ。


 「テリーが噛みついた行動ではなく、そんな事態になったわけが重要でしょう」と雷太は一歩も引かぬ構え。 


 「犬ごときがなんか考えて噛んだちか。馬鹿馬鹿しい。訳なんぞどうでんよか、早う犬ば出さんと承知せんばい」と刀の柄に手をかけ威嚇(いかく)する与一。


 「どうでもよくない!」と雷太が目を()いて一(かつ)


 「その訳如何(いかん)によってはテリーの代わりに私が責任取りましょう。全ては理由を解明してからです」と、そのか細い体からは想像もできない気骨(きこつ)が、体中の毛穴から(ほとばし)る。


 「何ち~、犬一匹のためにそこまで言うね。能見(のうみ)、重と息子ば連れてこんね」と与一。


 慌てて車を出す能見。


 「お茶でも入れまっしょ、上がらんですか。(きたな)かとこですが」と朋子


 「上がり(がまち)でよか、茶も要らん」と腰掛ける与一。(きびす)を返し奥に引っ込む雷太。


 「骨のある旦那やね。でんがちょっと()せ方が気になるな、どっか悪いんかな」と与一。


 「すんません、胸を患う(※5)てまして、入院しとりますがたまたま今日は外出日でして、家にいたんです、すみません」只々謝るしかすべのない朋子であった。

 それも無理ないこと。何しろ桂家といえば炭鉱の最深部で鉱脈(※6)を探り、掘り進んでいく猛者(もさ)たちの元締めなのだ。その精鋭二十数名、見習い多数を抱えている。荒くれにかけては地元の不良(※7)も一目置いている。


 車が二人を乗せて帰ってきた。


 「噛まれたんは校舎の裏やったね。何しよったと三人で」と与一が聞く。


 「別に、話し合ってたと」と与之助。


 「重、ほんなこつかい」


 「話しとった」


 「恭介、何の話しをしてたんだ」と雷太。


 「お金の話」


 「銭の事やと、子供んくせにしゃらくせ(※8)、(くわ)しゅう言わんね」と与一。


 「恭介に貸しちょった金ば返せっち」と与之助。


 「恭ちゃんなしてお金なぞ借りたんね」と朋子。


 「借りちょらんばってん、金持って来いち言われちょた」


 「つまりカツアゲ(※9)されていたんだな」と雷太。


 「重、お前がカツアゲしとったとや」と与一が聞く。


 「おら知らねえ、与っちゃんと遊んどっただけばい」と重徳。


 「おかしかね、与之助がカツアゲするわけないとよ、小遣いはたっぷり渡しとるきね」


 「重、ちゃんと話せ。白状せんと殴らすばい」と与一が(おど)す。


 「与っちゃんと相撲ば取ってわざと負けちゃると与っちゃんが十円玉くれると。おら家で小遣いとかはじぇんじぇん貰えんき、毎日遊んじょた」とべそをかきながら答える重徳。


 「もうよか。たかが十円のこと。犬一匹出しゃいいことたい。面倒かけなんな」と与一。


 「テリーは息子が兄弟のように仲良くしていて、家族と一緒です。叩き切られていい正当な理由がない限り、渡せません」と雷太。


 「がりよっと(※10))痛い目にあうばい。能見、構わん犬ば引っ張り出してこい」と与一。


 六尺豊かな能見の前に、両手を広げ、しかと立ちはだかる雷太。


 「邪魔すっと我から叩き切ちゃるど」と抜き身を突き出す与一。


 「相手になりましょう。表に出ろ」と言い捨て一旦奥に引っ込む雷太。


 テリーはといえば縁の下で低くうなり声を発しながら、いつでも飛び掛かれるように構えている。


 間を置かず出てきた雷太の右手には一本の輪島塗(わじまぬり)の箸が握られ、左手にはさらしが幾十(いくじゅう)にも巻かれていた。

 啞然(あぜん)とする周囲。  

 当然、包丁なり(なた)なり日本刀に対抗する物を持ち出すと思われていたのだから。


 「能見、手ば出すなや。このわからずやはおいが()らしめちゃるきに」と与一。


 騒ぎを聞きつけた住人達が周りを取り囲む。火事と喧嘩は大きい方が面白いとばかりに。


 「あんたにこの左手はくれてやる。その代わりにあんたの目のどちらかを潰す。運悪く箸の先が脳みそまで届いたらしょうがない、あんたを殺すことになるかもしれない。いずれにしろ、私にはやり遂げる心得と(きも)はある。覚悟してかかって来い」


 殺気に満ちたオーラが静かに漂う。


 雷太の瘦せた体のどこにこれほどの気概(きがい)が隠れていたというのか。


 「しゃらくせか、一太刀で息の根ば止めちゃるばい」ただならぬオーラに多少気おされながらも、じりっと間を詰める与一。


 「誰か駐在()連絡せんね」とどっかのおばばが(つぶや)く。


 「後の(たた)りが怖か」と皆が口をそろえる。


 そこへ一人の女の子が飛び出てくる。


 「与っちゃんがいつも恭ちゃんから十円取り上げちょた。持ってこん時は重が殴ったりしとるんよ。それを見たテリーが恭ちゃんを助けたと。あたいはいつも見ちょたんばい」


 富江が父親に羽交い絞めにあいながら必死で訴えていた。


 「富江ちゃんよく言ってくれた。桂さん、理由がわかりました、刀を収めてください」と雷太が構えを解きオーラを引っ込めたのだが、振り上げた刀の持って行きようのなくなった与一が、問答無用スキありとばかりに峰に返していた(※11)刀を振り下ろそうとした時、テリーが間髪(かんぱつ)を入れず驚異的跳躍で与一の腕に(かじ)り付く。びっくりして刀を落とす与一にこれも間髪を入れず雷太が()り寄り、箸の先を与一の(まぶた)に当てる。


 「桂さん、このままあんたの目に箸を突き立てても、正当防衛が成立する。でもこれ以上の面倒はご免(こうむ)りたい。おとなしく引くなら私も収める。」と雷太。


 「好きにしない」と与一は座り込む。


 「噛まれた手は大丈夫でしょか」と朋子が与一の心配をする。


 「そういやぁ手はあまり痛くねえなあ、なしてかな」と噛まれたはずなのにちっとも痛くならない手をじっと見つめる与一。


 「テリーは賢い犬やけん、怪我させるほど(ひど)く噛まないとです」とテリーを引寄せる恭介。


 「重、坊、噛まれたところを見しちみ」と与一が二人を裸にしてよく見てみると噛まれた跡などなく、勿論出血なども皆無であった。


 「テリーちゅうかね、いい相棒やな恭介君。それにしても阿呆らしかねぇ、わいも息子んことちなるとよう気が回らんたい(※12)。曾我さん悪かったばい、これバカ息子が恭介君から巻き上げたちゅう銭に間に合うか分からんばってん納めちょきない」と言いつつ、わに革の分厚い財布から聖徳太子の札を三枚ばかり取り出すと、恭介に渡そうとする与一。


 辞退しそうな雷太の横をすり抜け、申し訳ねすと(おが)みつつ、朋子は素早く懐に取り込んだ。


(※5)肺結核。不治の病と恐れられていたが、ストレプトマイシンという特効薬で治るようになった。

(※6)坑内の最先端で石炭の含有量の高いルートを探し、掘り進む抗夫のこと。

(※7)暴力団員等。

(※8)生意気なこと。

(※9)脅して金品を巻き上げること。

(※10)うるさく反抗すること。

(※11)刃先と反対側。峰打ちという。

(※12)慎重に考えないで、勝手に即断し行動すること。

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