亀へのおくりもの
とある田舎町。人が住んでいるところでもたくさんの雪が降る町で、歩道の脇には、一メートル以上の雪の山ができていた。
時間は、朝の七時半すぎ。
小学五年生の男の子が、とても不機嫌な顔をしながら、誰もいない道を歩いている。
男の子の家は農家で、今歩いているところの周りは、すべて田んぼだ。
でも、今は見渡す限りの雪原が広がっていた。
やがて、この町で一番大きな橋に着いた。
長さは三百メートルもあり、下には川幅の広い川が流れている。
これを渡りきると、向こうは住宅街で、その中に小学校もあった。
男の子は、はあっ、とため息をついた。白く変わった息が、わずかに吹く風にのって消える。
一昨日、とても後悔するようなできごとがあったのだ。それは先生から知らされた。
授業がぜんぶ終わってからの話だったから、それから今日までずっと、胸の中に重りが入っているような嫌な感じが続いている。
ぼーっとしながら橋の上を歩いていたけれど、でも「それ」に気づいたのは、変なところにあると思ったからだ。
「何、これ」
歩道の隅に、高さ十センチくらいの小さな雪だるまがあった。
それはちょうど橋の真ん中で、その顔は川の方向を向いている。
目と口は細い木の枝でできていて、ニッコリと笑っていた。
「変なの」
男の子は左足を力いっぱい踏み込み、勢いをつけて、右足で雪だるまを蹴飛ばした。
それは爆発したように粉々になって、一部が橋の柵のすき間から川の中へと落ちた。
目と口をつくっていた枝は、水に流されて見えなくなった。
そして男の子は、何事もなかったかのように歩いていった。
翌朝のこと、彼は同じ時間に橋を通っていたが、
「また?」
橋の真ん中に、昨日と同じ雪だるまがあった。向いている方向も、ニッコリ顔も同じだった。
「……」
彼は何も言わず、それを蹴飛ばし、その場を去った。
そのまた翌朝も、やっぱり同じ場所に同じ雪だるまがあった。
「誰だよ」
今度は真上から右足で雪だるまをつぶした。わずかに、ペキッと枝が折れた音がした。
なんでこんなところにそれをつくっているのか意味が分からず、だんだんイライラしてきた彼は、次の日の朝、早い時間にここへ来て見張ることにした。
きっと、誰かが朝早くに作り直しているにちがいない、と思ったからだ。
次の日、男の子は早い時間に来て、橋を向こうまで渡り切り、陰に隠れることにした。まだ雪だるまはない。
白い息を吐きながら待っていると、さっき彼が来た方向から女の子がやってきた。
あの子のことは知っている。隣の家のツグミだ。
小学三年生で、彼女の家も農家だ。
隣といっても、家は二百メートル以上離れているし、親同士が仲がいいだけで、彼はツグミとたまにしか遊ばない。
でも、顔を合わせれば毎回あいさつくらいはしている。
ツグミは橋の真ん中まで来ると、しゃがみこみ、水がしみこまない温かい手袋をはめた手で、周りの雪を集め始めた。
あっという間に、高さ十センチくらいの雪だるまができた。
「あっ」
彼はつい小さく声を出した。
ツグミだったのか。男の子は立ち上がって彼女のところまで走っていく。
でも今はさすがに雪だるまを壊さない。
「ツグミ、何してんの?」
まるで不良のように不機嫌そうな声で、そして何か変なものを見る目で、尋ねた。
「あっ、シンちゃんおはよ~」
ツグミは、しゃがんだまま、彼を見上げてニッコリ笑った。
彼女の目は、笑うとまるで溶けてしまいそうなくらい細くなる。
そして、彼が年上でも、関係なく親し気にあいさつした。
「えっとね、何してるかって? シンちゃん気になるの? いいよ教えてあげる~。でも、二人だけの秘密だよ~?」
ニシシと、ツグミはちょっと悪そうな顔をし、八重歯を少し見せた。
正直、ツグミの話し方はまどろっこしい。早くしゃべってほしい。そう言おうとしたとき、
「亀さんのお友達なんだよ、これ」
彼女は、自分のつくった雪だるまを指さす。
「亀……」
その言葉を聞いて、彼の中からイライラが一瞬でなくなり、また重りのようなものが胸の中に現れる。
「わたしのクラスで飼ってた亀に、この前誰かがあげちゃいけない食べ物をあげちゃって、それで死んじゃったの。知ってた?」
知ってる。彼は心の中で答えた。
この前、先生が彼のクラスの児童に話したのは、その事件についてだったからだ。
「でね、わたしはいきものがかりだったから、とっても悲しくって泣いちゃった。でも泣いてるだけじゃ亀さんがかわいそうだから、お友達をつくったの。死んじゃった亀さんは、水槽で泳ぐのが好きだったから、きっと学校の近くの川にいるかもって思って」
「ああ……」
突然、彼は腰が抜けて、ツグミのすぐそばに座りこんでしまった。
彼の顔はとてもひきつっていて、今にも涙が出てしまいそうだ。
「え、シンちゃんどうしたの?」
鼻の先が凍ってしまいそうなくらい寒いのに座ってしまった彼に、ツグミは心配そうに体を近づけ、立たせようとする。
でも、力が足りない。肩を揺すっても、彼はぼーっとした顔をして、何も答えてくれない。
彼には、ツグミの声がだんだん遠く小さく聞こえるような気がしていた。
あの日のできごとは、単なる気まぐれだった。
放課後に友達と廊下で鬼ごっこをしていて、走っていたところを先生にこっぴどくしかられ、鬼ごっこは中止となってそれぞれバラバラに帰ることになった。
怒られてイライラした気持ちをどこかにぶつけたくて、適当に廊下を歩いていたら、たまたま亀を飼っている三年生の教室の前を通りかかった。
誰もいない教室で何となく亀を見ていたら、イライラがすうっと収まってきて、水槽の中の土の上をのっそのっそと歩く姿に癒された。
そして何の知識もなく、たまたま持っていたその日の給食の残りを、バッグから出してあげたのだった。
先生の話の後、彼はこっそりと職員室の自分の先生の所へ行き、正直に話した。
自分の話す声が涙声に変わっていくのが分かったけれど、それでもかまわず話し続けた。
彼のその様子に、先生は、
「三年生の先生には、私から説明しておきます。もう帰っていいですよ」
と言い、その日以降、先生は彼に何も言うことはなかった。
「シンちゃん!」
我に返ると、ツグミが耳元まで顔を近づけ、大声で呼んでいた。
彼女の白い息で、一瞬目の前がかすんだ。
「……!」
彼の片耳の奥がジンジンと痛む。
「大丈夫? 先生呼ぶ? あ、この時は救急車?」
ツグミがとんでもないことを言ったので、彼はあわてて立ち上がり、
「もう、大丈夫」
と、学校の方へ歩き出した。
数歩歩いたところで彼は足を止め、
「ありがとう、心配してくれて」
と、彼女へお礼を言った。
「いいよ~」
立ち上がり、ニヘッと笑うツグミのほっぺたは、りんごのように真っ赤になっていた。
次の日の朝、ツグミは橋の真ん中でしゃがんでいる人影を見た。
「シンちゃ~ん、おはよ~」
白い息を小刻みに吐きながら走り、彼へ駆け寄った。
「おはよう」
一瞬、彼は彼女を見てあいさつしたが、すぐに作業に戻った。
何してるの、と聞く前に、ツグミは彼の手元で何がつくられていたのかが分かった。
「亀?」
ツグミは首をかしげる。
「亀の友達なら、同じ亀の方がいいだろ」
彼は彼女を見ずに返事した。
すると彼女は、ぱあっと表情がとても明るくなり、
「そうだね!」
二人は、時間ギリギリまで、できる限りたくさんの亀を雪でつくった。
それは、知らない人が見たら、大きな雪玉と小さな雪玉がくっついているだけの物にしか思わないかもしれない。
でも、二人にはそれらは、たくさんの亀に見えていた。
その後、二人は毎朝亀をつくり、他の人が通ったり除雪でそれらがつぶれてしまっても、直し続けた。
そして春になり雪が解けるころ、亀の雪だるまは役目を終えた。