②
はぁ、と深いため息が出そうになるが、繋がれた手から目線をあげると、微笑むアリアが心を包み込んで、嫌悪感を塗り替えていく。もう少し二人でいたかった。でも、勇気を出して、伝えた事には後悔などないのだから、それが出来ただけでも、安心しているのだ。私はアリアの微笑みに答えるように、口元が緩み、瞳から醸し出されている温もりを置いて、一言、行ってくるよ、と彼女の手を離した。
それが彼女に触れた最後の温もりになるとも知らずに……。
そうやって刻々と時間は過ぎ、私は男の待つ処置室へと入り込んだ。何故、この部屋をチョイスしたかは不明だ。
静寂と重たい空気は、先ほどの幸福な空間とは、まるで正反対。ピリピリとした威圧感と緊張感に押しつぶされそうな自分お否定出来ない。
何を私に伝えようとしているのか、何も分からずに、嫌な予感しかしない。重たい空気は続く、あちらから声を発する事も、私が唇を開く事もない、異空間。
「……あの」
封をきったのは私だ。何も語らろうともしない医者と何時間もいたくないし、早くアリアの元へと還りたい。その一心と焦りで行動したにすぎないのだから。私の声に反応するかのように、ハッと我に返った男あらは少し案著の色が見えた気がした。気のせいならよいのだが……。虫の知らせ、直観がそう、鳴り響く。
『すみません、無言になってしまい』
「いえいえ」
いいのですよと付け加えたい所だが、そこまで他者に対して優しくなれない。あの空間に土足で踏み込んできた人間だから、余計に。
『どのように伝えようか、考え込んでしまい、悪い癖が出てしまいました』
そこに微笑みはない。言葉からは微笑みにも似た柔らかな印象ああるのだが、まるで心を隠して、私から逃げているように、言葉を選んだに過ぎない。彼からしたらビジネスなのだから、これ位の気遣いは必要で、当然だ。
「人間なので、そういう時もありますよ。それで話とは何ですか?」
ふんわりと彼を包み込むのは、私の言葉の温もりと気遣いそのもの。それに本人が気づいているのかは分からない。まだ若さの残る男に手を差し伸べる。心の風に靡かれながら、誘うように、導くのだ。次の会話へと巡る為に。
『お気遣いありがとうございます。そうですね……伝えにくいのですが』
「構いませんよ」
急かすように言いたい部分もあるが、私にも表の顔があるのだ。周りに見せてきた雰囲気とキャラを崩す訳にはいかないのだよ。変なプライドと、いつでも真っすぐ立つ、心を叩きつけて、強さを演出させたい目録もある。
私の柔らかな口調と優しさ、そして真っすぐ見つめる瞳を見つめてくる男は、ゴクリと唾を飲み込みながら、覚悟をする。これが学園ものなら恋愛に発展するとかありうるだろうが、それはない、あり得ない、断じて……。そうなったら私が困る。
そんな冗談はさておき、本題に入ろうとする男の決意を確認しながら、二人で異空間を創造するように、場の空気を凍り付かせていく。いつもならふんわりと、おはようございます、調子はどうですか~?と犬っころみたいに、愛想よく近づいてくる男が、ここまで変わるとは、やはり医者とは偉大だ。
私には出来ない。
ただのサラリーマンだし、ハンデも持っていたから、彼みたいに胸を張る自信も、力強さもない、何もないのだ。唯一あるとしたら、優しいアリアの存在、それだけ。
『アリアさんが妊娠しているのはお聞きになられましたか?』
「はい」
ああ、なんだ祝福の言葉を伝える為の予兆とも考えたが、そこまで馬鹿じゃない。どう考えても、そんな生易しいものじゃないと思うんだよ。今度は私が男の真似をする。ゴクリと唾を飲み込み、感情を誤魔化すように。
『正直、アリアさんに子供を産むのは難しいと……』
頭にタライを落とされたような衝撃が、脳を痺れさせて、パニックに変えていこうとしている。過呼吸持ちの私にとって、それは地獄の引き金になりうる言葉そのもの。正直、そんな言葉、聞きたくなかった。先ほどの幸福感は、簡単に崩れ去り、深い深い、闇に私を叩きつける。そこに助けてくれる人など存在しない。