第四話:錯乱する記憶 ①
この記憶は誰の記憶だろうか。私の記憶の一部であって、違う。揺られる心は、果てなく続く、暗闇を演出し、アメとムチで調教するように、一筋の光を見せようとする。闇の中に、ごく少ない光あえあれば、まだ、私は壊れる事はないのだろうか。表の私とガラスは、同じ言葉を繰り返しながら、偽りの愛を語り合う。そして内面の私とガラスは、続きの門の説明を聞く側と、歌える側として、言葉を交わしている。
こころさえ こわれゆくもの いずこかな ときのさいはて かいらくのあじ
誰の声だろうか。今まで気付かなかったが、聞こえてくる短歌が二人を包み込みながら、微笑んでいる。美しく微笑む声色は、私の知っている人に似ている気がする。そして色々な姿になり、私に過去と未来を灯すのだ。
『表の貴方様は、壊れかけています。私の言葉の魔力により、理性を保つことも難しい、さてどうしますか?五つ目の門へと足を踏み入れますか?』
「五つ目の門?」
『あら。表の影響が大きかったみたいですね、内部まで浸透しているとは、予想外の展開です。貴方様も、所詮は人間と言う事なのでしょうか。期待していた分、残念でなりません』
「……言っている意味が分からない」
『ふふふ。それは残念ですね。それでは表の貴方に質問した問題を、貴方にも与えてあげましょう』
「質問?問題?」
『……貴方の名は何と言うのですか?私、ガラスに解答を伝えてください』
くるくる回る頭脳からはパキンと枝が折れたような音が鳴り響く、私自身の崩壊が近づいているように、まるで観音像に魂を込め、身代わりとして、守られてきたような夢の中にいたはずなのに、今の私を守るものは何もない、誰もいない。孤独を感じるはずの心の中は、満たされていくようだ。まるでガラスが溶けて、私と一体化していくように。
万華鏡のように移り変わる、妄想の中での光景に躍らせながらも、その問いかけに答えるように、じっくりとない頭で思考を叩き起こして、掘り起こす。私の名前は、一体、何と言うのだろうか。チラチラと見え隠れする景色と光景に、ドクンと心音が跳ねる。思い出したら、崩れてしまいそうな、危機感を持ちながらも、思い出さなければいけない、向き合わないといけない、そう、前に進む為には。
『おもい だして お父さん』
どこからか聞いた事のある声が、私の全身に響いて、追われかけている記憶の破片を、解け掛けている糸を、結ぼうと、闇の奥底から姿を現したのだ。じんあり滲んでいく、色彩は、懐かしさと、心が締め付けられる、切なさを残し、二人の人物の形へと変貌する。一人は子供のようだ。まるっこい瞳で見つめてくる姿は、純粋さ、そのものの象徴。なんて愛らしく、真っすぐな瞳で見つめてくるのだろうか。そこには一切、曇り空など見当たらない。
もう一人はその子供の後ろに隠れるように、佇んでいる。感情を失った、廃人に近い存在、見るからに大男、そして人間と表現するにはいびつな存在。二人共、見た所、性別は男性のようだ。そして、後ろの影となる大男は、私を見つめながら、泣いているように感じた。
『ギイロ お父さん』
ギイロお父さん?ギイロとは誰だ、そして何故、私を見つめながら、そう呟くのだろうか。
「お前は、誰だ?」
そう問いただすと、傷ついたような表情を見せながらも、唇をキュッと閉じ、言葉も閉ざした。子供の悲しそうな顔を見るのに、心、痛むものだ。これほど、苦しいと感じるのは何故なのか、分からない。
私と、私を『お父さん』と言う子供を守るように、後ろの大男が、ズイッと前に出てきて、口を開く。
『あなたは ギイロ ボクは サイ 名前 つけて くれた お父さん』
繋がっていない、違和感塗れの言葉の節々にも、その子供と同じように、悲しみと悔しさを感じる。そうやって、再び、浮かんでくるガラスに、私達は目線を移ろう。
『邪魔者が入りましたね、余計な事を呟いていますが、気にしないで、私と貴方様との、空間を一番に感じてください』
「しかし……」
『どうしたのですか?何か思い当たる節があるとでも?』
なんだ、この女は、一々語りかけてくる言葉に嫌味と闇を感じる。惑わしているのは、お前の方だ、ガラスと名のる女よ。
「この子達が、嘘を、偽りを言っているとは、どうしても思えない」
心の呟きの中で、留めるはずだった言葉は、いつの間にか、ガラスの耳へと届いていたらしい。表情を見れば、一目瞭然だ。
『そんな事は、どうでもいいのです。さて質問に答えてください。貴方様のお名前は?』
「私の……名は」
私とガラスの会話を突き破るように、サイと名乗る、二人の存在が、口を開く。ガラスに惑わされてはいけないと注意するかのように。
『『ギイロ』』
『『ギイロ』』
『『ボク達を 信じて ギイロ お父さん』』
『『美しい名前 与えてくれた サイと 泣いてくれた 庇ってくれた 思い出して』』
ああ、なんだろうか、この感じは。二人のたどたどしい言葉達が、リンクし、脳内に、存在してはいけない、毛虫のような虫を創り出しながら、痺れと痛みを与えていく。
まるで走馬燈を見ているみたいだ。言葉の鍵、スペル、アリア、そしてツミキ……。色々な言葉と、声と、記憶が飛び交いながら、私を元の道に戻そうと頑張っている、応援している錯覚がある。
全ての言葉から逃げたい、忘れたい感情の叫びを、悲鳴をあげながら、震える右手で、額を支える。痛みに耐えるように、支える。
首から上の自分の顔が床にゴロリと堕ちないように。
「私……の……名は、ギ……イロ」
心の呟きは、心の声へとなり、そしてリアルへと行き交う。私が彼等の言葉に反応する度い、リアルの壊れた『ガラス、愛している』としか呟かない『廃人』以上の存在になりつつある、自分から身体を取り戻していく。
表の私お呟きは、途絶え、グシャリとガラスの肩へと項垂れて、眠りにつく、そして、私は近づいてくるサイに背を押されながら、戻るのだ。
『『行って らっしゃい』』
幻覚や妄想、夢に近いもののように思っていたのだが、体温の熱を感じたのは偽りではない。ゆっくりと心の門を潜りながら、瞳を開き、本当の世界へと舞い戻る。
「んん……」
ゆっくりと瞼が開いていく。自分の意思で開いたと言うよりは、誰かに起こされたような感じがする。うっすらと見えるのはボンヤリとした電灯の光。夢から目覚めていない、ボンヤリとしている脳と視界に刺激し、存在感を表現している、まるで笑っているようだ。私は幼子か?と言いたいくらい、雑に扱われているように感じるのは、夢の世界に閉じ込められていたからだろうか。
「ここは」
子供のように、眠りから覚めて、ゴシゴシと目を擦りたい衝動に駆られてしまうのは、人間の体が正直に反応しているのだろう。生憎、その反応さえも出来ないのが現実だし、渡井は五つ目の門を突破出来ていないのだから、最後、取り戻す、全身の感覚は、まだ遠のいている。
遠く、遠く、続く道のりのように思えるのは、覚えていない夢のせいかもしれない。
『おはようございます、ギイロ様。どうですか?いい夢でも見れましたか?』
そこには何事もなかったかのように、いつもの私の知っている、ガラスの姿があった。記憶にフィルターがかかっているようで、なかなか思い出せないのだが、錯乱し、ガラスに縋り付いていたような記憶が、微かにある。そのボンヤリとした記憶の欠片にいたのは、自分でも認めたくないだらしない私の姿がある。
そしてガラスに愛を語り、それに応え、言葉で誘導しながら、誘惑をする彼女がいたような気がするのだ。いつも冷静で、落ち着きのある、ガラスとは別人のようで、ケラケラと笑っていたような、曖昧な光景が脳裏を過った。
あれは夢だったのか?妙にリアルに感じた気がしたのだが、その不思議な疑問を打ち破るように、夢の記憶が、少ししか残されていないものが、弾けた気がした。まるで最初からなかったように、崩れて、無になっていく。
その時、ガラスの口元が微笑み、ニヤリとした気がした。すぐに彼女の表情を確認してみると、何の変化もない、ただ無の表情の、いつものガラスしかいない。二つ、三つい重なっていく、映像が、全て零れ落ち、私自身も、壊れていく。
『どうしました?ギイロ様』
私のいつもとは違う、表情に、異変に気付いたように、言葉を誘う。そこに反応してしまったら、最後。私は彼女の闇、そして裏で糸を引く、思惑達から逃れる事が出来ないように思うのだ。だからこそ、あえて言葉を口にしない。する訳にはいかない。してしまったら、私は彼女と同等の立場として、扱われると思ったから、どうしても避けたかった。
軽い拒絶反応かもしれないが、それでも、直視しては、何も始まらない。何が動いているのかも、気付けない。だからこそ、この選択肢をする私は、弱者に近いのかもしれないな。
「……」
『珍しい、自ら『無言』を決め込むとは、言葉を読み取られる事に恐ろしさを感じて、私から逃げるおつもりですか?』
「……」
四つの失った人間の軸を取り戻した、私の心の声は、薄い硝子に包まれて、守られている。ガラスの言葉をやんわりと跳ね返す、弾力を持ちながら。
知っているか?力任せで呟く言葉は、私の心に刺さり、傷跡を残すのかもしれない、しかし、それを受け入れる事により、強くなっていく精神の存在を。本当の存在理由を、考えた事があるだろうか。
彼女の言う通り、私の考えは全て、透視されているように、監視されているような状況なのかもしれない。
例え、以前みたいに、心を読めたとしても、私は心の中で、昔失ったものを補充したのだから。それはもう一つの過去の香り、そして現実の痛み、そのもの。
硝子の言葉には怒りと刃を感じる。これはまるで人間に対する憎しみのように、そう感じながらも、憎しみの対象は私も含んでいるのだと感じてしまった。こんな挑発ガラスらしくない。私にスペルがあるように、彼女にもスペルがある……としたら、それが原因の一つなのかもしれない。
無言のまま、立ち尽くしながら、心の脳と頭の脳で、二つの思想をリンクさせていく。私自身が、覚醒するみたいに。
「ガラス、君らしくないな、挑発なんて。一体どうしたんだい?何か不服でも?」
崩れた夢幻はガラスの仕業だと、ピンときた。私は悪魔で門番、そう言い続けている彼女の言葉の矛盾を感じたのは言うまでもない。
『何をおっしゃいますか、私はいつものガラスですよ。それに挑発などしていません、気のせいでは?』
ほう、いつものガラス、ときたか。いつものガラスと言うのはお前から見たガラスの姿か?それとも私達『参加者』から見たガラスの姿か?どちらなのだ?都合の悪い事があるように、荒ぶるガラスの心を垣間見た。
「いつものガラスとは、誰に向けての言葉だ?自分自身か?それとも、私達『参加者』への言葉か?」
『おっしゃっている意味が分かりません』
「それは逃げだな」
『逃げてもいません』
「逃げてもか……『も』がつくと言うのなら、他にはあるのだな」
『何もありません』
「何もないのなら、私がここにいるのも『何もない』で終わらすのだな?」
『それは違います。意味があります』
「意味がある……それが答えか。理解した』
何もないのなら、私の見てきたガラスの特徴を考えると、こんな言葉の返しはしない。今までのガラスとは違う、別人がガラスを操っているような違和感。意味がない、そしてここにいる私達には意味がある。全てを含めて、イエスかノーしかない。その間で中間の立場を貫くのは、門番としての行動とは言えない。
何を隠しているんだ?
今まで感じた事のない緊迫感に埋もれながら、足掻き、暴く事をするのが、私が『罪木屑死』に選ばれた、理由だろう。だからこそ……。
――暴いてみようか。




