①
かさねても くずれゆくもの いずこかな なみだはかれて はいになりゆく
一つ二つと重ねていくジェンガ。崩れないようにそっと置いて安定を確認すると安心する。自分の番はま逃れた。順繰り返って再び私の元へと訪れる恐怖を考えると、体の震えが一層増していく。
自分の番は過ぎたのだ。
先のを考えても、自分に何の特があるのだろうか。一つだけ言える事、理解出来る事は恐怖がより一層大きく、深くなると言う事だけ。今以上にメンタルにもくるだろう。そして心と体は繋がっているからこそ、震えも呼び覚ましてしまうのだ。心の震える音は体の震えに変換されていき、頭脳にも淀みを浸食させていく。
『今回は逃れましたね。運がいい方。しかし次はどうでしょうか?』
女は長い黒髪を靡かせながら、怪しく微笑む、この空間のように。天井から注がれるのはボンヤリとした蛍光灯の光一つのみ。私はこの閉鎖された空間の中で生かされているようなものだと感じるしかなかった。
自分の意思でこんな所に来ている訳ではない、来たくもないし、呼ばれても行きはしない。ぐっと堪える吐き気は、不安の象徴を現しているかのようで、恐ろしく思ってしまうのだ。
「……」
私に返答は許されない、それがこのゲームのルールなのだ。日常会話の中にも命を崩壊させる『スペル』がある。それを口にしてしまうと、この命は、消えてしまう。泡のように、誰にも『死去』を知られる事などなく、初めから存在などなかったかのようにないものとして扱われる。
『これからが本番ですので、気を引き締めてくださいね』
「……」
言葉を出せない私は、グッと唇を噛み締めながら、睨む事しか出来ない無力な人間。悔しい気持ちよりも焦燥感と言った方がいいだろうか。何とも言い難い感情の波間に揺られながら、耐えるしかないのだろう。
そんな表情と心情を覗き込むように、ぬるりと近づいてくる女の吐息が顔にかかり、全身が拒絶するかのように悪寒へと変わっていくのだ。ブルブルと身を震わす姿には、もうプライドの欠片もない。ただ、逃げ出したい、元の生活に戻りたい、それだけだ。
『仕方ないですね、本当ならば言葉を発する事を禁止しているのですが、貴方も含め、他の参加者の方も同じような行動をしてらっしゃいます。規格外ですが、仕方ありませんね……』
仕方ない、と呟く言葉は魔術のように、私を奈落の底へと堕としていくのだ。甘い蜜を吸わして、運ばす、働き蜂のように、枯れるまで、永遠に……。言葉の歪みは感情の歪み、私に近づく女は、ぎゅっと私の身体を愛でるように抱き寄せ、耳にキスをする。咄嗟の事で、何が起こったのか分からない。それでも少しだけ回る脳みそと体を動かしながら、足りない頭脳で考察をするしか方法はないのだろう。
考えても無駄かもしれないが、冷静な判断を保つ為には、考える事が一番の方法と言えよう。女に疑問をぶつける事も不可能、何故なら、現在時点ではルール違反なのだから。最初、目を覚ました時、何がどうなっているのか分からずに、混乱し、夢ではないかと疑った程だが、全身に致死量に近い電流を流された時に、痛みを感じたから、現実だと思い知った。
逃げたくても、逃げれない。それが現在の状況と言う事だ。
『ふふふ、大丈夫ですよ、少し痛みを感じる程度です。安心してください』
怪しく微笑む女の背景には、黒い霧が広がっていく。ゆっくりと飲み込むように、魔の手が私にも近づいてくる。
(……やめろ、やめてくれ、もう)
口をパクパク動かしている私は、金魚のようにジタバタともがきながら、抵抗を試みるが、女の一言で急停止する。
『抵抗しても無駄ですよ?そんな人間としての自由が、貴方に許されると思っているのですか?』
ググッ、と唇を閉ざし、女の闇の言葉の魔力に自由を奪われてしまう感覚が否めない。まだ人間の心を保っている私は、心の中で嗚咽を
あげるのだ。自分の身体なのに、管理されているこの現状を悔やむように、ひっそりと、心の涙を流す。それは恐怖にも似た旋律。
『綺麗な顔が台無しですよ?ある意味、恐怖に歪む、その表情も、美しいかもしれませんが……』
女の言葉は魔力を持っているように、心の奥底にずっしりと響く。あやかしのようで怪しく、奇妙な存在に思えて仕方ないのだ。地獄の門番の彼女は、ふわり、と髪を風に靡かせながら、私の鼓膜を刺激する。
言葉達を捨てて、縛っていく。それはそれで、この空間にマッチしてて、心地よく感じるような自分は、もう正常な判断がつかない位、狂い始めているのかもしれない。
『言葉を伝えれない、話す事の重要性を理解したようなので、貴方にプレゼントしますね。声を与えてあげましょう』
声を与えると言われても、元から私の声は存在している、ただ首につけられた首輪のせいで声を奪われているだけなのに、自分が神のような存在だと思っているかのような、喋り方に内心イラつく。
早く私の声を返してくれと、体で表現してもいいが、それは女を愉快にさせる材料になってしまうのを理解している、だからこそ、何もしないのが一番の得策と言えよう。
私の思惑に気付くか、気付かないかは、女の頭脳による。そして私という人間性を、性格を把握していないと、見抜く事は出来ないと思うのだが、私の自信は霧のように体内に隠れて、刃のようにぎらつかせている。
この女……優秀なのだろう、しかし、私の撒いた餌に気付く事が出来るのだろうか。
いくら優秀な人間だとしても、人は時々ミスをする。この世に完璧な人間などいないのだから、余計にだ。サイボーグでもあるまいし……。
微かな願いは祈りに変わり、賭けに変化していく。そうやって、立場を逆転させる事により、優位に物事を運んでいくのが、私自身の策と言えよう。
『あら、怖くないのですか?先ほどまでは、怯えている表情をしてましたが、凄く落ち着いていますね。面白い』
人間の命をかける事がゲームと言うのならば、私からしたら生き延びる事がゲームそのもの。だからこそ、自分に与えられた役柄を演じるに限る。そうしないと、女にも、ゲームの仕掛人にも、私をこんな牢獄に監禁した奴らにも負けてしまいそうで、プライドが許せない。他者からしたら、現在の状況を考えると、そんなプライド捨ててしまえと思うのだろうが、そこは私自身、変わり者と言われる立ち位置だからこそ、出来る技なのかもしれないな。沈黙なんてここにはない。
響くのは、女の笑い声と、悪魔の囁きのみだ。今行われているのは、心理ゲームと言ったところだろう。
そう推測するのは、浅はかなのだろうか……。
『精神を立ちなおしたみたいですし、お望み通り一つ目の課題はクリアしました。返してあげましょう、貴方の声を』
スススと、足音を立てないように、亡霊のように、近づいてくる女は人間ではなく、化け物の化身。禍々しい指先が、私の首に巻かれている、電子機器搭載の首輪に手をかけ、その真ん中にある鍵穴に、棒状の鍵を突っ込み、ひねる。そうすると、ウイーンと電子の音と共にカチャと泣き声をあげ、ゆっくりと外れて、床へと転がっていく。まるで人の首が落ちたように、感じた。
『ふふふ。声を出さずに五日間、よく耐えましたね。期待してますよ、ギイロ様』
「ごほごほ……んんっ」
『ああ、急に声を出そうとすると、声帯を傷つけてしまいますよ?』
心配なんて感じない、まるでペットを手名付けるように、微笑んでいる。癇に障る喋り方が、脳内で記録されていくのが分かるほどの余韻が残る。
「……つっ…どう……して」
『あら、話せるのですか?凄いですね。他の参加者の方は大量の血を吐いて、亡くなったり、もがいていたのに、珍しい』
「ああ……んぐう」
『これは期待出来ますね、突破したのは貴方を含め20名。果たして体の自由を取り戻して、ここから出る事が出来るのでしょうか』
「……ふう」
自分の声が上手く出せないが、女は出せていると言う。どこが出せているのか分からない。もしかして他の参加者と呟く人達は、この聖咳やかすれ声さえも出せなかったのか?色々な疑問が蓄積されていくが、見ていない事なので、女だけの情報では曖昧で、嘘の可能性もあるのだ。
だからそこに『信用』の文字はない。
『貴方のしていた首輪あるでしょう?そこに少し細工をしていたので、急に声を出そうとすると、副作用で重症になる可能性があるのです。重症と言っても人それぞれ。亡くなる方もいますし、声を失う方もいます。覚えているか、感じているのか分かりませんが、首輪には一か所針がありましてね、私達の協力者様が、新薬を投入したのです。耐えれないのなら、生き残る必要などないですから』
「……」
その言葉を聞いて、絶句したのはいうまでもない。このまま無理矢理、声を出す事によって、私もその可能性があるのだから。他の賭けに参加したとしても、それだけは飲み込めない。不安の渦が声を枯れさせ、廃人にさせていく気がした。
これが絶望なのだろうか。
当たり前の生活をしていた日常を思い出せば、出すほど、自分がどれだけ幸せだったのか身を持って、知った。今更、後悔しても遅い、戻ってくる事のない日常は、女の手に握られているのだから。
華奢な手に、男が本気を出せば、ボキンと折れてしまいそうな手に、握られているのだ。
しかし、どういう事なのだろうか。女はなれなれしく、私の名を呼び、性格も理解しているみたいだ。把握されているのは、どこからどこまでなのかは分からないが、どこから情報が漏れたのだ?私の身近に、情報を売った、裏切り者が存在している。
くそっ!何故だ、と心の中で呟く事しか行動のしようがない。視界は最初から自由だった、そして今、声を取り戻した、だが、まだ全身の機能は停止している。
これもその新薬の影響なのか。
『……大丈夫ですよ。すぐ声を出せたと言う事は、副作用の可能性は限りなく0といった所でしょう。出した瞬間に、発症しますから。そこまで声を出す事が出来るのなら、心配ありません。さあ、私に貴方の声を届けてください、そして魅了させるのです。ギイロ様……貴方になら出来ますよね?』
急かすように耳元で囁く女の言葉に揺られて、誘惑の香りに乗ってしまいそうになる。その情報だって、確かなものではないのに、何故か惹かれてしまう自分がいて、情けなくも感じる。これが人間の姿であり、脆さの象徴なのだろうか。
心理学をかじっている私にしたら、昂騰技術の持ち主。大丈夫と言うのなら、それに乗りかかりたいが、果たしてそれは正解か?騙されているだけじゃないのかと、不安に潰されそうだ。
『私は参加者を翻弄はさせますが、嘘はつきませんよ?』
まるで心の中の呟きと不安、恐怖を覗かれているようで気持ちが悪い、吐きそうだ。だが、ここで吐いて、何の解決になる?……答えは一つしかない。何もならない、ただその解答しか残されていない。誰でもわかる事。これは賭けだ、現在の状況で、賭けるべき場面と言えよう。
そうやって揺られる精神を統一させていき、唇を開いていく。ゆっくりと、毀れる音を奏でる為に……。
――それが本当の恐怖の始まりだった。
第一話:声の欠片
騒めく樹木の中で娘と二人で生活をしていた。
私の名前は、特殊な名だ。海外と日本のハーフの血筋を持つからこそ、この名になったのだろう。それか私の両親の趣味そのものかもしれない。自分の名の由来を両親から聞きたいと思った事は一度もなかった。
生きている頃に、そんな当たり前の事を聞く程でもないと思っていたし、興味がなかった。当時はそのような考えでいたのだが、十九の時に私を庇い、事故にあった両親の姿を思い出すと、せめて遺言として、聞いとけばよかったと後悔している私がいるのだ。
今でも覚えている、ギイロ、と叫ぶ声とフロントガラスの割れる音、そして運転席の父は即死、母は私を庇うように抱きしめ、丸まりながら、大量の血を流して、植物人間になってしまった。大きな事故で、植物人間でも軌跡だと言われたのだが、私の願いは星に届かず、母は月の道を歩んで、滅んだのだ。
私は母のお陰で無傷、だが、大きなトラウマとなってしまった私は五年程、声を出せずにいた。何も話せない、話したくもない、拒絶していた私の心は、ずっとその事故に囚われたままだったのだが、それでも私の心と声を取り戻すように、傍で支えてくれたのが、幼馴染のアリアだ。彼女は、こんな壊れた私でも受け入れてくれた。
何度文字で突き放しても、離れる事をしなかった彼女は、強者。私とは正反対の性格と言えよう。
少しずつ心を取り戻していた私に起きた異変は、声を取り戻せた事実だった。不思議な事だ。少しの幸せが私の声を元に戻し、揺れて、感情の波を創り上げ、人間として、もう一度生きていく決意をもらったんだ。
「アリア。私といて、本当に幸せかい?」
今まで苦労をかけたからこそ、微笑む事など出来なかった。悲しく遷ろう私は、ぎこちない微笑みしか出せず、それでも彼女に、今の自分が出来る、精
一杯の微笑みを贈ったのを覚えている。
『幸せに決まっているわ。そしてこれから、もっと幸せになるのよ?お腹の子と共に』
「え?今……何と?」
『ふふふ。三か月なのよ。私、妊娠しているの。私達、二人の子供が』
「本当かい?夢ではないのだよな」
『夢じゃないわ。現実よ。やっと本当の幸せを手に入れれるの。ご両親の分以上に』
「……ああ、アリア」
子供を身籠った事で、絵具のように染まっていた心の暗闇に一筋の光が落ち、希望の光へと変わっていく。私の傍にいるのはつらかっただろう、アリア。それでも私を選んでくれてありがとうと、感謝を述べたい。償いは、もっと深くだが……。
感謝を述べる事などたやすい事のように思えるが、私にはそれが出来ない。口にするのが恥ずかしい気持ちが優先して、なかなか言えないのが現実だ。彼女の柔らかな微笑みが、私の心を溶かしてくれているのも事実。
それなのに、簡単な事のように思えても、なかなか実行する事が出来ない。近い関係なら余計にだ。
「あ……りがと」
なんてこんなたどたどしい日本語しか言えないのだろうか、さわやかに微笑みながら、目を見つめながら、ぎゅっと手を握って愛の言葉を囁けるくらいの器用さがあれば、ギャップ萌えというものを表現出来るのに……。
赤面しながら、顔を背けて、ゴニョゴニュと伝えてしまう。みっともなく、凄く恥ずかしい。近くに穴があれば入りたい位に。
『ふふ』
アリアは最初、目を見開きながら驚いたように、私を見た。滅多に出さない一部始終を見た事で、少し印象が変わったのかもしれないな。それでも伝えたい一心で勇気を振り絞った、私の心に栄光あれ。
私に応えるかのように、表情をすぐ微笑みに変えて、アリアの近くに落ちている、私の手をギュッと握り、続けて『ありがとう』と伝えてくるのだ。アリアに敗北した感が否めない。
そんな他愛もない幸せが、このまま永遠に続くと思っていたのに、希望の光は脆く崩れた。二人の幸福感を切り裂くように、ガタンと病室のドアが開き、白衣を着た医者らしき、一人の男がゆっくりと近づいて、見たくもない、知りたくもない現実を見せようとしている。
男は『少しいいですか?』と何の躊躇いもなく、私に声をかける。なんなのだ、空気を読めばわかるだろう。今、邪魔する場面ではないのに、どうしていとも簡単に行動を起こしてしまうのだろうか。もう少し待っていてほしかった。たった一言でもいい、いいですか?とか聞いて確認をするのが配慮というものだろう。