勘弁しろよ、来やがった!
ロサミナの馬はいささか珍妙な格好になっていた。
馬具はきちんとつけられている。
鞍の後ろには既定の雑嚢が固定され、それにかかるような形で革の旅行鞄が載せられている。
ここまでは昨日と同じだ。
しかし今朝は、鞍の上になんと藁の座布団がくくりつけられているのだ。
このために、ロサミナの馬はあたかも、絵で見る東方の駱駝のような格好になっているのだ。
旅館から歩み出て来たロサミナの方も、なんとなく腰回りが太って見える。
そういえば、ダンカーが、服の下にあてものをしているのだろうみたいな事を言っていたな、とアンシャルは胸の裡で思った。
兵士ならば咎められるところだた、ロサミナは守るべき対称で、兵士ではない。
「鞍に登れるか?」
ロサミナは力なくかぶりを振った。
アンシャルは歩み寄って、ロサミナが鞍の上におさまるのを手伝った。
これでは、馬で走るなど、とてもおぼつかない。
アンシャルは溜息を噛み殺しながら、先にたって街道を進んで行った。
緑村はそれほど大きくない。
十何分もしないうちに、村外れにさしかかる。
ほどなく、行く手から馬蹄が響いてきた。
アンシャルは少し鞍の上で伸び上がった。
ダンカーだ!
馬を走らせているというのはなにか起こったのだろうか?
ダンカーは見事に馬を停止させると、向きを変え、アンシャルに馬体を寄せてきた。
「どうもきな臭いですな」
ダンカーの体からはかすかに火薬の臭いがした。
「待ち伏せか」
「一体は滅しました」
他にもいるかもしれない、とダンカーがほのめかす。
アンシャルは眉をひそめた。
他にもいる可能性が高い。
「わかった。先行しろ、だが警戒中は走ってはならん」
「了解」
ダンカーが再び馬首を返した。
アンシャルはダンカーとの間にロサミナをはさみ、警戒を厳にして進む事にした。
頭の中に地図を広げる。
目的地まではどうでも、山地を越えなくてはならない。
やや高い岩山を中心とした小さな山地なのだが、迂回するには日数がかかりすぎるのだ。それでもぎりぎり間に合わぬわけではないが……。
アンシャルは小さくかぶりを振り、やはり山へ向かう事を決めた。
ロサミナは……。
数日もすれば終日馬に乗る事にも慣れるだろう。慣れてもらわねばならん。
だが、今はまだいたわる必要もあった。
藁の座布団を敷いていてさえ、馬上で進むのは少しつらそうに見えた。
森の中とはいえ、しばらくは街道も手入れをされていて、頭上の枝ごしに空が見える。
山につくまであまり密にはならないだろう。
それも、山道をとる理由だ。
魔物は枝を伝って頭上から襲ってきた例もある。
少人数の隊が幾つかこれまでも犠牲になった。
司令部にいたアンシャルはそうした報告書も目にしていた。
あたりはお伽噺のような風景が広がる。
野うさぎの一群れが目の前をよぎっていった時には、ロサミナが小さく笑い声を漏らしたものだ。
良かった。
笑う元気が出て来たのなら、良い兆候だ。
しかし、朝のうちは晴れていた空がだんだんと曇り始め、それにつれて頭上の枝は厚くなっていき、森の中は一気に暗くなってきた。
まだ午前だと言うのに、黄昏時のようだ。
「暗いですね」
「暗いね、だ。間抜け」
ロサミナの言葉をダンカーが修正した。
「あたしの事を間抜けと呼ばないでちょうだい」
「他に名前があるのか、間抜け」
「……ロサミナよっ」
「そう呼んで欲しいのか?」
「……ええ」
「へぇ、と言え」
「へぇ」
ロサミナは言われた通りに繰り返したが、アンシャルがこれまでに耳にした中で、最も誇り高く侮蔑的な「へぇ」だった。
さあっと生暖かく、どこか沼の瘴気を思わせる悪臭を含んだ風が吹き抜けた。
「気をつけろ!」
ダンカーが銃を抜いた。
アンシャルもそれにならう。
全弾、装填済みの銃は、かなり重い。
いきなり、ダンカーがぶっぱなした!
だがアンシャルにはまだ敵が見えない。
「ロサミナ、伏せろ」
アンシャルは冷静に聞こえているよう祈りながら命じた。
少し焦りながら、ダンカーが射った敵を探す。
しかしアンシャルがみつけられずにいる間に、再びダンカーが射った。
アンシャルはその火線を追い、ようやく魔物の姿を見つけた。
上だ!
枝の上に黒い影がうずくまっている。
しゃあっという獣とも思えない奇声をあげて、魔物も何かを発射してきた。
ロサミナは伏せている。
アンシャルも頭を低くしながら、そちらに一発放った。
ダンカーがまた射った。
しかしそのたびに魔物はふわりと浮き上がって、弾道をかわすのだ。
アンシャルも射った。
まずい。
ロサミナの馬がしきりに耳や尻尾を動かし、神経質になっている。
アンシャルは少し馬を進め、ロサミナの馬の轡を取った。
逃げ走ってしまう事は避けなければ。
後で魔物を警戒しながらロサミナを探す事にはなりたくない。
その時、ぱっと魔物が飛び立ち、あっという間もなく、アンシャルたちをめがけて滑空してきた。
蝙蝠のようだ。
だが蝙蝠とは違う。
魔物は細かい鱗に覆われ、頭部はどちらかというと、つぶれたカエルに似ていた。
あまりの醜さに、アンシャルは思わず固まった。
これほどの距離で魔物を見るのは初めてだったのだ。