つけ回されている俺たち
緑村に入る時にもとんでもない罠がしかけられていた。
そのわりに、村人が不安がっている様子はない。
ってことは、俺たちが魔物につけ回されているんだ。
翌朝、アンシャルとダンカーが食事のため下へ降りていっても、ロサミナはうんともすんとも言わなかった。
将兵が何かの任務でこういう旅をする場合(後方支援軍では良くあることだ)、上官によっては、農婦を連れ歩いている事があった。
身の回りの世話なら従卒で事足りる。
つまりそれは、あれだ、そういう目的のために連れ歩くのだ。
アンシャルは、自分もそう思われているだろうなと思うと、くさくさして、運ばれてきた水をぐいぐいと呷った。
ロサミナのために別の部屋をとr¥れば怪しまれてしまう。
だから昨夜は同じひとつの部屋で眠った。
ロサミナに寝台を与え、アンシャルとダンカーは床に外套を広げて寝たのだ。
仕方がない、とアンシャルは割り切った。
荊森市に到着さえすれば任務は終わる。
問題は……。
「ダンカー。敵はもう大丈夫だと思うか」
「はあ」
ダンカーはもりもりと旺盛な食欲で、大麦の粥や昨日焼いたものとおぼしきパンとチーズ、鉢に盛られた小ぶりの林檎を平らげている。
「……わかりませんな」
とりつく島もないような返事だ。
「でも、俺が偵察しますよ」
「うん。頼む」
そこにようやく、ロサミナが下りてきた。
なにやら足下がおぼつかないのは、昨日の鞍擦れもあるだろうが、それだけはなさそうだ。
ロサミナの腰のあたりは妙にふくらんで見えた。
くくっとダンカーが笑いをこらえた。
(どういう事だ?)
アンシャルの目顔での問いに、ダンカーが囁き声で応える。
「下着に詰め物をしてる」
そういう事か。
新兵がそういう事をしているのをみつかれば、下士官に叱り飛ばされるだろうが、ロサミナはそういう立場ではない。
まあ、良いだろう。
「朝食は?」
ロサミナが弱々しくかぶりを振る。
「麦粥で良い。一口でも食べておかねばもたないぞ」
給仕が、アンシャルの合図で、ロサミナの前に粥の鉢を運んできた。
ロサミナが顔を背けたが、溜息をついたダンカーが教えた。
「粒は喰わなくてもいい。汁のとこをすくって飲むんだ」
なるほど、さすがは熟練兵だな、とアンシャルは感心した。
それならスープと同じだ。
喉を通るだろうし、それだけでも活力の源になるはずだ。
ロサミナはとうとう、匙を手に取った。
ダンカーが立ち上がる。
俺は一足先に出て、偵察する。馬の支度はすませておく」
ダンカーは丁寧にしゃべる事をしない。
これはアンシャルが命じた事だった。
今、ふたりは軍衣ではなく私服で行動しているからだ。なのに上官扱いされては、なんのための私服かわからない。
三頭の馬の体調をあらため、きちんと世話をされていたかを確認した。
幸いここは、農家に毛が生えたような宿に思えたが、いや事実その通りなのだろうが、馬の手入れは誠実にされていた。
俺が衣囊に角砂糖を入れているのを敏感に嗅ぎつけやがった三頭が同時に頭をこちらへ向ける。
馬鹿野郎、今じゃねえ。
あとだ、あど。今ややらねえからな。
俺は馬具をつけてきちっと締めるところを締め、雑嚢を積み直した。雑嚢の中には、食糧や水が納められている。
他に、水を入れた水筒と、火酒を入れた小さな水筒を俺は軍帯にくくりつけてある。馬上でもすぐにあおれるようにだ。
たぶん、あの銅鴉尉も同じようにするだろう。
あの女? そんな余裕は多分ないんだろうな。アンシャルが注意するのでない限り。
鞍袋に手回り品を押し込んだ。
俺の手回り品は少ない。
軍衣と下着の替え、そんなもんだ。
小声で馬をなだめながら轡をとって前庭に導き出した。
街道に出る少し手前で馬にまたがる。
この緑村は、森に囲まれている。
実をいえば、目的地の荊森市まではほとんどが森だ。
俺に言わせれば厭な道だ。
敵がどこに潜んでいるかわからねえからな。
馬はおとなしく、俺の伝える合図に従って、道を進んでいった。
ひとりか。
軍に入ってから、これほど孤独を感じた事はなかった。
いつだって部隊の仲間が周囲にいたからだ。
俺は思わず溜息をついた。
自ら身の回りの事をする、これはいい。俺は従卒に頼った事はなかったからな。
しかし、自ら偵察するなんて何年ぶりの話だろう。
見習士官の頃以来か?
たぶんそうだ。
だが、勘所は忘れていないし、それだけでも、支援隊勤務のアンシャルよりましだろう。
緑村に入る時にもあんな罠があったくらいだ。
畜生。
あれは街道沿いに仕掛けられていたんだぜ?
思った以上に魔はまだこのあたりに相当残っているって事だ。
俺は視線を四方に走らせながら考えた。
なぜだ。
人々は格別不安そうには見えなかった。
ということは村が脅かされているという事はないのだ。
……待ち伏せされたのか。そう考える他はない。
俺は銃を抜いた。
最初の一発は薬室に送り込んである。
そこに、法力を注入していく。
ちらっと視界の隅で動くものがあった。
うさぎか。
鹿か。
いや、そういうものじゃない。
俺は馬の背に伏せた。
馬のやつもぴんと耳を立て、低くいなないた。
いた!
そう思うと同時に、何かが俺に向けて発射された。
俺はぴったりと伏せたまま、出会い頭に二発放った。
法力の銀の光が曳光し、一発は松の木に命中して樹皮をまき散らした。
だがもう一発が当たった。
なんとしてもこいつは仕留めておかなきゃな。
俺は馬を励ましてそいつの方に突進させ、もう二発を放った。
断末魔の叫びが上がる。
助かった。
どうやら小物だったと見える。
法力を込められた弾があたると、魔物は身を灼かれる。
最後は僅かな黒い粘液となって、地面に染みこんでいくのだ。
やつが凋んでいくのを見守る俺の前で、馬は低く鼻を鳴らし、落ち着いた様子で地面を掻いた。
この分なら、もう大丈夫だろう。
俺は馬首を返し、残りのふたりを迎えに行った。




