目的地まであと一歩
「雨だ!」
「雨が来るぞ!」
兵士らが口々に叫んで、砲に雨除けの防水布をかぶせようとした。
「待てーっ。砲をおろせっ」
それに反対する命令を出したのがダンカーだ。
「おい、ダンカー?」
アンシャルが尋ねても、ダンカーは振り向きもしない。
砲兵隊の兵士は、かつて銀狼佐であった頃のダンカーとなじみ深いのだろう、反射的にダンカーの声に従っている。
だが、砲兵隊の隊長は、明らかに怒気をおびてアンシャルに視線を向けている。
「ダンカー、何をしている」
「わからねえのか、あれが!」
ダンカーが空の一角を指さした。
アンシャルはそちらへ目を凝らした。
すうっと血の気が引いていくのがわかる。
ダンカーの言う通りだ。
そこは黒々と雲がわだかまっているように見える。
しかし、雲ではない。
魔物が群れているのだ。
「魔物が来るぞっ」
アンシャルは砲兵隊長に怒鳴った。
長銃を抜き、手早く動作を確認する。
弾帯の一番遠いところから二発分の弾を抜き、右手の指にはさむ。
「だが、一気に走れば襲われる前に荊森市にたどり着けるのでは……」
「無理だ」
アンシャルは言い放ち、肩に長銃をつけた。
その間に、ダンカーが有無をも言わせず荷車から砲を降ろし、地面に固定させている。
その時、雨がさあっと吹き付けてきた。
もう、魔物の群が飛来しつつあるのが見える。
「標的は上だ! 仰角いっぱい、二番砲、砲口が低いぞ!」
曹長が兵を叱咤している。
「真上まで来たら射てんぞ。射程距離に入るまで待って、射つんだ」
くそ、と砲兵隊長が吐き捨てた。
「こんなところまで魔物が来るなんてどうかしてる」
アンシャルが頷く。
「私たちはそういう旅を続けてきたんだ」
くそ、と砲兵隊長はもう一度吐き捨てた。
「発見したからには打つしかない。わかった、あんたらは先に行け」
「だが……」
「女連れなんだろう?」
その通りだ。
「行ってくれ」
アンシャルは唾を飲み込み、指にはさんでいた銃弾を弾帯に戻した。長銃を背に回す。
「ダンカー、来い」
アンシャルはロサミナの手綱に手をのばした。
背後から熱風が吹き付けてくる。
砲が魔物の群を狙って発砲し始めたのだ。
一発撃つたびに、砲の後部から排出される熱気が、強い風となって押し寄せてきているのだ。
熱風を追うように砲声が聞こえてくる。
どこかくぐもったような砲声は、規則正しい間をおいて、連続した。
アンシャルは一度だけ振り向いた。
白銀の光を曳いて、砲弾が飛んでいく。
その光はかすかに雨の中に滲んでいる。
砲弾が到達すると、魔物の群に穴があいた。
けれども魔物はすぐにその穴を埋める。
いったいどれほどの数なのだろう?
そして奴らはどこから湧いてくるのか。
魔物との戦いはまだ百年と少ししか続いておらず、聖咒兵団のように魔物と戦う事を使命とした聖兵にも、魔物について詳しい事はわかっていない。
ロサミナは馬の首に腕をまわして、顔を伏せている。
どうかそのまま落ちないようにこらえてくれ、とアンシャルは念じた。魔物が万が一、砲兵隊を突破したら、ロサミナの面倒をみている暇はなくなるのだ。
だが……。
ああ、やはりか。
何頭かの魔物がアンシャルらに追いすがってくる。
「ダンカー! ロサミナを連れて荊森市に走れ」
「残るのは俺の役目だぜ」
「馬鹿者。おまえに長銃が使えるのか?」
ダンカーが口を不満そうに曲げた。
だが、アンシャルの側に分がある。
「仕方ねえ」
ぼそっとつぶやくと、ダンカーがアンシャルにかわってロサミナの手綱をとる。
それを見届けて、アンシャルは馬首を返すと、再び長銃を肩につけた。
ああもう、めんどくせえなっ。
逃げる役かよ。
俺の性には合わねえっていうのに。
悔しい事にアンシャルの言う事が完全に正しかった。
小銃を前にまわしてあらかじめ銃剣を取り付けておく。
そして腰を浮かせた。
「しっかりつかまれ、間抜け」
返事はない。
ちっ。
俺はロサミナから目を離さずにすむように、馬を横並びさせた。
本当は、ロサミナの馬を少し後ろに置いた方が先導は楽なんだが、いつ女が落ちるかもわからないし、そもそもこの女を目的地まで護衛しなくてはならないんだからな。
雨に追いつかれた。
蕭々と降る雨が、俺の軍荷を濡らしていく。
長銃の発射音が響く。
俺は右手で短銃を抜いた。
残念ながら小銃は両手じゃ扱えないからだ。ふりまわすなら話は別だが。
俺は上半身を後ろへと向き直らせた。
走る馬の上ではかなりの芸当だ。
何もかもに、雨が飛沫いている。
雨は魔物の体にも弾けていて、雨の幕に黒々とした魔物の影が、雨の銀色で縁取りされている。
すげえ。
おあつらえ向きの的だ。
短銃の弾があたるかはわからねえが、よせつけなければそれでいいんだ。
俺は弾倉に込めた弾を一気に射ち尽くした。
反動で短銃が掌に跳ねる。
そのまま銃身を振り、薬莢をばらまいた。
しゅうっと熱い薬莢が雨にかすかな湯気をあげる。
俺は急いで輪銅に装弾していった。
揺れる馬上ではやりにくいが、そんな事は言っていられなかった。




