口をきくな、この間抜け
がたん、と耳障りな音がして、トロッコの扉が閉じた。
がしゃん、と響く閂の音はさらに耳障りだ。
「あ~、やだやだ、監獄の錠前がおりる音みてえだ」
ロサミナが蔑んだような視線をダンカーに投げた。
アンシャルもダンカーを睨んだ。
ダンカーが小さく首をすくめる。
「じゃあ、ずっと道は下りだから、まあ途中でところどころ引き込み線に入るから、速度はその都度殺せるんだが……あんまし速すぎると思うようなら、この棹がブレーキだから」
いかにも叩き上げの鉱夫上がりといった風貌の鉱夫長が言って、扉とは反対側に突きだしている棹を指さした。
「しっかりつかまってなよ。じゃあ、押し出すからな」
まだ動き出してもいないのに、ロサミナがぎゅっと握りにとりついた。
トロッコの壁の高さは、立った状態でアンシャルの腰くらいか。
これは人が乗るのに使うための箱らしく、まがりなりにも粗末なベンチがとりつけられている。
握りは、その正面にあたかもタオル掛けのような長い横棒として取り付けられている。
このベンチに、ロサミナをはさんで、アンシャルが奥、ダンカーが扉側に座った。
若い鉱夫が、枕をひとつ、ロサミナの膝に投げ落とした。
「男は脚を突っ張ってりゃいいが、娘さんはそうもいかねえだろ。前にぶつかっと危ねえから、その枕を抱いてな」
「あ……ありがとう」
ロサミナの笑みは引きつっている。
しかし、枕を抱くのと握りを握るのと同時にはできない。
何事も実際的なダンカーが、雑嚢から紐を取り出すと、枕をロサミナの腹から胸にたてかけるようにして、くくりつけた。
いささかぶかっこうだが、問題はこれで簡単に解決した。
がたん、とトロッコが揺れた。
「大丈夫なの……ほんとに大丈夫かしら」
「黙れ間抜け.舌を噛むぞ」
ダンカーが言った。
ダンカーの頑丈な脚が、どん、と正面を蹴った。
その体とトロッコの間に、小銃と長銃がたてかけてある。
足下には三つの雑嚢がある。
アンシャルが見ていると、ダンカーが意外に丁寧な手つきで、ロサミナの両足を雑嚢の上にのせた。
なるほど、とアンシャルは頷いた。
こうしておかねば、万が一にもトロッコが急停止したり、線路から脱線したりした場合に、衝撃で脚が折れてしまいかねない。
それにこの方が、ロサミナは脚をつっぱりやすいはずだ。
アンシャルも見習って、扉側の脚を正面の壁にかけて踏ん張った。
がたん!
トロッコが揺れた。
「行くぜー!」
後ろから鉱夫がふたり、トロッコを押し始めた。
ごろごろと音がして、トロッコはがたがたと揺れた。
ロサミナが不安そうにアンシャルを見た。
「前を向いていろ。危ないぞ」
がくがくとロサミナが頷いて、素直に前を向いた。
トロッコの動きが少しゆっくりとなる。
次の瞬間、ゆっくりと走り出し、すぐに速力を上げた。
「ひっ……」
ロサミナが息を飲む。
鉱山の中をこれから反対側の麓へ向かって走り降りていくのだ。
先ほど鉱夫長が言った通り、途中で何度か停止するか、速度を緩める事はできるが、それがどの程度のものなのか、アンシャルにもわからない。
こんなものに乗るのはなんといっても初めてだ。
坑道は両側に、等間隔で角燈が吊り下げられている。
線路は複線になっていて、反対側の線路は鉱石を載せたトロッコが、どういう仕掛けかじりじりと引き上げられていく。
両側には側溝が掘られて、そこに水が少しずつ流れ込んでいるようだ。
人も往来しており、鶴嘴などをかついだ鉱夫がいるかと思えば、角燈に油を注ぎ足して歩いている老鉱夫もいる。
おそらく、もう鶴嘴などをふるう事はできないが、こうした軽い作業を請け負っているのだろう。
落ちた鉱石を拾って歩いているのは、まだ体のできていない少年鉱夫だ。
角燈よりは間遠だが、ところどころに鳥籠が見えた。
ロサミナがそれに気付いたのか、もの問いたげにアンシャルをちらっと見た。
「悪い空気には鳥が先に気付く。鳥が苦しがり始めたら、瘴気が出てきた証拠だ」
アンシャルはなるべく短く、説明した。
その間にもトロッコはどんどん速度をあげ、揺れも激しくなってきて、ついに誰もよそ見をしたり、ましてや口をきく余裕などはなくなってきた。
びゅうびゅうと、空気が向かい風となって目に飛び込んでくる。
みるみるうちに、目が乾いて涙が滲んできた。
アンシャルもダンカーも、進行方向より少し斜めに視線をそらした。
でないと目をあけている事ができないし、息をするのもままならない。
坑道はまっすぐではなく、ところどころで曲がる。
アンシャルらの乗ったトロッコがどこへ向かっているかは、中途中途の指揮所に伝えられているため、時々ポイントを切り替えている鉱夫の姿を見る事ができた。
こちらへ手を振る者もいたが、とても手を振り返しているような余裕はない。
先日の列車など比べものにならないくらい、凄い向かい風が、耳元でびゅうびゅうと唸り声をあげ、線路のたてる音も、揺れるトロッコのたてる音も、前後左右で鍛冶屋が仕事をしているかのようだ。
しかも全員が熱心な鍛冶屋だ。
歯ががちがちぶつかりあうのを防ぐために、顎に力を入れて、歯を噛みしめてる必要があった。
いったいどらくらいの間そうして走っていたのか。
ようやく線路は大きな切羽に走り込み、平らなところをぐるりと一周するように走りながらだんだんと速度を緩めていった。
にこにこしながら、大きく手を振った鉱夫が、がたん、とポイントを切り替えた。
トロッコはそのおかげで、停止する前に別の線路へと進入した。
「きゃああっ」
「黙れ間抜け」
ダンカーの声はのんびりとしてすらいるようで、それを聞くと、どことなくアンシャルもほっとする思いだったが、線路は再び下り始めた。
しかも、先ほどよりも勾配が急だ。
角燈の数もなんとなく少ないような気がする。
ほとんど闇の中をトロッコはどんどんと突き進んでいく。
まるで体がふわりと浮き上がるかのような感じだった。
体にあたる風のせいで、トロッコの壁より上に出ている顔が氷のように冷えてくる。
ざぱあああん!
トロッコは大きな水たまりの中に突っ込んだ。
排水がこのあたりではうまくいっていないのか。
そもそもこのあたりは掘り尽くしてしまった切羽らしい。
見れば怖ろしいことに広い水面が続いていて、どうやら頭上に張り渡された針金につるされた角燈が、心細い黄色い光の輪を広げ、その弱い光が水面にちらちらと踊っていく。
しかしトロッコが突き進むにつれて、翼のように両側へ広がる水の壁で、その光さえも、もっとあえかなものにみえる。
水は容赦なくはねけり、三人の顔を濡らした。
横目で見ると、ロサミナは堅く目を瞑っている。
ダンカーが上衣を抜いて、二挺の銃を覆っているのが見えた。
でかした!
銃を濡らすのは非常にまずい。
こういう時、実戦で鍛え抜かれたダンカーは実に便りになった。




